夜の朝顔(豊島ミホ)
内容に入ろうと思います。
本書は、7編の短編を収録した連作短編集です。主人公は田舎に住む小学生のセンリ。クラスは一クラスで、卒業までクラス替えはない、そんな小学校です。小学一年生から小学六年生までを描いています。
「入道雲が消えないように」
センリには、喘息持ちの妹・チエミがいる。チエミは身体が弱いから、あまり遠出が出来ない。だから、友達が海や山に行く時も、センリは行けない。チエミを一人にしちゃ可哀想だ、と言われるからだ。
そんなセンリが、堂々と海に行ける時がある。洸兄が来る時だ。親戚が泊まりにくる一週間は、マリさんがチエミの相手をしてくれるから、センリは洸兄と海に遊びにいけるのだ。
毎年洸兄が来るのを楽しみに待っている。でも、センリは分かってしまう。きっと来年はもう、洸兄は来ないんだろうな、と…。
「ビニールの下の女の子」
隣町で、女の子が行方不明になるという事件が起こり、センリのいる小学校も集団下校をすることになった。家が近くていつも一緒に帰っている塔子が、「その女の子、死んじゃったのかなぁ」というので、センリと茜はびっくりする。
家に入ろうとすると、塔子がセンリを呼ぶ。近くの竹やぶに、大きなビニール袋が捨てられているのだ。塔子は心配なのだ。まさかこれ、女の子の死体とかじゃないよね…
「ヒナを落とす」
シノくんは、クラスでいじめられている。クラス替えはないから、きっとずっとこのままいじめられ続けるのだろう。センリは、止める勇気もないけど、一緒になっていじめるわけでもない、そんなモヤモヤした立ち位置にいる。
ある日シノくんが、巣から落ちた鳥のヒナを拾ってきた。教室で飼うことになって、シノくんは一瞬だけクラスの中心にいることになった。でもそのヒナはやっぱり…。
「五月の虫歯」
毎年恐怖の歯科検診でやっぱり虫歯が見つかって、歯医者に行かなくちゃいけない。今年は色々あって、それまで行っていたのとは違う、隣町の歯医者に行くことになった。治療の間買い物に出かける両親に、治療が終わったら隣の公園で遊んでいなさいと言われる。そこで、アザミと出会ったのだ。フィリピンから日本にやってきた有名な歌手の娘だというアザミに…。
「だって星はめぐるから」
カツラちゃんという、いつも男子とばっかり喋っている「女子らしくない」女の子は、よく万引き自慢をしている。それを聞かされるのがもううんざりだという茜は、カツラちゃんと対立するような感じになっている。センリはそういうのに巻き込まれたくない。茜と塔子とも、なんだか一緒に帰りたくないような気がしてしまう。それで妹のチエミに、一緒に帰らない?って聞いてみたんだけど…。
「先生のお気に入り」
担任の大場先生は、なんだか先生らしくない。授業は脱線するし、破棄がない。白髪を抜かせたりもするし。よくわからない。
周りの女子は、バレンタインがなんとかってはしゃいでいる。よくわからないし、話に入っていけない。茜が、先生にチョコを渡すから、他の人は渡さないで、という案内を紙に書いて回している。センリは…。
「夜の朝顔」
杳一郎が夢に出てくる。これは杳一郎のことが…いや、好きなんてはずがない。体育の時間は乱暴だし、それなのに数学の宿題は下手に出て見せてもらおうとするし。
妹に、ねえちゃんくらい見た目に気を使わない人はいないよ、と言われて、初めてクラスの女子をちゃんと観察してみた。ほんとだ。みんな、寝ぐせなんかない…。どうやって寝ぐせを直すのか、全然知らないのに…。
というような話です。
やっぱりいいですね、豊島ミホ。実はごく最近、豊島ミホを「としまみほ」と読むことを知ったわたくしです。ずっと「とよしまみほ」だと思っていましたわオホホホホ。
正直、これまで読んできた「檸檬の頃」「エバーグリーン」「神田川デイズ」なんかと比べると、僕の感じ方としては若干落ちますけども、十分いい作品だと思いました。
小学生、という設定が実によく活かされている、ということを強く感じました。
まず、高学年になれば多少は出てくるものの、基本的に恋愛という感じの話は少ないです。高学年のところで出てくる恋愛の話も、恋愛というには淡い感じだし、恋愛以外の要素も結構強く出ている感じがします。
本書でメインに描かれているのは、シンプルな意味での人間関係、なんですね。シンプルな意味での、と描いたのは、大人の世界を描くとどうしても、恋愛というものを避けて物語を書くことは難しいんだと思うんです。もちろん、恋愛がダメだとか邪魔だとかそういうわけではないけど、でも僕らは別に常に恋愛してるわけでもないし、人生の中でそれだけが特別大事だという理由もないと思うんですね。でもやっぱり物語の中では、ある種の恋愛的要素みたいなものが期待されてしまう。
それを、小学生の世界を描くことで、かなり自然とシンプルな人間関係を描き出すことが出来ているような感じがしました。
あと、小学生って、やっぱりまだ色んなことを明確に言葉に出来ないと思うんですね。そういう、うまく言葉には出来ない内面描写というのを実にうまくやっていて、これも小学生という設定ならではの良さかな、と感じました。中高生ぐらいになると、自分の感情なんかを割と適切な言葉で表現出来たりすると思うけど、小学生にはまだまだ難しい。だからセンリの内面描写も、雄弁な言葉では決して語られません。自分の中でもどんな風に表現したらいいのか言葉を探せないでいるような、そういう曖昧な感情の揺らぎみたいなものを、色んな形で描写していて、豊島ミホさすがだなぁ、と感じました。たぶん並の作家なら、小学生にはそんな言葉・感情の切り取り方は思いつかないでしょう、というような内面描写をさせてお終いだと思うんですけど、そこが凄いと思いました。しかもきちんと、年代ごとにどこまで描くかみたいなバランスも考えられているように感じられたので、改めて作家としての力量を感じました。
センリは、これまでの豊島ミホの登場人物とやっぱり同じで、常に『何か』に対して違和感を抱いている女の子です。喘息持ちで大切に扱われている妹だったり、いじめられている同級生だったり、友達の悪口を言う仲良しの女の子だったり、バレンタインなんかに浮かれてる女の子だったり。センリには、周りが『普通だ』と思っていることがどうもストレートに受け取ることが出来なくて、あれこれ考えてしまいます。こういうところは僕も昔からあって、凄くよくわかるなぁ、という感じです。
本書には、あんまりたくさんの大人は出てこないけど、でも大人はやっぱりセンリみたいな女の子を、『普通』の枠に入れてしまおうとするんですね。『普通』の枠には嵌らないものを抱えているから悩んでいるのに、そこに嵌りなさいと言われたって子供は困る。子供だって色んなことを感じたり考えたりしているんだということを、やっぱり大人になるとどうしても忘れちゃうんですよね。僕は大場先生みたいな大人は好きですね。子供を子供としてではなくて、きちんと一人の人間として扱っている、みたいなところが好きです。
しかしあとがきで豊島ミホが、小学校時代に行った遠足の行き先を全学年分覚えてると書いていたのは驚きました。僕なんか、遠足の行き先どころか、担任やクラスメートの名前からして忘却の彼方。小学校時代に覚えていることなんか本当に、断片のさらに断片みたいなレベルのものしかなくて、そういうのを覚えてられるというのはちょっとだけ羨ましいなと思いました。
まあそんなわけで、豊島ミホの作品を何か勧めて欲しい、と言われたら別の作品を勧めるけど、これも良い作品だったと思います。小学生だってちゃんと色々考えたり感じたりしてるんだ、ということをもう一度思い出してみてください。
豊島ミホ「夜の朝顔」
本書は、7編の短編を収録した連作短編集です。主人公は田舎に住む小学生のセンリ。クラスは一クラスで、卒業までクラス替えはない、そんな小学校です。小学一年生から小学六年生までを描いています。
「入道雲が消えないように」
センリには、喘息持ちの妹・チエミがいる。チエミは身体が弱いから、あまり遠出が出来ない。だから、友達が海や山に行く時も、センリは行けない。チエミを一人にしちゃ可哀想だ、と言われるからだ。
そんなセンリが、堂々と海に行ける時がある。洸兄が来る時だ。親戚が泊まりにくる一週間は、マリさんがチエミの相手をしてくれるから、センリは洸兄と海に遊びにいけるのだ。
毎年洸兄が来るのを楽しみに待っている。でも、センリは分かってしまう。きっと来年はもう、洸兄は来ないんだろうな、と…。
「ビニールの下の女の子」
隣町で、女の子が行方不明になるという事件が起こり、センリのいる小学校も集団下校をすることになった。家が近くていつも一緒に帰っている塔子が、「その女の子、死んじゃったのかなぁ」というので、センリと茜はびっくりする。
家に入ろうとすると、塔子がセンリを呼ぶ。近くの竹やぶに、大きなビニール袋が捨てられているのだ。塔子は心配なのだ。まさかこれ、女の子の死体とかじゃないよね…
「ヒナを落とす」
シノくんは、クラスでいじめられている。クラス替えはないから、きっとずっとこのままいじめられ続けるのだろう。センリは、止める勇気もないけど、一緒になっていじめるわけでもない、そんなモヤモヤした立ち位置にいる。
ある日シノくんが、巣から落ちた鳥のヒナを拾ってきた。教室で飼うことになって、シノくんは一瞬だけクラスの中心にいることになった。でもそのヒナはやっぱり…。
「五月の虫歯」
毎年恐怖の歯科検診でやっぱり虫歯が見つかって、歯医者に行かなくちゃいけない。今年は色々あって、それまで行っていたのとは違う、隣町の歯医者に行くことになった。治療の間買い物に出かける両親に、治療が終わったら隣の公園で遊んでいなさいと言われる。そこで、アザミと出会ったのだ。フィリピンから日本にやってきた有名な歌手の娘だというアザミに…。
「だって星はめぐるから」
カツラちゃんという、いつも男子とばっかり喋っている「女子らしくない」女の子は、よく万引き自慢をしている。それを聞かされるのがもううんざりだという茜は、カツラちゃんと対立するような感じになっている。センリはそういうのに巻き込まれたくない。茜と塔子とも、なんだか一緒に帰りたくないような気がしてしまう。それで妹のチエミに、一緒に帰らない?って聞いてみたんだけど…。
「先生のお気に入り」
担任の大場先生は、なんだか先生らしくない。授業は脱線するし、破棄がない。白髪を抜かせたりもするし。よくわからない。
周りの女子は、バレンタインがなんとかってはしゃいでいる。よくわからないし、話に入っていけない。茜が、先生にチョコを渡すから、他の人は渡さないで、という案内を紙に書いて回している。センリは…。
「夜の朝顔」
杳一郎が夢に出てくる。これは杳一郎のことが…いや、好きなんてはずがない。体育の時間は乱暴だし、それなのに数学の宿題は下手に出て見せてもらおうとするし。
妹に、ねえちゃんくらい見た目に気を使わない人はいないよ、と言われて、初めてクラスの女子をちゃんと観察してみた。ほんとだ。みんな、寝ぐせなんかない…。どうやって寝ぐせを直すのか、全然知らないのに…。
というような話です。
やっぱりいいですね、豊島ミホ。実はごく最近、豊島ミホを「としまみほ」と読むことを知ったわたくしです。ずっと「とよしまみほ」だと思っていましたわオホホホホ。
正直、これまで読んできた「檸檬の頃」「エバーグリーン」「神田川デイズ」なんかと比べると、僕の感じ方としては若干落ちますけども、十分いい作品だと思いました。
小学生、という設定が実によく活かされている、ということを強く感じました。
まず、高学年になれば多少は出てくるものの、基本的に恋愛という感じの話は少ないです。高学年のところで出てくる恋愛の話も、恋愛というには淡い感じだし、恋愛以外の要素も結構強く出ている感じがします。
本書でメインに描かれているのは、シンプルな意味での人間関係、なんですね。シンプルな意味での、と描いたのは、大人の世界を描くとどうしても、恋愛というものを避けて物語を書くことは難しいんだと思うんです。もちろん、恋愛がダメだとか邪魔だとかそういうわけではないけど、でも僕らは別に常に恋愛してるわけでもないし、人生の中でそれだけが特別大事だという理由もないと思うんですね。でもやっぱり物語の中では、ある種の恋愛的要素みたいなものが期待されてしまう。
それを、小学生の世界を描くことで、かなり自然とシンプルな人間関係を描き出すことが出来ているような感じがしました。
あと、小学生って、やっぱりまだ色んなことを明確に言葉に出来ないと思うんですね。そういう、うまく言葉には出来ない内面描写というのを実にうまくやっていて、これも小学生という設定ならではの良さかな、と感じました。中高生ぐらいになると、自分の感情なんかを割と適切な言葉で表現出来たりすると思うけど、小学生にはまだまだ難しい。だからセンリの内面描写も、雄弁な言葉では決して語られません。自分の中でもどんな風に表現したらいいのか言葉を探せないでいるような、そういう曖昧な感情の揺らぎみたいなものを、色んな形で描写していて、豊島ミホさすがだなぁ、と感じました。たぶん並の作家なら、小学生にはそんな言葉・感情の切り取り方は思いつかないでしょう、というような内面描写をさせてお終いだと思うんですけど、そこが凄いと思いました。しかもきちんと、年代ごとにどこまで描くかみたいなバランスも考えられているように感じられたので、改めて作家としての力量を感じました。
センリは、これまでの豊島ミホの登場人物とやっぱり同じで、常に『何か』に対して違和感を抱いている女の子です。喘息持ちで大切に扱われている妹だったり、いじめられている同級生だったり、友達の悪口を言う仲良しの女の子だったり、バレンタインなんかに浮かれてる女の子だったり。センリには、周りが『普通だ』と思っていることがどうもストレートに受け取ることが出来なくて、あれこれ考えてしまいます。こういうところは僕も昔からあって、凄くよくわかるなぁ、という感じです。
本書には、あんまりたくさんの大人は出てこないけど、でも大人はやっぱりセンリみたいな女の子を、『普通』の枠に入れてしまおうとするんですね。『普通』の枠には嵌らないものを抱えているから悩んでいるのに、そこに嵌りなさいと言われたって子供は困る。子供だって色んなことを感じたり考えたりしているんだということを、やっぱり大人になるとどうしても忘れちゃうんですよね。僕は大場先生みたいな大人は好きですね。子供を子供としてではなくて、きちんと一人の人間として扱っている、みたいなところが好きです。
しかしあとがきで豊島ミホが、小学校時代に行った遠足の行き先を全学年分覚えてると書いていたのは驚きました。僕なんか、遠足の行き先どころか、担任やクラスメートの名前からして忘却の彼方。小学校時代に覚えていることなんか本当に、断片のさらに断片みたいなレベルのものしかなくて、そういうのを覚えてられるというのはちょっとだけ羨ましいなと思いました。
まあそんなわけで、豊島ミホの作品を何か勧めて欲しい、と言われたら別の作品を勧めるけど、これも良い作品だったと思います。小学生だってちゃんと色々考えたり感じたりしてるんだ、ということをもう一度思い出してみてください。
豊島ミホ「夜の朝顔」