黒夜行

>>2023年08月29日

「エドワード・ヤンの恋愛時代 4Kレストア版」を観に行ってきました

なんとなくだが、以前観たウォン・カーウァイ『恋する惑星』みたいな感じの気分でこの映画を観に行った。僕にとって『恋する惑星』は超絶好きな作品だったから、ちょっとハードルが上がっていたかもしれない。決してつまらなくはないし、良いなと思うシーンも色々とあったのだけど、ズバッと刺さるというところまではいかなかった。

さて、まずはこの映画の「修復」について少しだけ書いておこう。映画の冒頭でその説明が字幕で表示された。『エドワード・ヤンの恋愛時代』は1994年の公開だそうだが、その35ミリフィルムを2020年に修復し終えたそうだ。フィルムの劣化が激しかったため、異音などはAI的なものを使って修正し、水濡れやフィルムの破れなどは1コマ1コマ手作業で直したそうだ。

しかし、そもそも不思議なのだが、どうしてたかだか30年前の映画のフィルムがそんなに劣化してるんだろう? 映画のフィルムはそういうものなんだろうか? 公式HPを見ると、エドワード・ヤンという監督(そう、なんとこの映画、監督の名前がタイトルに含まれているのだ)は、1991年公開の「牯嶺街少年殺人事件」で高く評価されたそうだ。であれば、その3年後に公開された映画のフィルムも、それなりに大事に扱われると思うんだけど、なんでそんな劣化が激しい状態だったのかが謎だ。

さて、話を映画の内容の方に戻そう。まずは少しだけ、この映画が撮られた時の台北について。映画の冒頭で、孔子の文章が引用され、「豊かさを手に入れた後、人間はどう生きるか?」みたいな問いかけがなされる。その後、「台北は僅か20年で、世界で最も豊かな都市の1つになった」という字幕が表示される。要するに、日本のバブル期みたいな時代だったのだと思う。そういう、国中に活気が溢れる時代の若者たちを切り取っていく映画というわけだ。

物語は、モーリーという女性経営者を中心に展開していく。彼女は、出版や映像などのカルチャー・ビジネスを行っている。モーリーは20代か30代ぐらいであり、かなり大きな会社の経営者としては不自然な存在だが、物語を追っていくと、婚約者であるアキンから与えられたビジネスであることが分かる。彼女が自身の会社についてどの程度思い入れがあるのかなかなか分からないが、少なくとも会社は財務状況が良くなく、さらに気まぐれで人を突発的に解雇するモーリーのやり方もあって、恐らく社内の雰囲気もあまり良くはない。モーリーは、アキンとの関係でもモヤモヤしたものを抱えており、それはアキンにしても同じである。

さて、そんなモーリーの右腕となって支えているのが、親友のチチだ。彼女はモーリーと同級生(いつの時代の同級生なのかはよく分からなかった)であり、気まぐれなモーリーの差配に色々思うところがありながらも、普段は誰に対しても可愛い笑顔を向けている。モーリーはチチを信頼しているが、彼女には、恋人である公務員のミンの親族から持ち込まれた転職の話が来ている。ミンは、その転職の話を持ち込んだ人物に忸怩たる思いを抱いてはいるものの、チチはモーリーから離れるべきだと考えており、その転職の話を積極的に進めようとする。ちなみに、ミンもまた、モーリー、チチと同級生である。

このモーリー、チチ、ミンの関係性を中心軸としながら、さらに様々な人間模様が描かれる。同じく彼らと同級生であり、演劇の演出家として出世したバーディ。彼の演劇はある小説家の盗作だと疑われるのだが、その小説家は、モーリーの姉の夫である。2人は別居中だが、テレビタレントとして活躍する姉と、恋愛小説で人気を博し一定のファンがいる小説家は、別居の事実を隠している。一方、アキンの右腕として活躍する投資コンサルタントのラリーと、ラリーの紹介でモーリーの会社に入社したフォン。

彼らはそれぞれに「持っているもの」がある。つまり「豊か」と言っていいだろう。しかし裏腹に、彼らは皆彼らなりの「寂しさ」を抱えている。その「寂しさ」を何かで埋めようと、そこに「恋愛」を嵌め込もうとするのだが、お互いの「寂しさ」の形が上手く合致せず、結局お互いの「寂しさ」を見せ合うだけで終わる。そんな「寂しさ」を最初から最後まで描き出している作品だ。

彼らは本当は、今手にしているものでも十分に「幸せ」を感じられるはずだ。しかし、時代がそうはさせない。一昔前ならそう言えたかもしれないが、国全体が「豊か」になったため、「他の人よりも更に『豊か』な私」が確認できないと「幸せ」を感じられなくなってしまったのだ。映画のような形で客観的に見せられれば、僕らも、「なんでお前たちは、自分が『幸せ』だって気づかないんだ」って思える。でも、自分がそこにいたら、きっと気づかないのだ。

映画の中の誰もが、目の前にいる相手の「向こう側」に誰かの存在を感じ取ろうとする。それは「嫉妬」だったり「防衛」だったり「攻撃準備」だったりするのだが、いずれにせよ、その態度は、目の前にいる相手をないがしろにすることに繋がる。映画全体を思い返してみても、「目の前にいる相手と向き合っている」と感じるシーンはとても少ない。これも、客観的に観ていれば、「そりゃあすれ違っちゃうよね」と感じるのだが、自分がその場にいたら気づかないかもしれない。

誰もが「今自分が手にしているもの」や「目の前にいる相手」を無視して現実を進んでいこうとするのに対して、モーリーの義兄である小説家の男性だけはそのややこしさから抜け出ているように感じられたので、映画の中では特異な存在に思えた。が、必ずしもそうとは言えないという展開に巻き込まれることになり、やはりなかなか難しいものだなぁ、と感じる。

モーリーの奇抜さが物語を駆動させていくのは間違いないが、映画の中でやはり興味深いと感じる存在はチチだろう。なんというのか、一番「何を考えているのか分からないタイプ」という感じだ。だから面白い。

チチは誰からも「朝一番で君に会えると元気が出るよ」「あの子はいつもニコニコして可愛らしい」と言われるような存在だ。もちろん、チチも色んなことでイライラしたりするし、恋人のミンとケンカしたりもする。ただ、表向きはいつも「良い子」の仮面を被ってしまうのだ。

「被ってしまう」という表現は正しくないかもしれない。興味深いことに、チチはモーリーに、「どうして人に好かれるのか、考えたことがある」みたいな話をする場面がある。つまり、「意識的にそういう風にしているわけじゃない」という意味だろう。「生来の習い癖」みたいなものと言えばいいだろうか。そしてある意味ではそのことが、彼女のコンプレックスになっている。「自分には『自分』がないんじゃないか」というわけだ。それは、「『自分』しか存在しない」ようなモーリーの近くにいることで、余計に強化されると言えるだろう。

分かりやすい人間にはあまり興味が持てない僕は、あまりにも分かりやすい(ように映る)モーリーにはさほど興味が持てなかったのだが、観れば観るほどなんだか分からなくなっていくチチの存在感はとても気になった。チチが号泣するシーンも印象的だったし、映画のラストシーンのチチも良い。

あとやはり、関係性で言っても、モーリーとチチの関係が一番興味深い。特に映画の後半、朝会社で2人が鉢合わせるシーンはとても印象的だ。詳しくは触れないが、それまでの流れの中で「終わった」と表現して良いような2人の関係がするっと変質していく。もちろん、こんなややこしいモーリーと長年親友をやってきたのだが、その関係があっさりと終わってしまうようなことはないのかもしれないとは思うが、それでも、映画を追っている観客としては、「なるほど、そこでそうなるんだな」と思うんじゃないかと思う。

一方で、映画では「なかなかいけ好かない男」がたくさん描かれている。アキンは全然可愛い方で、アキンの右腕であるラリーはなかなか酷いし、演出家のバーディも結構ヤバい。まあ、こういういけ好かない奴が出てくるからこそ、たった2日半で展開される物語に緩急がつくわけだが、だからと言って彼らに興味が持てるというわけでもない。

そう、この作品は、たった2日半の物語を描くものであり、その中で、主要な登場人物のほとんどが、何らかの形で「人生の転機」を迎える。ほとんど「玉突き事故」のような人間関係が描かれる物語であり、そんな物語が、最終的にそれぞれの「人生の転機」を引き寄せるという構成は、なかなかに絶妙と言えるだろう。

そして、興味深いのは、その「人生の転機」に関わる決断が、「既に持っているものを手放すこと」であることだろう。全員が全員そうというわけではないが、多くが、「自分が持っている『豊かさ』だと思っていたものを手放すことで、本当の『豊かさ』を手に入れようとする」という行動を取る。

そしてこの帰結は、非常に現代的と言えるだろう。ある意味でとても「豊か」になってしまった僕たちは、どこかでその「豊かさ」を制約しなければ「幸せ」を感じることが出来ない。

例えば、パッと思いついた例なのであまり適切ではないが、最近若い世代の間でフィルムカメラが再び人気になっている、というニュースを見る機会がある。これは要するに、スマホの普及によって「写真を撮る」という行為があまりにも当たり前に行えるようになったことで、「撮った写真をすぐに見れない」「現像にお金が掛かる」という制約を持たせなければそこに価値を見出しにくくなった、という風にも解釈出来るだろう。欧米を中心に、1日に1度だけランダムに指定される時間にしか投稿出来ないSNS「BeReal」が流行っているという話もちょっと前に話題になったが、これも同じような理由だと思う。

そういう、「今手にしているものを手放すことでしか『豊かさ』『幸せ』を実感できなくなった」時代に生きる僕らには、この映画が突きつける問いや現実は、結構グサグサ突き刺さるものなんじゃないかと思う。公式HPには、『エドワード・ヤンの恋愛時代』が公開時に正当な評価を受けたとはいい難い、みたいに書かれているが、時代を先取りしすぎたということなのだろう。恐らく、現代を生きる人の方が、この作品をより深く捉えられるんじゃないかと思う。

しかし個人的には、こういう「恋愛」を間に挟んだ近場の人間関係の円環的なものには巻き込まれたくないなぁ、と思ってしまった。物語ならいいが、自分が経験すると考えると、こういう状況は好きではない。

「エドワード・ヤンの恋愛時代 4Kレストア版」を観に行ってきました

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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)
  翻译: