英雄の哲学(イチロー×矢沢永吉)
天才っていう存在は、結構いると思う。思うのだ。それは、どこかの感想にも書いた。あれだ、西尾維新のデスノートのノベライズだ。
まあそれはいいのだけど、でもじゃあ、英雄って呼ばれる人はどうだろう。ヒーローって呼ばれる人はどうだろう、って考えてみると、これはかなり少ないだろう。
ぱっと思いつくのは、もう歴史上の人物になっちゃったりする。もはや、英雄なんて、そういう存在である。
天才と英雄の違いはなんだろうか。
天才というのは、純粋に能力の問題なんだと思う。例えばありきたりだけど、計算が速くできるとか、歌がめちゃくちゃうまいとか、そういう能力の問題。それは、先天的なものでも努力によるものでもいいんだけど、人よりずば抜けた能力を持っているということが重要である。
しかし英雄となると、能力だけの問題というわけにはいかない。むしろ、英雄であるために、能力はいらないのかもしれないのかもしれないとさえ思う。
英雄とは、生き方だと思う。どれだけ多くの人間に、その生き方を認められるか、支持されるか。これが、英雄としての唯一にして最大の条件だろうな、と思う。だから、能力が伴わなくても、全然問題ない。全然ダメ人間でも、でもその生き方が熱狂的に支持されたりすれば、それはもうヒーローだと僕は思うのだ。まあ、そんなことはほとんどないと思うのだけど。
そう考えると、ヒーローの生まれにくい時代になったな、と思う。
昔は、それほど多くの人間の生き方に触れられるわけではなかった。情報を得る機会が少なかったし、そうなると、より情報が多く流れる人々に熱中していくのは、当然だろう。例えば、ビートルズはヒーローだと思うけど、あれだって、情報をもたらす人間がみんなビートルズの方ばっか向いてたんだから、受け取る人間だってそりゃあ熱狂するだろう、とそういうことだったんではないかと思う。
しかし今は、あらゆる手段によって、ありとあらゆる人の生き方を知ることができるような世の中になった。だから人々はそれぞれ、自分の中のヒーローを見つけ出して、それを応援していくようになる。あの人の魅力は、まだ世間には認められてないけど、いいの私だけがわかってれば。あなたは私のヒーローなんだから。まあ要するに、こんな感じである。
そうなると、社会全体としてのヒーローというのは生まれにくい。みんながてんでバラバラの方向を向いているわけで、熱狂がどんどんと分散されていってしまう。そうなれば、ヒーローでありえた人はヒーローになり損ねるし、ヒーローになりたければ、血の滲むような努力をするか、ありえない幸運を待つしかない感じになっている。
でも、やはり時代を象徴するヒーローは生まれるものだ。
時代を象徴するヒーローというのも、人によって答えは変わるだろう、美空ひばりだったり、長嶋監督だったり、X JAPANだったり、村上春樹だったり、まあいろいろあるかもしれない。
ただ、本作の二人、イチローと矢沢永吉をヒーローではない、と言う人は、そんなに多くないだろうな、と思う。
二人とも、紛れもなく、今の時代を象徴するヒーローである。
僕は、矢沢永吉については、ほんの些細なことすら知らないのだけど(基本的に音楽には興味がない)、イチローのことは、まあニュースなんかでたまに出るから知っている。イチローという存在を見ていると、ああなるほど、彼には哲学があるのだな、と思ったりする。他にも、中田英寿や古田敦也なんかを見ても、ああ哲学があるのだろうな、と思うのだけど。
本作でも少し触れられているけれども、人に見られ続けるという存在は、本当に特殊で、それに疑問を感じることもあると二人はいう。演技をして「イチロー」や「永ちゃん」を見せるのか、あるいは「鈴木一郎」や「矢沢永吉」を見せるのか。そういう葛藤が存在するらしい。
生き方に他人の目が加わるという経験は、なかなかできるものではない。その上に築かれた彼らの哲学は、やはり英雄としてのそれなのかもしれない。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、BSデジタル放送5局が共同で製作した特別番組の内容を本としてまとめたもので、全編、イチローと矢沢永吉の対談という形式を取っています。
とにかく、生き方について、いろんなことを語っています。分野は違うけれど、第一線で活躍している二人が、まあ比較的本音で喋っているのだろうなという感じのするトークで、自らの生き方を提示しようとしています。
正直な感想を言えば、本作はちょっと期待はずれでした。それは、島田紳助と松本人志の「哲学」という文庫本と比較してそう感じました。
本作と、松紳の「哲学」は、体裁としてはほぼ同じ本です。松紳の「哲学」の方は、まあ対談ではないとは言え、お互いがお互いのことを真面目に書いています。
でどちらが素晴らしいかといえば、松紳の「哲学」の方ですね。何故かと考えてみた時に、やはり島田紳助と松本人志は、言葉を操る仕事をしているからだろうな、と思いました。
いくらイチローと矢沢永吉がすごい人間でも、普段から言葉を駆使して仕事をしているわけではないはずです。イチローの場合は、自身の名言を集めた本なんかが出版されているけども、それでもやはり、言葉を武器にして仕事をしているお笑い芸人には勝てません。
そういう意味で、松紳の方が自分の得意分野で勝負している、という点で、松紳の「哲学」の方が遥かに質が高かったな、と思いました。
本作は、ちょっと言葉にキレが感じられませんでした。映像として流す場合は、彼らの動きも一緒に見ることができるわけで、そこまで足りなさを感じることはないのかもしれないけど、文章だけで読むと、ちょっと彼らの言葉は、キレてないな、とそんな印象を持ちました。対談という形式が、それをさらに助長しているのかもしれないけど。
あとは、分量が短すぎますね。ちょっとこれはひどいような気がします。どうでしょうか?
というわけで、オススメできない作品です。是非、松紳の「哲学」の方を読んでみてください。まあ、読み比べてもらってもいいですけどね。
イチロー×矢沢永吉「英雄の哲学」
まあそれはいいのだけど、でもじゃあ、英雄って呼ばれる人はどうだろう。ヒーローって呼ばれる人はどうだろう、って考えてみると、これはかなり少ないだろう。
ぱっと思いつくのは、もう歴史上の人物になっちゃったりする。もはや、英雄なんて、そういう存在である。
天才と英雄の違いはなんだろうか。
天才というのは、純粋に能力の問題なんだと思う。例えばありきたりだけど、計算が速くできるとか、歌がめちゃくちゃうまいとか、そういう能力の問題。それは、先天的なものでも努力によるものでもいいんだけど、人よりずば抜けた能力を持っているということが重要である。
しかし英雄となると、能力だけの問題というわけにはいかない。むしろ、英雄であるために、能力はいらないのかもしれないのかもしれないとさえ思う。
英雄とは、生き方だと思う。どれだけ多くの人間に、その生き方を認められるか、支持されるか。これが、英雄としての唯一にして最大の条件だろうな、と思う。だから、能力が伴わなくても、全然問題ない。全然ダメ人間でも、でもその生き方が熱狂的に支持されたりすれば、それはもうヒーローだと僕は思うのだ。まあ、そんなことはほとんどないと思うのだけど。
そう考えると、ヒーローの生まれにくい時代になったな、と思う。
昔は、それほど多くの人間の生き方に触れられるわけではなかった。情報を得る機会が少なかったし、そうなると、より情報が多く流れる人々に熱中していくのは、当然だろう。例えば、ビートルズはヒーローだと思うけど、あれだって、情報をもたらす人間がみんなビートルズの方ばっか向いてたんだから、受け取る人間だってそりゃあ熱狂するだろう、とそういうことだったんではないかと思う。
しかし今は、あらゆる手段によって、ありとあらゆる人の生き方を知ることができるような世の中になった。だから人々はそれぞれ、自分の中のヒーローを見つけ出して、それを応援していくようになる。あの人の魅力は、まだ世間には認められてないけど、いいの私だけがわかってれば。あなたは私のヒーローなんだから。まあ要するに、こんな感じである。
そうなると、社会全体としてのヒーローというのは生まれにくい。みんながてんでバラバラの方向を向いているわけで、熱狂がどんどんと分散されていってしまう。そうなれば、ヒーローでありえた人はヒーローになり損ねるし、ヒーローになりたければ、血の滲むような努力をするか、ありえない幸運を待つしかない感じになっている。
でも、やはり時代を象徴するヒーローは生まれるものだ。
時代を象徴するヒーローというのも、人によって答えは変わるだろう、美空ひばりだったり、長嶋監督だったり、X JAPANだったり、村上春樹だったり、まあいろいろあるかもしれない。
ただ、本作の二人、イチローと矢沢永吉をヒーローではない、と言う人は、そんなに多くないだろうな、と思う。
二人とも、紛れもなく、今の時代を象徴するヒーローである。
僕は、矢沢永吉については、ほんの些細なことすら知らないのだけど(基本的に音楽には興味がない)、イチローのことは、まあニュースなんかでたまに出るから知っている。イチローという存在を見ていると、ああなるほど、彼には哲学があるのだな、と思ったりする。他にも、中田英寿や古田敦也なんかを見ても、ああ哲学があるのだろうな、と思うのだけど。
本作でも少し触れられているけれども、人に見られ続けるという存在は、本当に特殊で、それに疑問を感じることもあると二人はいう。演技をして「イチロー」や「永ちゃん」を見せるのか、あるいは「鈴木一郎」や「矢沢永吉」を見せるのか。そういう葛藤が存在するらしい。
生き方に他人の目が加わるという経験は、なかなかできるものではない。その上に築かれた彼らの哲学は、やはり英雄としてのそれなのかもしれない。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、BSデジタル放送5局が共同で製作した特別番組の内容を本としてまとめたもので、全編、イチローと矢沢永吉の対談という形式を取っています。
とにかく、生き方について、いろんなことを語っています。分野は違うけれど、第一線で活躍している二人が、まあ比較的本音で喋っているのだろうなという感じのするトークで、自らの生き方を提示しようとしています。
正直な感想を言えば、本作はちょっと期待はずれでした。それは、島田紳助と松本人志の「哲学」という文庫本と比較してそう感じました。
本作と、松紳の「哲学」は、体裁としてはほぼ同じ本です。松紳の「哲学」の方は、まあ対談ではないとは言え、お互いがお互いのことを真面目に書いています。
でどちらが素晴らしいかといえば、松紳の「哲学」の方ですね。何故かと考えてみた時に、やはり島田紳助と松本人志は、言葉を操る仕事をしているからだろうな、と思いました。
いくらイチローと矢沢永吉がすごい人間でも、普段から言葉を駆使して仕事をしているわけではないはずです。イチローの場合は、自身の名言を集めた本なんかが出版されているけども、それでもやはり、言葉を武器にして仕事をしているお笑い芸人には勝てません。
そういう意味で、松紳の方が自分の得意分野で勝負している、という点で、松紳の「哲学」の方が遥かに質が高かったな、と思いました。
本作は、ちょっと言葉にキレが感じられませんでした。映像として流す場合は、彼らの動きも一緒に見ることができるわけで、そこまで足りなさを感じることはないのかもしれないけど、文章だけで読むと、ちょっと彼らの言葉は、キレてないな、とそんな印象を持ちました。対談という形式が、それをさらに助長しているのかもしれないけど。
あとは、分量が短すぎますね。ちょっとこれはひどいような気がします。どうでしょうか?
というわけで、オススメできない作品です。是非、松紳の「哲学」の方を読んでみてください。まあ、読み比べてもらってもいいですけどね。
イチロー×矢沢永吉「英雄の哲学」
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