ツイン・デス
第1話「世界を滅ぼす者」
空を見上げてみた。雲がないにも関わらず、星は数えるぐらいにしか見えない。もし満点の星空に包まれたらどんな気持ちなんだろうか、と考えている自分に、森村涼(もりむらりょう)は自分自身で苦笑してしまった。
慣れない仕事で疲労しきった頭は、そんな柄にもないことを想像させる。
(俺……ホントはなにがやりたいんだろうなぁ)
高校時代は、絵で稼ぎたいと思っていた。その夢に従い、涼は田舎から上京し、美術系の専門学校に入学。しかし、1年で退学する。趣味と仕事は違う。それをまざまざと見せ付けられ、学校へ通うのが苦痛になってしまった。
学校を辞めてからは、生計をたてるためにアルバイト漬けの毎日を送っている。親には完全に呆れられ、仕送りをストップされていた。
(死ぬまでやりたいこと見つけれないのかもな)
月明りと街灯が照らす夜道を歩いていると、気持ちがどんどん落ちこんでいく。目の前にはT字路があり、ここを右に折れれば、住んでいるアパートはすぐそこだった。
早く帰って、癒し系の音楽でも聴こう。
そう思い、涼は足早に曲がる。
「……待ってたよ」
「うおっ」
突然の声に、涼は半歩ばかり飛び退く。
ずれたメガネを元に戻しながら目を凝らしてみると、曲がり角の電柱に誰かが寄りかかっていた。街灯のないところなので、その姿をはっきりとらえることはできない。
ただ、声と影のシルエットから、幼い女の子だということは分かった。白っぽい服を着ている。髪を二つに括り、横に垂らしているのがどうにか見えた。手は後ろで組んでいるようだ。
(だ、誰だ、この子……)
心臓が激しく動悸している。
真夜中の道でいきなり声をかけられた。驚かないほうがどうかしている。
しかし相手が年端もいかない少女と見受けられるので、強く動揺する様子を見せるのもかっこわるい。涼は平然を装って、道の真ん中から、端にいる少女をよくよく観察する。
(こんな夜中に……)
身長は涼の胸あたりまでしかない。小学校高学年ぐらいの子どもが、こんな時間に出歩いていて良いのだろうか。少女の表情はよく見えないが、なんとなく沈んでいるように思える。
「待ってたって……誰を?」
一応、訊ねる。
きっとこの少女は誰かを待っていて、その誰かを自分と勘違いしたのだろう。そう考えるのが一番しっくりくる。
すると少女は、かわいらしい高音で、言葉を並べ立てた。
すると少女は、かわいらしい高音で、言葉を並べ立てた。
「あなたがこの世界から消えたら。あなたが死んだら。世界のみんなが幸せになるんだよ」
……は?
……何を、言ってるんだ?
……何を、言ってるんだ?
心が言葉を理解できなかった。少女は、そんな呆然とする涼を見て、言葉を続ける。
「だから――だから――」
少女の声が、若干低くなる。
涼は、それに気づかないほど動揺していた。そして、はっきりと少女は告げる。
「わたしは、あなたを殺す。世界を救いたいから。お願い。黙って殺されて。世界のために」
何か。何かが少女の手に握られている。それが何かは、暗くて分からなかった。少女の言っていることは、もっと分からない。
……俺が、世界の敵?
平凡な家庭で育って、今はフリーターの俺が?
馬鹿げた話もあったものだ。いつもの涼ならば、鼻で笑ってそれで終わりだっただろう。しかし、今はそれができない。
少女が1歩、踏み出す。その瞬間、少女の手に握られているものが、月光を反射し、キラリと光った。
刃物だ。
涼は無意識に後退する。
なにからなにまで、さっぱり理解することができない。突然見も知らぬ少女に世界の敵呼ばわりされ、そして今、殺されかかっている。
「おい、マジかよ……」
「森村涼さん。覚悟して。こうするしかないんだから」
壁にぶつかり、もう下がれないというところで、少女は涼の名を呼んだ。
「俺を、知ってるのか?」
問いながらも、涼はじりじりと蟹歩きで壁にそって、横に移動していく。じっとしていることができない。だが少女も、たえず涼の正面にくるよう動いている。
「当然だよ」
「どうして?」
涼と少女、2メートルほどの距離で向かい合う。ちょうど街灯が、少女を照らしていた。白一色のワンピースから伸びる四肢は、ワンピースに負けないぐらい白く細かった。黒いツインテールが、少女の幼さを助長している。
「あなたは、わたしたちの敵、世界を滅ぼす者だから」
涼は意味不明な言葉を聞きながら、打開策を考えていた。確かに刃物はやばい。だが、相手は少女だ。見るからに華奢。力任せでなんとかなるかもしれない。いや、なんとかしなくちゃいけない。このまま刺されるなんてごめんだ。少女相手に力任せは問題があるかもしれないが、そんなことを言っている場合じゃないのは明白。
「冗談だろ?」
「そう思う?」
「はじめて会った女の子に言われて信じられるわけ――」
言いながら、涼は片足を壁につける。
「―ーないだろ!」
「そう思う?」
「はじめて会った女の子に言われて信じられるわけ――」
言いながら、涼は片足を壁につける。
「―ーないだろ!」
そしてその足でおもいっきり壁を蹴り、加速をつけて少女に突っ込む。勢いままに細い手首をつかみ、背後にまわって締め上げる。
「痛いって、ちょっと!」
正しい極め方など知ったことのない涼は、力まかせに手首をひねる。やがて少女の手から小型の刃物が滑り落ち、力が抜けていく。
それは見た事のない形状の刃物だった。空に浮かぶ月のように刃は弧を描いている。涼は地面に落ちたそれを、夜闇の中へと蹴り飛ばすと、ようやく安心することができた。
「それで、どういったイタズラだ、これは」
背後から、手首をひねりつつ、少女に尋ねる。
「イタズラなんかじゃ、ない」
「っていうか絶対にイタズラだろ。早く家(うち)に帰れ」
そうは言うものの、涼はなかなか手を離すことができなかった。先ほどまで刃物を突きつけられていたのだ。この得体の知れない少女を、そう簡単に野放しにするわけにはいかない。
「この世界に家なんてないよ」
この世界?
言い方に引っかかりを感じたが、今はそれより自宅を聞き出すことが優先だ。
いや、ちょっと待てよ。ここは警察のほうがいいのか。少女に「世界の敵だ」と言われて、刃物を突きつけられたなんて信じてもらえるか分からないが。
「それじゃどこに住んでるんだ?」
「どこだと思う?」
「この近くか?」
「さあね」
「警察に行こう」
「あっ、ちょ――」
少女の腕を引っ張ろうとして、ふと違和感を覚えた。
「……あれ?」
涼は自分の両手を見る。なにも握ってはいない。数秒前に確かに握っていた少女の手首が、ない。
それどころか。
「おい」
慌てて辺りを見回すが、少女の姿はなくなっていた。
「とりあえず」
声が聞こえた。その声は、空から降ってきた。見上げる。
「敵が来たから、今日はもういいや」
涼は頭上を仰ぎ、呆然とする。先ほどまで目の前にいた少女は、電柱の突端に立っている。手には先ほど蹴り飛ばした刃物を持っていた。
「それじゃ、また近いうちに殺しにくるから」
少女はそう言うと、その場で跳躍し、次の電柱へと飛び移る。次から次へと、危なげもなく。涼は口をあんぐりと空けたまま、少女の影を目で追った。
なにがなんだか分からない。本当に何もかも分からない。しばらく少女の消えた方角を眺めていたが、急に怖くなり、小走りでアパートへと戻る。
警察に行ったとしても、信じてもらえるはずがない。かといって、道端にいつまでも突っ立っているわけにもいかなかった。
なんにせよ、ここにひとりでいることが恐怖でしかない。部屋に戻って落ち着いて状況を整理したかった。然るべきところへの連絡はその後にしたい。
(ったく、なんなんだよ……)
内心で毒づきながら、アパートの2階にあがり部屋の前に立つ。
カバンから鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。
(誰かに相談してみるか。でも誰がこんな話を信じる……?)
そんなことを思いながら鍵を開け、ドアを開ける。
暗いはずの部屋に明かりがついている。
その状況を不審に思うよりも早く、言葉が口から飛び出す。
「……マジか、よ」
1つしかない窓が開いていた。夜風がカーテンを揺らしている。
涼は、慎重な性格だった。家を出るときは必ず、ガスの元栓や電気などをチェックする。涼の呟きには、絶対に消したはずの電気がなぜついている? 閉めたはずの窓がなぜ開いている? という疑問以上の驚きが含まれていた。
「おかえりなさいませ」
不自然なまでににこやかな笑顔と、不自然なまでに似合っている黒のワンピースを着た少女が、雑然とした部屋の中央にちょこんと正座している。
黒い少女は、入り口で絶句する涼と視線をあわせ、小首を傾げながら、にっこりと微笑んだ。ショートカットの黒い髪が小さく揺れる。
「あなたを守るためにきました」
バタン!
外に出てドアを閉め、そこに寄りかかる。
なにがどうなってんだ。
部屋には鍵がかけてあった。どうやって侵入した?
いや、それ以前に。
「誰なんだよ……」
心当たりがまったくない。しいて言えば、先ほど出会った刃物少女と似ていないことはない。
それに……。
守るためにきた、とか言ってたな。
もしそうなら、誰に話しても信じてもらえないであろうこの状況を共有することができる。それは今の涼にとって渇望すべき存在だった。
いずれにしても相手は少女。先ほど刃物を向けてきたやつのような敵意は感じられない。
ええい、話を聞いてみるか! 危なくなったら逃げる!
涼は決意を固め、息を吐き出しながらドアを開ける。あいかわらず少女は、前からそこにいたように座り続けていた。
いずれにしても相手は少女。先ほど刃物を向けてきたやつのような敵意は感じられない。
ええい、話を聞いてみるか! 危なくなったら逃げる!
涼は決意を固め、息を吐き出しながらドアを開ける。あいかわらず少女は、前からそこにいたように座り続けていた。
「話を聞かせてもらえないか」
いつでも逃げられるように靴は脱がない。後ろ手でドアノブを掴みながら涼は言った。
少女は相好を崩さず答える。
「まだ覚醒していないようですね。それならば、わたしが何を言っても、たぶん理解することはできないと思います」
「覚醒? 何のことだよ」
「そのままの意味です。あなたの中には今、私たちの主が眠っています。あなたは選ばれたのですよ、主に」
「もう少し分かりやすく言ってくれないか。まるで理解できない」
「ですから理解できないと言ったはずです」
冷たい物言いだったが、敵意は感じなかった。笑顔を崩していないからかもしれない。
「それならこれはどうだ。おまえはこれからどうする?」
「あらゆる敵からあなたをお守りします。主の力が戻るその日まで」
まるでファンタジー小説だ。涼は現実と非現実の狭間を浮遊しているような気分になり、ただの気まぐれで聞いてみた。
「もし、主の力が戻ったら、俺はどうなるんだ?」
元通りの生活に戻れる。そんな答えを期待していたのかもしれない。
しかし少女の答えはあまりに冷たく、現実的なものだった。
「主の具現化にあなたの体は耐えられません。主の復活、それはあなたの死を意味します。でもだいじょうぶです、主が復活するまで、あなたを決して死なせはしませんから」
「……主の復活ってどのぐらいかかるんだ?」
「それはわかりません。でも長くても半年でしょう」
「ということは、俺の命も半年……」
涼は半分以上、少女の話を信じてはいなかった。でも残り半分、信じてしまった。先ほどの刃物少女の件もあるからだろう、いたずらとは考えにくい。
それに自分にこんな手の込んだいたずらをするメリットも見出せない。
とすると。
「本当……なのか。その話は、全部」
少女は笑顔で肯定する。黒い姿の少女が死神に見えた。そしてそれはあながち間違いではないのだろう。
「ではこれからよろしくお願い致します。わたしはラトナ・ミルラムと申します。ラトナとお呼びくださいませ、涼様」
三本指をついて頭を下げる少女、ラトナを、涼は呆然と見続ける。
鼓動が早くなった。
まるで自分以外の「誰か」が、心臓を叩いているかのように。
どくん、どくん、と、強く、強く――。
鼓動が早くなった。
まるで自分以外の「誰か」が、心臓を叩いているかのように。
どくん、どくん、と、強く、強く――。
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