2008年08月
2008年08月28日
アメリカ滞在 最終日
いよいよ最終日になりました。このブログの視聴率も毎日すごい数です。
みなさん、覗いてくだりありがとうございます。
で、昨日は超長距離ツーリングも終わり、二人とも超お疲れモードだったので、すぐに寝てしまいました
で、翌日の朝になり、スコットはまだレンタルのHarley-Davidsonで地元を沢山案内したいとのこと・・・・
気持ちは非常にうれしいのですが、
個人的には「バイクはもうお腹一杯です〜 車で行こう」とわがままを通させてもらいました。
で、レンタルバイクを返しに行く時も、スコットに「ウルトラ乗ってみて」
すると彼は「音楽は聴けるしこんなに快適なバイクやったんやあ これやったら疲れないやろう」
私「そりゃEVOで130km巡航はキツかったでしょう」
スコット「全然問題なし」
まだ言うかあって思ってしまいました
今回のツーリングで、ウルトラが最高って実感しました
今までの画像を見てもらっても、お分かりの通り、すべて殆ど走りながら、オートクルージングをセットして、片手でカメラを片っ端に撮っておりました。
これもウルトラだから出来た技です。
いちいち止まって三脚立てて撮りたい箇所は、山ほどありましたが、
それをしていたら到底、日程以内では帰ってこれないでしょうね
彼のガレージには、もうすでに私が購入済みのバイクやら、選りすぐりのショベルが沢山あり、どれもこれもヨダレ物でした。
交渉は成立、どれも鼓動館で買取ました。
今までも、彼のHarley-Davidsonを見分ける目には、信用性が十二分にありましたが、彼のおじいちゃんからの歴史がそれを裏づけていることも、今回の旅で理解出来ました。
「Harley-Davidsonの歴史が絶対的に違いすぎます」
上の写真もおじいちゃんにおにいちゃんのジョーとスコットが乗せてもらっている写真は日本では見ることが難しいですよね。
敗戦後、食うので精一杯だった日本の経済環境の中で、Harley-Davidsonを乗ってる方は、警察の白バイか?新聞社の記者くらいだったそうです。
物資が豊かなアメリカとの違いですねえ
また、そのお兄ちゃんのジョーとも今でも、本当に不思議なくらいに目茶苦茶仲良しっていうのが、うらやましい限りです
長男のTJはすごく頭の良い子で、お父さんが大好きです
お父さんのスコットが「洗車しといて」っといったら綺麗にHarley-Davidsonを磨いてくれています。
本当に良い親子関係なのが、見てとれました。
鼓動館へ送る車両も同じ州とは限らないので、いつも親父と一緒にトラックで買い付けに行くそうで、その際も綺麗なキャンプ場で2人でキャンプするんだそうです。
ええ感じでしょ
でも、現在アメリカのガソリンも高騰して1リッターが100円と普段の倍の値段になり、それが、また走る距離も相当な距離を走らなければならず、またアメ車の5km/リッターの車だと燃料費がバカ高いのもうなずけます。
レンタルバイクを返却して、地元のディラーに博物館があるということで、見に行きました。
お宝級のHarley-Davidsonがてんこ盛りでした。
一番、興味をそそったのが、当時のオリジナル価格です。
1ドル360円だった時代(オイルショック以前です)にショベル1978年FXSが$4500です。日本円で162万円です。
当時も非常に高価なバイクですね
1948PANヘッドが$700でした。敗戦まなしの日本では誰も趣味では買えない時代だったんですねえ
1945年までは海軍のゼロ戦を三菱が7万円で作っていたそうです。
戦後直後の為替レートは当時330〜400円だったんで、1948PANヘッドがなんと252.000円
それに輸送料や関税やら足すと・・・・・
きっと戦前は軍関係しか乗れなかったんでしょうね
その近くにあったBARと喫茶店です。
よく看板を見てください。すべてKではじまっているでしょ
そうです「KKK」Ku Klux Klan
白人至上主義団体とされるが、正確には北方人種(金髪に青い眼が共通項)を至上とし、黒人やユダヤ人、黄色人種、近年においてはヒスパニックなどの他の民族の市民権に対し異を唱え、同様に、カトリックや、左翼団体、同性愛者の権利運動やフェミニズムなどに対しても反対の立場を取っている。
「この店に私が、入ればどうなるの」と聞いたんですが、
答えは「入らない方がいい」
まだ、本当にあるんですねえ 会合になれば白い頭巾を被っておこなっているとのことでした。
実はツーリングの最中に竜巻が近所に起こって、近所の家屋が壊されていました。
スコットの家も5日間停電だったんです。
帰ってきたら、各家の前には大型ゴミの山になっておりました。
至る所の電信柱で電気工事をしていました。
スコットの家も冷蔵庫の食材はが腐ってしまいました。
これも日本では、経験しない話です。
家に戻り、TJがアメフトの練習に行っているので、お迎えに行きました。
そこには熱心は親が四六時中、子どもたちの練習を見学に来ておられる親が沢山おり、これは日本と状況は同じやなあって思いました。
スコットは「自己責任なんで、本人のやりたい事をさせている」との事でした。
今晩は「TAKAのラストナイトなので、日本食レストランへ行こう」
って嘘みたいな話で、日本食レストランがあるのも不思議な感じでしたが、久しぶりに和食を食べれるとワクワクしてみんなで出かけました。
車で行きしなに、日本車のバイクでウィーリーを上手にやっている若者がいて、カメラを向けると、「やるから撮ってやあ」っと言い残して去って行きました。
でもすごく上手かったです
こけないように気をつけてやあ
いよいよ、待ちに待った日本食です。でも入ったら、日本食のステーキレストラン
「神戸」という店でした。
久しぶりに日本語が話せると思ったら、日本人は一人だけで、オーナーも台湾人、シェフは韓国人、寿司バーは何とメキシカンが握ってました。非常にインターナショナルな日本食レストランでした。
でもLAでも同じでしたけどお
ネタを見て「こりゃアカンわでも地元の人に美味しい寿司を食べさせたいなあ」
実は日本から「海苔」と「わさび」と「合せ酢」や「巻きす」を持って行っておりました。
初日にみんなに
「お寿司好きですか」
「え〜生魚は食べたことがないよ〜ん」
「お米は食べる」
「NO」
というスコット家族には、少し驚きました
やはりここは海から遠いので、生魚は食べないんでしょう
だから寿司パーティーは企画倒れになってしまいました・・・・残念
西海岸のLAなら「ヤッホー」ってリアクションになるんですが・・・
日本に来たら富田の「幸蔵」へ連れてってあげるわ
きっと日本食や生の魚が好きになるでしょう
この兄弟の仲の良さと家族の仲の良さには、感動です
すばらしい家族でした。
今回の旅は本当に感動の連続でした。
普段40才も過ぎてしまうと、色々な経験を積み過ぎて、あまり、感動しなくなってしまいます。
LAに初めて行った感動も、住んでしまうと、その感動は薄れてしまいます。
でも今回の旅はアメリカ人の人柄に本当に感動しました。
スコットは思いっきり気を使って、楽しませてくれようとしているのが、ヒシヒシと感じました。
でもそれが決してイヤミでもなく、自然な形で接してくれました。
地元の仲間や、同じバイカーの日本人への優しさには驚きました。
今回の超ハードなツーリングを通して、スコットとは朝から晩まで、モーテルでは寝床まで同じ、そんな強烈な2週間を過ごして、わかることと見えることが有ります。
本当に良い奴でした。
また一緒に同行した仲間も、本当にナイスな方々ばかりで驚きました
でも向こうでは、私を日本人とスコットが紹介してくれないと決して私は日本人には見えないようです。
私も自覚しておりました。真っ黒に日焼けしてメキシカンかポリネシアン
アメリカ人と一口では言えないのも、今回の旅でわかりました。
エリアで結構違います。すごく純粋な人が多かったように感じました。
大都会のLAやNYでは、人種の数も多いし、それによるイザコザも多いので、どうしても同じ人種同士が同じエリアに住んでくらしています。
今回の旅はお金では決して買えないものが沢山得ることが出来ました。
「来年は鼓動館のお客さんを連れておいでよ私はまた案内してあげるから」とうれしい言葉を投げかけてくれました。
来年はそんな企画しましょうか
期間は1週間で、「イエローストーンとスタージスの旅」現地ガイド スコットがご案内いたしますよ
Spesial thanks for Scott, Scott's family ,Joe,Jim,Kenny,Travis,Dan,Bill, Marcy .
Hopefully I'll be able to get together and travel together again.
Thank you for great memory
Please write the comment if you see this blog.
Thanks Taka
みなさん、覗いてくだりありがとうございます。
で、昨日は超長距離ツーリングも終わり、二人とも超お疲れモードだったので、すぐに寝てしまいました
で、翌日の朝になり、スコットはまだレンタルのHarley-Davidsonで地元を沢山案内したいとのこと・・・・
気持ちは非常にうれしいのですが、
個人的には「バイクはもうお腹一杯です〜 車で行こう」とわがままを通させてもらいました。
で、レンタルバイクを返しに行く時も、スコットに「ウルトラ乗ってみて」
すると彼は「音楽は聴けるしこんなに快適なバイクやったんやあ これやったら疲れないやろう」
私「そりゃEVOで130km巡航はキツかったでしょう」
スコット「全然問題なし」
まだ言うかあって思ってしまいました
今回のツーリングで、ウルトラが最高って実感しました
今までの画像を見てもらっても、お分かりの通り、すべて殆ど走りながら、オートクルージングをセットして、片手でカメラを片っ端に撮っておりました。
これもウルトラだから出来た技です。
いちいち止まって三脚立てて撮りたい箇所は、山ほどありましたが、
それをしていたら到底、日程以内では帰ってこれないでしょうね
彼のガレージには、もうすでに私が購入済みのバイクやら、選りすぐりのショベルが沢山あり、どれもこれもヨダレ物でした。
交渉は成立、どれも鼓動館で買取ました。
今までも、彼のHarley-Davidsonを見分ける目には、信用性が十二分にありましたが、彼のおじいちゃんからの歴史がそれを裏づけていることも、今回の旅で理解出来ました。
「Harley-Davidsonの歴史が絶対的に違いすぎます」
上の写真もおじいちゃんにおにいちゃんのジョーとスコットが乗せてもらっている写真は日本では見ることが難しいですよね。
敗戦後、食うので精一杯だった日本の経済環境の中で、Harley-Davidsonを乗ってる方は、警察の白バイか?新聞社の記者くらいだったそうです。
物資が豊かなアメリカとの違いですねえ
また、そのお兄ちゃんのジョーとも今でも、本当に不思議なくらいに目茶苦茶仲良しっていうのが、うらやましい限りです
長男のTJはすごく頭の良い子で、お父さんが大好きです
お父さんのスコットが「洗車しといて」っといったら綺麗にHarley-Davidsonを磨いてくれています。
本当に良い親子関係なのが、見てとれました。
鼓動館へ送る車両も同じ州とは限らないので、いつも親父と一緒にトラックで買い付けに行くそうで、その際も綺麗なキャンプ場で2人でキャンプするんだそうです。
ええ感じでしょ
でも、現在アメリカのガソリンも高騰して1リッターが100円と普段の倍の値段になり、それが、また走る距離も相当な距離を走らなければならず、またアメ車の5km/リッターの車だと燃料費がバカ高いのもうなずけます。
レンタルバイクを返却して、地元のディラーに博物館があるということで、見に行きました。
お宝級のHarley-Davidsonがてんこ盛りでした。
一番、興味をそそったのが、当時のオリジナル価格です。
1ドル360円だった時代(オイルショック以前です)にショベル1978年FXSが$4500です。日本円で162万円です。
当時も非常に高価なバイクですね
1948PANヘッドが$700でした。敗戦まなしの日本では誰も趣味では買えない時代だったんですねえ
1945年までは海軍のゼロ戦を三菱が7万円で作っていたそうです。
戦後直後の為替レートは当時330〜400円だったんで、1948PANヘッドがなんと252.000円
それに輸送料や関税やら足すと・・・・・
きっと戦前は軍関係しか乗れなかったんでしょうね
その近くにあったBARと喫茶店です。
よく看板を見てください。すべてKではじまっているでしょ
そうです「KKK」Ku Klux Klan
白人至上主義団体とされるが、正確には北方人種(金髪に青い眼が共通項)を至上とし、黒人やユダヤ人、黄色人種、近年においてはヒスパニックなどの他の民族の市民権に対し異を唱え、同様に、カトリックや、左翼団体、同性愛者の権利運動やフェミニズムなどに対しても反対の立場を取っている。
「この店に私が、入ればどうなるの」と聞いたんですが、
答えは「入らない方がいい」
まだ、本当にあるんですねえ 会合になれば白い頭巾を被っておこなっているとのことでした。
実はツーリングの最中に竜巻が近所に起こって、近所の家屋が壊されていました。
スコットの家も5日間停電だったんです。
帰ってきたら、各家の前には大型ゴミの山になっておりました。
至る所の電信柱で電気工事をしていました。
スコットの家も冷蔵庫の食材はが腐ってしまいました。
これも日本では、経験しない話です。
家に戻り、TJがアメフトの練習に行っているので、お迎えに行きました。
そこには熱心は親が四六時中、子どもたちの練習を見学に来ておられる親が沢山おり、これは日本と状況は同じやなあって思いました。
スコットは「自己責任なんで、本人のやりたい事をさせている」との事でした。
今晩は「TAKAのラストナイトなので、日本食レストランへ行こう」
って嘘みたいな話で、日本食レストランがあるのも不思議な感じでしたが、久しぶりに和食を食べれるとワクワクしてみんなで出かけました。
車で行きしなに、日本車のバイクでウィーリーを上手にやっている若者がいて、カメラを向けると、「やるから撮ってやあ」っと言い残して去って行きました。
でもすごく上手かったです
こけないように気をつけてやあ
いよいよ、待ちに待った日本食です。でも入ったら、日本食のステーキレストラン
「神戸」という店でした。
久しぶりに日本語が話せると思ったら、日本人は一人だけで、オーナーも台湾人、シェフは韓国人、寿司バーは何とメキシカンが握ってました。非常にインターナショナルな日本食レストランでした。
でもLAでも同じでしたけどお
ネタを見て「こりゃアカンわでも地元の人に美味しい寿司を食べさせたいなあ」
実は日本から「海苔」と「わさび」と「合せ酢」や「巻きす」を持って行っておりました。
初日にみんなに
「お寿司好きですか」
「え〜生魚は食べたことがないよ〜ん」
「お米は食べる」
「NO」
というスコット家族には、少し驚きました
やはりここは海から遠いので、生魚は食べないんでしょう
だから寿司パーティーは企画倒れになってしまいました・・・・残念
西海岸のLAなら「ヤッホー」ってリアクションになるんですが・・・
日本に来たら富田の「幸蔵」へ連れてってあげるわ
きっと日本食や生の魚が好きになるでしょう
この兄弟の仲の良さと家族の仲の良さには、感動です
すばらしい家族でした。
今回の旅は本当に感動の連続でした。
普段40才も過ぎてしまうと、色々な経験を積み過ぎて、あまり、感動しなくなってしまいます。
LAに初めて行った感動も、住んでしまうと、その感動は薄れてしまいます。
でも今回の旅はアメリカ人の人柄に本当に感動しました。
スコットは思いっきり気を使って、楽しませてくれようとしているのが、ヒシヒシと感じました。
でもそれが決してイヤミでもなく、自然な形で接してくれました。
地元の仲間や、同じバイカーの日本人への優しさには驚きました。
今回の超ハードなツーリングを通して、スコットとは朝から晩まで、モーテルでは寝床まで同じ、そんな強烈な2週間を過ごして、わかることと見えることが有ります。
本当に良い奴でした。
また一緒に同行した仲間も、本当にナイスな方々ばかりで驚きました
でも向こうでは、私を日本人とスコットが紹介してくれないと決して私は日本人には見えないようです。
私も自覚しておりました。真っ黒に日焼けしてメキシカンかポリネシアン
アメリカ人と一口では言えないのも、今回の旅でわかりました。
エリアで結構違います。すごく純粋な人が多かったように感じました。
大都会のLAやNYでは、人種の数も多いし、それによるイザコザも多いので、どうしても同じ人種同士が同じエリアに住んでくらしています。
今回の旅はお金では決して買えないものが沢山得ることが出来ました。
「来年は鼓動館のお客さんを連れておいでよ私はまた案内してあげるから」とうれしい言葉を投げかけてくれました。
来年はそんな企画しましょうか
期間は1週間で、「イエローストーンとスタージスの旅」現地ガイド スコットがご案内いたしますよ
Spesial thanks for Scott, Scott's family ,Joe,Jim,Kenny,Travis,Dan,Bill, Marcy .
Hopefully I'll be able to get together and travel together again.
Thank you for great memory
Please write the comment if you see this blog.
Thanks Taka
2008年08月25日
イエロースト-ン3日目最終日
いよいよイエローストーンも最後になりました。
スタージスも凄かったんですが、個人的には、ここの自然たっぷりコースの方が好きでした。
画像を見てもらってもわかると思いますが、空の色が異常に青いでしょ
走っていても、空を見ているだけでも飽きないんです
もう絵葉書のようでしょ
今回のツーリングで、もっとも印象的だったのが、アメリカ人って日本人と変わらないってことです。
これってなんでもないようで、非常に大きな発見でした
「これやからアメリカ人やなあ」っていうのは食事以外は、全く感じませんでした。
それより、家族愛ってもんをストレートに表現することが、非常にうらやましくも思いました。兄ちゃんを目の前にして、「兄貴を尊敬してるねん」っていうもは日本人は無理ですねえ
奥さんに「愛してる」 これも殆どないでしょ
電話ではみんな「I love you」の連発ですよ
でもスコットは息子とはコミュニケーションはバッチリなんですが、
娘とは何を話題にしていいのか?って悩んでました。
これって私と全く同じです
この10日間は走っているときには、いつも首からカメラを下げて走っていました。上の雲を見ていて、思わずうちのわんこの「アキちゃん」を思い出しました。
イエローストーンを後にして、再度スタージスへ戻り、キャンプです。
その夜は、美味しい「ステーキ」を食べようってスコットがいうので、ウキウキしながら街まで出かけました。
また肉かいって突っ込みたかったのですが、
中華も日本食もそんなもん、そのまちにはおまへん
そこはデッドウッドという昔からのギャンブルOKの街です。
ステーキを食べ終えて、有名なホテルでビールを飲んでいると、
そこへなんと本物のプレイメイト3名の超綺麗なモデルが仕事を終えて、同じバーで飲みに来たではないですか
スコット「TAKA、カメラどないしたん」
私「キャンプ場に置いてきたわ」
スコット「しょうもないガソリンスタンドや看板撮っていて、こんな肝心なときに、何でカメラ忘れたんや」
私「ごめん」
スコット「何枚今まで撮ったん」
私「3000枚」
スコット「3000枚も撮っていて、ほんまにもったいないなあ〜」
もう2人で大笑いでした
上の事故はハイウェーを入っていたら、前方で、砂煙があがり、急に前の車が止まりました。
「事故や」
案の定、事故でした。無事を祈ります。
スコットは安全運転には徹しています。
この事故のあと、「自分はスタージスで事故を見たのは初めてや。絶対に気をつけて帰ろう」って急に真顔になっておりました。
スコットが走行中に、どうも腕がおかしい仕草を見せて、最寄のSAへ。
降りてみると、なんと革の腕輪に蜂が入って刺されてました。
早速、兄嫁が作ってくれた「レスキューKIT」で手当てしたら、見る見る内に腫れはひきました。
私「大丈夫でも衛生兵みたいやねえ
日本ではオシッコをかけると良いっていうけれど、アメリカでは」
スコット「同じやでえ」
私「へえ〜」
その横の老夫婦のカットですが、またまたスコットはいつものフレーズで私を紹介してくれます。
「へえ日本人と初めてお会いしましたわ」って
大喜びでした。
私は結構、汚い格好してるんやけどなあ
そこのSAには、地図があり、立ち寄ったバイカーがピンを刺していきます。
勿論、日本から来たのは私だけでしたので、わざわざ地図まで書き込んだら、大受けでした。
なんで、日本人が受けるんでしょうか?
リジッドフレームもTCに乗った彼に「写真撮らせて」っていうと上機嫌でした。
個人的に、こんなバイクでこの距離をよく走るなあって関心しておりました。
スタージスでスコットがオイル交換したいと、色々なショップを回ったのですが、
もうすでにスタージスバイクウィークは終わっていて、どこもオイル交換してくれません。
私のも新車なので、オイル交換してやらなくてはいけない距離を走っておりました。
でも、結局、どこもしてくれないでの、そのまま帰ることになりました。
帰りにミネソタ州でキャンプをすることになり、
「近くにレース場があったので、今日レースやってるか聞いてくる」とコンビニに行って聞いてくれました。
「今日はレースやってるってテント張って行こう」
ということになり、キャンプ場へ行くと、そこは最高のロケーションでした。
キャンプ場の管理人は以前、東京へ住んでいたということで、料金をまけてくれました。
それからすぐにレース場へ
えらい人が集まっています。轟音とともに凄い迫力でした
売店の人も警備の人も私が帰りしなには、「どうやった、おもしろかったか」ってみんなが聞いてきます。
この経験はLAではまったく無かったし、他の海外でも日本人だからという、このような感覚はまったく経験したことがありませんでした。
キャンプ場へ帰って、スコットに質問をしました。
「もし、私が違うアジアから来たというと、同じような歓迎モードなのか」
スコット「それはないよTAKAが日本人だからや
日本人っていうイメージは
「まじめ、綺麗好き、仕事熱心、嘘をつかない(餅をつく)日米関係が良い」
ふーん、なんかちょっと複雑な気分やなあ
と説明してくれました。
もうそろそろIOWAに到着し、昼食のときに同じハンバーガー屋にいたのが、「ロシア」から来たHarley-Davidson乗りです。
珍しいので、声をかけたのですが、彼らもロシア語しか話せませんでした。
でもシカゴからきたそうです。顔がロシア人でしょ
スコットはミシガン湖で観光して帰ろうって言ってくれましたが、どう考えても、それをして帰ったら深夜やん
私が「NO more sightseeing」って言うと結構、へこんでました。
ほんまごめんあとで、家に帰ってきいたんですが、
もしスコットが日本に来たら、何をどれだけ見せたいかって話になりました。
ほんまにその通りです。見せたいものが一杯あるわ
もう2人も顔も真っ黒、スコットは真っ赤です。
バイクも虫でごらんの通りです。
もうちょっとで、やっと帰れる〜
ようやくスコットの家へ到着です。長いツーリングも終わりました。
家に帰ると奥さんと熱いチューで家族総出でお出迎えです。
なんか感動のワンシーンでした。
全行程 3660mil(5856km)でした。ご苦労様でした
でまだ明日も面白いネタがあります。
乞うご期待
スタージスも凄かったんですが、個人的には、ここの自然たっぷりコースの方が好きでした。
画像を見てもらってもわかると思いますが、空の色が異常に青いでしょ
走っていても、空を見ているだけでも飽きないんです
もう絵葉書のようでしょ
今回のツーリングで、もっとも印象的だったのが、アメリカ人って日本人と変わらないってことです。
これってなんでもないようで、非常に大きな発見でした
「これやからアメリカ人やなあ」っていうのは食事以外は、全く感じませんでした。
それより、家族愛ってもんをストレートに表現することが、非常にうらやましくも思いました。兄ちゃんを目の前にして、「兄貴を尊敬してるねん」っていうもは日本人は無理ですねえ
奥さんに「愛してる」 これも殆どないでしょ
電話ではみんな「I love you」の連発ですよ
でもスコットは息子とはコミュニケーションはバッチリなんですが、
娘とは何を話題にしていいのか?って悩んでました。
これって私と全く同じです
この10日間は走っているときには、いつも首からカメラを下げて走っていました。上の雲を見ていて、思わずうちのわんこの「アキちゃん」を思い出しました。
イエローストーンを後にして、再度スタージスへ戻り、キャンプです。
その夜は、美味しい「ステーキ」を食べようってスコットがいうので、ウキウキしながら街まで出かけました。
また肉かいって突っ込みたかったのですが、
中華も日本食もそんなもん、そのまちにはおまへん
そこはデッドウッドという昔からのギャンブルOKの街です。
ステーキを食べ終えて、有名なホテルでビールを飲んでいると、
そこへなんと本物のプレイメイト3名の超綺麗なモデルが仕事を終えて、同じバーで飲みに来たではないですか
スコット「TAKA、カメラどないしたん」
私「キャンプ場に置いてきたわ」
スコット「しょうもないガソリンスタンドや看板撮っていて、こんな肝心なときに、何でカメラ忘れたんや」
私「ごめん」
スコット「何枚今まで撮ったん」
私「3000枚」
スコット「3000枚も撮っていて、ほんまにもったいないなあ〜」
もう2人で大笑いでした
上の事故はハイウェーを入っていたら、前方で、砂煙があがり、急に前の車が止まりました。
「事故や」
案の定、事故でした。無事を祈ります。
スコットは安全運転には徹しています。
この事故のあと、「自分はスタージスで事故を見たのは初めてや。絶対に気をつけて帰ろう」って急に真顔になっておりました。
スコットが走行中に、どうも腕がおかしい仕草を見せて、最寄のSAへ。
降りてみると、なんと革の腕輪に蜂が入って刺されてました。
早速、兄嫁が作ってくれた「レスキューKIT」で手当てしたら、見る見る内に腫れはひきました。
私「大丈夫でも衛生兵みたいやねえ
日本ではオシッコをかけると良いっていうけれど、アメリカでは」
スコット「同じやでえ」
私「へえ〜」
その横の老夫婦のカットですが、またまたスコットはいつものフレーズで私を紹介してくれます。
「へえ日本人と初めてお会いしましたわ」って
大喜びでした。
私は結構、汚い格好してるんやけどなあ
そこのSAには、地図があり、立ち寄ったバイカーがピンを刺していきます。
勿論、日本から来たのは私だけでしたので、わざわざ地図まで書き込んだら、大受けでした。
なんで、日本人が受けるんでしょうか?
リジッドフレームもTCに乗った彼に「写真撮らせて」っていうと上機嫌でした。
個人的に、こんなバイクでこの距離をよく走るなあって関心しておりました。
スタージスでスコットがオイル交換したいと、色々なショップを回ったのですが、
もうすでにスタージスバイクウィークは終わっていて、どこもオイル交換してくれません。
私のも新車なので、オイル交換してやらなくてはいけない距離を走っておりました。
でも、結局、どこもしてくれないでの、そのまま帰ることになりました。
帰りにミネソタ州でキャンプをすることになり、
「近くにレース場があったので、今日レースやってるか聞いてくる」とコンビニに行って聞いてくれました。
「今日はレースやってるってテント張って行こう」
ということになり、キャンプ場へ行くと、そこは最高のロケーションでした。
キャンプ場の管理人は以前、東京へ住んでいたということで、料金をまけてくれました。
それからすぐにレース場へ
えらい人が集まっています。轟音とともに凄い迫力でした
売店の人も警備の人も私が帰りしなには、「どうやった、おもしろかったか」ってみんなが聞いてきます。
この経験はLAではまったく無かったし、他の海外でも日本人だからという、このような感覚はまったく経験したことがありませんでした。
キャンプ場へ帰って、スコットに質問をしました。
「もし、私が違うアジアから来たというと、同じような歓迎モードなのか」
スコット「それはないよTAKAが日本人だからや
日本人っていうイメージは
「まじめ、綺麗好き、仕事熱心、嘘をつかない(餅をつく)日米関係が良い」
ふーん、なんかちょっと複雑な気分やなあ
と説明してくれました。
もうそろそろIOWAに到着し、昼食のときに同じハンバーガー屋にいたのが、「ロシア」から来たHarley-Davidson乗りです。
珍しいので、声をかけたのですが、彼らもロシア語しか話せませんでした。
でもシカゴからきたそうです。顔がロシア人でしょ
スコットはミシガン湖で観光して帰ろうって言ってくれましたが、どう考えても、それをして帰ったら深夜やん
私が「NO more sightseeing」って言うと結構、へこんでました。
ほんまごめんあとで、家に帰ってきいたんですが、
もしスコットが日本に来たら、何をどれだけ見せたいかって話になりました。
ほんまにその通りです。見せたいものが一杯あるわ
もう2人も顔も真っ黒、スコットは真っ赤です。
バイクも虫でごらんの通りです。
もうちょっとで、やっと帰れる〜
ようやくスコットの家へ到着です。長いツーリングも終わりました。
家に帰ると奥さんと熱いチューで家族総出でお出迎えです。
なんか感動のワンシーンでした。
全行程 3660mil(5856km)でした。ご苦労様でした
でまだ明日も面白いネタがあります。
乞うご期待
2008年08月24日
イエローストーン2日目
スタージスで今まで一緒に行動していたトラビス、ケニー、ジョー、ダン等はスタージスでお別れでした。
全体の流れが理解していなかったんですが、ここへ来てみんな色々抱えているものを投げ打って「スタージスの旅」に参加していることが、わかり始めました。
奥さんにボロカス言われて来た者や、病院の仕事を無理やり休んで来たグレッグ
彼なんかは、夜中の12時にスタージスに到着して、その朝の5時に1700km2日掛けて自宅に戻りました。
昨夜のディナーは不味かったので、4名私、スコット、JIM 奥さんのMACYは盛り上がらず。
しかし、英語づけの毎日にも少しづつ慣れ始めました。初めは殆ど何を言っているのか理解不能状態でした。
うちのわんこアキとサクの方が日本語は理解能力は高いなあってへこんでおりました。
日本でカタカナの英語は殆ど100%近い確立で通じません。
この「スタージス」も「何んて」って聞き返されてしまいます。
Sturgisと発音しなければ、通じません
ハンバーガーもコーヒーもアウト
フルオリジナルもミリタリーも全く通じません。
でも江戸末期にジョン万次郎という漁師が遭難し、米国の船に助けられて黒船来航の際には、日本人初めての通訳者になったということが、非常に私を勇気付けてくれました。
その通り、たかが2週間ですが、だんだんと聞こえてくるんですよ。
不思議ですねえ 耳が慣れてくるのか今まで何を言いたいのかが不明だったのが、雰囲気で大体のことが、理解できてきました。
そりゃ輸入業務の際はメールですべて英語ですが、これは時間を掛けて文字で理解できますが・・・・
生の英語づけの生活は初めてでした。
夕食や休憩時間で色々と話をしていくうちに、いろんなことがわかってきました。
日本のガソリンは1L200円 アメリカは1L100円
スコット「この値段の違いは税金を日本は医療費に政府がまわしているんやろ」
私「それがやねえ、日本には特定財源ってあって・・・・・・」
もう必死で伝えてました。が、わかってくれました。
私は日本では180cmあるんでかなりデカイと思ってましたが、この差は有りすぎです。
JIMは今の2003年ロードキング インジェクション以前に1999年のFATBOYに乗ってました。
私「キャブの方が面白かったでしょ
三拍子(POTETOって本当に米国では言います)加速の際にも、
あのドッドッドッってキャブの方が面白いでしょ」
JIM「それはその通りでもTAKAは今回ウルトラのインジェクション乗って来てどうや」
私「最高にええやん」
JIM「そうやろ」
日本の高速は最高速度は100kmであることや、信号待ち時間がかなりあり、三拍子は非常に重視されることや、そのときの加速感など、日本との交通事情の違いを説明しました。
私「だからスコットは鼓動館との貿易の仕事が出来るんやでえ」
はっきり言って、アメリカのツーリングでは信号待ちは殆どなく、ガソリン補給の際にスタンドに立ち寄るくらいです。
三拍子を奏でる間が、全くありません。
高速では常に130km走行で、これはEVOではきつい速度です。
上記の違いで、今回のツーリングでは90%以上がTCのツーリングモデルでした。
イエローストーンには別府温泉のような、源泉100%のプールが至る所にあります。
以前、飼っていた犬が、そこに飛び込み、飼い主を助けようと飛び込んだそうです。
熱湯だから、もう2人は・・・・・・。
イエローストーンはスタージスと違って非常にバイクの少なくなっていました。
でも、急に渋滞が始まり、なにが起きたのか
みんなに聞いてもわかりません。
しばらくすると、なんとバッファローがノソノソと道を歩いてました。
でも絶対に近づいてはダメだそうです。突進してきたら洒落にならないとのこと
そらそうや
まだまだつづく・・・・・・
全体の流れが理解していなかったんですが、ここへ来てみんな色々抱えているものを投げ打って「スタージスの旅」に参加していることが、わかり始めました。
奥さんにボロカス言われて来た者や、病院の仕事を無理やり休んで来たグレッグ
彼なんかは、夜中の12時にスタージスに到着して、その朝の5時に1700km2日掛けて自宅に戻りました。
昨夜のディナーは不味かったので、4名私、スコット、JIM 奥さんのMACYは盛り上がらず。
しかし、英語づけの毎日にも少しづつ慣れ始めました。初めは殆ど何を言っているのか理解不能状態でした。
うちのわんこアキとサクの方が日本語は理解能力は高いなあってへこんでおりました。
日本でカタカナの英語は殆ど100%近い確立で通じません。
この「スタージス」も「何んて」って聞き返されてしまいます。
Sturgisと発音しなければ、通じません
ハンバーガーもコーヒーもアウト
フルオリジナルもミリタリーも全く通じません。
でも江戸末期にジョン万次郎という漁師が遭難し、米国の船に助けられて黒船来航の際には、日本人初めての通訳者になったということが、非常に私を勇気付けてくれました。
その通り、たかが2週間ですが、だんだんと聞こえてくるんですよ。
不思議ですねえ 耳が慣れてくるのか今まで何を言いたいのかが不明だったのが、雰囲気で大体のことが、理解できてきました。
そりゃ輸入業務の際はメールですべて英語ですが、これは時間を掛けて文字で理解できますが・・・・
生の英語づけの生活は初めてでした。
夕食や休憩時間で色々と話をしていくうちに、いろんなことがわかってきました。
日本のガソリンは1L200円 アメリカは1L100円
スコット「この値段の違いは税金を日本は医療費に政府がまわしているんやろ」
私「それがやねえ、日本には特定財源ってあって・・・・・・」
もう必死で伝えてました。が、わかってくれました。
私は日本では180cmあるんでかなりデカイと思ってましたが、この差は有りすぎです。
JIMは今の2003年ロードキング インジェクション以前に1999年のFATBOYに乗ってました。
私「キャブの方が面白かったでしょ
三拍子(POTETOって本当に米国では言います)加速の際にも、
あのドッドッドッってキャブの方が面白いでしょ」
JIM「それはその通りでもTAKAは今回ウルトラのインジェクション乗って来てどうや」
私「最高にええやん」
JIM「そうやろ」
日本の高速は最高速度は100kmであることや、信号待ち時間がかなりあり、三拍子は非常に重視されることや、そのときの加速感など、日本との交通事情の違いを説明しました。
私「だからスコットは鼓動館との貿易の仕事が出来るんやでえ」
はっきり言って、アメリカのツーリングでは信号待ちは殆どなく、ガソリン補給の際にスタンドに立ち寄るくらいです。
三拍子を奏でる間が、全くありません。
高速では常に130km走行で、これはEVOではきつい速度です。
上記の違いで、今回のツーリングでは90%以上がTCのツーリングモデルでした。
イエローストーンには別府温泉のような、源泉100%のプールが至る所にあります。
以前、飼っていた犬が、そこに飛び込み、飼い主を助けようと飛び込んだそうです。
熱湯だから、もう2人は・・・・・・。
イエローストーンはスタージスと違って非常にバイクの少なくなっていました。
でも、急に渋滞が始まり、なにが起きたのか
みんなに聞いてもわかりません。
しばらくすると、なんとバッファローがノソノソと道を歩いてました。
でも絶対に近づいてはダメだそうです。突進してきたら洒落にならないとのこと
そらそうや
まだまだつづく・・・・・・
2008年08月23日
イエローストーン
スタージスを離れて、いよいよイエローストーンへ
これまた距離があって毎回スケールの差に驚かされます
今回も600mil(1000km)ほど走りました。
スコットはこんなところは写真を撮らなくても、イエローストーンへ行けば目茶苦茶綺麗から
その言葉通り、驚く綺麗さでした。
日本で例えるなら・・・・
大きさは四国と同じ
至る所に温泉が吹き出ています。 でも温泉と温泉たまごはありませんでした。
阿蘇の草千里と別府と雲仙を足して「草億里」にした感じです。
まったくスケールが違いました。
イエローストーンの入り口のホテルで泊まり、地元の方が、「山火事や」と言ってたので、FIREは違う意味があるのか?と勝手に思い込んでいたら、ほんまに山火事で、入り口付近はごらんの通りに、煙で煙っておりました。
しばらく走ると、本当にまだ木から煙が上がっております。
4枚目は20年ほど前に山火事の後です。
スコットが私に日本から海パンを持っておいでという意味がやっとわかりました。
ここは温泉と冷たい川が合流しているので、泳げました。
でも凄く危険な場所でした。さすがにアメリカです。
しばらく走って、今度は「温泉入りに行こうということになり、
私は日本では温泉は「裸」で入るんです。っていうと・・・
えらい盛り上がりました。アメリカでは考えられないらしく、不思議な感じでした。
こんな川上めざして徒歩で1kmほど歩きます。
すると・・・・・
こんな景色のあとに・・・・・。
温泉と川とが合流して、ちょうど良い温度の自然露天風呂です。
信じられないくらいに、綺麗な景色で、「贅沢やなあホッコリするなあ」ってみんなで話ました。
でも彼らが日本に来たら、もっと良い露天風呂に裸で入らせてあげたいな
これまた距離があって毎回スケールの差に驚かされます
今回も600mil(1000km)ほど走りました。
スコットはこんなところは写真を撮らなくても、イエローストーンへ行けば目茶苦茶綺麗から
その言葉通り、驚く綺麗さでした。
日本で例えるなら・・・・
大きさは四国と同じ
至る所に温泉が吹き出ています。 でも温泉と温泉たまごはありませんでした。
阿蘇の草千里と別府と雲仙を足して「草億里」にした感じです。
まったくスケールが違いました。
イエローストーンの入り口のホテルで泊まり、地元の方が、「山火事や」と言ってたので、FIREは違う意味があるのか?と勝手に思い込んでいたら、ほんまに山火事で、入り口付近はごらんの通りに、煙で煙っておりました。
しばらく走ると、本当にまだ木から煙が上がっております。
4枚目は20年ほど前に山火事の後です。
スコットが私に日本から海パンを持っておいでという意味がやっとわかりました。
ここは温泉と冷たい川が合流しているので、泳げました。
でも凄く危険な場所でした。さすがにアメリカです。
しばらく走って、今度は「温泉入りに行こうということになり、
私は日本では温泉は「裸」で入るんです。っていうと・・・
えらい盛り上がりました。アメリカでは考えられないらしく、不思議な感じでした。
こんな川上めざして徒歩で1kmほど歩きます。
すると・・・・・
こんな景色のあとに・・・・・。
温泉と川とが合流して、ちょうど良い温度の自然露天風呂です。
信じられないくらいに、綺麗な景色で、「贅沢やなあホッコリするなあ」ってみんなで話ました。
でも彼らが日本に来たら、もっと良い露天風呂に裸で入らせてあげたいな
2008年08月22日
Sturgis 4日目
今日も朝からスコットに「TAKA Did you wake up 」という声で起されます。
それから観光へスタートです。
「荷物はテントに置いてても大丈夫盗まれないから・・・・。」
というスコットの言葉を信じて、荷物は置いて行きました。
でもパソコンとカメラ道具は積んで行きました。
これが後でエライ事に
スタージスの規模のデカさと周りの観光スポットの多さにのびっくりです。
スコットが女性たちに「彼は日本から来た、有名なHarley-Davidsonの雑誌のカメラマンやでえポーズとって
って毎度ワンパターンのフレーズを投げると、殆どみんな良いリアクションをしてくれます。
オッパイポローンには全員大はしゃぎです。
初めて現地で見たアリーショベルです。それ以降、全く見ませんでした。
それから近くのまちへ寄ったときに、「完全オリジナル1948EL」があり、写真を撮ってたら、上のテラスから・・・・
「何してるねん」って言われました。
上を見上げるとVIBESに出てきそうな仙人のようなオジサンが片手に私を見下ろしてました。
「ナイスなバイクですね」ってひょっとしたら銃で撃たれるんじゃないかとビビリながら上のテラスまで上がっていきました。
そこで48PANを褒めちぎると、話は盛り上がりました。
「ワシ喉が渇いてるねん」
「わかりましたビールおごります」
そこで、オジサンは更に盛り上がってきます。
「ワシの家までおいで、1930年代のHarley-DavidsonやらWLAやら沢山あるから」
「でも連れがいるので・・・・スミマセン」
「下へ降りてエンジン掛けたる」
「ちょっと待って、ちゃんと写真撮ってくれ」
ってHarley-Davidsonがバンバン通る交通量多い通りに、オモムロに1948を出して記念撮影です。
「これ売ってくださいよ」
ウン万ドルという高額な値段を吹っかけてきました
それやったら船場さんで買うちゅうねん
でもあとで、お土産ももらい住所とTELとアドレスをお聞きしました。
ええオジサンでした。
そこで私の名刺を取りにバイクまで戻ろうとしたときに、
弁護士ケニー「TAKA、ここではビールはええけど、テラスを出て道でビールを持っているだけでも禁止やねんへんな法律やろ」
ということです。1948の後ろに移っているテラスはプライベート、歩道はパブリックということだそうです。
でも目の前には警官は沢山見回っています。本当に変な法律ですね
これがランチです。そらあ太るわ
それから、みんなが又昨夜のごとく飲みに行くというので、「今日はキャンプで寝かせてください。」って一人でキャンプに帰りました。
その帰りフリーウェーでポツポツと雨が降ってきたんですが、「ウルトラは少々のはヘッチャラだーい
って油断しておりました。合羽もテントの中へ置いたままだったので、このまま走るしかありません。でもキャンプ場まで50km程あります。
次第に雨足はきつくなり、風が洒落にならないくらいに強くなり、台風の中を走っているようで、もう前のシールド越しでは全く見えない状態です。
早くどこかへ非難したいのですが、日本の高速のように沢山SAはありません。
たまにある陸橋の下は、もう雨宿りのバイカーでどこもかしこもあふれています。
もうパンツまでグチョグチョ
それよりもう走るのが危険なほどの風雨です
もう徐行でヨロヨロと走るしか出来ませんでした。
さすがにウルトラと言えど、ここまでの雨は防げません
やっとのことで「レストエリア」を見つけて雨宿り
でもここもちょっとした東屋にバイカーであふれています。
日本のような売店も何もなく、ただトイレがあるだけです。
しばらく雨がやむまで休憩です
でも寒くって洒落になりません
やっとのことで、スタージスのインターまでたどり着き、今日は一人で夕食を食べようと、アーケードを探していると
見つけた「日本韓国レストラン」
ネーミングが微妙でしたが、ご飯が食べれるとウキウキして店内に入ると・・・・。
空気がドヨーンスタッフ2人で、バイカーが数人、でもみんな残して帰っています。
一瞬で「期待はしないでおこう」っと肝に命じました。
で、「うどんとプルコギ定食」期待通りの味でうどんはきのこ味
初めてのうどんです。プルコギもソコソコでしたが、久しぶりのご飯と麺類に満足でした。
スタッフは日本人ではなく韓国人がやっていました。
「微妙なお味でした」
よるの11時過ぎに、やっとのことでキャンプ場へ帰ると、スコットがすでに帰っていて、
「良いニュースと悪いニュースがある。」
「良いニュースから聞かせて」
と言うと
「TAKAが無事に帰ってきたのが、良いニュース
悪いのは、テントが風に飛ばされて、中の着替えや、寝袋まで水びたし
スコットが早く帰ってきて、寝袋だけは絞って干してくれていました。
寒いのにどないしよう
彼らの革ジャンの水びたしです
でもスコットが私のテントを再度、建ててくれておりました。感謝
その夜は絞ったパンツと思いっきり湿った寝袋で、死ぬほど寒い夜を過ごしました。
アメリカの天候を舐めたらアカン
明日はスタージスを出発して、イエローストンや
つづく・・・・・・
それから観光へスタートです。
「荷物はテントに置いてても大丈夫盗まれないから・・・・。」
というスコットの言葉を信じて、荷物は置いて行きました。
でもパソコンとカメラ道具は積んで行きました。
これが後でエライ事に
スタージスの規模のデカさと周りの観光スポットの多さにのびっくりです。
スコットが女性たちに「彼は日本から来た、有名なHarley-Davidsonの雑誌のカメラマンやでえポーズとって
って毎度ワンパターンのフレーズを投げると、殆どみんな良いリアクションをしてくれます。
オッパイポローンには全員大はしゃぎです。
初めて現地で見たアリーショベルです。それ以降、全く見ませんでした。
それから近くのまちへ寄ったときに、「完全オリジナル1948EL」があり、写真を撮ってたら、上のテラスから・・・・
「何してるねん」って言われました。
上を見上げるとVIBESに出てきそうな仙人のようなオジサンが片手に私を見下ろしてました。
「ナイスなバイクですね」ってひょっとしたら銃で撃たれるんじゃないかとビビリながら上のテラスまで上がっていきました。
そこで48PANを褒めちぎると、話は盛り上がりました。
「ワシ喉が渇いてるねん」
「わかりましたビールおごります」
そこで、オジサンは更に盛り上がってきます。
「ワシの家までおいで、1930年代のHarley-DavidsonやらWLAやら沢山あるから」
「でも連れがいるので・・・・スミマセン」
「下へ降りてエンジン掛けたる」
「ちょっと待って、ちゃんと写真撮ってくれ」
ってHarley-Davidsonがバンバン通る交通量多い通りに、オモムロに1948を出して記念撮影です。
「これ売ってくださいよ」
ウン万ドルという高額な値段を吹っかけてきました
それやったら船場さんで買うちゅうねん
でもあとで、お土産ももらい住所とTELとアドレスをお聞きしました。
ええオジサンでした。
そこで私の名刺を取りにバイクまで戻ろうとしたときに、
弁護士ケニー「TAKA、ここではビールはええけど、テラスを出て道でビールを持っているだけでも禁止やねんへんな法律やろ」
ということです。1948の後ろに移っているテラスはプライベート、歩道はパブリックということだそうです。
でも目の前には警官は沢山見回っています。本当に変な法律ですね
これがランチです。そらあ太るわ
それから、みんなが又昨夜のごとく飲みに行くというので、「今日はキャンプで寝かせてください。」って一人でキャンプに帰りました。
その帰りフリーウェーでポツポツと雨が降ってきたんですが、「ウルトラは少々のはヘッチャラだーい
って油断しておりました。合羽もテントの中へ置いたままだったので、このまま走るしかありません。でもキャンプ場まで50km程あります。
次第に雨足はきつくなり、風が洒落にならないくらいに強くなり、台風の中を走っているようで、もう前のシールド越しでは全く見えない状態です。
早くどこかへ非難したいのですが、日本の高速のように沢山SAはありません。
たまにある陸橋の下は、もう雨宿りのバイカーでどこもかしこもあふれています。
もうパンツまでグチョグチョ
それよりもう走るのが危険なほどの風雨です
もう徐行でヨロヨロと走るしか出来ませんでした。
さすがにウルトラと言えど、ここまでの雨は防げません
やっとのことで「レストエリア」を見つけて雨宿り
でもここもちょっとした東屋にバイカーであふれています。
日本のような売店も何もなく、ただトイレがあるだけです。
しばらく雨がやむまで休憩です
でも寒くって洒落になりません
やっとのことで、スタージスのインターまでたどり着き、今日は一人で夕食を食べようと、アーケードを探していると
見つけた「日本韓国レストラン」
ネーミングが微妙でしたが、ご飯が食べれるとウキウキして店内に入ると・・・・。
空気がドヨーンスタッフ2人で、バイカーが数人、でもみんな残して帰っています。
一瞬で「期待はしないでおこう」っと肝に命じました。
で、「うどんとプルコギ定食」期待通りの味でうどんはきのこ味
初めてのうどんです。プルコギもソコソコでしたが、久しぶりのご飯と麺類に満足でした。
スタッフは日本人ではなく韓国人がやっていました。
「微妙なお味でした」
よるの11時過ぎに、やっとのことでキャンプ場へ帰ると、スコットがすでに帰っていて、
「良いニュースと悪いニュースがある。」
「良いニュースから聞かせて」
と言うと
「TAKAが無事に帰ってきたのが、良いニュース
悪いのは、テントが風に飛ばされて、中の着替えや、寝袋まで水びたし
スコットが早く帰ってきて、寝袋だけは絞って干してくれていました。
寒いのにどないしよう
彼らの革ジャンの水びたしです
でもスコットが私のテントを再度、建ててくれておりました。感謝
その夜は絞ったパンツと思いっきり湿った寝袋で、死ぬほど寒い夜を過ごしました。
アメリカの天候を舐めたらアカン
明日はスタージスを出発して、イエローストンや
つづく・・・・・・
2008年08月19日
3日目 やっとスタージス到着!
昨夜は真っ暗だったので、全くスタージスのまちの様子もわからないいままキャンプ場で寝たので、朝になってこんなに大きなキャンプ場とは知りませんでした。
1泊27ドル 結構高いです。通常は5〜7ドルです。
シャワールームもサイズがデカイ!もう並んでいます。
朝食は、ほんまにアメリカンスタイルの朝食です。
ご飯と味噌汁が食べたい
それからスコットはライトのボルトが折れたのを直したくって、近くのスタージスの街中のディラーへ探しにいきましたが、なくちょっと離れた50kmほど走ったところにあるメガディラーへいたんですが、これが規模が全然違う大きさです。
敷地だけでも甲子園は余裕で入るほどです。
上の写真はスコットのスタージスの記念シール
彼がこの1998FLSTSで来た記念です。
ちなみにショベルでも何度か来たそうです。
その際、やはりスプロケは高速使用に交換して、巡航速度75mil(120km)が限界だったそうです。
上の真ん中の私と二人で取った写真ですが、これが手すりも何もない危険な高い山へ登ったときに、その頂上で2人組みが来ていて、
スコット「彼はいつ大阪から来て、ここまでインディアナから1700km掛けて走って来た」(このフレーズはどこでも彼は口癖のように私をだれ彼なしに紹介してくれます)
すると・・・・・
頂上の男「大阪のハーレー屋っていうたら鼓動館?」
私「えっなんで知ってるの」
頂上の男「以前私の某店からショベル売ったやん。一度電話で話したやろ」
私「えっ信じられない」
頂上の男"Small warld!!" って絶叫しました
もうスコットもジョニーもビックリでした
ほんとインターネットのお陰で世界は狭くなりました。
上のホットドッグは最低でした
この豆が苦手です
吉野家の牛丼が食べたい今日この頃です
観光を終え、再度スタージスへ戻ろうとしたら、Harley-Davidsonだらけで凄い渋滞で、メインストリートまで随分時間が掛かってしまいました。
上の写真のトラビスと弁護士ケニーはとっても仲良しです。
兄貴のトラビスは弟がかわいいようで、ケニーはいつも兄ちゃんの自慢です。
以前に、某有名バンドのベースギターをやっていたミュージシャンです。
トラビスなんか刺青が入っていてて、初めは怖かったんですが、みんな目茶苦茶いい奴ばかりでした。
ちなみに喫煙者は私だけで誰もは吸いません
勿論、ドラッグも一切いたしません。イメージとは全く違いました。
彼らは「ナックル」というBARで今日はパティーや
ということでそこでみんな集合です。
素人K1のような真剣なケンカをリングでやっていて、メチャ盛り上がってました。
私が気づかれないように隠し撮りをしていたら、「TAKA」って見つかった瞬間です。
とってもいい奴って感じでしょ
そこでも彼らはおつまみ無しで、ひたすらを飲みまくります。
そのファイティングクラブのショーが終わり、ライブが始まりました。
「スイートホームアラバマ」がかかり、この曲は凄く好きだって言ったばかりに、あとでとんでもない事態に
言わずと知れた「ヘルズエンジェルス」です。写真を撮ってもいいですか?
っていつもは言うのですが・・・・・。
ケニーが「黙ってわからないように写真は撮った方がいいよ!彼らとは関わらない方がいい」
非常にビビらせてくれます。
下の「サンズ オブ サイレント」は「ヘルズエンジェルス」も一目置くグループで洒落にならないことをやっているグループと説明してくれました。
ちなみに 「子どもすら殺す」 って意味だそうです。
帰りにカラオケへ行こうってことになり、先ほどの「スイートホームアラバマ」をTAKAが歌えってことになりました。
私を知っている方は、絶対にスナックでも歌わないし、どれだけ歌が下手かも
しっていると思います。
しかも、英語の歌なんて、とんでもありません
でもみんなは聞く耳を持っていません。
もう、どないなっても知らんでえ
超緊張しながら順番を待っているときに、ミュージシャンのトラビスに
「頼むから、一緒に歌ってください。私もがんばって歌いますので」
ということで、二人で舞台に
また前奏が始まる前に、マイクで
トラビス「大阪からインディアナに来て1500km掛けてスタージスに来たTAKAです。」
感情が拍手と「WelcomStugis]
以外なみんなの反応に驚きました
歌が始まればみんなが総立ちでダンスを踊りだし、超盛り上がりました。
アメリカ人のイメージが徐々に変化し始めます。
つづく
1泊27ドル 結構高いです。通常は5〜7ドルです。
シャワールームもサイズがデカイ!もう並んでいます。
朝食は、ほんまにアメリカンスタイルの朝食です。
ご飯と味噌汁が食べたい
それからスコットはライトのボルトが折れたのを直したくって、近くのスタージスの街中のディラーへ探しにいきましたが、なくちょっと離れた50kmほど走ったところにあるメガディラーへいたんですが、これが規模が全然違う大きさです。
敷地だけでも甲子園は余裕で入るほどです。
上の写真はスコットのスタージスの記念シール
彼がこの1998FLSTSで来た記念です。
ちなみにショベルでも何度か来たそうです。
その際、やはりスプロケは高速使用に交換して、巡航速度75mil(120km)が限界だったそうです。
上の真ん中の私と二人で取った写真ですが、これが手すりも何もない危険な高い山へ登ったときに、その頂上で2人組みが来ていて、
スコット「彼はいつ大阪から来て、ここまでインディアナから1700km掛けて走って来た」(このフレーズはどこでも彼は口癖のように私をだれ彼なしに紹介してくれます)
すると・・・・・
頂上の男「大阪のハーレー屋っていうたら鼓動館?」
私「えっなんで知ってるの」
頂上の男「以前私の某店からショベル売ったやん。一度電話で話したやろ」
私「えっ信じられない」
頂上の男"Small warld!!" って絶叫しました
もうスコットもジョニーもビックリでした
ほんとインターネットのお陰で世界は狭くなりました。
上のホットドッグは最低でした
この豆が苦手です
吉野家の牛丼が食べたい今日この頃です
観光を終え、再度スタージスへ戻ろうとしたら、Harley-Davidsonだらけで凄い渋滞で、メインストリートまで随分時間が掛かってしまいました。
上の写真のトラビスと弁護士ケニーはとっても仲良しです。
兄貴のトラビスは弟がかわいいようで、ケニーはいつも兄ちゃんの自慢です。
以前に、某有名バンドのベースギターをやっていたミュージシャンです。
トラビスなんか刺青が入っていてて、初めは怖かったんですが、みんな目茶苦茶いい奴ばかりでした。
ちなみに喫煙者は私だけで誰もは吸いません
勿論、ドラッグも一切いたしません。イメージとは全く違いました。
彼らは「ナックル」というBARで今日はパティーや
ということでそこでみんな集合です。
素人K1のような真剣なケンカをリングでやっていて、メチャ盛り上がってました。
私が気づかれないように隠し撮りをしていたら、「TAKA」って見つかった瞬間です。
とってもいい奴って感じでしょ
そこでも彼らはおつまみ無しで、ひたすらを飲みまくります。
そのファイティングクラブのショーが終わり、ライブが始まりました。
「スイートホームアラバマ」がかかり、この曲は凄く好きだって言ったばかりに、あとでとんでもない事態に
言わずと知れた「ヘルズエンジェルス」です。写真を撮ってもいいですか?
っていつもは言うのですが・・・・・。
ケニーが「黙ってわからないように写真は撮った方がいいよ!彼らとは関わらない方がいい」
非常にビビらせてくれます。
下の「サンズ オブ サイレント」は「ヘルズエンジェルス」も一目置くグループで洒落にならないことをやっているグループと説明してくれました。
ちなみに 「子どもすら殺す」 って意味だそうです。
帰りにカラオケへ行こうってことになり、先ほどの「スイートホームアラバマ」をTAKAが歌えってことになりました。
私を知っている方は、絶対にスナックでも歌わないし、どれだけ歌が下手かも
しっていると思います。
しかも、英語の歌なんて、とんでもありません
でもみんなは聞く耳を持っていません。
もう、どないなっても知らんでえ
超緊張しながら順番を待っているときに、ミュージシャンのトラビスに
「頼むから、一緒に歌ってください。私もがんばって歌いますので」
ということで、二人で舞台に
また前奏が始まる前に、マイクで
トラビス「大阪からインディアナに来て1500km掛けてスタージスに来たTAKAです。」
感情が拍手と「WelcomStugis]
以外なみんなの反応に驚きました
歌が始まればみんなが総立ちでダンスを踊りだし、超盛り上がりました。
アメリカ人のイメージが徐々に変化し始めます。
つづく
2008年08月17日
スタージスへ2日目
夜中の12時近くにやっと、無事にその日はモーテルへ到着し、夕食もまだなので、
ジョーが「俺がマックでチキンサンドイッチでも買ってくる」と言ってくれてその日はそれが、ディナーとなりました
時差ぼけで、そこまで到着するまでが、本当に危険な状態で、今にも堕ちそうなくらいに眠かったです
その日の走行距離1200km
朝の4時出発
夜11時にモーテルへ到着
もうヘトヘトでした
19時間ほとんど走りっぱなしでした。
スコット「もうこんなハードな走りはないよ!今日だけ」
その言葉を信じてその日はすぐに寝てしまいました。
その日のモーテルです。もうHarley-Davidsonだらけでした。
翌日は朝8時から走り出し、観光しようと言うことになりました。
BAD LANDというところで、一休み、ここでみんながビールをガブガブ飲みはじめました。
アメリカの飲酒事情は日本とは異なり、後でスタージズでも記述しますが、変な法律があり、変な法律やと弁護士のケニーも言ってました。
今回の旅で初めて日本人に会いました。デトロイトに住んであられるそうです。
なんとこれっきり日本人とは全く会う、見る機会が一度もなかったんです
今まで、海外へ行けば絶対に日本人観光客を見ない旅行はなかったんですが、こんな経験は初めてです
で、それから全く田舎でどこへ行くのか?ってところまで行くと、そこにはポツ-ンと西部劇に出てきそうなくらいにひっそりとしたところにBARがあり、そこでまたビールを飲みます。
彼らのビールの飲み方は、おつまみ系が一切なし
黙々とそれを飲み続けていきます。大丈夫かいな
ここで記念にみんなが、1ドル札に名前と日付を入れては、何年前に来た時のがあるぞって喜んでいます。
私は漢字で書きました。またこれが非常にウケテ
バーテンダーの彼女が、私の名前と息子の名前を漢字で書いて欲しいと言われ、無理やり当て字で書いてあげました。
レイニーを麗新と・・・・・
すると彼女はそれを刺青にすると言って大はしゃぎです。
知らんでえ
上の刺青2人は地元のインディアンです。
「どうやこの刺青、写真撮ってくれ」
って言っている彼らの目は完全にドラッグで逝っておられます。
そこにいた全員は関わりたくないモード全開でした
またそこから地道を通って、本当に田舎の車の修理工場へ行きました。
そこは本当にBARでもなく、ただ田舎の修理工場です。
またそこでもビールを飲みます。どんだけ〜
そこへ後から来たチームと合流することになっていて、ダン、とジム夫妻がやってきました。
そこへニヤニヤしながらスコットが耳打ちして、これを彼らに言ってくれと
自己紹介もそこそこに、スコットが「今や言え」って目で合図を送ってきます。
そこで私は「今までみんなに聞いたんですが、誰も答えてくれないんです。」
ダン「OK!何でも教えてあげるよ 何や」
って60才を過ぎている、すごく紳士なダンが、どんなリアクションをするのかみんなが注目しています。
そこへ私は教えられた通りに聞き出しました。
"Please teke me a fool house" って言うと紳士なダンの目がまん丸に見開いて
おまえは何を言い出すんやって顔をして、絶句してしまいました。
周りの全員は腹を抱えて大笑いです。
今もってfool houseって辞書を引いても乗っていないので、わかりませんが、多分、売春宿的なことだと思うのですが・・・・・・
スコットが「日本人ってどこへ行っても集合写真撮るんやろ」
って聞くので「そうや」って答えたんですが、それから何か私からみんな集まって集合写真撮ろうやって言いにくくなってしまいました。
でもここはと思った時に集まってもらって撮った貴重な。今回1枚のみの集合写真です
またそこからスタージスまで約160kmスタージスのHOGが借り切ったキャンプ場へはもう夜中の12時を過ぎて真っ暗の中、キャンプを張り、もう眠たさに耐えられない私はシャワーも浴びないで爆酔しました
本当にスタージスまでは遠い道のりでした。
ここまでの走行距離は1050mil(1680km)です。信じられへん
つづく・・・・・
ジョーが「俺がマックでチキンサンドイッチでも買ってくる」と言ってくれてその日はそれが、ディナーとなりました
時差ぼけで、そこまで到着するまでが、本当に危険な状態で、今にも堕ちそうなくらいに眠かったです
その日の走行距離1200km
朝の4時出発
夜11時にモーテルへ到着
もうヘトヘトでした
19時間ほとんど走りっぱなしでした。
スコット「もうこんなハードな走りはないよ!今日だけ」
その言葉を信じてその日はすぐに寝てしまいました。
その日のモーテルです。もうHarley-Davidsonだらけでした。
翌日は朝8時から走り出し、観光しようと言うことになりました。
BAD LANDというところで、一休み、ここでみんながビールをガブガブ飲みはじめました。
アメリカの飲酒事情は日本とは異なり、後でスタージズでも記述しますが、変な法律があり、変な法律やと弁護士のケニーも言ってました。
今回の旅で初めて日本人に会いました。デトロイトに住んであられるそうです。
なんとこれっきり日本人とは全く会う、見る機会が一度もなかったんです
今まで、海外へ行けば絶対に日本人観光客を見ない旅行はなかったんですが、こんな経験は初めてです
で、それから全く田舎でどこへ行くのか?ってところまで行くと、そこにはポツ-ンと西部劇に出てきそうなくらいにひっそりとしたところにBARがあり、そこでまたビールを飲みます。
彼らのビールの飲み方は、おつまみ系が一切なし
黙々とそれを飲み続けていきます。大丈夫かいな
ここで記念にみんなが、1ドル札に名前と日付を入れては、何年前に来た時のがあるぞって喜んでいます。
私は漢字で書きました。またこれが非常にウケテ
バーテンダーの彼女が、私の名前と息子の名前を漢字で書いて欲しいと言われ、無理やり当て字で書いてあげました。
レイニーを麗新と・・・・・
すると彼女はそれを刺青にすると言って大はしゃぎです。
知らんでえ
上の刺青2人は地元のインディアンです。
「どうやこの刺青、写真撮ってくれ」
って言っている彼らの目は完全にドラッグで逝っておられます。
そこにいた全員は関わりたくないモード全開でした
またそこから地道を通って、本当に田舎の車の修理工場へ行きました。
そこは本当にBARでもなく、ただ田舎の修理工場です。
またそこでもビールを飲みます。どんだけ〜
そこへ後から来たチームと合流することになっていて、ダン、とジム夫妻がやってきました。
そこへニヤニヤしながらスコットが耳打ちして、これを彼らに言ってくれと
自己紹介もそこそこに、スコットが「今や言え」って目で合図を送ってきます。
そこで私は「今までみんなに聞いたんですが、誰も答えてくれないんです。」
ダン「OK!何でも教えてあげるよ 何や」
って60才を過ぎている、すごく紳士なダンが、どんなリアクションをするのかみんなが注目しています。
そこへ私は教えられた通りに聞き出しました。
"Please teke me a fool house" って言うと紳士なダンの目がまん丸に見開いて
おまえは何を言い出すんやって顔をして、絶句してしまいました。
周りの全員は腹を抱えて大笑いです。
今もってfool houseって辞書を引いても乗っていないので、わかりませんが、多分、売春宿的なことだと思うのですが・・・・・・
スコットが「日本人ってどこへ行っても集合写真撮るんやろ」
って聞くので「そうや」って答えたんですが、それから何か私からみんな集まって集合写真撮ろうやって言いにくくなってしまいました。
でもここはと思った時に集まってもらって撮った貴重な。今回1枚のみの集合写真です
またそこからスタージスまで約160kmスタージスのHOGが借り切ったキャンプ場へはもう夜中の12時を過ぎて真っ暗の中、キャンプを張り、もう眠たさに耐えられない私はシャワーも浴びないで爆酔しました
本当にスタージスまでは遠い道のりでした。
ここまでの走行距離は1050mil(1680km)です。信じられへん
つづく・・・・・
2008年08月16日
スタージス、イエローストン国立公園の6000kmの旅 in U.S.A
先日、アメリカへ久しぶりに行って来ました。
と言ってもいつもは西海岸のLAですが、今回はシカゴのイリノイ州の隣にある、インディアナ州へ鼓動館専属の買い付け担当者のスコット君に会いに行ってきました。
彼とは鼓動館オープン以来の付き合いでいつも非常にコンディションの良いHarley-Davidsonを探してきてくれます。
しかし、電話やメールは毎日のように連絡はしているものの、今回お会いするのはお互いに初めてで、どんなキャラなのか?背丈は?も全く知らないまま、シカゴ空港へ降り立ちました。フライトの便と時間を伝えていたので、迎えに来てくれるということでしたので、心配はしていませんでした。
しかし、空港を出るとすぐに「TAKA」というプラカードを持った息子のTJとスコットが待っていてくれました。
めちゃ!感激です。
それから彼の家へ行き、早速、レンタルHarley-Davidsonを取りに行く予定です。
車の中での会話です。
スコット「明日の朝3時に起きて出発やでえ」
私「えっ!ちょっと待ってえなあ時差ぼけで頭がボッー!ってしてるし、眠たいねんけれど・・・・・(^^;)」
っとよくよく考えてみれば、LAに住んでいたときは、寿司屋でしたし、日本人が沢山LAのまちには住んでいたし、日本語でも十分暮らせていました。
そりゃあ、しょっちゅう英語は話しましたが、完全白人社会の中に日本人一人ぼっちバージョンは今回が初めてで、めちゃくちゃ不安な面もありました。
後でも述べますが、LAに住んでいる日本人及び日系米国人が、白人が好きだという人が多くはなかったんです。
ただ今回の旅でそのうわさとイメージは根底からくつがえさせられます。
このことはあとでじっくりと話ていきますので、お楽しみに
で、車で90分でかれの家へ到着です。
これが彼の家です
めちゃデカイ家でした。
家族に挨拶して、ガレージに彼が買い付けた沢山のHarley-Davidsonが並んでおり、仕事の話を済ませて、家を案内してもらいました。
なんと家中がHarley-Davidsonのロゴのグッズだらけでした。
もっと驚いたのが、おじいちゃんからの代からHarley-Davidsonを心底愛しているのが、肌で感じざるおえませんでした。
これが彼のおじいちゃんです。
この写真の後ろのハイドラと60年のPANのフェンダーに付いている「オーナメント」に注目!これがあとで・・・・・・・・。
この歴史的な話は日本人では無理でしょうね!
戦後間もない時からおじいちゃんがハイドラのPANヘッドに乗っていた環境には、驚かされました。
もう亡くなられて10年以上なるらしいのですが、彼はそのおじいちゃんが大好きで、彼の話になると止まりません。
それから昼食を家族全員一緒にいただきました。
このスチエーションも初めてです。色々と質問攻めだったのですが、必死に英語を理解しようと昼めしどころではありませんでした。
それから地元のディーラーへレンタルのHarley-Davidsonを取りに行きました、
日本から予約していたのですが、こんな場合はやっぱり「ウルトラ」でしょう
理由は・・・・・
積載能力抜群
CDラジオ付き、オートクルージングコントロール付き
で、来たバイクはなんと0milの全くの新車です!
家へ着いて、近所の方々や友人や彼の兄貴のジョーなどが来て、ちょっとしたビールパーティーです。
わざわざ私のためにサッポロビールまで用意してくれてました。
でも時差ぼけで眠たくって、夕食も取らないでその日は寝てしまいました。
彼の家族です。奥さんの目茶苦茶優しい方で、長男のTJは非常に頭のいい子です。
長女は友人の所へ泊まりに行っておりませんでした。
お土産の鼓動館Tシャツは大当たりでした。
袖に「アンソニー」と入れたのが更に当たりました。
彼らには漢字は非常にかっこよく見えるようで、これを着たら強くなった気分!
子どものようなコメントです。
で、翌朝の3時に起床。荷物をくくりつけて出発です。
この旅のルートの各州は、ヘルメットは要らないんだそうです。
せっかく持ってきたのに、と思っていたんですが、雨降ったときに為に持って行くということです。
で、集合場所のGSスタンドへ
ガソリンスタンドで集合で、何人来るのか?本人のスコットもわからないと言うことです。
結局10台ほど集まり、さあこれからスタージスまで1700kmほどの道のりのスタートです。
でもみんな私のことを知っていて、
「サクちゃんの足大丈夫かい」
「1947ナックルめちゃクール(かっこいいって意味)」
何故かみんな鼓動館のブログを見ていてくれて、驚きです。
「こないだのツーリングすごいなああれだけ古いHarley-Davidsonが日本にはあるのか」
「あの1940代の車とその当時の衣装はナイスやなあ」
本当にネット社会で世界は狭くなりました
このフェンダーのオーナメントがおじいちゃんから受け継いだ大切なご自慢のオーナメントです。
1939年のビューイックの車に付いていたものだそうです。
グレッグと一緒に写っている米兵なんですが、彼らを見つけると
「アメリカの為にがんばってくれて誇りに思っているよ!」
て握手をしていきます。これは日本では絶対に見れない光景です。
僕たち左翼的な思想の教師しに教育されたお陰で、その精神は全くなく、非常に驚かされました。
二枚目は弁護士のケニーのバッテリーのマイナス端子が緩んで、
「なんかおかしい」といってスコットが早速、工具を広げて直しております。
これは日本と全く同じシーンです。
アメリカのフリーウェーのサービスエリアですが、自動販売機とトイレしかありません。
まあタダなので、好きなところで降りては給油と食事をします。
しかし、その食事なんですがあ・・・・・・
常にコンビニやファーストフードでハンバーガーかサンドイッチかホットドッグ
1日目は黙って付き合いましたが、
私の人生で夕食がマクドナルドという方程式はありません。
結構、この食事が辛かったなあ
日本人は米と麺類やでえ
高速は75mil(120km)が制限速度です。でも80mil(128km)くらいで流れています。
でもスコットはEVOなので、「130km巡航はきついやろ?」って聞くと
「大丈夫!全く問題なし!」とのこと・・・。
でもやっぱりバイクの振動で第1回目のトラブルです。
ライトステーのボルトが折れてしましました。
アメリカではEVOのことを「イーボー」と発音します。
初め悪魔の意味のイーボーかと勘違いしておりました
第2回目のスコットのトラブル発生です。
今度は自慢のおじいちゃんから受け継いだ「オーナメント」のボルトが緩んでしまいました。
この箇所のボルトを外すのがとっても面倒です。
でもスコットは何とか外してしまいました。
以前LAからグランドキャニオンまでルート66を走ったことがあったのですが、あそこは砂漠で走っていても、退屈でした。
今回は緑も沢山あり、走っていても飽きません。(まだ、このころは・・・・)
ついにご自慢のオーナメントが外れてしまいました。
私「このオーナメントなくしたら天国のおじいちゃんに怒られるでえ!」
全員「爆笑」でした。
今日の走行距離は1200km。
信じられない距離です。
このシーンはもう夕暮れで、ホテルへ電話したらダブルブッキングで部屋がないとのこと。
「3月に予約してお金まで払ったのに!」
でもスコットたちは怒りません?
普通LAやったら「告訴したる!」って言うのに何で?って聞くと?
「ミドルウェストエリアの人はそんなこと言わない」やって。
「もう勘弁してえなあ!早く寝たいんやけど」って思いながら、どないするのん?
このコンビニで、近所のホテルを片っ端から電話で空いているかの確認です。
やっと5名分の男だけのチームの部屋を確保。
もうこのころはどこもかしこもHarley-Davidsonだらけで、スタージスがどれだけの規模かが、じんわりと感じてきました。
男3人で寝るということで、スコットとグレッグと3人の部屋になりました。
「Nobudy knows I'm Gay」って冗談言うと、これが馬鹿受けでした
やっぱり私は大阪人
ただノーヘル文化のない日本では、ヘルメットを被らないとどうなるか
って知りませんよね
実は、走っていると海水浴でシャワー浴びないで、帰ってきたときのように、髪の毛がバシバシになってしまいます。
だから全員、バンダナか、キャップを被って走っております。
これからとんでもない旅が続きます。第1日目は
つづく・・・・・・・・。
と言ってもいつもは西海岸のLAですが、今回はシカゴのイリノイ州の隣にある、インディアナ州へ鼓動館専属の買い付け担当者のスコット君に会いに行ってきました。
彼とは鼓動館オープン以来の付き合いでいつも非常にコンディションの良いHarley-Davidsonを探してきてくれます。
しかし、電話やメールは毎日のように連絡はしているものの、今回お会いするのはお互いに初めてで、どんなキャラなのか?背丈は?も全く知らないまま、シカゴ空港へ降り立ちました。フライトの便と時間を伝えていたので、迎えに来てくれるということでしたので、心配はしていませんでした。
しかし、空港を出るとすぐに「TAKA」というプラカードを持った息子のTJとスコットが待っていてくれました。
めちゃ!感激です。
それから彼の家へ行き、早速、レンタルHarley-Davidsonを取りに行く予定です。
車の中での会話です。
スコット「明日の朝3時に起きて出発やでえ」
私「えっ!ちょっと待ってえなあ時差ぼけで頭がボッー!ってしてるし、眠たいねんけれど・・・・・(^^;)」
っとよくよく考えてみれば、LAに住んでいたときは、寿司屋でしたし、日本人が沢山LAのまちには住んでいたし、日本語でも十分暮らせていました。
そりゃあ、しょっちゅう英語は話しましたが、完全白人社会の中に日本人一人ぼっちバージョンは今回が初めてで、めちゃくちゃ不安な面もありました。
後でも述べますが、LAに住んでいる日本人及び日系米国人が、白人が好きだという人が多くはなかったんです。
ただ今回の旅でそのうわさとイメージは根底からくつがえさせられます。
このことはあとでじっくりと話ていきますので、お楽しみに
で、車で90分でかれの家へ到着です。
これが彼の家です
めちゃデカイ家でした。
家族に挨拶して、ガレージに彼が買い付けた沢山のHarley-Davidsonが並んでおり、仕事の話を済ませて、家を案内してもらいました。
なんと家中がHarley-Davidsonのロゴのグッズだらけでした。
もっと驚いたのが、おじいちゃんからの代からHarley-Davidsonを心底愛しているのが、肌で感じざるおえませんでした。
これが彼のおじいちゃんです。
この写真の後ろのハイドラと60年のPANのフェンダーに付いている「オーナメント」に注目!これがあとで・・・・・・・・。
この歴史的な話は日本人では無理でしょうね!
戦後間もない時からおじいちゃんがハイドラのPANヘッドに乗っていた環境には、驚かされました。
もう亡くなられて10年以上なるらしいのですが、彼はそのおじいちゃんが大好きで、彼の話になると止まりません。
それから昼食を家族全員一緒にいただきました。
このスチエーションも初めてです。色々と質問攻めだったのですが、必死に英語を理解しようと昼めしどころではありませんでした。
それから地元のディーラーへレンタルのHarley-Davidsonを取りに行きました、
日本から予約していたのですが、こんな場合はやっぱり「ウルトラ」でしょう
理由は・・・・・
積載能力抜群
CDラジオ付き、オートクルージングコントロール付き
で、来たバイクはなんと0milの全くの新車です!
家へ着いて、近所の方々や友人や彼の兄貴のジョーなどが来て、ちょっとしたビールパーティーです。
わざわざ私のためにサッポロビールまで用意してくれてました。
でも時差ぼけで眠たくって、夕食も取らないでその日は寝てしまいました。
彼の家族です。奥さんの目茶苦茶優しい方で、長男のTJは非常に頭のいい子です。
長女は友人の所へ泊まりに行っておりませんでした。
お土産の鼓動館Tシャツは大当たりでした。
袖に「アンソニー」と入れたのが更に当たりました。
彼らには漢字は非常にかっこよく見えるようで、これを着たら強くなった気分!
子どものようなコメントです。
で、翌朝の3時に起床。荷物をくくりつけて出発です。
この旅のルートの各州は、ヘルメットは要らないんだそうです。
せっかく持ってきたのに、と思っていたんですが、雨降ったときに為に持って行くということです。
で、集合場所のGSスタンドへ
ガソリンスタンドで集合で、何人来るのか?本人のスコットもわからないと言うことです。
結局10台ほど集まり、さあこれからスタージスまで1700kmほどの道のりのスタートです。
でもみんな私のことを知っていて、
「サクちゃんの足大丈夫かい」
「1947ナックルめちゃクール(かっこいいって意味)」
何故かみんな鼓動館のブログを見ていてくれて、驚きです。
「こないだのツーリングすごいなああれだけ古いHarley-Davidsonが日本にはあるのか」
「あの1940代の車とその当時の衣装はナイスやなあ」
本当にネット社会で世界は狭くなりました
このフェンダーのオーナメントがおじいちゃんから受け継いだ大切なご自慢のオーナメントです。
1939年のビューイックの車に付いていたものだそうです。
グレッグと一緒に写っている米兵なんですが、彼らを見つけると
「アメリカの為にがんばってくれて誇りに思っているよ!」
て握手をしていきます。これは日本では絶対に見れない光景です。
僕たち左翼的な思想の教師しに教育されたお陰で、その精神は全くなく、非常に驚かされました。
二枚目は弁護士のケニーのバッテリーのマイナス端子が緩んで、
「なんかおかしい」といってスコットが早速、工具を広げて直しております。
これは日本と全く同じシーンです。
アメリカのフリーウェーのサービスエリアですが、自動販売機とトイレしかありません。
まあタダなので、好きなところで降りては給油と食事をします。
しかし、その食事なんですがあ・・・・・・
常にコンビニやファーストフードでハンバーガーかサンドイッチかホットドッグ
1日目は黙って付き合いましたが、
私の人生で夕食がマクドナルドという方程式はありません。
結構、この食事が辛かったなあ
日本人は米と麺類やでえ
高速は75mil(120km)が制限速度です。でも80mil(128km)くらいで流れています。
でもスコットはEVOなので、「130km巡航はきついやろ?」って聞くと
「大丈夫!全く問題なし!」とのこと・・・。
でもやっぱりバイクの振動で第1回目のトラブルです。
ライトステーのボルトが折れてしましました。
アメリカではEVOのことを「イーボー」と発音します。
初め悪魔の意味のイーボーかと勘違いしておりました
第2回目のスコットのトラブル発生です。
今度は自慢のおじいちゃんから受け継いだ「オーナメント」のボルトが緩んでしまいました。
この箇所のボルトを外すのがとっても面倒です。
でもスコットは何とか外してしまいました。
以前LAからグランドキャニオンまでルート66を走ったことがあったのですが、あそこは砂漠で走っていても、退屈でした。
今回は緑も沢山あり、走っていても飽きません。(まだ、このころは・・・・)
ついにご自慢のオーナメントが外れてしまいました。
私「このオーナメントなくしたら天国のおじいちゃんに怒られるでえ!」
全員「爆笑」でした。
今日の走行距離は1200km。
信じられない距離です。
このシーンはもう夕暮れで、ホテルへ電話したらダブルブッキングで部屋がないとのこと。
「3月に予約してお金まで払ったのに!」
でもスコットたちは怒りません?
普通LAやったら「告訴したる!」って言うのに何で?って聞くと?
「ミドルウェストエリアの人はそんなこと言わない」やって。
「もう勘弁してえなあ!早く寝たいんやけど」って思いながら、どないするのん?
このコンビニで、近所のホテルを片っ端から電話で空いているかの確認です。
やっと5名分の男だけのチームの部屋を確保。
もうこのころはどこもかしこもHarley-Davidsonだらけで、スタージスがどれだけの規模かが、じんわりと感じてきました。
男3人で寝るということで、スコットとグレッグと3人の部屋になりました。
「Nobudy knows I'm Gay」って冗談言うと、これが馬鹿受けでした
やっぱり私は大阪人
ただノーヘル文化のない日本では、ヘルメットを被らないとどうなるか
って知りませんよね
実は、走っていると海水浴でシャワー浴びないで、帰ってきたときのように、髪の毛がバシバシになってしまいます。
だから全員、バンダナか、キャップを被って走っております。
これからとんでもない旅が続きます。第1日目は
つづく・・・・・・・・。