【注意】
この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。また妄想成分が多大に含まれていますので、閲覧にはじゅうぶんご注意ください。


20141031-10



【笑顔の向こう側】
 




「これからも、ずっと一緒にいたいな」

 彼女の言葉に、顔が真っ赤になる。
 照れじゃない、恥ずかしさでもない。
 怒りが心を埋め尽くす。

「そっちに行っていい?」
「近づくな」

 これ以上ないぐらいの憎悪を言葉にしてぶつける。

「近づくな」

 硬直する彼女に繰り返す。

「二度と顔も見たくない」

 その言葉を放つ俺は、泣いていた。怒りながら、泣いていた。
 俺の感情を全身で浴びたあのとき、彼女の表情は――。 






 辺りが夕暮れに包まれる。子どもの喧騒は消え、かわりに夕食の匂いが漂ってくる。俺はこのあとの展開を頭で繰り返しながら、少しうつむき具合に歩く。

「このぐらいの時間ってすごく好きなんだよね」

 隣で歩く日奈子が、むじゃきに笑いながら腕をからめてくる。もう結婚して一ヶ月がたつが、腕をからめたり、手を繋いで歩くことに抵抗があった。あくまで自然に彼女の腕から逃げると、

「もー。恥ずかしがりやさん」

 と笑顔のまま、頬を膨らませて文句を言ってくる。

「あんまり人前でべたべたするのがイヤなんだよ」
「どうして? もう結婚してるんだよ? 昔と違うんだから」
「そういう問題じゃなくて。性格の問題だよ。分かるだろ、付き合い長いんだから」
「まーね。でもたまには甘えさせてほしいなー」

 歌うように言って、日奈子は大きく一歩前に踏み出し、振り返る。手を後ろで組み、俺の顔をのぞきこむながら言う。
 
「それで、そろそろ教えてくれないかな」

 なにを? と聞く前に、日奈子は探偵のように、口元に人差し指をあて、ちっちっちと横に振る。

「わからないとでも思った? あなたのことならなんでも分かるんだぞ」

 付き合い長いからねー、言葉を続けた彼女に、俺はやれやれと肩をすくめた。そうだよな、日奈子は俺のことをなんでもお見通しだ。疲れたとき、腹がすいたとき、日奈子を必要とするとき、彼女はいつも先回りして、俺の望むことを用意してくれる。

 それは完璧な妻だった。そして完璧過ぎる妻でもあった。俺はそんな彼女を……。

 計画を前倒しする覚悟を決め、大きく息を吐く。

「隠し事なんかできないよな、日奈子には」
「お互い様でしょ?」
「そんなことないよ。俺はおまえのこと、よく分からないときがあるぞ」
「そうなの? どんなとき?」
「笑ってるとき」

 即答した俺に、日奈子は一瞬言葉を失ったように見えた。だが表情は笑顔のまま。決して崩れない。

「日奈子ってさ」

 俺は歩きだす。彼女はその横をついてくる。腕をからめてくることはなかった。

「昔は泣き虫だったよな」
「……あはは。忘れちゃったな」
「俺は、よく覚えてる」
「記憶力いいね」
「最後に泣いた日のことも、な」

 彼女が何か言う前に、先に言葉を口に出す。

「俺は、おまえが怖い」

 横を歩く日奈子の表情をうかがう。笑顔は変わらない。その笑顔の裏に何を思っているか、まるで分からない。笑っている日奈子は魅力的だ、周りからも、かわいらしい奥さんですね、と褒められる。傍目から見れば、その日奈子評は正しい。俺も最初はそう思っていた。

 しかし一緒に生活し、行動をともにするうちに考えが変わる。ただ笑っている。何をするにしても、何を感じても、いつも笑っている。それがどれほどの恐怖をもたらすか。

 彼女はすべての感情を笑顔の裏に隠していた。隠すことを己に課している。その理由は、俺が一番よくわかっていた。

 だから、今日がある。

「日奈子、おまえはどうなんだ? 俺をどう思う?」
「好きだよ」
「嘘だ」
「嘘じゃないよ」
「嘘だ」
「どうしてそう思うの?」

 ぎりっ、と奥歯を噛み締める。こんな会話の中でも笑顔の日奈子に怒りを感じる。でもそれを表に出すわけにはいかない。そうすれば、また振り出しに戻る。

「お願いがあるんだ」

 彼女の質問には答えずに言う。

「別れよう」

 ――日奈子は、笑顔だった。






「だから近づくなって言ってるんだよ」

 ついにその言葉に、女の子が泣き出した。ベンチに座り、それとなく耳を傾けていた幼い恋人同士の幼稚な喧嘩。

「なんでそんなこと言うの」

 ああ、なんでだっけな……。背もたれに体を預け、濁った空を見る。男は馬鹿な生き物だ。感情と正反対の気持ちを、さも本心のように言ってしまうことがある。あのときの俺もそうだったのかもしれない。

「もう知らない! バカっ!」

 女の子が叫び、走り出す。少年は憮然した表情でそれを見つめている。俺はその少年のほうに近づいた。見知らぬ大人に、少年は明らかな敵対心をもった目を向けてくる。その目は赤く腫れていた。

「追いかけたほうがいい」
「えっ?」
「あの子をひとりにしちゃだめだ。取り返しがつかなくなるぞ」
「あいつが悪いんだ」
「だから謝るまで許さないのか?」
 
 少年は少し躊躇してから頷く。
 俺は少年の肩を軽く叩き、背中をそっと押す。

「そんな難しく考えなくていい。仲直りしたいんだろ? その気持ちがあればいい。全部受け入れてやれ。それが男だ」

 ほら、ともう一度、背中を押す。
 少年は、最初はゆっくりと、そしていつしか駆け出し、視界から消えていった。

 その少年の背中は、過去の俺だった。
 ただ俺と少年は違う、俺は駆け出せなかった、少年は駆け出した。
 その些細な違いが、大きな歯車の歪みを生み出す。

「がんばれよ」

 そっとつぶやく。

「なーに、かっこつけてんの」

 振り向くと、スーパーの袋を提げた妻が立っていた。重いから、と渡される。

「昔の俺を見てるみたいでな。放っておけなかった」
「お節介はいいけど、うかつに小さい子に近づくと危ないよ。変質者と思われるからね」
「俺がそういうふうに見えるか?」
「見える見えないの問題じゃないの」

 歩き出した妻の隣を歩く。出された手を握る。子どものような小さな手。何度も離れ離れになった、けど、そこにある、暖かい手が繋がっている。

「分かるんだ」

 ん? と妻がこちらに顔を向けてくる。

「なんで、あの男の子が怒ったのか」
「そう」
「女の子が言ったんだ。ずっと一緒にいたいな、って。だから怒ったんだ。男の子が聞きたかったのは、それじゃない」
「うん……今なら、あなたの言ってること、分かる気がする」

 後ろから自転車にベルを鳴らされ、慌てて横によける。

「でも、おもしろいね。ほんと、昔のわたしたちみたい」
「だろ? あのあと、おまえは笑うことしかしなくなった。どんな辛いときでも笑って、自分の中に全部押し込んで……最初、俺はそんなおまえが好きだった。自分のためにここまで尽くしてくれるおまえを愛していた。でも、いつしか怖くてしかたなくなってたんだ。俺のせいでそうなっていたのに……俺はそんなおまえから逃げ出した」
「……相手の心が分からないって、怖いからね」
「ああ」
「わたしも怖かったよ。あなたに嫌われることが。だから笑うことにしたの。そうすればきっと、ひどいことは言われないと思ったし、ずっとあなたの傍に居れると思ったから」

 それなのにね、と笑う。

「まさか結婚して一ヶ月で別れようなんて言われるとは思わなかったな」
「喜怒哀楽のない生活なんて、俺には耐えられなかった」
「うん……ごめんね」
「違う。謝るのは俺だ。俺があのとき、おまえから感情を奪ってしまった。すぐに追いかけて謝れば……、感情を全部、心の底にしまうなんて辛いことをさせなくて済んだはずなんだ」
「結果論だよ、そんなの。わたしは自分で決めたんだから。笑おうって」
「もう……いいんだ、笑わなくても」
「分かってる。辛いもん……ずっと笑ってるって……だから、ありがとね。本当のことを言ってくれて。本当のわたしを受け入れてくれて、ありがとう」
「日奈子……」

 俺は感情のまま、妻……日奈子を抱きしめる。地面に落ちた袋の音と、往来の真ん中で抱きしめあうふたりに好奇の目が注がれる。でも、そんなことはまるで気にならなかった。

「日奈子」

 耳元でもう一度名前を呼ぶ。

「ごめんな。何度も、何度も、ひどいことを言って」

 日奈子は俺の頭を二度、ぽんぽんと叩くと、俺の顔を真っ直ぐに見る。

 笑ってはいなかった。

「あのときはちょっと間違っちゃったから。今度はちゃんと言うよ」


 日奈子は真顔でまっすぐに視線を飛ばしてくる。それを真正面から受けとめる。




「これからもずっと、一緒にいようね」




 それは本当に少しのニュアンスの違い。一緒にいたい、ではなく、一緒にいよう。相手に委ねるのではなく、共に歩むための言葉。その些細な違いの持つ意味に気付き、俺は力の限り、日奈子を抱きしめる。

 日奈子の顔は見えない。でも、きっと笑っている。それは子どもの頃のような、迷いのない、あの笑顔。そう確信できる。



 歩んでいこう、ふたりで。

 一緒にいたい、と何かに頼らず。

 一緒にいよう、と強い気持ちで。

 その想いは、きっと、運命すら書き換える。






「ねえ、子どもできたって言ったら、驚く?」
「あたりまえだろ」
「子どもできた」
「なっ!?」
「って、ウソだよー。驚いた?」
「お、おまえなっ! 冗談にもほどがあるだろ!」
「でもほんとは、ほんとだったりして」
「いい加減にしないと怒るぞ……って、なんだよ急に抱きついて」
「あなたのこと、好きだよ」
「どうしたんだ?」
「幸せな家庭、一緒につくろうね」
「まさか、本当に?」



「うん」


20141112-01



原案 匿名希望様

ヒロインとなるメンバー
北野日奈子

メンバーとの関係性
幼馴染みで現在は夫婦

言われたいセリフ
「これからもずっと一緒に居ようね」



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