【注意】
この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。また妄想成分が多大に含まれていますので、閲覧にはじゅうぶんご注意ください。

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20150116-01



 薄く目を開ける。泣いている女の子がいる。涙が頬に落ちる。それを拭う手は、動かない。

「わたしのせいなの、わたしのせいなの、わたしのせいなの……」

 何を言ってるんだろう。僕はこの女の子を知らない。はじめて見た顔、はじめて聞く声。そしてそれは、短い人生の最後に見る景色。

「僕は、君を知らない」

 かすれた声でつぶやく。病室の天井は暗く汚れている。死を決定づけられ、身寄りのいない自分に見舞いにくる物好きなんていない。 ここでじっと死を待つだけ。それなのに、この子は何のためにきたのだろう。

「わたしは、あなたを知っている。遠くから、あなたを愛した。そして、あなたを死に至らしめた」

 女の子は泣きながら微笑む。頬に落ちた涙を、そっと拭ってくれる。

「でも、僕は……」
「いいの」

 口を口で塞がれる。はじめての経験。異性との交わり。死を前に塞ぎこんでいた心に光がさす。晴れやかな気持ちになり、僕はさらに求めようと、女の子の体を抱き寄せるため両手を動かそうとする。しかし、その手は動かない。それでも不快感はなかった。包まれる幸福に身を委ねる。

「せめて、安らかに」

 僕は幸せだった。意識が闇に落ちていくのを感じながらも、最後の記憶が幸せであることに感謝した。

「ありがとう」

 目を閉じ、つぶやく。女の子に声は聞こえたのだろうか。死へと向かう眠りに落ちた僕に、その答えは分からない――。





 彼女は何人もの死を見届けてきた。そのどれもが、自分が愛した相手。好きだった男性。想いはいつも遂げられない。女としての幸せなど望むべくもない。好き。愛している。その感情を誰かに向ける。それはすなわち、死の刃を突きつけると同義。

 自分は誰も好きになれない。好きになってはいけない。それなのに、好いてしまう。愛してしまう。人として生まれたからには、誰かに寄り添わなければ生きてはいけない。その弱さに、彼女は絶望する。


 ――貴様には、死して消えぬ絶望を。


 あのとき言われた言葉。もうどのぐらい前になるか。その意味がようやく分かってきた。愛した誰かが死んでしまう。何度も、何度も、何度も。どんなに生まれ変わろうとも、その結末は変わらない。それこそ、死を越えた絶望。


「ふざけるな!」


 輪廻を経ても解かれない呪いをかけられたとき、そこに真っ向から立ち向かった男がいた。男は勇敢だった。しかし呪いには勝てなかった。死を目前にした男は、決然と言い放った。


「ひめ!」


 男は彼女のことをそう呼んでいた。


「救ってみせる。どんなに時間が経とうと、必ず。だから諦めるな」


 その言葉を思い出し、彼女は薄く笑う。それは諦めの笑みだった。何百年も前に死んでしまった彼が、輪廻転生を繰り返すわたしをどう助けるというのか。もうわたしは一生という生易しいものではなく、永遠に悲劇を繰り返すしかない。

 生まれた瞬間に、自分で命を絶てればいいのだが、この呪いのもっともおそろしいところは、生まれ変わる際に記憶を封印されてしまうところにある。生まれたときは呪いのことなんて何も知らない。誰かを本気で好きになり、愛し合う寸前になり、記憶を取り戻す。愛する人を死に至らしめる呪いとともに。

 彼女は、自分の呪いにより、愛する人を殺した罪に苛まれ、自害を遂げる。そして生まれ変わったとき、その記憶は失われている。それがもう何百年と続いている。


「ひめ」


 そう呼ばれた瞬間、日芽香の体に走ったのは、記憶という名の電流だった。声の主は、耳元で囁く。


「きみの呪いを知っている」


 電流は電撃となり、脳天を貫く。蘇る悪しき記憶。この時代の"ひめ”たる日芽香は、その身に受けた呪いを悟る。繰り返される、避けられない悪夢に愕然となる。わたしはまた、誰かを殺してしまう。


「ひめ、今度こそ、きみを助ける」


 呆然とする日芽香に、少年は背を見せる。


 その背中に向けて走り出すか否か、日芽香は一瞬迷った。またわたしは繰り返そうとしている。でも、今度は何かが違う。何かが違う気がする。

 日芽香は走った。柵を越え、ブースを飛び出し、少年の背中をめざす。周りの声は聞こえない。すべてがゆっくりと動いている。少年が振り返る。その背中に体ごとぶつかる。

「どうして追ってきた?」

 静寂に満ちた空間でいて、その声ははっきり聞こえる。周囲から大勢のスタッフが手を伸ばすのが見える。日芽香はその手を見ないよう、少年の背中に顔を埋める。

「あんなこと言われて……そのままでいるなんて、ムリだよ」

 少年が笑った、ような気がした瞬間、日芽香は抱え上げられる。

「それもそうだ」

 少年と日芽香は風になる。スタッフの手も届かない、騒然となるファンも彼の動きを止められない。気づくと会場の外。それでも少年は止まらない、風の如く、走り続ける。それはとても人とは思えないほどの速度だった。

「確かめたかったんだ」

 ごうごうとうなる風切り音の中、少年が口にだす。抱かれたままの日芽香は、小首をかしげ、その真意を聞こうと、少年を見上げる。

「ひめに記憶があるのか」

 少年は嬉しそうに続ける。

「そのために握手券なんて、わけのわからないものを買った。これで間違いだったら良い笑いものだ」
「もしかして、あなたも記憶が……」
「ああ、俺もおぼろげにしか覚えてなかった。だが、ひめに触れた瞬間、すべてを思い出した。あとは作戦を練って、うまいこと連れ出そうとしたんだけどな。誰かさんが騒ぎを大きくしちまった」
「だって……」
「俺も思わせぶりなこと言っちまったからな。同罪だ」

 少年はそう言って笑う。はじめて見たときとはまるで違う、屈託のない表情だった。

 日芽香はその顔を見て、一緒に笑うことはできなかった。もう何度も繰り返してきたから分かる。きっと今回も……。

 いつしか辺りは夕暮れに包まれていた。風になったまま、人の立ち入らない木々をすり抜け、森深くへと分け入る。そして一本の大きな木の前でようやく立ち止まった。

「俺は……俺の魂は、あのときからずっとひめを探していた」

 少年はそう言い、日芽香を抱えたまま跳躍し、大木のてっぺんの枝へと着地する。枝は日芽香の体をゆうに越えるほど太く、落ちる心配はなかった。

「でも、この呪いはあなたを殺してしまう……」
「だいじょうぶ」

 日芽香の呟きは、少年の自信に満ちた声にかき消される。

「俺のご先祖様は、ずっとひめを助けるために生きた。ひめを助けることだけに、魂を燃やし続けた。その行き着いた先が、俺だ。俺は、ひめを救うためだけに存在している。だから、安心していい。ひめの魂を、必ず救ってみせる」

 少年は日芽香を見る。

「俺を信じろ」

 今度こそ、今度こそ、と何回も願った。今回は違う、今回は違う、と。しかしいつも結末は同じ。

 でも……でも、今回は本当に違うかもしれない。あの人の生まれ変わり。呪いを受けたきっかけになったあの人の魂が、わたしを救うと言ってくれている。けど、もし。もしも、今回もだめだったら、わたしの心はどうなってしまうのだろう。またひとつ辛い記憶を胸に刻み込まれるだけではすまない。思い出すだけで、地獄の苦しみを味わうことになる。永遠に。

「ひめ」

 少年は、逡巡する日芽香の顎を指であげると、突然、その唇に自分の唇を重ねる。

「――っ!」

 そのとき、はっきりと見えた。少年を覆いつくそうとする闇を。日芽香は少年を振りほどこうとする。闇の存在を教えようとする。しかし少年の力は強く、離れることができない。

 飲み込まれる!?

 日芽香が諦めかけた瞬間、少年がそのままの姿勢で、右手を水平に払う。たったそれだけで闇は霧散する。

「だいじょぶだろ?」

 少年は笑う。

 信じて、いいのだろうか。わたしは、助けてもらえるのだろうか。

「さ、行こうか」

 逡巡する日芽香を、少年は再び抱きかかえる。そのまま、木から木へとびうつる。目指す場所は決まっていた。呪いを生み出した存在もまた、輪廻転生を繰り返し、この時代に生きている。ただ、ひめを呪うためだけに存在している少女。彼女もまた、少年は救おうとしていた。



「ひとつだけ……」

 日芽香は空を翔る少年の体を強く抱く。

「ひとつだけ、お願いしていい?」

 少年が頷く前に、日芽香はその願いを口にする。


「今度は、わたしより先に、消えないで」


 すぐに返事はなかった。

 しばらくして言葉が返ってくる。

「ひめは、幸せになるさ」

 思っていた答えと違う言葉が返ってくる。

「みんなから愛され、みんなから愛される努力をするひめが、不幸になるはずはない」
「でも、わたし……」
「ひめを愛するみんなを信じろ。愛される自分に自信を持て。ひめの未来は、俺が守る。けど、未来を創れるのはひめだけだ」

 日芽香が言葉を挟む前に、少年が口早に続ける。

「呪いとともに、俺がいなくなっても、ひめならきっとだいじょうぶ」

 その言葉にあったのは、猛烈な違和感。今までとは違う意味が、この言葉には含まれている。日芽香は、その意味を飲み込む前に、圧倒的な不安から少年の顔を見る。彼は、笑っていた。

「言っただろ? 俺はひめの呪いを解くためだけにここにいる。呪いを解いた俺に存在価値はない。その先の未来は、ひめがひとりで創るんだ。それが、呪いなんて関係ない、普通の人生。だれもが、ひとりで道を切り開いていく。ひめにできないわけがないさ」


 呪いのはじまりは、はるか昔。

 はじまりの終わりは、目の前に。

 そして、その先にある未来。



「わたし……このまま――」



 言葉の続きは、風が吹き飛ばす。

 ふたりを照らす夕焼けは赤々と燃え盛り、そして、沈んでいく――。

 
 




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