「命は美しい」。味わい深いMVですね。見れば見るほどその世界観に引き込まれていきます。髪を振り乱し、一切の笑顔を廃して踊る彼女たちは、新たな地平に立ったのでしょう。ひとりひとりの厳しい表情に見える覚悟と決意。2015年のはじまりを告げるシングルのMVとしては最高の出来だと思います。
しかし、このMV。何かと謎めいていますよね。視聴者の想像力を刺激させる描写が多くあります。思わせぶりなだけで実は何も考えてません、なんてこともありえるかもしれませんが、そこは「狂気のクリエイター」陣が作成しているMV。きっと意味があるのでしょう。
自分なりにMVを見て思うことを書いていきます。考え過ぎ上等。見た人それぞれ違う物語があると思いますが、そのひとつの形としてご覧ください。
謎めくMVのポイントは、大きく分けて3つ。
・2パターンの衣装
・赤と白の涙
・逆再生で舞い上がる羽
これらを踏まえて、MVを最初から見直してみましょう。
まず最初に衣装について。今後の文章において、2つの衣装を下記のように分類します。
<A衣装>
<B衣装>
MVは西野七瀬のアップからはじまり、A衣装のダンスが徐々に透けてきます。それはまるで何かを思い出しているようです。ある真実を知った彼女の表情からは覚悟が見てとれます。
ここで注目すべきは、西野の服装。彼女が着ているのはB衣装です。B衣装を着てA衣装の自分を思い出すということは、時間軸として<A衣装→過去、B衣装→現在>となります。
さて、MVのおおまかな流れはA衣装→B衣装→A衣装(B衣装のカットが挟まれる)となるわけですが、それぞれの衣装が何を意味しているのか。全体的に見ると、A衣装は明るく、B衣装は暗い感じがします。先ほど定義したように、A衣装は自分たちの過去を示しているとします。
はじまりは暗い場所。出口さえ見えないトンネルをさまよう日々。しかしいつしか仲間ができ、強くなった自分を感じ、雄々しくステージに向かいます。光あふれるステージで華麗に踊る過去の自分たち。
このまま栄光の道を進むと思いきや、場面は転換。
B衣装を着た現在の彼女たちは、寂しげな木立のなか、静かに歌うだけ。そこに光はなく、絶望の色が支配する世界。過去の栄光はそこにはありません。救い上げたものは手の平からこぼれ落ち、赤い涙を流す。耳をふさぐもの、手を繋ぐもの、そっと抱きしめる者、囁くもの。過去の自分たちを回想し、失ったものが去来します。
しかし悲観の表情を浮かべている者はひとりとしていません。冒頭に現れた西野のように、真実を知った彼女たちは、やるべきことを知っているからです。
それは過去を受け入れること。
過去を受け入れるのはとても苦しいです。辛い記憶であればあるほど、それを受け入れるには覚悟が必要です。
B衣装を着た、現実の彼女たちは、まさにその覚悟を決めました。それは表情から読み取れます。決然たるまなざし。その見据える先にあるのは、過去の栄光と挫折と苦悩。できることなら目を伏せ、新たな道を行きたい。しかし、今の自分たちをさらなる高みに上らせるために、過去と向き合うこと、過去を許すこと、過去との融合は避けては通れません。
昨年、数々の激流が乃木坂を襲いました。メンバーの心も、ファンの心も千々に乱れました。もしかしたら瓦解する一歩手前まできていたかもしれません。それを鎮めたのは、桜井玲香、乃木坂のキャプテンでした。彼女の言葉が、乱れた心をひとつにして、2015年、勝負の年に向かう覚悟を決めさせたのです。
過去と向き合う過酷な試練に向かう号令は、やはりこの人でした。彼女の手が画面を覆い、ついに現実の自分たちが踊りだします。そこにはもう涙はありません。過去と対峙し、一心不乱に踊り、徐々に過去との融合を果たしていきます。
現実と過去がひとつになったとき、手のひらからこぼれ落ちたものが元に戻りはじめます。耳をふさいでいた手も離れ、見るもの聞くもの、すべてを心に刻む決心をします。それはまさに過去を越え、更なる高みに到達した瞬間です。
そのとき、松井玲奈は目をふさいでいた手をどけます。そこには、白い涙。彼女は乃木坂でありながら、乃木坂でない人間。だから乃木坂のみんなが過去と向き合うことに苦悩し、赤い涙を流していたときも、ひとり白い涙を流していた。過去の苦悩を受け入れ、乗り越えること、それが歓喜へ至る道しるべということを、彼女は知っていたのでしょう。赤い涙が苦しみから流したものならば、その反対の白い涙は、喜び。
乃木坂のみんな、おめでとう。これでみんなはもっと成長できる。過去に辛いことがあって、それを乗り越えて強くなったわたしたちのように。
舞い降りていた羽が、逆再生され、空へと戻っていきます。彼女たちが過去に失ったものが舞い降りる羽ならば、それは決して消えたわけではありません。西野は最後、胸に手をあてます。過去を受け入れたとき、大事なものを失っていたのではなく、ただ見失っていただけで、実は心の中にあったことを知ります。
さらに逆再生は続き、そこには誰もいなくなります。不自然に舞い上がる羽。どこまで巻き戻すのか。画面は何かに遮られるように暗転します。逆再生は過去への回帰。しかし過去のすべてを受け入れたのならば、いつまでも巻き戻している必要はありません。
これは乃木坂のみんなが真実を見つけ、過去を受け入れる物語。
過去。それは与えられた舞台、作られた光、道化に扮し、自分を偽って生きた世界。けど、不器用なりに必死にがんばったからこそ、今の現実がある。現在、過去、未来。そこに生きる主人公は自分たち。その自分たちを突き動かすものこそ、みんなが見つけた真実。
そしてその真実さえあれば、何度でもやり直せる。過去の自分を許せる。今の自分を信じられる。未来の自分に託せる。
すべてを受け入れたとき、過去の悲しみ、現在のもどかしさ、不透明な未来。それらが重荷となって襲ってきても、彼女たちは決して揺るがない強さを身につけました。一瞬一瞬を生きている意味。決して永遠ではない。だからこそ尊い。過去の愚直な自分を抱きしめ、ひとりひとりが次の未来へ進みだします。
未来は、自分たちがつくる。自分たちが輝かせる。
目の前にあるひとつの真実を道しるべに。
もう、赤い涙を流すことはありません。
悲しみは消えて行きました。
はじめて気づいた日から。
みんなが気づいた真実。
現在、過去、未来。
どんな瞬間においても、決して揺るがないもの。
命は、美しい。
コメント
コメント一覧 (2)
キレイで美しいPVで心身の震えが止まりませんでした。
11枚目に掛ける想いと今年の乃木坂46とメンバーの想いをひしひしと感じさせるPVでした
MVから魂の挫折と再生の物語だとは思っておりましたが、時間軸の解釈を取り入れるとよりしっくりしますね。
私が気になったところをいくつか。
葉もない荒涼とした林は、厳しい状況の象徴でしょう。ダンスシーンの背景の木もしかり。
西野が地下へと歩き始めるとき、彼女がいたであろう場所の木の根元には花が咲いています。まさしく足元に咲いた花。
画面に舞う羽根は、飛ぶ力の象徴かと思います。最後再び羽根が舞い上がってゆく様は力を取り戻したということでしょう。ラスト近く、荒涼とした林から飛び立ったと思われるシーンがあります。
画面の彩度や照明も絶妙に配されています。ずっと彩度を抑えた画像だったものが、間奏のB衣装最初のダンスシーンで少し彩度が上がり、真ん中の木にも暖色の照明が灯ります。その後一瞬暗転し、最後の大サビのダンスシーンでは彩度が完全に戻り、暖色の力強い照明が画面を満たします。象徴的なことには、挟まれるA衣装でのダンスシーンでも、初めのほうとはうって変わって照明は力強く、光があふれるようになっています。
暗転後に力強い色と踊りが始まる瞬間は実に感動的ですので、ぜひ注視してご覧いただければと思います。
MV最後の最後、手のひらのような、肌色を陽に透かしたように見える色合いの映像が一瞬入ります。これは目を覆っていた手のひらをどけて、明るい陽の光の元を歩き出す、という意味かと思っておりますが、いかがでしょうか。
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