【注意】
この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。また妄想成分が多大に含まれていますので、閲覧にはじゅうぶんご注意ください。

20150731-05

――これは、わたしたちが、わたしたちを見つける、わたしたちの物語。


小説<乃木坂>

第1部【ぐるぐるカーテン】


第4話「会いたかったかもしれない」







 小さな闖入者は生徒の間をかいくぐりながら、窓際の生田をめざし疾走する。最初に誰が声をあげたのか。悲鳴が悲鳴を呼び、たちまち教室は甲高い声で埋め尽くされた。

 その喧騒の中、下級生は生田の目の前にたどり着くと、ぴたりとその動きを止める。

「殺すんじゃなかったの?」

 生田はあくまで無機質に尋ねる。その声音には、一片の焦りもない。

 下級生を見て、クラスの誰かが「まあや」と呼びかけた。どうやらこの下級生を知っているクラスメイトがいたらしい。しかし、まあやと呼ばれた下級生は、その呼びかけを意に介さず、下から生田を睨むと、口の端をあげる。

 怒りなのか、喜びなのか。判然としない表情のまま、ぐるりと首を回し、横で怯える生駒に目を向けた。その生駒をかばうように万理華が立っているが、彼女もまた、この浮世離れした現状に恐れをなし震えているようだった。

 何人かのクラスメイトが、教師を呼び出すべく、教室を飛び出す。あれだけの騒ぎが起きたのだから、遅かれ早かれ教師はかけつけてくるはずだが、それを悠長に待ってはいられない。廊下には、悲鳴を聞きつけた近くのクラスの生徒が集まってきている。しかし、この異常な雰囲気に、教室内に足を踏み入れる者はいなかった。

 悲鳴はいつしか止み、教室に残っている生徒は金縛りにあったかのように、飛び込んできた下級生と生田を見つめている。

「殺すさ。希望を殺したあとにな」

 静まり返った教室に、下級生の声は一際大きく響く。

「まずは希望、そう、おまえからだ、生駒里奈」

 愛くるしい唇から声を発した下級生は、生駒を見ている。生駒はその視線に耐えられず、万理華の背中にしがみつく。

 下級生が生駒に向け、足を踏み出そうとしたとき、その腕をつかむ者がいた。

「殺させないわ」

 生田の静かな物言いに、下級生はふんと鼻を鳴らすと、乱暴に腕をふりほどく。

「生田絵梨花」

 下級生は再び生田に体を戻すと、見る者を恐怖させる笑みを浮かべる。

「いい加減、嘘をつくのはやめたらどうだ?」
「嘘? わたしが?」
「そうだ。おまえが一番わかっていることだ」
「わたしは嘘なんて――」
「それが嘘だ」

 途中で言葉を遮られた生田は言葉に詰まる。

「なんでも知っているように見せているが、おまえは何も知らない。知らないから、思わせぶりなことばかりを言う」
「…………」
「周りから避けられていることを自覚しているだろ? なぜだかわかるか? 得体が知れないからだ。周りとは違うんだよ、おまえは」

 そう言って下級生は、怯えたまなざしを向けているふたりの生徒を指差す。生田に恐怖心を受け付けられた畠中と川村だった。

「あれが真実だ。おまえが力を使わずとも、周囲の誰もがおまえにあの目を向けることになる。おまえはその孤独がもたらす絶望に耐えられない」
「わたしは孤独なんかじゃない」
「本当にそう言えるのか? 今は友だちと呼べる存在でも、おまえが力を見せたらどうなる? 今のまま付き合っていけると思うのか?」
「それは……」
「言えないよな。それこそおまえが一番恐れていることだからだ。本当のわたしを知ったらみんなはどう思うのだろう……そんなことを毎晩悩んでいるんじゃないか」

 生田の脳裏に、友と呼べる存在の中元日芽香と斎藤ちはるの顔がよぎる。横を向けばふたりがいる。でも、向くことができなかった。もし畏怖の表情でいたら……きっと自分は耐えられない。

「図星のようだな」

 胸中を見抜かれた発言に心臓が飛び跳ねる。

「どうしてそう言えるの……」
「おまえのすべてを知っているからだ。そう、すべてをな」

 生田は明らかに動揺しはじめていた。表情に変わりはない。だが、小刻みに震える体を止めることができなかった。

「あなたは……だれ?」
「それが正解。おまえは何も知らない。知っていると思っていたこと。それは全部、嘘だ」

 先ほどと同じ言葉を繰り返した下級生は、ずいと大きく一歩を踏み出す。足は生駒に向かっている。生田は動くことができなかった。

 自分はすべてを知っていると思っていた。この世界の在り方も、自分たちを脅かす敵の存在も、この力も。でも、もし、それがすべて嘘の情報だとしたら……。

 あの人は、なんでそんな嘘をわたしに教えたの? なんでこんな力をわたしに与えたの?

 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。この人を止めないと。

 そんな生田に、下級生は肩越しに振り返って言葉を投げた。

「生田絵梨花。この世界の欠陥品よ。黙って壊れていけ。それがおまえの運命だ」

 もう相手が何を言っているのかわからない。常に冷静でいることを心がけていたが、相手のもたらす情報により、生田は混乱していた。心の内をすべて暴かれたような相手の態度に、言葉を失ってしまう。

「おまえが絶望する姿は見ていて心地がよい。そこでこれから起こることを見ていろ」

 下級生の瞳が細まった。その瞳に心が吸い込まれそうな気がしたとき、生田の全身は硬直した。指先ひとつ動かない。石になったようだ。

 これが、この人の力……?

 生田は力を込め、呪縛を解き放とうとするが、やはり体はまるで動かない。

 生田の動きを止めた下級生は、生駒の前に立つ。

「なんなのよ、あんたは」
「伊藤万理華か」

 下級生はつぶやくと、万理華の右腕をつかんだ。万理華はとっさに振りほどこうとするが、下級生の華奢な腕は、鎖で結ばれたように解くことができない。

「離してよ!」
「ただのコマに用はない」

 一瞬、万理華は何が起こったのかわからなかった。ふわ、と体が浮いたかと思うと、眼下に呆然としているクラスメイトの姿が見える。中には親友の伊藤寧々の姿もあった。泣きそうな顔をしている。ああ、自分は今、空を飛んでいるんだ。

 頭がやっとそれを認識した瞬間――。

 教室と廊下を隔てる壁に背中から激突する。痛みはなかった。しかし息ができない。苦しさから手を伸ばす。その手をつかむ者がいた。それが誰かを認識することができず、万理華の意識は闇へと落ちる。

 再び辺りはパニックとなった。クラスメイトは我先にと教室から飛び出し、廊下から覗いていたギャラリーも一瞬で消えた。今は数名の生徒しか教室に残っていない。

「さて、生駒里奈よ」

 その中、下級生は生駒に詰め寄る。生駒はあまりの恐怖に声もだせず、ただカーテンを握り締めていた。

「俺はずっと会いたかったのかもしれない」

 少女の出で立ち、声色で、男言葉を話す。だが違和感は感じない。彼女から発せられるオーラが、その違和感を自然なものへと変えていた。

「世界の希望たる存在のおまえにな」

 生駒は怯えた瞳で助けを求める。もういい加減、大人がきてもいいはずなのに、まだ誰もこない。生田は彫刻のように動かなくなっている。万理華は教室の隅で倒れ、寧々が必死で呼びかけていた。あとは――。

 西野七瀬。中庭で佇む西野の顔が浮かんだ。でもまさか、助けにきてくれるはずはない。

「見てみたいんだ」

 下級生は腕を広げた。

「希望の消えた世界に何が起こるのか。俺はそれを見たい。だから生駒里奈。おまえを殺す」

 広げた腕の間に光が集まる。生駒はそれを見て、まるでマンガだと思った。好きなマンガのシーンが頭に浮かぶ。作り物の世界ならば、こういうときは必ず誰かが助けにきてくれる。そうだ。こんなにリアリティのない現実があってたまるか。

 どうせなら最後までマンガの世界であり続けろ――!

「誰か、助けて!」

 生駒は力の限り叫ぶ。マンガのキャラクターのように、全身全霊で。きっと誰かが助けにきてくれる。そう願って。

 それは現実をマンガへと変える叫びとなった。

 廊下に小さな影が現れる。その影は、躊躇することなく、悠然と教室へと入ってきた。

 下級生はちらりとその影を見やると、嬉しそうにつぶやいた。

「きたか。3人目が」

 影――星野みなみは、そんな声に耳を貸すことはない。

「まあやを返してもらうよ」

 一方、相手もまた星野の声は無視し、芝居がかった口ぶりで言う。

「期せずして、この3人が集まるとはな」

 カーテンにくるまり震える生駒里奈。

 硬直し身動きのとれない生田絵梨花。

 毅然とした瞳で見つめる星野みなみ。

 3人を見渡し、大仰に頷くと、その顔が引きつる。それが笑みと気づいた人間がどれだけいるだろうか。

「まずは星野みなみ。貴様から消してやろう」

 星野はその言葉を最後まで聞かず走り出した。向かう先には――。




 


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