【注意】
この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。また妄想成分が多大に含まれていますので、閲覧にはじゅうぶんご注意ください。


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――これは、わたしたちが、わたしたちを見つける、わたしたちの物語。


小説<乃木坂>

第2部【おいでシャンプー】


第4話「心の薬」  





 白石麻衣は力を集中させながら、相対する生田絵梨花を見る。話に聞いていた通り、体中から気品があふれだしていた。その気高さは本人のあずかり知らぬところで敵をつくるだろう。人は理解できないものを目にしたとき、尊敬ではなく敵意を露わにすることがある。

 白石もまた、そんな得体の知れない敵意の被害者だった。

(わたしたち、似てるのかもしれない)

 厳しい表情の生田を見ていると、頭の中に声が響く。慣れようとはしているが、自分以外の誰かが心にすみついているような気味の悪さは拭えなかった。

「余計なことは考えるな」

 心に響く男の声に、心で答える。

(わかってるわよ。でもあなたの言った通りね。確かにお嬢様だわ)
「我らに破滅をもたらす者だ」
(そんなふうには見えないけどね)

 そのとき、生田が怪訝な表情を浮かべたことを白石は見逃さなかった。

 なるほど。

 “すでにはじまっていたのか”。

「どうしたの、生田さん?」

 白石は余裕の笑みを浮かべて続ける。

「なにかしたのかしら」

 生田は左右に広がった橋本奈々未と松村沙友理に視線を配ると、再び白石に目線を戻す。

 そして感情を読み取れない声音で言う。

「あなたたちも、なのね」

 白石はその問いに微笑すると、横手から橋本が答える。

「力を持つのが自分ひとりとでも思ってたの?」
「あなた……じゃない」

 視線を橋本に送った生田は誰にともなくつぶやくと、その反対側に位置する松村に視線を固定する。松村は邪気のない笑顔で生田を見ていた。

「この力は、あなたね」

 冷たい声で言う生田に対し、松村はどこまでも朗らかだった。

「まーいやーん。これってあれかなー、ばれてるんかなー」
「ばれてても構わないわ。あなたはそのままでいて」
「りょーかいっ」

 白石の言葉に松村は敬礼のポーズを送る。そのコミカルな動作に場の緊張感が弛緩してしまう。

 白石は苦笑して生田に言う。

「ごめんなさいね、気が抜けたでしょ?」

 答えない生田に、白石はそのまま言葉を投げる。

「あなたの力はわかっているわ。相手を操れるんでしょ? 【操(そう)】の力を持つ者。それがあなた。こんなこともわかるわよ。あなた、さっきからその力でわたしを操ろうとしてるでしょ? でもまるで操れない。その理由を必死で考えている……」

 白石は話しながら、生田の表情を読み取ろうする。力を言い当てられ、少しでも動揺するかと思ったが、彼女は微動だにしなかった。まばたきすらしない。

 ……なにを考えているかわからないわね。

 それじゃ、これはどうかしら。

「力を持つものはあなただけじゃないのよ」

 白石は松村を見る。

「彼女はね、壁をつくれるの。どんな力も通さない壁をね」

 松村が遠くから、「【壁(へき)】って言うんよー」と叫んでいる。その力は、松村にぴったりの能力だった。

 松村沙友理の心には壁がある。一見すると人当たりもよく、誰からも好かれそうな容姿をしていたが、その実、本性を露わにすることを極端に避けていた。仲良くなった今でも、白石は彼女の本心を読み取れないときがある。

 いいんだよ、もっと素直になっても。

 前に白石がそう言ったとき、松村はあくまで笑顔のままでこう答えた。


 ――そのときがきたらなー。


「さゆりんがいる限り、あなたの力はわたしたちには効かないわ」

 さあ、どうだ。

 一呼吸置いて、生田の様子を伺う。生田は無表情のまま、右手をあげた。それと同時に、ひとつの机がふわりと宙に浮く。生田が操っているのは明確だった。

 その様子に、橋本が腕を組みながら納得したように言う。

「それもそうよね。心を操れるなら、ほかのものだって操れる」

 白石も同じ感想だった。とくに驚きはない。むしろこのあとが気になった。生田は力を見せて何をするつもりなのだろうか。

「それでそんな手品を見せてどうするつも――」

 り、の言葉は、教室に響く破壊音でかき消される。なんの予告もなく、生田は宙に浮かせた机を白石へとぶつけてきた。机は白石の目の前で、固いものにぶつかったように砕け散る。

 残骸となった机の破片に目をおろしながら、動揺を気取られないよう、つとめて軽く言う。

「せめて一言欲しかったわね」

 そう言いながら、橋本に目配せ。

「でも残念だったわね。さゆりんの壁は、物理的な攻撃にも有効なのよ」

 橋本が頷く様子を横目で確認。

 ――そうだった。油断しちゃだめだ。目の前の敵がどれほど恐ろしいか、頭の中の声が教えてくれたじゃないか。やらなきゃ、やられる。やられるのは、わたしたちだけじゃない。こいつをこのままにしていたら、この学園自体が消されてしまう。

 白石の体に力がこみあげてくる。一撃だ。一撃でしとめる。

 その準備は、整った。

「ななみん、いいよ」

 白石の言葉に、橋本が両手を前に突き出す。その手から発せられた"何か"が、空間を歪めながら生田に迫る。生田は避けようとした。しかし動かない。いや、動けないのだ。その様子を見て白石は勝ちを確信した。

 生田は橋本の力を真っ向から浴びる。その瞬間に、生田絵梨花は氷のオブジェと化した。

「わたしの力は、【氷(ひょう)】」

 橋本は生田に近づくと、その氷を軽く叩く。

「声は聞こえてるわよね? まいやんに気をとられている間にね、あなたの足を凍らせたのよ。動けないように。それに気づかなかった時点で、あなたの負け」

 橋本はそう言って白石を見る。

 白石は、光り輝く弓を構えていた。弦から矢にいたるまで、すべてが光でできている。

 ぎりぎりと弦を引き絞りながら、

「生田絵梨花さん。あなたはわたしと同じ匂いがした」

 散りゆくものにはなむけの言葉を送る。横でさゆりんが、「やっちゃえー」と叫んでいる。

「もし……違う世界で出会っていたら、友だちになってたかもしれないね」

 それが――。

 弓を射る合図の言葉。

 放たれた光の矢は、氷付けになった生田絵梨花へと迫る――。





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 生徒会長の桜井玲香と、副生徒会長の中田花奈が生徒会室を出ようとしたそのとき。部屋に3人の生徒がなだれこんできた。

「ど、どうしたの、みんな?」

 桜井が目を丸くして聞く。入ってきたのは、生徒会庶務の能條愛未、書記の深川麻衣、会計の衛藤美彩だった。息をきらす3人に中田が冷たく言う。

「廊下は走らないこと。それと今日の生徒会は中止って伝えたはずだけど?」

 ぎろりと伝言を依頼した能條を見ると、彼女は、「そんなこと言ってる場合じゃないの!」と大声で叫んだ。そのままのテンションで続ける。

「さゆが消えたんだよ!」

 さゆ? 桜井と中田は顔を見合わせる。

「さゆって、クラスメイトの井上小百合さん?」

 代表して桜井が聞くと、答えたのは衛藤だった。

「教室にいたはずなのに忽然と。ねえ、これって……」

 衛藤が言いたいことは誰もがすぐにわかった。でもそれを言葉にするのが怖い。言葉にした瞬間、また誰かが消えてしまいそうだった。

 若月佑美、西野七瀬、井上小百合――次は、だれだ。

「先生には伝えた?」

 中田がつとめて冷静に言う。深川が胸に手をあて、呼吸を整えながら答える。

「まだ。先にふたりに伝えようと思って。まずかったかな」
「いいえ。ありがとう。わたしたちからすぐに伝えるわ」
「あー! そんなことより!」

 また声を荒げた能條に、中田が切れ長の瞳で厳しく睨みつける。

「クラスメイトが消えてるのに、よくそんなことなんて言えるわね」
「あ、ごめん! で、でもね! そんなことよりも!」
「また」
「もー! 話を聞いてって!」

 能條は焦れたように言って、生徒会室の椅子に足を置き、スカートをまくしあげる。

「これ見て!」
「太い足ね」
「そういうことじゃない!」
「あ、愛未~……。行儀悪いよ」

 桜井の申し訳なさそうな声を無視した能條は、そのままの姿勢で右の膝小僧を指差す。

「わたし廊下で転んでここに怪我したのよ」
「おっちょこちょい」
「分かってるわよ! ってそうじゃなくて、よく見て」
「……怪我なんてどこにもしてないじゃない」
「そうなのよ!」

 我が意を得たりといった様子の能條は、深川の腕をとる。
 
「まいまいが怪我に触ったら、一瞬で治ったのよ!」
「……それ、ほんと?」

 中田は深川を見る。能條が、「なんでわたしに聞かないのよ!」と怒っているが、誰もその様子を気に留めず、深川に視線が集中する。

 深川は自信なさ気に頷いた。

「わたしもね、どうやったのかわからないんだけど……痛そうだなと思ってちょっと触ったら、見る見るうちに傷が塞がって」
「間違いないよ。わたしも怪我した愛未を見てるから。まいまいが触って傷が癒えた」

 衛藤が深川のあとを継ぐと、桜井は神妙な面持ちになった。

「ふたりが言うなら嘘じゃないよね」

 ちょっとわたしは!?と能條が騒ぐが、やはり誰も相手にしない。

 中田は窓の側に歩み寄り、激しい雨が降るグラウンドを見つめる。もうすっかり夜になっていた。

「クラスメイトが消えたかと思えば、今度は傷を治す力か。まるでマンガね」

 中田は誰にともなく言う。答えは期待していなかった。こんな不思議な話に何の答えがあるというのか。

 ふぅとため息をつき、引き出しを開ける。そこからカッターを取り出すと、その刃を親指の腹にあてる。

「ちょっと花奈!」

 桜井が制止しようとしたが、すでに中田は行為を終えていた。一筋の赤い線が親指の腹に生まれ、そこから静かに血が流れている。

 中田は深川のもとに歩み寄り、その指をつきだす。

 中田が何を求めているか。深川はすぐにわかった。中田の親指を慈しむように両手で覆う。そして開いたとき、そこにあったはずの傷は綺麗になくなっていた。

「……なるほどね」

 中田は親指を見ながら言う。

 なるほど、だ。クラスメイトが消えたのも、傷を癒すクラスメイトが現れたのも、すべて真実。

 こんな世界、わたしたちにどうにかできるわけがない。

「玲香」

 呆けたようにしている桜井に声をかける。

「生徒会長なのよ。玲香がしっかりしなくてどうするの」
「うん、そうだね、ごめん……」

 中田は内心で舌打ちする。桜井がこういう性格なのはわかっている。でもイライラしてしまうのは、きっと自分の心に余裕がないせいだ。

 心がささくれだすのがわかる。怖い。そう、怖い。みんなそれは同じはず。泣き出したい気持ちをこらえている。ここで誰かが泣き出したら、きっと収拾がつかなくなる。

 中田は取り乱しそうになる自分をぐっとこらえた。

 深川は確かに傷を治してくれた。でも心への薬にはなり得ない。傷が癒えた分、心にもっと大きな傷が生まれた。それを癒す心の薬は、どこにもない。

 まずは報告だ。大人に報告しないと。

 中田は生徒会室を出ようと一歩を踏み出す。

 ちょうどそのとき、ノックの音が響いた。弱々しく二度、コンコン、と。

 生徒会役員の5人はそれぞれに顔を見合わせる。その後、ノックはない。

 生徒会室に誰かが訪れるのは珍しいことではなかった。先生への不満であったり、企画の提案であったり、あるいは単純に生徒会役員のファンが訪れることはよくある。

 しかし不可思議なことが連続して起きていたため、まるで異界からの来訪者のように感じてしまう。

「誰だろう……」

 桜井はつぶやくが、動こうとはしなかった。不安と恐怖がその場に体を縛り付けている。その恐怖を乗り越え、声をだしたのは、やはり中田だった。

「どうぞ」

 外に聞こえるよう、大きな声で言う。

 がちゃり、とドアが控えめに開く。

 入ってきたのは下級生だった。リボンの色で2年生だとわかる。下級生は自分で入ってきたにも関わらず、驚いたように5人を見ると、急にその場に座り込んでしまった。その後ろでドアが閉じる音がする。

「ど、どうしたの?」

 人一倍優しい深川が咄嗟に駆け寄り、背中をさする。下級生は泣いているようだった。嗚咽まじりで言葉を漏らす。

「良かった……人がいた……」

 その言葉に緊張感が張り詰める。

 中田が下級生の前に膝をつき、顔を正面から見る。

「それ、どういうこと?」
「消えちゃったんです……みんなが……」
「みんなって?」
「クラスのみんな……先生も……」

 中田は立ち上がる。だめだ。このままだと自分も恐怖に支配されてしまう。

「職員室に行く。玲香、一緒にきて」

 中田は答えも聞かずに生徒会室を出ようとした。

「そうだ、あなた名前は?」

 中田が聞くと、下級生は怯えたように自分の名前を告げる。



「生駒、里奈です」



 そのとき、またノックの音がする。

 ドアを壊すぐらいの勢いで、激しく。

 何度も、何度も。

 
 それは、曖昧だった日常と非日常を切り離す音。

 桜井玲香、中田花奈、深川麻衣、衛藤美彩、能條愛未、そして、生駒里奈。

 6人の日常は終わる。

 そして、はじまる。


 完全なる、非日常の世界。

 繰り返される、ものがたり。





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