【注意】
この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。また妄想成分が多大に含まれていますので、閲覧にはじゅうぶんご注意ください。


20170906-02

※この小説は、「【妄想小説】君は僕と会わない方がよかったのかな【中元日芽香】」の続編となります。前作からご覧になるようお願い致します。



"君僕"最終章

-前編-「嫉妬の権利」





「なーに、これ?」
「なんだっていいだろ」
「なんでもよくない」
「うるせーなー……」
「うるさくない。ちゃんと言って」
「……」
「わたし、たっくんが言うまで動かないよ」
「……わかったよ」

「ひめ、さ」
「うん」
「今日誕生日だろ。だから、ほら、そういうことだよ」
「わかんない」
「わからないわけないだろ」
「それだけじゃわかんないよ」
「……」
「……」
「…… 誕生日おめでとう。それ、プレゼント」
「やっと言ってくれたね」
「おまえが言わせたんだろ」
「それでも言ってくれるのが嬉しいの。ありがとう」
「……ああ」
「開けてもいい?」





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 何度も壁に掛けた時計を見る。23時55分。あと5分……。あれ、さっきもあと5分だったような気がする。時計が壊れているのかと思い、携帯電話を見るもやはり55分。気持ちが時間の流れを追い越している。

「くそっ、早くはじまれよ」

 巽(たつみ)は炭酸飲料を飲み干し、空のペットボトルをテーブルに叩きつける。何かしていないと気がおさまらなかった。

 立ち上がり、カレンダーの前に立つ。今は1月。去年は巽にとって激動の1年だった。高校を卒業し、東京都内の大学に進学。慣れない一人暮らしをしているところに、幼なじみでアイドルになった日芽香からライブの誘いがあった。そこで彼女との関係を再確認した。

 日芽香と巽はお互いの住所を知らない。知っているのは、かろうじて都内にいることぐらい。本当なら、料理のひとつでも作りにきてほしいが、アイドルとファンの関係でそれは無理な話だった。

 テーブルに置いた携帯電話を手に取る。

 電話、してみようか……。

 連絡先を呼び出し、「ひめ」の電話番号を呼び出す。通話ボタンを押せば、これから「テレビに映る」彼女に繋がるが……。それこそアイドルとファンの関係の逸脱になる。

「今度こそだいじょうぶだよな」

 巽は携帯電話を握り締める。

 日芽香は「アイドル」に専念する。自分はそれを応援する。今はそれでいい。それでいいんだ。

 その日芽香にとって大事な発表がこの後の番組でおこなわれる。
 
 彼女の所属する「乃木坂46」の14枚目選抜発表。

 これまで日芽香が選抜になったのは一度だけ。この事実に巽は大きな罪悪感を抱いていた。幼なじみゆえの贔屓なのは理解している。しかし彼女が選抜として乃木坂46表題曲を歌ったのが一度だけなんておかしい。

 そして巽には、その"おかしさ"の理由が推測できた。自分と写った写真が、「彼氏発覚」として世間に流れ、謹慎処分となった事件。きっとそれが尾を引いている。真実は決定権を持つ人間しか知りえないが、それ以外に日芽香が選抜に選ばれない理由が、巽には分からない。

 日芽香の選抜。それは巽にとって贖罪の願いでもあった。

「だいじょうぶだよな」

 番組がはじまる。13枚目がアンダーだった日芽香はなかなか画面に映らない。淀みなく選抜発表は進んでいく。次々とメンバーが呼ばれ、最後にセンターが発表された。センターはこのシングル限りで卒業する深川麻衣。

 深川をセンターとする14枚目選抜は17人。

 その中に、日芽香の姿はなかった。

 巽は放心状態のままテレビを見つめた。そうか、選ばれなかったか……。その現実が受け止められない。次はある。でも、その次がくるまで、待たなければいけない。それが辛かった。

「……あ」

 終盤を迎えた番組。提供をバックに日芽香の顔がうつる。日芽香は今回の選抜を有力視されていた。それなのに選抜に入れなかった彼女の表情をとらえるカメラ。巽はおもわず声をだす。

「なんて顔してるんだよ……」

 暗い表情で下を向いている。これは……演技なんかじゃない。知ってる。俺は、この顔を知ってる。アイドルの中元日芽香じゃない。ネガティブで、すぐに落ち込んでいた、昔の「ひめ」がそこにいる。

 その顔を見た瞬間、巽の中で感情が弾けた。

 携帯電話をつかみ、迷いなく日芽香に電話をする。あの顔を見ては躊躇なんてしていられない。

 電話はすぐに繋がった。

「もしもし。今、だいじょうぶか?」
――うん。

 まるで、だいじょうぶじゃない。巽は一声で察する。日芽香も番組を見ていたのだろう。

「選抜発表見たよ。……残念だったな」
――うん。
「急に電話して悪い。でもあの顔を見たらどうしても話したくなった」
――あの顔?
「最後の。映ってただろ?」
――そうなんだ。ちゃんと見てなかった。

 嘘つくなよ。巽は内心で思うも、言葉には出さない。心ここにあらずの日芽香の受け答えに、彼女の落胆ぶりを思い知る。

「だいじょうぶか?」
――もうだいじょうぶだよ。収録してから時間経ってるから。
「そうか」
――うん。
「……」
――話ってそれだけ?

 日芽香の言葉から明らかな拒絶を感じた。過去にも何度か拒絶されたことはあった。彼女は悩みを人に打ち明けない。その悩みに他人が触れようとすると拒絶の態度を示す。そして拒絶の態度が強ければ強いほど、彼女の悩みは深刻だった。

 自分には何ができるのか。

 日芽香はアイドルだ。住む世界が違う。いくら幼なじみとはいえ、一線を越えて踏み込むのは彼女にとってデメリットしかない。

 それは分かっていたが、日芽香の落胆を肌で感じた巽は、励ましのつもりで声をかける。

「あんまり落ち込むなよ。おまえが落ち込んでたらファンのみんなも心配するだろ。アンダーにいたってファンはひめを見てくれてるよ」
――わかってるよ。わたしが考え過ぎてるだけだって。
「いや、そういうことじゃなくて……」
――明日、朝早いの。
「あ、ああ。悪い。仕事がんばれよ」
――うん。おやすみ。

 向こうから電話が切られるのを待ったが、一向に通話は終了しない。静かな吐息だけが聞こえる。日芽香が何かを迷っているのが、電話越しに感じられた。

「どうした?」
――……ひとつだけ。
「なんだ?」
――よっぽどのことじゃない限り、もう電話しないでほしいな。
「え?」
――だって、わたしとたっくんは今、そういう関係じゃないから。
「あ……ああ。そうだな。悪い」
――おやすみなさい。

 今度こそ電話が切られた。巽は携帯電話を握ったままベッドに飛び込み、枕に顔を押し付ける。

 なにやってんだ、俺は……。日芽香の言う通りだ。今の自分はただのファン。簡単に電話して良いわけがないじゃないか。日芽香はもう昔の"ひめ"ではない。アイドルの中元日芽香だ。今の彼女が頼るべきは俺じゃない。俺が踏み込む問題じゃないんだ。

「余計なお世話か……」

 巽はうつぶせのままつぶやき、部屋の片隅にある小さなダンボール箱に視線を向ける。中には同じCDが5枚。そして握手券が入っていた。

 最初は、日芽香のためだと思った。自分が買うことで少しでも彼女の成績に繋がるなら……。

 ……いや、違うな。

 巽はそこまで考えて苦笑する。

 本当は、ただ会いたいだけ。

 あの"スキャンダル"が頭をよぎったことも確かだった。大勢のファンの中には、もしかしたらスキャンダルの元となった写真を覚えていて、巽のことを知っている人間もいるかもしれない。

 でも、あれも、もう昔の話。結局、ライブでもだいじょうぶだった。

 そんな危惧より、日芽香に会いたい気持ちのほうが強い。

 ただ……。

 ひとつだけ危惧があるとするなら、

 握手会に参加する自分を見て、日芽香は何を思うのだろう。

 喜んでくれるのか、驚いてくれるのか。

 それがまるで想像できない……。





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 握手会当日。

 荷物検査を済ませ、会場に入った巽は、人の多さに思わず立ち止まる。スキャンダルの心配なんて吹っ飛んだ。こんな混雑でわざわざ人の顔を見る余裕なんてない。

 なんとか日芽香の握手レーンを確認し、導かれるままそこに並ぶ。折り返すほどの行列は、まるでディズニーランドのアトラクション待ちのようだった。

 はじめに使う枚数は1枚にした。1回で5枚を使いきってしまうのはもったいない。少しでもこの空間を楽しもうと思った。

 しかし巽はすでに楽しいという気持ちから遠ざかっていた。

 この人たちはみんな日芽香と握手するのか……。少しだけ、胸の奥が痛む。

 巽の後ろに誰かが並び、会話をはじめた。声のやりとりから察するに、どうやら二人組の男らしい。確か友だち同士で並ぶのを「連番」と言った気がする。軽く調べた握手会の知識からその言葉を引っ張り出した。

「ひめたん、ツインテールやめてキレイになったよな」
「まじでやばくなった!」

 そんな会話が聞こえてくる。

 日芽香がツインテールを封印した。その話は知っている。しかし、本人に理由を聞く気にはなれなかった。

 列で並ぶ時間が経つにつれ、ライブでは感じなかった胸の痛さが襲ってくる。ここに並んでいる人たちは、みんな日芽香と握手をする。それが妙に気にかかった。

 ひめのこと何も知らないくせに……。

 黒い感情が込み上げる。これは……嫉妬なのだろうか。

 ……小さいやつだな、俺。巽は内心でため息をつく。そういう自分だって、日芽香のことをどこまで知っているというのか。

 ファンがいるからこそのアイドル。これだけの人数を集める日芽香の力に感心こそすれ、嫉妬するなんてもってのほかだ。それに今の自分はただのファン。ファンだからこそ、面倒な手続きを踏まえ、遠い会場に足を運び、数秒の握手をしようとしている。

 わかってたはずじゃないか。ファンでいようと決めたじゃないか。それなのに、何を嫉妬しているのか。自分に嫉妬する権利なんてないんだ。

 順番がやってくる。妙に緊張してきた。小さい頃からの付き合いなのに、何を緊張しているのだろう。荷物を預け、先頭に立つ。日芽香が見えた。前の人と握手をしている。自分の知らない笑顔の、自分の知らない日芽香がそこに立っていた。

 俺は来てはいけなかったのだろうか。

 一瞬、頭をよぎる。決して日芽香がアイドルを「演じている」とは思わない。アイドルである日芽香も、中元日芽香の一部分であることに変わりはないからだ。でも自分と会うことで、アイドルではない中元日芽香を引き出してしまうのではないだろうか。

 そして、それは日芽香にとって……。

「1枚です」

 係員の声と同時に一歩を踏み出す。手を出した日芽香と目が合う。巽を確認した日芽香は、笑顔のまま硬直した。柵の向こう側にいる幼なじみ。巽はその手をとる。子どもの頃、何度となく繋いで手。しばらく繋いでいなかった手。何も変わっていない。柵越しでも何も違わない。

 ――なんだよ、ひめ。こんな良い匂いをさせて。大人になっちまったな。

 そんな減らず口が出ればまだ良かった。しかし巽は何も言えず、手を繋いだまま立ちつくす。

 これが、これが、あの、ひめ、なのか。

 脳内で言葉が駆け巡る。アイドルのオーラをまとった日芽香が、これほどまでに神々しいとは思わなかった。正直、巽は「幼なじみの仕事場を見学する」ぐらいの気持ちだった。しかし、そんな生易しいものではない。ここは、戦場だ。

「ひ……」

 名前を呼ぶこともできない。

「お時間です」

 係員に肩を叩かれる。咄嗟に手を離そうとした。しかし離れない。日芽香が強く握っている。顔を見る。無表情。いや、違う。巽にはわかった。これは、日芽香が泣き出す前の表情だ。いつも日芽香は泣く直前に無表情になる。そして顔を歪ませ、涙を流すのだ。

 なんでだよ、なんで泣くんだよ!

「ひめ」

 やっと声が出た。

「お時間です」

 きつい口調で言われ、腰をつかまれる。そのまま投げ飛ばされるかのように体を引っ張られる。でも、まだ日芽香は離さない。両手で手首をつかんできた。自然に柵の向こうの日芽香が引っ張られ、前のめりになる。まるで巽を、スタッフと日芽香が引っ張り合いをしている格好になった。

 しかし、彼女のか弱い力では、屈強なスタッフに勝てるわけがない。このままでは日芽香が柵にぶつかってしまう。

「ひめ、離せ!」

 巽は強く言う。日芽香はすんなり手を離した。巽はそのまま係員に抱きかかえられ、握手ブースの外へと追い出される。中を覗こうにも、係員が立ち塞がり、日芽香の表情を伺うことはできなかった。

 しかたなく荷物を取り、その場を後にする。係員に連れ出された巽に、周囲からは好奇と冷ややかな視線が向けられていた。巽はその気まずさに唇を噛み締め、会場の隅へと避難する。

 壁に背中を預け、ようやく巽は息を吐き出した。呼吸すら忘れる緊張感だったことを改めて思い知る。

 そのまま巽は、日芽香と握手した手の平を見る。日芽香の匂いだ。ハンドクリームをつけていてもわかる。これは自分の好きな、彼女の匂い。

「……って、変態かよ、俺は」

 巽は苦笑する。苦笑するだけの余裕がでてきた。そして同時に思い出す。あの数秒の出来事を。

 なぜ日芽香はあんなにも動揺したのだろうか。確かに握手会に参加することは黙っていたが……。彼女の気持ちがわからない。しかし、はっきりわかることがひとつだけあった。

 巽は財布から残りの握手券を取り出し、それを眺め、そして握りつぶした。

 ……俺は、きちゃダメだったんだ、ここには……。

 ファンに嫉妬し、日芽香を動揺させただけで、良いことなんて何もない。思い描いていた握手会とまるで違った。

 大勢のファンが日芽香を応援している事実に感動し、「おまえすごいな」「えへへ」「応援してるからな」「うん!」。そんな会話をしたかっただけなのに。

 巽はとぼとぼと握手会のスペースから出る。もう会場にいる理由などない。出口に向かって歩く。そのとき、不意に横から声をかけられた。

「あの」

 立ち止まり、顔を向けると、壁際の女の子がこちらを見ていた。ピンク色のTシャツに白いスカート。胸元の名札には「あやめ」とひらがなで書かれている。

 あやめ……誰だろう。でもどこかで見た覚えが……。

 その少女は巽のもとに近づいてくると、下から覗き込むように見てくる。

「人違いだったらすみません。去年のライブで、隣にいた方ですよね?」
「あ……ああ!」

 思い出す。そうだ。日芽香がセンターに立ったライブで隣に座った女の子。「絶対にアイドルになります!」と宣言して別れたあの子だ。

「やっぱり! 良かった! お久しぶりです!」

 あやめは快活に言って、ぺこりと頭を下げる。

 ツインテールの髪型で、「えへへ、偶然会えて嬉しいです」と笑う彼女は、昔の日芽香のようだった。その姿を見て、おさえてきた感情があふれてしまう。

 それは絶対に思ってはいけないこと……思わないように心の底に封印していた言葉。

 ――なんで、なんでアイドルなんかになったんだよ……!

 ライブのときはただただ圧倒された。がんばっている姿を見れるだけで幸せだった。そんな日芽香が望むのならば、自分の感情は全部捨てようと思った。それで良いと思った。

 でも、そんな簡単に感情は割り切れない。好きという気持ちが抑えられない。

 そもそもおかしいだろ。好きな人と握手するためにCDを買って、並んで、それで数秒しか話せない。もっと話そうとすると悪人のように離される。アイドルにならなければ、もっと自由に話ができるんだ。ふたりで映った写真が出回って死ぬほど辛い目にあうこともなかった。それなのに、なんで……なんでアイドルに!

 涙があふれる。

「ご、ごめん……」

 巽は慌ててあやめに背を向ける。

 その背中にそっと手が置かれた。振り返ると、あやめが淡いピンクのハンカチを差し出してくれている。確か同じものを日芽香も持っていたはず……。

「……っ」

 嗚咽が自然とほとばしる。あやめは何も言わず側にいた。



 そして、

 巽の涙がようやく止まったとき、

 中元日芽香が残りの部を欠席することがアナウンスされた――。



中編「不等号」につづく