そのとき、川後陽菜は言った。
「聖母って、まいまいしか無理だと思っていて」
それは「乃木坂工事中」の一幕。深川麻衣が卒業するにあたって、深川の代名詞でもあった聖母を引き継ぐ「第二の聖母オーディション」でのことだった。
深川麻衣と川後陽菜。ふたりのエピソードは枚挙にいとまがない。聖母の名づけ親であり、最古参深川麻衣TO(トップ・ヲタ)、同じメンバーでありながらファン目線で愛する。深川の誕生日には、自身のブログで他を寄せ付けないほどの愛情を見せつけてくれた。
そんな川後だからこそ、「第二の聖母」に異を唱える。自分の愛した聖母に変わりなど必要ない。川後はきっと誰よりも、深川麻衣という存在を尊重し、敬愛し、なにより尊敬していたのだろう。聖母は深川麻衣ただひとり。
――わたしが好きなまいまいの代わりなんて、誰も務められない。
NOGIBINGO!6では、深川がメンバーとの「最初で最後の握手会」を行った。
感動的な音楽が流れるなか、メンバーひとりひとりと握手をかわし、想いを交差させていく。誰からも愛され、誰をも愛した「聖母」とのやりとりが、見る者の涙を誘う。
そんな深川を、川後は誰よりも近くで「見ていた」。
この企画は握手会の体で行われている。握手会には、アイドルとファン、そして剥がしが必要。川後の役割はその剥がし役だった。
深川の側に、いつも川後がいる。川後の側に、いつも深川がいる。幼くして上京した川後が、不安に潰されそうなとき、支えてくれたのが深川だった。深川もまた、川後の成長と、まっすぐな気持ちに癒しを覚えていた。
だが、いつまでも一緒にはいられない。
深川麻衣卒業コンサートのあと、「深川ロス」で頭が働かないと前置きしながらも、川後はブログでこう綴っている。
深川は乃木坂を卒業する。しかしそこで彼女の道が途絶えるわけではない。まだまだ続く道において、いろんな幸せを感じてほしい。川後の優しさと切なさが入り混じった想いは、たったひとつの結論へと導かれる。
これからも好きです、ずっと応援してるよ。
深川は自分で決めた道を行く。川後は川後の道を行く。いつか再会したとき、胸を張って会えるよう、卒業コンサートを終えたふたりは、一歩を踏み出す。
しかし、足を踏み出したものの、川後は悩みの中にいた。
夢であったモデルを、「popteen」の専属ファッションモデルという形で勝ち取ったものの、そのチャンスを存分に活かしきれないことに忸怩たる思いがあった。
乃木坂のメンバーでモデル専属をしているメンバーは、いずれも選抜で活動している。川後はモデル専属で唯一のアンダーだった。選抜にも、これまで一度しか入っていない。
不甲斐ない、popteenに申し訳ない。
8/5に更新されたブログでそう綴った川後は、続けて理想のアイドルと今の自分の乖離について明かし始める。
そこには、「川後陽菜のアイドルとしての矜持」が込められていた。
川後はその矜持、誇りを持って、真夏の全国ツアーに臨んでいたのだろう。
そして迎える千秋楽。
8月30日、神宮球場。
この日、川後陽菜は、
誰の代わりでもなく、
彼女自身の輝きで、
夏の主役になった。
「ハルジオンが咲く頃」は、誰がセンターなんだろう。
ファンの間では、前々からそんな話題が飛び交っていた。バースデーライブは全曲披露が基本となっている。ハルジオンでセンターを務めた深川はすでに卒業している。その役割を担うのは誰になるのだろう。
深川がサプライズで登場するのではないか。願望ともとれる、そんな予想をしているファンも多かった。
深川麻衣の存在感。その大きさに比例するかのように、ファンの期待感も増していく。
果たして、そのときはやってきた。
「調子にのってないけど調子にのってるかん否めない顔が昔からキライだ!!!!
でも、ファッション大好きメイクも大好きカワイイ子も大好き、写真も大好きなんだ!!!
とりあえず、私は次の登板まわってくるまでもがいてチャンスバーンと決めれる私でいたい」
あれはだれだろう。遠くの人はそう思ったかもしれない。
徐々にそれが誰か、会場に知れ渡っていく。
センター川後陽菜。
深川麻衣が中心に立った曲で今、川後は真ん中に立っている。
「自分の顔が嫌いで、人類で一番嫌いで、生き物界でも一番嫌いだけど、自信が持ちたくて、大好きなあの子に近づきたくて――
いま頑張れてるんだと思う」
以前、川後は言った。
「聖母はまいまいしか無理だ」
そう。
どんなにがんばっても、聖母に、深川麻衣になれない。
誰よりもわたしがそれを分かっている。
だから。
誰の代わりでもなく。
まいまいの代理でもなく。
わたしは、わたしのハルジオンを歌う。
「ハルジオン」の花言葉は、「追想の愛」。
深川へ向けた言葉のひとつひとつが、会場を満たしていく。
――ハルジオンが道に咲いたら 君のことを僕らは思い出すだろう
みんな思い出していた。みんな包まれた。深川麻衣の愛の深さ、笑顔、存在、すべてに。
そしてその空間を作り出したのは紛れもない、川後陽菜を中心とした乃木坂46。
「また乃木坂で会いましょう」
深川の想いに、メンバーみんなが応える。
ファンもまた応えた。
ペンライトでハルジオンを演出。
深川麻衣は、ここに、乃木坂にいた。
自分の顔が嫌いで嫌いでどうしようもない彼女は、
自分を好きでいてくれる「誰か」の希望になろうと誓った。
誰か、とは。
ファンであり、メンバーであり、家族であり、友だちであり、そして――
歌い終わった川後の言葉に、その答えがある。
「私のハルジオンの歌がまいまいに届いていたらいいなって思います」
ちゃんと届いたよ。
きっと「彼女」はそう微笑むだろう。
川後は自分に持てる最大限の力で、大役を見事にやってのけた。
川後陽菜が放った希望の輝き。
今は川後を知る者にしか気づかない小さな光かもしれない。
しかし言葉を発し続けることで、それが成功への架け橋になることを、彼女は知っている。
有言実行。
彼女の揺るぎない意志と言葉が、輝きを増していく。
誰のものでもない。
川後陽菜は川後陽菜を生きる。
その生き方こそが、希望だ。
補記
本文中のピンクで表記した箇所は、「ネット上に置いとくだけ置いてみる独り言。/川後陽菜オフィシャルブログ」内より引用しております。
そんな川後だからこそ、「第二の聖母」に異を唱える。自分の愛した聖母に変わりなど必要ない。川後はきっと誰よりも、深川麻衣という存在を尊重し、敬愛し、なにより尊敬していたのだろう。聖母は深川麻衣ただひとり。
――わたしが好きなまいまいの代わりなんて、誰も務められない。
NOGIBINGO!6では、深川がメンバーとの「最初で最後の握手会」を行った。
感動的な音楽が流れるなか、メンバーひとりひとりと握手をかわし、想いを交差させていく。誰からも愛され、誰をも愛した「聖母」とのやりとりが、見る者の涙を誘う。
そんな深川を、川後は誰よりも近くで「見ていた」。
この企画は握手会の体で行われている。握手会には、アイドルとファン、そして剥がしが必要。川後の役割はその剥がし役だった。
深川の側に、いつも川後がいる。川後の側に、いつも深川がいる。幼くして上京した川後が、不安に潰されそうなとき、支えてくれたのが深川だった。深川もまた、川後の成長と、まっすぐな気持ちに癒しを覚えていた。
だが、いつまでも一緒にはいられない。
深川麻衣卒業コンサートのあと、「深川ロス」で頭が働かないと前置きしながらも、川後はブログでこう綴っている。
こっちからみたら道は新しくなると感じるのだけど、まいまいにとっての人生の道はずっと続いてて日々色んなことを自分の意思で選択し進むものだから明日も変わらずまいまいはまいまいでいるから寂しさが0なわけではないけど、今日も明日もいろんな幸せを感じて欲しいって考えながら...
最後までまいまいのアイドルの姿を目に焼き付けてたよ。
乃木坂46の深川麻衣ではなく
深川麻衣が好きだってゆったけれど
乃木坂46に入らなかったら出会えなかったよ
乃木坂46に入ってくれてありがとう
深川麻衣がこれからも好きです。
そして深川麻衣をずっと応援してるよ。
その選択をしたきっかけって何だろう。きっかけっていつ忘れちゃうんだけど。そこに対する想いはいくつでも言えちゃう。/川後陽菜オフィシャルブログ
深川は乃木坂を卒業する。しかしそこで彼女の道が途絶えるわけではない。まだまだ続く道において、いろんな幸せを感じてほしい。川後の優しさと切なさが入り混じった想いは、たったひとつの結論へと導かれる。
これからも好きです、ずっと応援してるよ。
深川は自分で決めた道を行く。川後は川後の道を行く。いつか再会したとき、胸を張って会えるよう、卒業コンサートを終えたふたりは、一歩を踏み出す。
しかし、足を踏み出したものの、川後は悩みの中にいた。
夢であったモデルを、「popteen」の専属ファッションモデルという形で勝ち取ったものの、そのチャンスを存分に活かしきれないことに忸怩たる思いがあった。
乃木坂のメンバーでモデル専属をしているメンバーは、いずれも選抜で活動している。川後はモデル専属で唯一のアンダーだった。選抜にも、これまで一度しか入っていない。
不甲斐ない、popteenに申し訳ない。
8/5に更新されたブログでそう綴った川後は、続けて理想のアイドルと今の自分の乖離について明かし始める。
そこには、「川後陽菜のアイドルとしての矜持」が込められていた。
川後はその矜持、誇りを持って、真夏の全国ツアーに臨んでいたのだろう。
そして迎える千秋楽。
8月30日、神宮球場。
この日、川後陽菜は、
誰の代わりでもなく、
彼女自身の輝きで、
夏の主役になった。
「ハルジオンが咲く頃」は、誰がセンターなんだろう。
ファンの間では、前々からそんな話題が飛び交っていた。バースデーライブは全曲披露が基本となっている。ハルジオンでセンターを務めた深川はすでに卒業している。その役割を担うのは誰になるのだろう。
深川がサプライズで登場するのではないか。願望ともとれる、そんな予想をしているファンも多かった。
深川麻衣の存在感。その大きさに比例するかのように、ファンの期待感も増していく。
果たして、そのときはやってきた。
「調子にのってないけど調子にのってるかん否めない顔が昔からキライだ!!!!
でも、ファッション大好きメイクも大好きカワイイ子も大好き、写真も大好きなんだ!!!
とりあえず、私は次の登板まわってくるまでもがいてチャンスバーンと決めれる私でいたい」
あれはだれだろう。遠くの人はそう思ったかもしれない。
徐々にそれが誰か、会場に知れ渡っていく。
センター川後陽菜。
深川麻衣が中心に立った曲で今、川後は真ん中に立っている。
「自分の顔が嫌いで、人類で一番嫌いで、生き物界でも一番嫌いだけど、自信が持ちたくて、大好きなあの子に近づきたくて――
いま頑張れてるんだと思う」
以前、川後は言った。
「聖母はまいまいしか無理だ」
そう。
どんなにがんばっても、聖母に、深川麻衣になれない。
誰よりもわたしがそれを分かっている。
だから。
誰の代わりでもなく。
まいまいの代理でもなく。
わたしは、わたしのハルジオンを歌う。
「こんな自分を
わずかに好きな人間がいるので
その人のためにも
その人の希望になりたいから
絶対輝きたいよね」
「ハルジオン」の花言葉は、「追想の愛」。
深川へ向けた言葉のひとつひとつが、会場を満たしていく。
――ハルジオンが道に咲いたら 君のことを僕らは思い出すだろう
みんな思い出していた。みんな包まれた。深川麻衣の愛の深さ、笑顔、存在、すべてに。
そしてその空間を作り出したのは紛れもない、川後陽菜を中心とした乃木坂46。
「また乃木坂で会いましょう」
深川の想いに、メンバーみんなが応える。
ファンもまた応えた。
ペンライトでハルジオンを演出。
深川麻衣は、ここに、乃木坂にいた。
「ちっぽけな1人の人間だけど
たくさんの想いを背負って、
一生懸命こたえなきゃ。
誰かができない事を
もしも自分ができてるなら、
それを最大限恥ずかしくないようにやんなきゃ。そうおもう」
自分の顔が嫌いで嫌いでどうしようもない彼女は、
自分を好きでいてくれる「誰か」の希望になろうと誓った。
誰か、とは。
ファンであり、メンバーであり、家族であり、友だちであり、そして――
歌い終わった川後の言葉に、その答えがある。
「私のハルジオンの歌がまいまいに届いていたらいいなって思います」
ちゃんと届いたよ。
きっと「彼女」はそう微笑むだろう。
川後は自分に持てる最大限の力で、大役を見事にやってのけた。
川後陽菜が放った希望の輝き。
今は川後を知る者にしか気づかない小さな光かもしれない。
しかし言葉を発し続けることで、それが成功への架け橋になることを、彼女は知っている。
有言実行。
彼女の揺るぎない意志と言葉が、輝きを増していく。
誰のものでもない。
川後陽菜は川後陽菜を生きる。
その生き方こそが、希望だ。
補記
本文中のピンクで表記した箇所は、「ネット上に置いとくだけ置いてみる独り言。/川後陽菜オフィシャルブログ」内より引用しております。
コメント
コメント一覧 (12)
綺麗に黄色と白の光で彩られた、神宮のハルジオンが、ファンの答えでしょう。
スタンドから目撃した光景は、とてもとても美しかったです。
神宮のファンの全力の「かわごー」コールとサイリウムの景色はずっと忘れないと思う。
まいまいの事を一番大切に思っていた彼女で本当に良かった。
そして運営の方も勇気ある決断だったと思いますが、粋な演出ですね。
ハルジオンの花を咲かせたファン、川後さん、それを支えたメンバー、運営、ライブに関わる全ての皆様で作り上げた素晴らしいライブでしたね。
驚くべきは、見事にシンクロしたその内容。どちらが本人のブログだったか、錯覚してしまいそうです。
川後さんの、言い尽くせぬあふれる想いを、的確な文章にして伝えてくださったことに、大感動です。いつか、川後さん本人にも読んでもらいたいですね。
引用してたブログも読んじゃいました。
ひなてぃーす!!
結果、この夏最大の失敗は神宮千秋楽に行かなかった事だと痛感しました!
川後P の偉大な第一歩を見た...
満開のハルジオンはいつまでも語りつがれるでしょう。
今までうつむき加減だった少女がやっと顔を上げて青空を仰ぐような文章でした。
まいまいが一番喜んでるんじゃないかな
まいまいと川後の関係性、
運営の決断力、
神宮に見事なハルジオンを咲かせたヲタの団結力。
誰一人として納得しない人間がいない、
(いたとしたらニワカか新規)
最高のステージだったと思う。
こういうストーリーがあるから乃木ヲタは辞められないんだよ。
やれ楽曲が糞曲だと騒ぐ連中「だから何?」やれ容姿がブスだと騒ぐ連中「だから何?」
普通の日本人は頑張ってい少女や女性に対し褒める事があっても批判しません。
批判や誹謗中傷を繰り返す人間は「めった刺し岩埼友宏の仲間」なぜ仲間なの?、
奴もしつこく書き込む「証拠があるから確認しろ」。特徴が良く似ている。
どの人も良い評価を受けたいから努力研究するわけであって。
頑張ってれば褒めるってのはなんというか盲目すぎやしませんか?とは思いますけどね。
だってそれでお金を得ている「プロ」なんだから。
歌がいつまでもたっても向上しない歌手「頑張ってるから」
いつまで経っても踊りがうまくならないダンサー「頑張ってるから」
なんかおかしいと思いませんかね?それって逆にステージに立つために
技術向上を努力してる人を冒とくしてるようにも感じるけど。
「頑張ってるから。まあいいよね」
擁護する、褒める、受け入れるのが本当のファンで批判する人はアンチって考え、
ちょっと短絡的で私には違和感しかありませんけどね。
ファン全員が家来でも奴隷でも太鼓持ちでもないんでね。
だいたい普通の日本人はってなんだよ。
日本人って画一化された性格のロボットじゃねえぞ
みんな違う思考や性格をもった人間なんだ
可憐さが無さすぎる。
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