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ノギザカッション小説コンテスト
エントリーNo2


悲しみのインフルエンサー
20170509-10

「で、東京の生活には慣れた?」

「う~ん、まぁまぁ…かな?」

繁華街から少し離れた、客もまばらな古びた喫茶店。

僕がわざと選んだ待ち合わせ場所だ。

昨年の秋から生活、いや人生が一変してしまった彼女は、忙しいという言葉だけではとても足りない殺人的なスケジュールの間を縫って地元へと帰って来た。

しかし、明朝にはイベントのため東京に戻るとの事で、会えるタイミングは今しかなかった。

「お兄ちゃんこそ元気しとったと? 浮気しよらん?」

悪戯っぽい笑顔で僕をお兄ちゃんと呼ぶこの背の小さい女の子は、もちろん実の妹ではない。

大都市を二つも擁する県なのに、驚く程の田舎で生まれ育った僕が、小さい頃から何かと目をかけ可愛がり、成長を見守ってきた近所に住む、いや、住んでいた女の子だ。

「すっかり大人になったね。」

「全然!そりゃアイドルやけん少しは化粧もするけど。」

「そうか、ちっちゃいけど色気は…」

「もー!それお兄ちゃんが言えって言ったんやろ!」

また一段と可愛くなったな。

目の前の少女を見て改めて思う。
オーディションを強く奨めて正解だった、と。

「一応、友だちが応募を薦めた事にしとるけど…」

ちょっと不満そうに彼女は言う。

「自分の好きなアイドルがおるグループに私を入れようとする?普通。」

「それは関係ないけどね。でも合格する自信はあったよ。」

「偉そうに!合格したのは私やろうもん!」

心から楽しそうに少女は笑った。

そう、その笑顔があれば何があっても大丈夫。

「で、携帯持ってきた?」

「うん。お兄ちゃんに言われた通り、友だち同士で撮った画像とか自分のコメントとか全部消したよ。」

「ホントに?」

「ていうか、見られて困る写真とか1枚もないけん!」

「ごめんごめん。分かってるよ。」

昨今アイドルが過去の事を掘り返され、理不尽なバッシングに晒される事例を嫌という程たくさん見てきた。

彼女に疚しい過去など微塵も無い事は僕が一番良く知っているが、彼女がいる世界には底知れぬ悪意を持った人々が確実に存在する、と言う事もまた、僕は知っている。

もしこの子が辛い目に遭う事になどなれば、きっと僕は耐えられないだろう。

「じゃあ最終チェック。携帯貸してもらっていい?」

「いいよ。お兄ちゃんなら。」

「ありがとう。」

スマホを素直に差し出す彼女。
僕の事を信じきっているのだ。

女の子らしい可愛いケースのスマホを受け取り、僕は画面を操作し始めた。

「なんもないって。」

「念には念を入れないと。」

「お兄ちゃんは心配性やね~」

僕がスマホを操作している間、白いカップで紅茶を飲みながら僕を楽しそうに見つめている。

頼むからそんな目で見ないでくれ。

何度も止まりそうになる指を必死に動かし、やがて僕は作業を終えた。

「…終わったよ。」

「お兄ちゃん、ありがと!」

いつの間にか客は僕たちだけになっていた。

スマホを彼女に返すと、すっかり冷めてしまったコーヒーを口に運ぶ。

ニコニコしながら自分のスマホを受け取り、しばらく操作していた彼女だったが、その顔が一瞬で凍りつき、みるみる青ざめていくのが分かった。

それでも僕は平静を装いながら、ただ目の前のコーヒーカップだけを見つめていた。

「…ない…ない…。」

必死にスマホを確認する彼女。
その声は小刻みに震えている。

「…全部消したと?」

僕にはただ黙っている事しかできなかった。

「お兄ちゃんの写真、メール、電話番号、アドレス…」

大きな目にみるみる涙が溢れてきた。

「お兄ちゃんが全部消えた!」

彼女は叫び、テーブルに顔を伏せ号泣してしまった。

どのくらいの時が経ったのだろう。

「ゆうちゃん。」

僕は必死に自分を抑え、優しく語りかける。

「ゆうちゃんが入ったのは、多分いま日本で一番人気のあるグループだよね?」

聞いてほしい。

「他のアイドルになりたい子たちが一生懸命に夢を追いかけたり、諦めたりしてる時に、ゆうちゃんは普通の人からいきなりトップアイドルになった。」

僕のせいだ。

「だから、どんな小さいリスクでも見逃しちゃダメだと思う。ゆうちゃんはこれから、そういう世界で生きていくんだから。」

こんなの多分、僕の自己満足でしかないのだろう。
でも、決めた事だ。

さらに時が流れ、ようやく泣き止んだ彼女はテーブルに伏したまま口を開いた。

「…じゃあ…一つだけお願いがあると。」

「いいよ。」

「お兄ちゃん、これからも握手会とかイベント来る?」

「もちろん。」

「…推してくれる?」

「え?」

「時々でいいから私に会いにきて応援して欲しい。」

「それは無理。」

「はぁ~!?」

泣き顔を勢い良く上げ、彼女は僕に精一杯の抗議をする。

「なんで!なんで推してくれんと!」

「だって、推しに代わりはいないから。」

そして、妹のように大切なあなたにも代わりなんていないよ。

決して口には出さないけれど。

「お兄ちゃんって冷たいのか優しいのか…」

彼女は呆れたように少しだけ笑ってくれた。

「でもね…お兄ちゃんが推すのもわかると。まだそんなに話してないけど、あの人は本当に可愛いし優しい先輩やけん。」

「そっか。」

「…じゃあ…最後にもう少しだけお話してもよか?」

「もちろん。」

それから僕たちは努めていつものように色んな話をした。

アピールポイントとして僕がアドバイスした特技の一輪車や、山羊のぶんぞうのエピソードトークの事。

お見立て会やライブの事、テレビ出演、初めてのレコーディングの事。

アイドルとしての活動を一生懸命楽しそうに話してくれる彼女を見ながら僕は思う。

ね、きっと大丈夫。

お兄ちゃんが言うんだから間違いないよ。

そして別れの時。

「…送ってくれんと?」

「外に文春いるかもよ。」

「そこは親戚のおじちゃんでいいやん!」

「そこは…お兄ちゃんにして。」

「あははは!」

ありがとう。

「…じゃあ…行くね。」

彼女は立ち上がりゆっくりと出口へ向かう。

そして扉を開けたところで振り返ると、満面の笑みに涙を浮かべながら彼女は叫んだ。

「絶対後悔するけんね!」

そうだね。それは最初から。

扉が閉まり静寂が訪れる。

喫茶店に独り残された僕は、彼女が残した紅茶の白いカップに目をやる。

そこには恥ずかしげもなく “HELLO” の文字がプリントされていた。




20170509-11