小説コンテストエントリー作品一覧はこちら


ノギザカッション小説コンテスト
エントリーNo4

Traum

8f35c3faa3cd4b8139efcda6d6d82490_s


握り締めていた携帯電話が鳴った。

出ると同時に娘の歓喜の声が聞こえてきた。

「お母さん!受かったよ!私、合格したよ!」


・・・・・・・・・・・・・・・・・


二十数年前、私は、アイドルグループに所属していた。23歳の時、グループのセンターを務め、24歳の誕生日にグループを卒業した。
卒業後、東京で新たに就いた仕事の関係でドイツへ赴任。そこで今の夫と出会い結婚し、娘を授かり、去年東京へ帰ってきた。

ドイツ人の夫は勿論、娘も私が日本でアイドルをしていた事を知らない。
今まで一切その事を誰にも話さなかったし、そもそも、なるべくそういう世界には目を向けさせないように育ててきたつもりだった。

なのに、娘がこんな事を言い出した。

「お母さん、私でもアイドルになれるかな?私、アイドルになりたい」

「…っ!」

一瞬、言葉を失った。

この子の性格上、その場の思いつきや、浅い考えで言ってきている訳ではない事はわかっていた。

でもなぜそんなことを言い出したのかわからなかった。

「どうしてアイドルになりたいの?」

「叶えたい夢があるの。あの子が見る事が出来なかった景色を届けたくて」

「…どういう事?」

まだ私達がドイツに住んでいた頃、娘には、通っていた日本人学校に仲の良い友達がいた。
同い年、性格も揃って内気で人見知り。そんな2人がどういう経緯で仲良くなったのかは分からないが、似た者同士故にお互いに心を許しあっていた。
けど、その子はご両親の仕事が理由で私達より先に日本へ帰ってしまった。

それでも、2人の関係は終わる事はなく、お互いに連絡を取り合い、去年久しぶりに日本で再会したのだった。

2人が再会した場所は病院だった。

その子は日本へ帰って程なく、治療法のない難病にかかり、ずっと病院で過ごす日々を送っていた。

数ヶ月、毎日娘は病院に通っていたが、先日その子は息を引き取ったのだった。

その日からしばらく娘は落ち込んでいたが、今朝、意を決したかの様に

「アイドルになりたい」と言い放った。

「帰ってきて、久しぶりに会った時ね、あの子が教えてくれたの。こんなに長く命がもったのは私とアイドルのおかげだったんだって。私ともう一度会いたいっていう夢と、元気になってアイドルになりたいっていう夢があったから頑張れたんだって。1つは叶ったでしょ?でももう1つは叶わなかった。だから私がアイドルになって私の見てる景色をあの子に届けたいって思ったの。私のたった1人の大切な友達だったから。私に会う為にすごくすごく頑張ってくれたあの子の為に」

「あの子の為にアイドルになるの?自分の為じゃないのに頑張っていけるの?」

「私、昨日まで何も夢が無かった。ただ毎日、流されるみたいに生きてきたの。でもね、あの子のことを考えない日はなかった。私もあの子にまた会いたいって思いながら生きてきたんだよ。そしてやっと会えた。けどすぐに終わっちゃった。それでもまだ、私は終わりにしたくない!一緒に歩いて行きたいって思ったの。そしてそれが私の夢だってハッキリわかったんだよ」

選んだ道は同じでも、食べていくのにも困り果てた結果、アイドルのオーディションを受けた自分とは全く違う、明確な目標をこの子は持っていた。

できるなら事ならやめて欲しい。でも、この子はアイドルになるのが「夢」だと言った。

もう止める理由がないな。

そう思った。

私がアイドルになったのも、きっとこの子がその道を進む為に必要な経験だったんだ。

「人は必要な時に必要な人と会う」

ファンに向けて言った自分の言葉が心の中に蘇ってきた。

「わかった。今まで夢があるなんて言ったことなかったあなたがここまで言うんだもん。頑張りな!お母さんも協力するから!」

「ありがとう!お母さん!」

その日から娘と私の挑戦が始まった。娘は「夢」を叶える為、私は娘の「夢」を叶える為。

歌の練習、言葉の受け答え、豊かな表情の練習。
私が思いつくありとあらゆる、オーディションに合格するために必要だろうと思われることを彼女に教え込んだ。

そして、半年後。ついに大手レコード会社のアイドルオーディションに合格した。

「お母さん!受かったよ!私、合格したよ!」

その声は喜びに溢れていた。

「おめでとう!夢が一つ叶ったね。報告しに行かなきゃ!本当におめでとう!」

緊張が緩み、自然と涙が溢れ出た。

…いや、泣いてなんかいられない。合格したこの瞬間から、この子の戦いははじまってるんだ。これからゴールの見えない、短いようで長い長い戦いがはじまるんだ。

心の中で、不安な気持ちが後から後から湧き上がってくるような感覚があったが、それをぐっと抑え込んだ。

大丈夫、卒業を迎えるその日まできっと私が支えになれるはず。
それまで、この子の為に私ができる事は何だってしていこう。
この先、辛いことや悲しいことが山の様に待ち構えているけど。耐え忍ぶ日々が続いていくけど。
でも死にものぐるいで駆け抜けていけば、いつかきっと報われる日がくる。

私は卒業したあの日に全て報われた。

24歳の誕生日に見たあの素晴らしい景色、そして感動が今でも脳裏に焼き付いている。

「よし。またはじめようか」

私は自分の両頬を軽く叩き、そしてぷくーっと膨らました。

「ふふ。ドイツ生まれのアイドルなんて、なんだか懐かしい響きだなぁ。
そういえば、今も舞台で頑張ってるんだったっけ。久しぶりに見に行ってみようかな。びっくりする土産話もできたことだし」

そんな事を考えていると、いつの間にか心の中にあった不安はなくなっていた。

4cf10ed14d61eff39cd9e69410430311_s