小説コンテストエントリー作品一覧はこちら


第2回ノギザカッション小説コンテスト
エントリーNo6

君と僕は、今日はじめて――
20170903-03

 ――君と僕が付き合いはじめたのは、夏の気配が近づく頃だった。

「好きです。付き合ってくれませんか」

 告白は彼女から。今になって思えば、それは生真面目で融通がきかなくて、とてもまっすぐな彼女らしい言葉だった。

 それに答えた僕の言葉は実にひどい。

「ひ、人違いじゃないですか」

 とても信じられなかった、まさか僕を好きな人がいるなんて。それも、相手は、あの……。

 それは大学に通い、1年が過ぎた時のこと。友だちは彼女をつくり、満ち足りたキャンパスライフを送っている。そんな生活がうらやましかった。でも誘われるがまま合コンに参加しても口下手がたたって、会話に参加できない。隅で愛想笑いを浮かべていることしかできなかった。

 入学してすぐは華やかな大学生活を夢みていたが、現実は男くさい日々。もうこのままでいいや、一生僕は誰とも付き合えないんだ……! そんなやけくそになっていたとき――

 彼女に……山崎怜奈に告白された。

 怜奈の存在は前から知っていた。いや、僕だけじゃない。彼女と同じ科目を取っている学生なら誰もが知っているはずだ。前に所用で怜奈と話した友だちが「やべーやべー!」と連呼していた。あの大きな瞳でのぞかれると、心を射抜かれたような気持ちになるらしい。

 実際に僕も何度か話したことがあるが、とても直視はできなかった。きっとアイドルを前にしてもこんな気持ちにはならないだろう。同じ人間であることが信じられない。それでいて、分け隔てなく笑顔を振りまくのだから、人気が出ないわけがなかった。

 実際、彼女に告白して振られた人がいるのも知っている。そんな彼女が僕に……。人違いとしか思えない。

 しかし彼女は大きな瞳を少しだけ潤ませて言った。

「あなたで間違いないよ。あなたが好きです」

 あのとき、怜奈はそう言って手を差し出した。それは"お願いします"の意思表示。この手を握れば、交際がはじまる。ミス大学に選ばれても何の不思議もない美人と付き合うことができる。

 でも……僕なんかで良いのか……こんな僕と付き合って、彼女は本当に笑顔になれるのだろうか……僕と付き合うことで、無駄な大学生活を送ってほしくない。

 僕はためらった。ためらって、ためらって、ためらった末に、手を握った。





「おまたせっ。待った?」
「だいじょうぶ。全然待ってないよ」

 本当は待ち合わせの1時間前にきたが、それは言わない。怜奈に余計な気を遣わせたくはなかった。こんな自分と付き合ってくれているだけで感謝しかないから。

 今日は彼女の水着選びに付き合う予定だった。来週の日曜日、怜奈の友だちからもらった無料券で、プールに行く約束をしている。そのために怜奈は水着を新調するらしい。正直、女性の水着選びに男がくっついていくのはどうかと思う。目のやり場に困りそうだ。でも彼女のためなら断る理由はない。

「どんなのが似合うと思う?」
「怜奈だったらなんでも似合うよ」

 歩きながら話していると、少しだけ彼女が寂しそうな顔をした。

「どうしたの?」
「ん? なにが?」
「いや……少し顔が曇ってた気がしたから」
「そう? だいじょうぶだよ、なんでもないから」

 いつもこんなやりとりをしている。なぜか怜奈はときどき影のある表情をする。でもその理由は教えてくれない。「だいじょうぶだよ」。その一言で終わってしまう。僕も彼女に嫌われたくないから、深く追求することはしなかった。本当に何かあれば、きっと話してくれる。それを待とうと思っていた。

 店に入り、レディースの水着コーナーに向かう。そこには色とりどりの水着が並べられている。

「わーかわいいー」

 怜奈が明るい声で言って、すぐさま三着を手にとる。

「どれが似合うかな?」

 笑顔のまま、一着一着を体につけて見せてくれた。どれも似合っている。とても選べない。

「怜奈が一番良いと思うのを選びなよ」
「そうなんだけどね」
「僕の意見なんかより、怜奈の気持ちが大事だから」

 彼女はあくまで笑顔だったが、いつもの沈んだ表情が見え隠れした。わからない。こういうときどうすればいいのか。何か聞いても「だいじょうぶ」と返されてしまう。僕に悪いところがあるのだろうか。何も悪いことは言ってないはずなのに。

 彼女は僕を好きだと言ってくれた。僕も彼女が好きだ。どんどん好きになっていく。だから怜奈の気持ちを大事にしたいし、自分の意見なんてどうでもいい。それなのに、なんで怜奈は暗い表情をするののだろう。

 そんなことを考えている間に、怜奈はいつもの表情に戻り、真っ白い水着を取り出した。

「これは……あはは、ちょっと露出が多いな」
 
 そう言ってすぐに戻そうとする。

「ちょっと待って!」

 考えるより先に言葉がでていた。怜奈は水着を戻そうとしたまま驚いた顔をしている。

「あの……ごめん、もう一回見せて」
「う、うん」

 怜奈は水着を体にあて、不思議そうに僕を見た。

「何かあった?」
「すごく似合ってる」
「え? ほんとに?」
「間違いなく」

 その水着は、スカイブルーのビキニ。飾り気は何もない。シンプルなゆえに際どくもあるが、怜奈の白い肌との相性はばっちりだと思う。というより、怜奈が体にあわせた瞬間、背筋に電流が走った。

 この水着を着ている怜奈が見たい!

「うーん……でもちょっと際どくない?」

 しかし彼女は、水着を見つめながら難色を示している。怜奈はこれまで、人に肌を見せることを極力避けてきたらしい。今回も無料券という理由がなければ水着を着ることなんてなかっただろう。それなのに、いきなりビキニタイプではハードルが高いか。

「怜奈が嫌なら別のでもいいよ」

 いくら似合っているからと言って、嫌がる彼女に無理やり着せる趣味はない。自分が一番気に入った水着を着るのが本人にとってもベストだろう。

 けど、残念だな。すごく似合ってるのに。せめて試着だけでも……。いや、だめだ。怜奈が嫌がることはさせたくない。

「でもなぁ、似合ってるって言われたら迷っちゃうなぁ」
「いいんだよ、僕のことは気にしなくても」
「あのね……あなたの意見を聞かなくて、誰の意見を聞くの?」

 怜奈の口調が若干厳しくなる。

「そりゃわたしが着る水着だけどさ。ひとりで全部決めたら寂しいよ。わたしはそういうの嫌だな。だって一緒にいる意味ないもん」
 
 怜奈はそう言って、"いつもの"表情を見せる。

 僕は何も言えず、その場で黙す。嫌われたくない。嫌ってほしくない。でも怜奈を悲しませている原因がわからない。僕はただ、怜奈のためを思って、自分の意見を抑えたつもりだった。彼女が望むのなら、僕はなんだって受け入れる。それなのに、なんでそんなに悲しそうな顔をするのだろう。

 わからない。わからない。

「今度ひとりで見てくるね。付き合わせてごめん」

 怜奈は水着を元の場所に戻し、僕に背中を向けて店の外にでる。

 その後は気まずい沈黙のなか、軽い食事を済ませ、駅で別れた。

 別れ際、怜奈は寂しそうに笑って言った。

「わたしたち、本当に付き合ってるのかな?」







 プールサイドに腰かけ、足を水につける。肌の焼ける音がしそうなぐらいの炎天下。プールの水も生温かく感じる。

 先に入ってしまおうか。

 そう思ったが、暑いのは彼女も同じ。一緒にプールに飛び込んでその気持ちよさを共有したかった。

「やっぱり女の子は時間かかるよなぁ」

 目の前で女子高生ぐらいの女の子たちが遊んでいる。目が合いそうになったので、慌てて空を見上げた。

 すべての悩みを吸い込みそうな青空が広がっている。

 本当なら、清々しい気持ちで今日を迎えられたはずなのに……、僕の気持ちはこの空とは裏腹に、どんよりと曇っていた。

 あの水着選びのときから――。

 僕たちの関係は明らかに変わった。毎晩SNSで連絡を取り合っていたのがパタリと止まり、学校帰りに落ち合うこともなくなった。正直、僕はもう諦めていた。

 怜奈と僕は釣り合わなかったんだ。彼女を知れば知るほど、その人間的な魅力と底の知れない美しさにひかれていった。きっと彼女は何年、何十年たっても素敵な女性で在り続けるのだろう。そんな素敵な彼女と僕がどう考えたって対等なはずはない。

 怜奈には幸せになってほしい。でも僕と一緒にいては幸せになれない。だったら……別れるしかない。きっと怜奈も同じ気持ちなのだろう。怜奈がなぜ僕を避けはじめたのか。直接の原因は分からないが、そりゃそうだと納得もできる。

 僕が彼女を知れば知るほど好きになったように、彼女は僕を知れば知るほど嫌いになった。きっとそれだけのことだ。

 そんな折、怜奈から久しぶりの連絡がきたのは、プールに行く前日だった。てっきり僕は、そのデートのキャンセルの連絡だと思った。

<明日楽しみだね。遅刻しちゃだめだよ!今日は早くに寝ること。わたしも寝るから、一緒に寝よ?おやすみなさい。れな>

 それは前と変わらぬ怜奈の文章だった。彼女はなぜか文章の最後に"れな"と付ける。それが彼女の癖らしい。

 しかし、こんな状況でどうして行くことを決めたのだろうか。

 ……ああ、そうか。この関係を絶つ覚悟が決まったのか。

 告白をしたのは怜奈からだった。とすると、振るのも自らと考えているのだろう。怜奈にはそんな几帳面なところがあった。筋は必ず通す。しかし時として、その"筋"が彼女にしか見えていないことがある。そういうとき、周りは彼女の一途さを、揶揄を込めて頑固と言う。けど、その頑固さこそ、彼女の長所に他ならない。

 以前、怜奈に「そんな性格が好きだよ」と話したとき、彼女はとても嬉しそうに笑ってくれた。

 でもそんな幸せな時間は終わる。僕のせいで。彼女は何も悪くない。僕が不甲斐なかっただけだ。一時でも夢を見せてくれて感謝の気持ちしかない。

 そう、感謝の気持ちしか……。

 思わず涙が浮かびそうになった。だめだ、泣いていたら怜奈の決心が鈍ってしまう。彼女がきたらすぐにプールに飛び込んでごまかしてしまおう。

「遅くなってごめんね」

 ――きた!

 僕は、だいじょうぶだよ、と振り向かずに答え、プールに飛びこもうと――、

「慣れない水着だから大変だったんだよ」

 照れたような声に反射的に振り返る。

「どう、かな?」
「あ、あ、うん、うん」
「ちょっと。意味わからないよ」

 笑い顔の彼女を見ながら、頭の中で文字が飛び交う。かわいい、似合っている、セクシー、……好き。でもそのどれもが言葉として形にならない。衝撃のあまり言葉が出ないなんてはじめての経験だった。

 怜奈の水着は、あのときの、スカイブルーの水着だった。

「あのさ、恥ずかしいからそんなに見ないで」
「あ、ごめん……」

 謝罪の言葉はすぐに出た。僕はプールサイドに座ったまま正面を向く。その背中にぴたりとくっつくものがあった。心臓が跳ね上がる。おもわず逃げ出しそうになる体を怜奈の言葉が引きとめた。

「そのまま聞いて」

 僕と怜奈は背中を密着させていた。彼女の素肌に触れるのは、これがはじめて。まるで、触れた部分がとろけてしまいそうな肌触りに心がざわめく。背中だけなのに、なんて気持ちがいいのだろう。同じ人間の肌とは思えない。

 しかし、そんな夢見心地も怜奈の放った一言で崩れ去る。

「あなたの好きなところと嫌いなところを言います」
「え……急にどうして」
「いいから聞いて」

 ぴしゃりと言われては黙るしかない。

「好きなところは、優しいところです」

 背中をあわせているので顔は見えない。淡々と怜奈は続ける。

「嫌いなところは、優し過ぎるところです」

 ……優し過ぎる?

「わたし、わかってたよ。全部わかってた」

 怜奈は静かにそう言う。先ほどまでの棒読みではなく、感情がこもっている。今、怜奈は、笑っているのだろう。笑った彼女の顔を想像して、愛おしさがあふれ、背中が熱くなる。汗ばんだ肌を密着させたままは悪いと思い、少し身を引く。しかし怜奈は逃がしてはくれなかった。またピタリとくっつく。

「そういうところだよ」
「……?」
「優しいところ。そして、優し過ぎるところ」

 怜奈は静かに言葉を紡いでいく。

「あなたはいつも、わたしのことを想ってくれている。告白したときからそれは変わってない。あのとき、すごくためらって答えてくれたのも、あなたの優しさだったんだよね。それはすごく嬉しいよ。真剣に考えてくれてるんだってわかる。大事にされてるって実感できる。でもね、わたしだって、あなたのことを想ってるんだよ。あなたが喜んでくれるなら、わたしはなんだってできる」

 ……同じ、だ。相手のためならなんだってできる。同じことを考えていた。

 でも。

「それは嬉しいけど、怜奈と釣り合う人間じゃないよ、僕は」
「わたしはあなたが好き」
「……」
「それ以上の理由が必要?」
「怜奈は僕なんかと」
「"なんか"って二度と言わないで」

 背中が震えた。彼女の感情が伝わってくる。それは紛れもない、怒り。

「あなた"なんか"を好きになったんじゃない。あなた"だから"好きになったの。もし、わたしを本当に想ってくれるんだったら、もっと自信をもって。わたしが好きになったあなた自身を」
「怜奈……」
「あなたのこと、もっと聞かせてほしい。あなたの気持ち、もっと伝えてほしい。わたしもちゃんと言う。一方通行ばかりじゃ、嫌。そんなの付き合ってるとは言えない。だから、あなたの今の気持ち、正直に教えて」

 怜奈はそう言って言葉を終えた。僕の言葉があるまで待つつもりだろう。

 今まで僕は、怜奈を一番に想って行動していたつもりだった。彼女の望みを最優先する。自分の意見を押し付けない。それが彼女にできる唯一の愛情表現だとすら考えていた。でもそれは違った。付き合っているのなら、彼氏彼女の関係ならば、対等でなくてはいけない。押し付けるのではなく、押し付けられるのでもなく、ふたりで考え、悩み、一緒に足を踏み出す。

 それが付き合うということならば、

「その水着、すごく着てほしかった。ありがとう。わがまま聞いてくれて」

 本音で話そう。本音が通るかどうかが大事じゃない。本音を相手に伝えるのが大事だと、君が教えてくれから。

 怜奈の背中が少しだけ震えた。今度は怒りではない。暖かな気持ちが背中から背中に流れ込んでくる。

「すごく恥ずかしかったんだぞ」
「最高に似合ってる。もう夏が終わってもいいぐらいに幸せだよ」
「ばか」

 彼女の手が視界に入った。僕の腰のすぐ傍にある。その手に自分の手を重ねた。今までだったら、「嫌がるかもしれない」と遠慮して触れられなかった。でも本音を伝える大切さを知った今なら、ためらいなく行動に移せる。

 背中合わせで繋いだ手は、肉体の壁を越え、心を重ねてくれた。

 僕はひとつ息をはき、先ほどの怜奈と同じことを言う。

 ここから、はじめるんだ。間違いは、ここで正そう。もう、ひとりで歩かせない。ふたりで歩くんだ、たった今から。

「怜奈の好きなところと嫌いなところを言います」
「どうぞ」
「好きなところは、まっすぐなところです。嫌いなところは、まっすぐ過ぎるところです」
「うん」
「でも、そのままでいてほしい。冗談が通じなくて怒るところも、考え過ぎてしまうところも、感情がすぐ表にでるところも、だいじょうぶじゃないのにだいじょうぶと言うところも、胃もたれ過ぎるぐらいにあざといのも、全部怜奈の魅力だから。そんな怜奈が、大好きだから」
「あざとくないし……それにわたしのほうが嫌いなところいっぱい言われてる気がするんですけど」
「あ……ごめん」
「ううん、嬉しいよ。やっと本当のこと、言ってくれたね」

 怜奈は立ち上がり、僕のほうを向く。本当にまぶしいぐらいに、水着がよく似合っていた。

「だからあんまり見ないでって」
「無理だよ。ずっと見ていたい」
「もー。よくそんな恥ずかしいこと言えるね」


 ――君と僕が付き合いはじめたのは、夏の気配が近づく頃だった。


「怜奈。ひとつお願いしてもいいかな?」
「なに?」


 ――そして、うだるような夏の暑さのなか、


「今日、家にこない?」
「……」
「嫌、かな」


 君と僕は、今日はじめて――


「ううん……行く」
「ありがとう。強引だったらごめん」
「そんなことないよ。ずっとね…行きたかったから……」

 
 ――"恋人"になった。


<END>

20170903-02