【注意】
この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。また妄想成分が多大に含まれていますので、閲覧にはじゅうぶんご注意ください。

20171009-01



プロローグ<君は僕と会わない方がよかったのかな

"君僕"最終章
前編<嫉妬の権利

中編<不等号



"君僕"最終章
-後編-「大人への近道」





「――って、おい!」
「なぁに?」
「いや、その、なんだ……」
「はっきり言ってくれないとわからないよー」
「付けないのか?」
「ん?」
「リボン……。箱に閉まったけど……」
「あー……うん、今は付けないかな」
「…… 気に入らなかったのか。悪いな。捨ててくれ――」
「え? ええ? 違う、違うよ! すごく気に入ったよ!」
「だったら、なんで……」
「あのね、今は付けたくないの」
「どういうことだ?」
「だって、たっくんからはじめて貰ったものだから……」
「……」
「はじめて付ける瞬間もね、大切にしたいの」
「……それって、いつ」
「うん……このリボンを付けるときはね、」





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 震える日芽香を部屋に入れた巽は、彼女をコタツに入れ、毛布を肩にかける。巽の部屋は、実家の親に尋ねたらしい。幼なじみの日芽香ならば、親も疑問に思うことなく教えるだろう。

 お湯でコーンスープの粉末を溶かしながら、日芽香に尋ねる。

「腹へってないか?」

 何も言わずに頷く日芽香にコーンスープの入ったカップを渡すと、彼女は手を温めるように、両手でカップを包み込む。
 
 巽は日芽香の正面に座り、まじまじと彼女の顔を見た。こうやってふたりっきりで話すのは何時以来だろうか。確か、スキャンダルが発覚し、日芽香が地元に帰ってきたときに会ったのが最後だったはず。

 あれから日芽香はアイドルの階段を駆け上がり、乃木坂46の中元日芽香といえば、その道ではかなり有名な存在になった。

 そんな日芽香が目の前でコーンスープを飲んでいる。決して手の届かない、手を伸ばしてはいけない存在になった幼なじみを前にした巽は、おもわず吹き出してしまった。

「どうして笑うの……?」

 生気が抜けた顔をしていた日芽香は、小さく頬を膨らませる。

「いや、悪い悪い。本当に何も変わってないって思ってな」
「だから言ったでしょ。わたし、変わってないって」
「でも握手会のときのひめは、まるで別人みたいに見えたぞ」
「そう?」
「自覚ないのか?」
「だって、わたしはわたしだもん」

 まるで兄妹のように仲が良かった頃、日芽香はいつも巽の後ろにいた。幼い日芽香は、泣き虫で、でも負けん気が強くて、そしていつも笑っていた。いつからだろうか。そんな日芽香が前を歩くようになったのは。

 今、思えば、あれは思春期特有の過ちだったのだろう。日芽香に恋心を抱いたときから、ふたりの関係にほつれが生まれた。巽は意図的に日芽香を避け、日芽香もまた巽に近寄らなくなった。いつまでも幼いままではいられない。成長することは別の道を進むことだと思った。

 しかし年を取り、相手への想いが明確になったとき、日芽香はアイドルに、想いを伝えられない存在になっていた。

 変わったと思った。変わってしまったと思っていた。でもそれは「思い込み」だったのかもしれない。そう思うことでこの現実を受け入れようとしていたのかもしれない。けど今、目の前にしている日芽香は、あの頃のままの「ひめ」だった。

 ずっと感じていた壁が消えた。日芽香は何も変わっていない。壁なんてもともとなかった。

 でも……ふたりの間にある壁は消してはいけない。日芽香がアイドルである限り。巽は改めて強くそう思った。

「アイドルのひめと、今のひめ。どっちが本物なんだろうな」
「だから……どっちもわたしだよ」
「ああ、わかってる。ひめはひめだよな。やっとそれに気づけたよ」

 ボタンを掛け違えたのは、ずっと昔。素直な気持ちを隠してしまった、あのとき。

「俺、やっぱりひめが好きだ」

 日芽香が何か言いかけたのを、巽は手で制する。

「だから、ひめが悩んでいたり、苦しんでいるのを見るのは辛い。なんとかしてやりたいと思う。でも、それをすることが、一番ひめを追いつめることになる」
「……そう、だね」
「俺たちは幼なじみだ。仕事で壁にぶちあたって幼なじみに相談するのは何も悪いことじゃない。そんなのでとやかく言うやつは放っておけばいい」

 けどな、と巽は続ける。

「ひめに頼られると辛いんだよ……何もできない自分が惨めになる。それに、俺たちがどんなによくても、周りが納得しなければ、ひめの仕事に影響がでるだろ? それが一番辛い。だから俺は何もできない」
「……ごめん」
「さっき言ってたよな、何も変わってないって」
「うん」
「確かに変わってないよ、俺もひめも。子どもの頃のままだ。俺に頼りたい気持ちは嬉しいよ。わざわざこの場所を調べてまでな。でも……それじゃダメだ」

 そう、だめなんだ。今のひめに一番必要なのは自分じゃない。自分に頼る限り、ひめは子どものままだ。それじゃ、辛いことがある度、子どもの頃に戻ってしまう。甘えが許された世界。なあなあで進行する世界。

 そこから抜け出すのは、今だ。

「だからな……」

 巽は日芽香をまっすぐ見る。

「変わろう。ふたりで」

 日芽香は困惑した表情を見せる。

 巽はその日芽香に真剣に問いかけた。

「次の休みはいつだ?」
「え……あさってかな」
「よし、それじゃその日――」

 巽は日芽香の手をとり、はっきりと告げた。

「デートするぞ」





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 その日は文句なしの快晴。絶好のデート日和に恵まれた。巽はコーヒーを飲みながら、そりゃそうだよ、とひとり納得する。

 待ち焦がれたデートなんだ。天気にだって祝福してもらわないと困る。

 待ち合わせ時間まではまだ30分ほどある。でもこのぐらいでちょうど良いと思った。きっと相手も同じぐらい早くくるだろう。

 ……ほら、もう来た。

 巽は周囲にばれないようほくそ笑みながら、待ち合わせの相手を見た。花柄のワンピースに淡いピンクのコートを羽織っている。ツインテールを辞めたからか、とても大人びて見えた。多少はオシャレをしてきたのだろうか。

「普段のままでいいって言っただろ」

 巽は苦笑して言う。

 "遠くにいる"日芽香に向かって。

 その遠くにいる日芽香が携帯電話を取り出すのが見えて、すぐ巽の携帯が震える。巽は口元を隠すようにして電話を取る。日芽香の元気な声が聞こえた。

――おはよう! 天気いいね!
「俺たちを太陽も祝福してくれてるんだよ」
――なにそれ? らしくなーい。
「うるせぇ」
――もしかして緊張してる?
「なんで俺が緊張するんだよ」
――だってデートはじめてでしょ? あ、もしかしてわたし以外としたことある?
「……ばーか。はじめてに決まってるだろ」
――うん。よかったー。
「ひめはどうなんだよ?」
――どうだろうねー。わたしも大人になったからなぁ。
「なんだ、ひめもはじめてか」
――え、なんでわかるの?
「バレバレなんだよ。昔っから嘘つくの下手だっただろ」
――えへへ、たっくんに嘘はつけないなぁ。

 巽は、軽く息を吐き、優しく言った。

「今日は楽しもうな。自然体で。今を忘れて。昔に戻って」
――うん。

 そして、決して近寄らない奇妙なデートがはじまった。



 まずは日芽香が見たい映画を見に行く。映画館へ彼女が先に入り、購入した席の番号を巽に伝える。どこで誰に見られているかわからない。巽はなるべく日芽香から離れた席を購入した。

 上映終了後、映画館から出た日芽香から早速電話がかかってきた。「おもしろかったね!」そう言う日芽香に曖昧に頷く。正直、内容が全然頭に入っていなかった。「もー。寝てたんでしょ。映画館で寝るなんて最低だぞ」。唇を尖らせて怒る彼女を想像して巽は苦笑する。

 ずっと……ずっとひめの後ろ姿を見てたんだよ。その言葉は口に出さず。

 お昼は流行りのパンケーキのお店に行った。見事なまでにカップルと女性だらけ。「うわー、場違いだよー」。日芽香から"メール"がくる。「俺だったら場違いだけど、ひめなら大丈夫だろ?」。パンケーキ店の隣にあるファーストフード店でハンバーガーをかじりながら返す。さすがに他人のフリをして同じ店には入れなかった。

 個室の店を予約して、そこでふたりで昼食をとることも考えたが、それこそ、その後に別れるのがつらくなってしまう。

 日芽香から実況中継のようにメールが飛んでくる。かわいい、おいしい、お腹いっぱい、幸せだよ……。巽はパンケーキを食べる日芽香の表情が手にとるようにわかった。

 きっと、泣きそうな顔してるんだろうな……。

 巽は日芽香にメールを打つ。

「幸せそうな顔が想像できるよ」――。「でしょー! すっごく幸せだもん!」――。

 大人になって、日芽香がアイドルを辞めれば、いくらでも一緒にいれる。でも、それじゃダメなんだ。今は今しかない。日芽香にはまだまだがんばってほしい。でも今の日芽香と思い出を作りたい。そのふたつの相反する願いを叶えるためには、こうするしかなかった。

 日芽香のため。それは詭弁だ。このデートは俺自身のわがままでもある。

 いつまでも、幼なじみで彼氏面しないように。

 今の自分と日芽香の距離を確かめるために。

 そして、日芽香の想いにたった一度だけ答えるために。

 このデートは必要なものなんだ。



 それから服を見て、商店街で食べ歩いて、夕日が辺りを染めた頃、日芽香から申し出があった。

――あのね、ひとつだけ、わがまま言っていい?
「ああ、なんでもいいぞ」

 巽は即座に返す。今日は日芽香の言うことは何でも聞くつもりだった。しかし彼女の要求に表情が固まってしまう。

――プリクラ、撮りたいな。

 それは……。

 巽は拒否の言葉を必死で呑み込む。ここまでうまいことやってきたのに、最後の最後で日芽香に悲しい想いをさせたくない。しかし一緒にプリクラは撮れない。それこそ、こんな回りくどいやり方でデートをした意味がなくなってしまう。

 ……いや、だいじょうぶか。

 ここまで日芽香に気づいた人間はいない。自分が考え過ぎているだけで、堂々としていれば、周囲にばれないのかもしれない。それに賭けてみるか。

 でも、もしばれたら……そのときはどう切り抜ける? マネージャー? スタッフ? そんな嘘で誤魔化せるか。そもそも素性が誰であれ、「男とプリクラを撮る」こと自体が問題となる。そのとき俺は責任を取れるのか。

 取れるわけ……ない。

「悪い、ひめ。一緒には無理だ」
――うん。それはわかってるよ。だから別々に撮ろ?
「別々に?」
――そう。わたし、左半分を空けて撮るから。たっくんは右半分を空けて。

 それは切ない申し出だった。相手のいないプリクラ。不自然に空いたスペースに相手はいない。それでも、日芽香が望むのならば、巽に断る理由はなかった。

 まず日芽香がプリクラを撮り、その10分後に巽が同じプリクラ機の前に立った。中には男性立ち入り禁止のコーナーがあったが、このプリクラ機だけがそのコーナーの外に置かれている。しかし男ひとりで撮るのは異様な光景なのだろう。周囲から奇異の視線を感じた巽は、慌てて中に入る。

 慣れない手つきでタッチパネルを操作し、ようやく撮影を終える。外で出来上がりを取り、ゲームセンターを後にした。

 巽は自分ひとりが写ったプリクラを見ながら、日芽香に電話する。もう辺りは暗くなっていた。

「撮れたぞ」
――ちゃんと半分空けた?
「ああ。だいじょうぶだ」
――よかった。いつか一緒に、

 日芽香はそこで一瞬止まるも、すぐに明るく続ける。

――宝物にするからね。
「俺も大事にするよ」

 隣に日芽香がいると思って。心でそう付け加える。

――あー、今日は楽しかったなぁ! 選抜とかで悩んでたのがバカらしくなっちゃった!
「いや、それはまじめに考えろよ」
――えへへ。いいのいいの。わたし、考え過ぎちゃうから。少しお気楽のほうがいいんだよ。
「考え過ぎるのが、ひめの良いところなんだよ」
――ありがとう。本当にありがとう。わたし、まだがんばれそうだよ。
「それは良かった。無理に付き合ってもらった甲斐があったな」
――無理なんかじゃないよ。たった一度の人生だもん。若いうちにデート経験できて嬉しかった。

 そこで日芽香は言葉を切り、大きく息を吸った。

 巽は直感する。一日だけの"普通"は、ここで終わるんだ。

 今ここで、俺たちは"殻"を破り、生まれ変わる。


――これが今日最後のお願いです。


 大人への近道なんて、きっとどこにもない。

 くだらないぐらいに遠回りして、馬鹿らしいぐらいに傷ついて、呆れるほどに泣きながら、大人になる。

 そう、これで日芽香と俺はやっと、「大人」になるんだ。



――わたしの、中元日芽香の、ファンになってくれませんか?



 ファンになる。その重みを巽は知っている。アイドルとファン。その関係性を巽は知っている。

 だからここで一度、幼なじみを捨てる。自分はこれから、ファンになる。


 ありがとな。

 最後にそう言ってくれて。

 ……。

 応援するよ、ファンとして。

 ……。

 さよなら、"ひめ"。

 ……。



「もちろんだ。


全力で応援する。


だから、がんばれよ、

……。


"ひめたん"」



 えへへ、ありがとう。

 その言葉の向こうに、間違いもなく、日芽香の笑顔が透けて見え、巽は笑いながら、涙を流す。

 大人への階段を登る音がした。







 ――そして、乃木坂46の15枚目シングル選抜。そこに中元日芽香は選ばれた。



 そのとき、巽は――。




エピローグ「僕は君に会えてよかった」につづく