【注意】
この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。また妄想成分が多大に含まれていますので、閲覧にはじゅうぶんご注意ください。

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――これは、わたしたちが、わたしたちを見つける、わたしたちの物語。


小説<乃木坂>

第4部【制服のマネキン】


第4話「やさしさなら間に合ってる」 

※目次はこちら  





「おまたせ!」

 深川麻衣は生徒会室にかけ込んでくるなり、傷を負った秋元真夏の元に向かう。額の傷口に手をかざすと、その部分が淡い光を放ちはじめる。光が消えたとき、傷口は跡形もなくなっていた。

「これでよしっと。他に痛むところある?」
「だいじょうぶだよ。ありがとう、まいまい」

 深川と真夏の様子を、桜井玲香は生徒会長の椅子に座って眺めていた。

「これが……力、か」
「まいまいの力は【癒(ゆ)】。ゲームでいうところの回復呪文みたいなものかしら。まいまいの場合、存在自体が癒しだからぴったりの力ね」

 桜井のひとりごとに、隣の中田花奈が答える。桜井はため息をつきながら目元をおさえた。

「現実離れし過ぎて何が何やらだけどね」
「でも紛れもない、これは現実よ」

 そう言って中田は深川のもとに近寄る。

「おつかれさま」
「うん。続けて力を使ったからちょっと疲れちゃった」
「続けて?」
「来る途中にね、ひとり治してきたの」

 中田は怪訝な顔つきになる。深川が力を使ったということは、深川の力を知る存在だ。

 誰を治したの?

 その言葉は、慌しく現われた人物によってかき消される。

「いきなりなに! わたしもう帰るところだったんですけど!」

 怒りながら生徒会室に入ってきた星野みなみは、怒りそのまま中田に詰め寄る。中田は深川を待つ間に星野へ連絡をして、この場所にくるように呼び出していた張本人だった。

 頬を膨らませる星野に動じることなく、中田は軽く笑いながら言う。

「そうやって怒りながらもちゃんとくるのが、みなみらしいわよね」
「なによそれ」
「みなみらしいってこと」
「わけわかんない」
「まあいいわ。呼んだ理由、わかってるんでしょ?」
「……はぁ。わかってるわよ。で、だれをやればいいの?」

 中田は桜井に目を向ける。

「玲香。今から、みなみの力であなたの呪いを解除するから。もしかしたら嫌な記憶も蘇るかもしれない。一応覚悟しておいて」
「でも、みんなは記憶が戻ってもだいじょうぶだったんでしょ?」
「わたしたちはね。ただ消された記憶が同一とも限らない。何を思い出すのかは、その人次第よ」
「怖いなぁ……」
「我慢して。思い出した記憶の中に真相があるかもしれないから。それに真夏から話を聞くのも、きっと記憶が戻ったあとのほうが良いと思う」
「わかったよ。やっちゃって」

 桜井はぎゅっと目をつぶる。それを見て、中田が星野にひとつ頷く。

「あーあ、めんどくさーい」

 星野はそう愚痴りながら、桜井に近寄り、その肩に手を置いた。

「はい、やるよー」

 緊張感のない言葉とともに、星野は【除】の力を使う。

 ……。

 ……。

 ……。

 桜井が目を開く。その瞳からは涙があふれていた。

 生徒会室に集う面々が、桜井に視線を送る。しかし桜井はその誰とも目線をあわせることなく、虚空を見つめ、まるでそこにいる誰かに話しかけるようにつぶやいた。

「わたし……わたし、ちゃんと言ってない……」
「玲香?」
「ありがとうって。ごめんねって。大好きって……ちゃんとあなたに伝えてない……」

 桜井は見えない誰かに手を伸ばす。

 そして、彼女の名前を呼ぶ。


「若月……」





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 あ……。

 高山一実は地面にぺたりと座り込み、左の頬に触れる。生温かい。手のひらを見る。真っ赤だ。これはなに? ああ……自分の血だ。血は見慣れていると思う。だからなのだろうか。動揺はなかった。膝下まであったはずのスカートも膝上まで割かれている。露出した太ももからも、血。血。血で染まったわたし。真っ赤なわたし。空も街も学園も、みんな同じように赤く染まっている。

 帰り道、男の子に出会った。突然、闇に呑まれた。気づいたら、ここにいた。全部赤い世界。

「恐怖でおかしくなったのかい? だめだよそれじゃ。もっと乱れてくれないとつまんないよ。それとも、まだ痛めつけてほしい?」

 遠くで声がする。男の子。笑っている。何がそんなにおかしいんだろう。でも、わたしを見て笑ってくれるなら、それは嬉しいかな。自分のことなんてどうでもいいんだ。ただ、誰かに笑ってもらえるなら、誰かが幸せになってくれるなら、わたしはどうなってもいい。だってそうでしょ? 笑ってもらえたらさ、こんなわたしでも誰かを幸せにできたって思えるんだから。 

 ――かずみんのバカっ!

 高山は脳裏に響いた怒鳴り声に、血に染まった唇を笑みの形にする。

 ああ……この話をなぁちゃんにしたとき、なぁちゃんすごく怒ったな。普段あんまり怒らないからびっくりしちゃった。もっと自分のこと大切にしなきゃダメだよ! 確かそう言ってた。ははは……なぁちゃんがそれ言う?って話だよね。なぁちゃんこそさ、自分を大切にしてほしいよ。ひとりで全部抱えこもうとするんだもん。もっとわたしのこと頼ってほしいな。なぁちゃんのためなら、わたしなんでもする。本当だよ? だってわたし、なぁちゃんの親友だもん。

「へぇ……こんな状況でも笑うんだ。おもしろい人形だね、きみは」

 びゅんっ、と音がする。左の腕が割ける。血が流れる。痛みではなく熱さが襲ってくる。刀で斬られるってこんな感じなのかな……高山はぼんやりと思う。決して致命傷ではないが、度重なる攻撃と、現実離れした世界に冷静を保てなくなっていた。頭をよぎるのは西野との思い出ばかり。それだけ彼女との思い出が高山にとっての宝物だった。

 おかしいな、たった数年しか一緒にいなかったはずなのに。まるで一緒の人生を生きてきたように思える。もしかしたら前世でも親友だったのかな。それなら嬉しいな。

 誰もいない、赤く染まった世界。

 このままここで、消えていくのだろうか。来世でまた会えるだろうか。

 怖さはない。怖いと思う気持ちすら湧き上がらない。

 ただひとつ思うのは、もう一度、親友に会いたい。

 そして言いたかった。

 もっと……もっとわたしに頼って……わたし、ちゃんと応えるから……。

「あーあ、もう終わりか。体は壊さないように気をつけたのになぁ。心が壊れて遊べなくなるなんて、人形失格だよ、高山一実さん」

 音が消えた世界。自分の心臓の音がやけにうるさく聞こえる。

 そんな高山の耳に、とんっ、と小さな音が聞こえた。

 誰もいないはずなのに……高山はそちらを向き、目を見開く。

「なぁ……ちゃん?」

 西野七瀬が立っている。こちらを見ている。幻だろうか。手を伸ばす。幻でもいい。最後に触れられば、それで……。

「かずみん」

 西野が手をとってくれた。小さくて柔らかくて暖かい。でも、だめだ。今のわたしの手は血で汚れている。なぁちゃんの綺麗な体を汚したくない。

 高山は手を引こうとするが、西野はその手を強く握り返す。

「なぁちゃん……最後に会えてよかった」
「すぐ治すから。ちょっと待っててな」
「ねえ、なぁちゃん」
「痛むやろ? じっとしてて」
「あのね」
「かずみん、静かに」

 高山は話し続ける。もうこれが最後だと思い込んだ高山は、西野に思いの丈をぶつける。

「わたし、なぁちゃんみたいにね、強くないんだ。輝いてもいない。もしもね、アイドルグループがあったら、なぁちゃんはセンターだよ。でも、わたしはなれないと思うんだ……」

 目を閉じてつぶやく高山を、西野は涙を浮かべて見つめた。

「それでもいいんだ。わたしはなぁちゃんが輝いてる姿を見れればそれで幸せだから」

 でも……。高山の目が開く。

「わたし、ひとつだけ、すごく自信があるの。自慢してもいい?」
「うん……」
「わたし、なぁちゃんを絶対に守れる。絶対だよ。だから頼って、いいんだよ」

 そう言って高山は笑顔を見せる。唇から一筋の血が流れ、そして高山は意識を失った。

 西野は高山の手を静かに地面に置き、ゆっくりと彼女の体を横たえる。息はある。傷も致命傷ではない。心が完全に壊れる寸前、自衛のために気を失ったのだろう。その最後の瞬間に高山が言った言葉。偽る必要のない今だからこそ現われた本音。それを噛み締め、西野は立ち上がる。

 こんなときまで人に優しくできるなんて、すごいよ。でも、あなたの優しさ。それはもう、間に合ってるから。そう言ってあげたい。お願い、自分に優しくして……。人に向ける優しさを自分に向けて。

「ねー、聞いた? 今の言葉」

 からかうような声に目を向ける。歪な笑みを見せる男の子。グレーのハーフパンツをサスペンダーで留めている。ちょっとオシャレをした小学校の入学式のような雰囲気だった。

 聞かなくてもわかる。高山をこんな目にあわせたのは、こいつだ。そして、自分と秋元の間に急に現われ、傷を負わせたのも、こいつ。

「力もないただの人形がさ、君みたいに優れた人形をどうやって守れるって言うのさ。おもしろいこと言うよ、まったく」
「みっつ」
「は? なにさ?」
「みっつ間違ってる」

 西野は気然とした眼差しで相手を睨みつける。

「ひとつ。かずみんは人形じゃない。ふたつ。わたしは優れていない。みっつ。かずみんは今もわたしを守ってくれてる」
「は……あははは。西野七瀬さん。君もおもしろいなぁ。"自分が人形じゃない"ことは否定しないんだ」

 相手の言葉を聞きながら、西野はこの状況をどう打開するかを考えていた。ここはいつもの世界ではない。日常とは隔離された、"本物の世界"。ここから抜け出すためには、ここにきたときのように、自分の力で壁を越える必要がある。

 しかし、この相手がそう簡単に逃がしてくれはしないだろう。

 助けも期待できない。自分の力でしか、この世界にくることはできない。

「そうだ。自己紹介してなかったね。そこの人形……おっと失礼。高山一実さんとは短い付き合いになるから言わなかったけど、君とは長くなりそうだから。僕は"ハル"。ハルくんって呼んでもらえると嬉しいな」

 男の子――ハルはそう言って深々とお辞儀をする。

 それにしても、このハルという少年は何者なのか。今までと違うことが起こりすぎている。いったい何がはじまっているのか。心の中にいる"彼"に聞いても何も答えてこれない。ただ、「高山が襲われている」と言われ、場所を伝えられただけ。途中、深川に傷を癒してもらい、すぐに世界を越えてきた。

 秋元の言葉を思い出す。

<「アンダーによって世界が消滅する。それを防ぐために手を貸してほしい」>

 ……。

「ハル。あなたはアンダーなの?」
「ハルくんだよ」
「……」
「まあいいや。そう、君たちの言うアンダーさ」
「アンダーとは、なに? なにをしようとしてるの?」
「アンダーは下の存在さ。でも劣っているから下なわけではないよ。下で支える土台とでも思ってもらいたいな。ボクたちのしようとしていることは簡単。もう土台は飽きたからさ。今まで上でのうのうと過ごしてきた君たちと交代したいだけだよ」

 つまり。ハルは一本指を空に突き上げたあと、その先を地面に向ける。

「土台の交代。今度は君たちが下に、アンダーになるんだ。いつまでも上にいられるわけないんだから。自然の流れだよね」

 ハルはそう言って、また指を空に向けた。同時に、西野の周囲の地面が盛り上がり、人の形をつくっていく。

「人形には人形の相手をしてもらおうかな。西野七瀬さん」

 "土人形"は見る見る間に量産され、西野の四方を埋め尽くす。大きさは中肉中背。人の形をしているだけで目も鼻も口もない。ただ人の形をした何かがゆっくりと迫ってくる。

 西野は倒れた高山に触れ、その場から逃げだそうとする。力を使えば瞬間で移動できる。

 しかし――。

「――っ!?」

 いつも通りに力を使おうとしても、何も起こらない。何度ためしても駄目だった。

「あー、そうそう。君の力、【越(えつ)】は封じさせてもらったよ。どうやって? 教えるわけないでしょ。それよりも、このままだと土人形にやられちゃうよー、あ、でも安心して、殺しはしないよ。死んだほうがましってぐらいのことはされるかもしれないけど。あははははは」

 土人形に阻まれ、ハルの表情は見えない。ただ哄笑だけが響いている。

 力を封じるなんて、一体何をされたというのか。いや、そんなことよりも、今はこの窮地を脱しなければ。でもどうやって。高山を背負って、一か八か駆け抜けてみるか。……無理だ。まるで壁のように立ち塞がっている。逃げ出す隙間はない。

「ボクさ、人形の絶望が大好きなんだ。でも壊れちゃったら絶望も何もないじゃん。だからギリギリまで追い込むの。高山一実さんには楽しませてもらったから。今度は君の番。さあ、楽しませてよ、西野七瀬さん」

 迷っている間に土人形はもうすぐそこまで迫っていた。幾つもの手が伸びてくる。西野は高山の頭を抱きかかえる。せめて高山だけでも……。

 だめだ、間に合わない!

 土人形の数多の手が西野に襲いかかる――。

 その瞬間だった。土人形がふわりと宙に浮き、そのまま赤に染まった学園へと、見えない糸に操られたように吹き飛ばされる。

 人形は校舎にぶつかると同時に、べちゃりと音をたて、元の土に戻る。土人形がぶつかった場所には、闇色の墨汁をぶちまけたような跡が残った。

 ハルがつまらなそうにつぶやく。

「ああ、そうか。君も世界を越えられるんだったね。忘れてたよ」

 西野はハルの視線を追う。自分の後ろ。振り返る。そこにふたりの人物が立っていた。ひとりは毅然と佇み、ひとりはおろおろと周囲を見渡している。

 ハルは今までの余裕を携えた口調ではなく、忌々しさを隠そうともせず、憎悪を込めてその名を呼ぶ。

「生田絵梨花。そして」

 ハルはさらに強い口調で言う。

 生田の隣で怯えた表情を浮かべる――、

「希望」

 ――生駒里奈を睨みつけながら。






<第4部【制服のマネキン】第5話「指望遠鏡」につづく>