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第3回ノギザカッション小説コンテスト
エントリーNo3
エントリーNo3
12月24日。世間にはもうクリスマスの雰囲気が漂っていた。街にはきらびやかな装飾が肩を並べ、神聖なあの日の夜が来ることを、今か今かと待ちわびている。
その日も目覚めは早かった。起きたのは午前4時をもうすぐ迎えようかという時間。自分にとっての大切な人だったあの子のもとを訪れるべく、始発の電車を待っていた。いつもは人通りの多い新宿の街。しかし、こんな早朝の朝早くとあっては人はまばらだった。片手にはスーツケース、もう片方の手ではスマホを握り、LINEの返信をしながら長く感じるこの時間を楽しんでいた。
僕は朝起きるとまずLINEに「おはよう」と送信する習慣がある。その習慣は、送信するのを忘れた日に友人に「吉田はまだ起きてないのか」と心配されるほどにまで定着していた。この日も変わらずおはようと送信していたが、さすがにこの早い時間帯だしまだ返信は来ないだろうと思っていた。しかし、珍しく返信が来ていたのだ。
「なんだ、こんな時間に起きてて。夜更かしか?」
返信の相手は川崎に住んでいる友人だった。大学時代からの友人だった彼は夜更かしをして遅くまでラジオを聴くという人間で、この日も遅くまでラジオを聴いていた。特に好きなアイドルの出てくる水曜日には夜遅くまで放送を聴いていて、木曜の1限に遅刻することも珍しくなかった。いつも彼の隣に座っていた僕はそのたびに他の学生に注意されていた。なんで自分なんかがとばっちりを…と思うこともあったが、学生生活は楽しかったので、それを気にすることはなかった。
僕が彼の返信に、冗談じゃない、僕は大事なことがあると朝早くに目が覚める人間なんだ、昔から付き合いあるんだから知ってるだろと返すと、彼はまた電車か、と軽く返してくる。そうやって友人と話をしていると、長い旅の始まりを告げるかのように電車が来る。僕はスマホを切った。
「まもなく、14番線 渋谷・品川方面ゆきがまいります。危ないですから、黄色い線の内側に…」
早朝だけあって車内はガラガラ。余裕で座ることができた。しかし、その先は長い。なんたって目的地は広島…
僕には広島に住んでいる従兄弟がいる。僕が小学校に入る年に父親が宮城から広島に転勤になり、家族総出でその従兄弟の家に移り住むことになった。その従兄弟と同じ幼稚園に通っていた頃からの仲だという幼馴染こそが、日芽香だった。僕が彼女と初めて会ったのは小学2年生の時、家族同士の付き合いで彼女も家に来ていた。彼女の笑顔に一目惚れしてしまった僕はしだいに彼女のことをもっと知ってみたいと思っていた。けれど、リビングでいつも鉄道の時刻表を読み耽っていた僕に、彼女は目もくれなかったのを覚えている。
彼女は真面目な人だった。原爆が落とされた広島という土地柄か、平和について考えることが多かったと従兄弟からよく聞いていた。僕の従兄弟と日芽香は僕とは違う隣町の小学校に通っていたが、従兄弟が持ち帰っていた平和に対する思いをつづった作文コンクールの文集には毎年いつも彼女の書いた作文が載っていた。平和に対して誠実な想いを語る彼女に、僕の気持ちは日に日に強くなっていった。
僕が日芽香と初めて会ったのと同じくらいの時期に父親が転勤族になり、単身赴任で色々な地域を転々とするようになった。父親に会える時間が減ってしまった僕にとって、日芽香の存在が心の支えになっていた。その後、6年生の時に父親が宮城のもとの職場に戻ることになり、僕も地元の宮城に戻ることになった。父親とまた過ごせることは嬉しいことだったが、それは大好きだった日芽香とはしばらく会えなくなるということでもある。僕は彼女のことが気がかりだった。
中学3年生のときだった。受験生になった僕は進学先について選択を迫られていた。地元の宮城に残るか、広島まで移るか。日芽香の存在を気にしていた僕は従兄弟のいる広島に移住することを熱望していたが、家族の目が届くようにと考えていた母親は地元に残ることを強く勧めた。親を見返してやろうと猛勉強した僕は2月の段階で地元宮城の高校に早々と合格を決めると、親の反対を押し切って広島の高校を受験した。
合格発表の日を心待ちにしながら従兄弟の家で過ごしていた頃に東北であの震災があった。女川の町が壊滅的な被害を受け、津波で建物が流される光景が広島ホームテレビのニュース画面に映し出されていた。僕の家族と実家は無事だったが、被災地の復興に途方に暮れる人々の姿を見て、自分がここでやっていけるという自信がなくなった。その後、無事に合格した僕は従兄弟を慕って広島の高校に進むことを決めた。
しかし、学業優秀で私立の中学に行った僕の従兄弟は日芽香の進学先を知らず、その後の動向も知らなかった。高校に通っていた3年間で日芽香に会うことはなく、学校の鉄研で時刻表を読み耽る生活を続けていた僕は特にこれといった彼女もできることなく高校を卒業した。
大学4年になった僕に、従兄弟から「年末に日芽香が広島に戻ってくる」という一報が伝えられたのはつい先週の事だった。小学校以来会っていない彼女に久しぶりに会えるとあって心を躍らせたが、年末の帰省ラッシュの影響で繁忙期と化した飛行機の1万を軽く超える値段を見てため息をつく。どうしても決めきれずにいた。お金がなぁ・・・と放心状態のまま、ふと財布に目をやった。
『のびのび』が2回分、余っている――。心は決まった。
青春18きっぷ。全国の列車が1日乗り放題になる格安の切符だ。発売が始まった当初は「青春のびのび18きっぷ」という名前で呼ばれていたので、僕は『のびのび』と呼んでいる。東京の大学に進んで一人暮らしをしている僕は復興の手伝いをしに地元に戻る時にもいつもこのきっぷを使っていた。しかし、今年の冬は旅行の機会に恵まれず、宮城に帰省することもなかったのできっぷが2回分余っていた。しかも、正月にはびっちり予定が組まれていたので、遠くに行く計画を立てる余裕はなかった。消化するなら今しかない。
格安の切符とはいっても乗れるのは普通列車。色々と制約も強い。始発から順調に乗換が成功しても広島に着くのはもうすぐ夜の8時になるという遅い時間だ。どこかでトラブルでも起こったら1日では間に合わない可能性も視野に入れねばならない。僕は広島にいる従兄弟に「行けたら行くから」とぼやかして伝えた。でも、内心は大好きなあの子に会えるなら、という気持ちでいっぱいだった。
順調に乗換を成功させ、第1の難所静岡を楽々と突破した僕は成城石井で買ったカツサンドを片手に電車に乗り込んだ。このへんで昼食にしようと思っていると、大きなバッグを持っている少年に声をかけられた。
「ライブ、行くんですか?」
ライブ?何のことだろうと思った。どうも話を聞くとこの近くでアイドルのライブがあるらしい。よく見るとバッグからサイリウムらしきものがひょこっと出ていたのだが、その色が赤と緑。ああ、これがクリスマスなのかと感じた。アイドルの文化に無知だった僕は少年に色々と親切に教えてもらった。見聞が広まったような気がした。
彼は豊橋まで新幹線で来ていたようで、乗車券の行き先は「東京都区内-名古屋市内」と書いてある。僕は、東京から名古屋に行くなら金山で中央線に乗り換えて一周する乗車券の方が安くなるよと教えられずにいた。少しもどかしい気分だった。
アイドル好きの少年は笠寺で列車を降りていった。名古屋を過ぎても座れなかった僕は終点の大垣まで立ちっぱなし。カツサンドの味に旅情を感じた。
次第に座れないことが増えたが、その後も乗換自体は順調に進み、姫路で長い乗り継ぎ時間ができたので友人とコンタクトをとることにした。そういえば新快速が京都を少し過ぎたぐらいの時にLINEと不在着信が来ていたはずだ。スマホを手に取る。
川崎に住んでいた友人からサッカー場の様子が送られてきていた。今日は大事な試合の日だったが、自宅からサッカー場まで徒歩10分程度という好立地にもかかわらず前日に朝7時まで起きていた彼は案の定寝坊してしまい後半しか観られなかったという。それでも前半までリードされていたチームは後半に主将が挙げた2ゴールで逆転勝ちを果たしたらしい。そんな話をしているともう電車が来た。これから姫路-岡山という第2の難所である。
列車は岡山県に入っていた。外は雪が降っている。この程度なら2~3分の遅れで済むだろう。そう思っていた僕の考えはここで打ち砕かれる。
東岡山を過ぎたあたりから雪が強くなっていた。周りの乗客からも「これからどうする?」という会話が聞こえてきた。隣に座っていた人は夜行バスの手配に必死だった。結局、雪の影響で遅れが広がった列車は岡山で運行打ち切りとなり、多くの乗客がここで降ろされた。
改札の外に出ると、情報を求める客がごった返しになってあふれていた。運賃の払い戻しを求める者も多かった。こんなのクリスマスじゃねえ。ヤケになった自分は気持ちを落ち着かせようとした。スマホを取り出し、友人に電話をかける。
「もしもーし…こんな時間に何だ?」
「試合の結果見たぞ。とりあえず今は一言だけな、おめでとう」
「ありがとう。あ、そうだ。すっかり聞いていなかったけど、そっちはどんな様子なんだい」
一瞬返答に困った。でも、すぐに僕はこう答える。
「うちのところは前評判は低かったけどいいところまで行ってさ。復興も大変だけど、地元の人も頑張ってるよ」
来年はまた移動が大変になるのは知っていた。でも、とても思い入れのある場所を離れるわけにはいかなかった。僕はこう続ける。
「あ、そうだ。地元の名産のかまぼこ、川崎のそっちの方に送っとくから」
「ありがとう。お前はそういうとこ優しい奴だもんな」
その後も世間話をしたりで30分くらい長電話をした。電話を切った頃にはそろそろ列車も復旧している頃だろうと思ったが、まだ駅の中では山陽本線が降雪の影響で運休という情報が、放送で伝えられている。どうしよう。本格的に途方に暮れた。
駅で1時間くらい絶望していると、突然従兄弟から連絡が来る。僕がしばらく会ってない間に、彼は免許を取っていたようで、福山まで来たけどどこに居るかと聞かれたが、僕はそこまで行っていなかったので岡山で電車が止まっていると返した。驚いた様子だったが、すぐ行くから待ってろ、とのことだったので迎えを待つことにした。
その日、従兄弟の家族は日芽香の実家に集まっていた。僕よりも一足早く実家に戻っていた日芽香がつぶやく。
「吉田くん、遅いなぁ…。来るって言ってたのにさ」
「来れたら来る」は来ないと心得ていた従兄弟が、突然支度をして出て行ったのを見ていた彼女は、「吉田くんを迎えに行った」と信じて疑わなかった。
初めの予定から遅れること約2時間、従兄弟の車で送ってもらった僕は日芽香の実家に到着した。
もう日付が変わるまであと2時間しかないというのに、日芽香は僕のことを待ってくれていた。
「吉田くん!来てくれたんだ」
「なんだ日芽香か。しばらく会わない間に、すっかり大きくなっちゃって」
昔と変わらない可愛さだった。えへへと笑う彼女の笑顔もあの頃と変わらない。
僕は長旅の影響で飯を食べていなかったということで今から夕飯ということになった。クリスマスといえばケーキとか七面鳥とか言いたいところだが、もう夜遅くの時間だし高望みはできなかった。とりあえずは今あるもので作るということになり、電車の長旅で疲れ切っていた僕と、かねてから体調を崩していたという日芽香にはおかゆが出されることになった。
待っている間、先に夕飯を食べ終えていた日芽香の姉に話を聞くことができた。昔から色々な世界を経験してみたかったという日芽香は中学を出ると単身で上京していたが、夢に向かって努力していた彼女は1年ほど前から体調の問題で仕事を休むことが増え、医師の先生と相談した末に今のお仕事をやめて地元に戻っていたという話を聞いた。僕は釈然としなかったけれど、本人に聞かない方がいいことなのかなと思っていると、ようやく夕飯が出てきた。
同じ机で向かい合って黙々と同じ飯を食べる二人。のんびり飯を食べている間に日付が変わっていた。疲れていたのかメリークリスマス!と言うこともなくクリスマスイブは終わった。
いつもは目覚めの早い僕だったが、珍しくその日の目覚めは遅く、起き上がって時計を見るともう8時を過ぎていた。せっかくのクリスマスだったが、そんな雰囲気は微塵にも感じなかった。でも、日芽香への恋心だけは今までと変わらなかった。
日芽香の姉が僕にアルバムを見せてくれた。目に入ったのは、1枚の写真だった。
それは、ある建物をバックに日芽香が両手にピースをしていた写真。僕はその建物に見覚えがあった。
平和祈念館だ。間違いない。
姉が教えてくれたのだが、日芽香はこの場所を訪れるたびに平和について真面目に考えるようになっていった。ここで学んだことで普段の生活に活かせることはないかと、考えることもあったという。そんな彼女は今も8月6日のあの時間になると、犠牲者に黙祷を捧げているという。
そんな昔話を聞いて、いっそう気持ちが高まる。僕は告白しようと決めた。
机に向かい合ってお互いを見つめる二人。洗車を終えて部屋に戻っていた従兄弟が見守っていた。
「どうしたの、吉田くん。急にかしこまっちゃって」
少し訝しげな表情で日芽香がたずねていた。僕は答える。
「僕は昔から君に一目惚れしていたんだ。それで、んー…いつも平和についていろいろと考えてるじゃん?そういうことって、普通の人ってなかなかできないじゃん?って思ってさ。だから僕は君のことが好きだ。付き合ってください」
「うーん…えへへ、ね…」
「ん?何だい。急にどうしたんだよ。答えが決まってるなら早く言ってくれ」
少し深呼吸をして、彼女はこう返答した。
「実はね、あたしも吉田くんのことずっと考えてたの。東北であの震災があった時に、復興に向けて率先して頑張ってるの知ってたよ。あたしと同じで、ちゃんとしてる子だなって思ったの。あたしを好きになってくれてありがとう。こちらこそ、よろしくお願いします」
悩みぬいた彼女の返事は「イエス」。東北が大変だった時、学校の長期休暇を使って広島から地元に戻り、復興活動に取り組んでいた僕を、彼女はテレビのニュースで目にしていた。人知れずに努力していた僕を、彼女はちゃんと見てくれていたのだ。
僕も彼女にちゃんと自分の気持ちを伝えられたと思う。近くにいた従兄弟も僕のことを祝福してくれていた。クリスマスは僕にとってカップルの恋愛が成就する大切な日だと思っている(もちろん偏見もあるだろうが)。そんな大切な日に、大好きなあの子への長い長い片想いを実らせることができたことは、僕にとっても人生で一番幸せなことだと思った。
そんな余韻に浸っていた僕に電話がかかってきた。電話の主は川崎にいたあの友人だった。
「あのさー、今日新内ちゃんの出待ちで有楽町に行ってきたんだけどさ、すげえ可愛かったのよ。なんか姐さん女房みたいな雰囲気でさ、でもそこがいいって感じで。大好きだったあの人に会えて気をよくしちゃってさ、財布の500円、募金しちゃったよ」
そんなことなんか聞いたこっちゃあない。恋愛が成就する大切な日だというのに、感動ムードがぶち壊しだ。次に遅刻したときは覚えてろよと、僕は心の底から思った。
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