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第3回ノギザカッション小説コンテスト
エントリーNo7
エントリーNo7
ひらひらと舞う白い花びらは、そっと伸ばした僕の手のひらの上に舞い落ち…まるでそこには元から何も無かったかのように消える。
吐いた白い水蒸気も…やがて冷たい世界に呑まれ消えていく。
きっと…彼女も。
今日はクリスマスだ。
年に一度、赤と白の服に身を包んだおじさんが願いを叶えてくれるというなんともメルヘンな日。
しかし、大人になればクリスマスなんていつもの日常と変わらない日だ。
サンタさんがこの世に存在なんてしていなかったことに気づいたのはいつだっただろうか。
確か…小学校高学年の頃。
今年こそはサンタさんをこの目で見るぞ!と真夜中まで起きていたら、プレゼントを枕元に置こうとした父と鉢合わせした…
なんてことはなく、クラスの中で何となくで広まっていったサンタさんは親だという風の噂を耳にし、両親に聞いたらあっさりと首を縦に振られたという呆気ないものだった。
大人になれば何事も真実が見えてくる。
小さな頃は夢に満ち溢れて、キラキラと輝いて見えたこの世界も、「嘘」にまみれた荒んだ世界だと知る。
サンタさんがいないことも、そのうちの一つだ。
「嘘」や「嘘を塗り固めて作った正義」が支配するこの世の中で、本当にキレイなものとは何かと僕はずっと探していた。
「おはよう」
「おはよう」
何度ここに訪れただろうか。
何度こうやって挨拶を交わしただろうか。
あと、何回ここに訪れることが出来るのだろう。
あと、何回こうやって挨拶を交わすことが出来るのだろう。
軽いドアをスライドさせると、彼女がそこにいることが。
僕が来たことに気付き、本から目を離して僕と目を合わせてくれることが。
挨拶をすれば、弱々しいがしっかりと答えが返ってくることが。
僕はすべてが嬉しかった。
「調子はどう?」
「いつも通りだよ」
沢山の管に繋がれ、この世に繋ぎとめられている彼女はニコッと笑う。
その瞳の奥に、寂しさを残しながら。
「クリスマスの日ぐらいお見舞い来なくてもいいのに」
「知ってるだろ、僕には彼女なんて人はいない」
「うん、知ってる」
なんてイタズラに微笑む彼女。
僕達を知らない人から見たら、もしかしたらカップルだと思われるかもしれない。
しかし、そんなことはない。
僕と彼女はただの友達。
大学で知り合い、図書室で出逢えば本についてちょこっと話すだけの、そんな関係。
そんな僕と彼女がどうしてこのような状況になっているのか。
それは半年ほど前に遡る。
いつも図書館で見るから。
そんな理由でいつしかいつも近い席に座るようになり、オススメの本を教えあったり、お互いの本を交換したり。
自然と友達になっていた僕と彼女。
図書館で彼女を見つければ彼女の隣に座り、彼女が僕を見つければ僕の隣に彼女が座る。
二人とも本に集中してなにも話さない時もあった。
だけど何も話さないその時間さえも心地よくて、愛おしい。
華奢なその体には少し大きい服から覗かせる細く白い腕。
胸あたりまで下ろしたツヤツヤでキレイな髪。
落ちてきた髪をそっと耳にかける動き。
時々「ふぁ~」と可愛らしい声と共に口に手を当てあくびする姿。
彼女の静かな呼吸の音。
彼女の行動すべてがキレイで、僕を惹き付け、優しく包み込んでくれた。
友達と呼ばれるほどの関係になるまでに何回会話をしただろうか。
きっと数えられるくらいしかしていないだろう。
だけど僕達の間には確かに心地いい空気が漂っていた。
彼女と出会い、そして友達という不確かなものになってから1ヶ月ほど経ったときだ。
いつも通り彼女の隣に座り、何か言う訳でもなくただただ本を読んでいた時…
「私ね、病気なんだ」
前置きがあった訳でも、「病気」に関することを話していた訳でもなかった。
本当に突然、独り言のように彼女が言ったのだ。
「もう治らないって。余命は1年もない。明日から入院するんだ」
これくらいなんともない。
死ぬもいう恐怖に襲われている様子もなく、淡々と残酷な運命を言葉に言葉にする彼女に、僕は言葉を失う。
そんなことまったく気づかなかった…。
思い返してみれば、確かに彼女は時々苦しそうに顔を歪めていたり、足元がふらついていた時があった。
てっきりお腹が痛いのかと思ってた。
眠たいのかと思ってた…。
「う、嘘だ…よな?」
言われてみればホイホイと出てくる彼女が病に犯されている証拠。
だけど認めたくなかった。
この毎日たった数時間だけの彼女との時間が大好きだったから。彼女のことが…好きだったから。
「ほんとだよ。君に嘘はつかない」
僕が言って欲しかった答えは帰ってこなかった。
残酷な運命を受け入れた彼女はたった五文字で肯定し、僕の目を見つめる。
その瞳は息を飲むほど美しく、透き通った目の奥にはとてもキレイな感情があった。
「大学も今日でやめるから、君には教えておこうと思って」
「なんで?」
「なんでだろうね。…君には伝えなきゃって思ったの」
彼女の素直な言葉は鼓膜を優しく揺らし、頭の中にすっと入り込み、僕の冷たい心を溶かした。
「お見舞いに…行ってもいいかな」
彼女のために何かをしたい。
彼女のその柔らかな雰囲気をもっと感じていたい。
そう思ったら、
誰かにこんなことを言うなんて久しぶりだった。
それも、名前も知らない人に…。
「…うん」
たった一言。
僕がありったけの勇気を振り絞って言った一言が、僕と彼女を繋いだ。
それから僕は、彼女に教えてもらった病室に毎日お見舞いに行った。
そして今に至るという訳だ。
ここまで約半年。
彼女の容態を見れば、よくもったと言うべきかな…。
たまたま耳にしてしまった医者と彼女の会話では、彼女の命は残りわずかだということ。
年を越せるかも危うい…らしい。
何か励ますべきなのだろうか。
だけど、僕の目の前の君は淡々と残酷な運命を受け入れ、静かにこの世で生きていた。
僕の安い言葉なんて必要ないかもしれない…。
そう思ったから、僕は黙って彼女の隣に居続けた。
そうしてあげることしか、僕に出来ることなんて無かったから…。
「今日はクリスマスか…」
「うん、クリスマス」
彼女の言葉に、今更今日がクリスマスだと気付いた。
サンタさんという夢が無くなり大きくなれば、自然とそうなっていくものだろう。
僕にとっても、彼女にとっても変わらない日常が目の前にある。
…プレゼントぐらいは持ってくるべきだったかな。
たとえ変わらない日常があったとしても、僕が彼女のサンタになることぐらいは出来る。
彼女のために何かしらのプレゼントを持ってくるのが優しさっていうものなのではないか。
…しくったな。
今の今までクリスマスというものを忘れていた自分を恨み、ぐっと冷たい拳に力が入る。
それを見越したように、彼女は僕にそっと微笑み…
「イルミネーション、見てみたいな」
そう言った。
それはまるで、雪が溶けるように儚く、冷たく感じた。
それは彼女の…最後の願いのようで。
「…わかった」
彼女はもう外に出る体力がないことも、外出許可なんて出るはずがないのもすべて知ってる。
これはきっと、彼女が僕に託した最後の願いということも。
だから僕はゆっくりと、彼女の澄んだ瞳を見つめ…首を縦に振った。
彼女の最後の願いを…僕が叶えてあげたい。
この世にサンタなんていないことを知った上で、僕が彼女のサンタになりたい。
そう心から思った。
「ほんとにいいんだよね?」
面会時間が終了するまであと少し…。
夏とは違い、日が短くなり真っ暗になった窓の外を横目に彼女に問いかける。
「うん」
白いベットの上、彼女はラフなパジャマ姿で頷いた。
彼女だって重々承知の上だろう。
自分に残された時間。
そして今からする行為が自殺行為だということも。
僕は反対だった。
彼女の残りの時間を縮めてしまうことが。
僕が彼女の願いを叶えれば、明日の彼女はいないかもしれない。
僕が…彼女の美しい命を奪うことになるかもしれない。
「最後に君と一緒にイルミネーションを見れたら、私はこれ以上なにも望まないよ」
しかし、彼女の言葉は無情にも僕を動かす。
「寒いからしっかりくっついとけよ…」
「…うん」
病院から出ることの許されていない彼女はもちろん暖かいコートなんて持ってはいない。
一定の温度、湿度に管理された病院内では一番必要が無いものと言っても過言ではないんだからしょうがない。
僕が着てきた黒のジャケットを彼女の痩せた体にかける。
そして、もう自力では立ち上がることもできなくなってしまった彼女の腕を僕の首に回し、背中に密着させてから太ももの裏を支え持ち上げた。
世に言う“おんぶ”というやつだ。
僕は産まれてからおんぶをされることはあってもしたことはなかった。
背中に背負ったのはせいぜいランドセルとリュックぐらいだった僕でも、彼女のことはしっかりとおぶれた。
彼女が細すぎるというのもあるかもしれない。
「重たいでしょ」なんて微笑みの吐息が首筋にかかり、体が強ばる。
僕は「そんなことないよ」と彼女を落とさまいとしっかり支えながら病室を出た。
「寒くない?」
「うん…」
「辛くない?」
「大丈夫…」
消えかけている命の灯火が宿った人を寒い外に無断で連れ出すなんて、バレたら僕はどうなってしまうんだろうか。
僕の首筋辺りから揺れる弱い彼女の白息にふと思った。
怒られるだろうか、殺人犯だと言われるだろうか、もしかしたら牢獄行きだろうか。
それでもかまわない。
僕は彼女の中で確かにサンタになっているのだから。
最後に、彼女の夢を叶えることが出来るのならば、失いたくない彼女の命を犠牲にしてまでも彼女が望んだ彼女の笑顔が見れるのならば…。
僕はなにもいらない。
「わぁ、キレイ…」
病院から10分ちょっとばかり歩いた大通り。
人混みから逃げるように向かった公園から、通りに面した木々に彼女はそんな感想を零した。
青と白の小さな電球一つ一つが木々を彩り、輝かせ、美を作る。
たくさんの光り輝く木々は、彼女を祝福するように青い光で包み込んだ。
「ほんと、キレイだ」
目の前に何百メートル先まで続く夢のような世界。
僕は思わず息を飲んだ。
イルミネーションがキレイだなんて思ったことがなかった。
ただの沢山の電球が折り出す幻想的な世界だと思っていただけなのに…。
彼女の温もりを背中に感じると、とてもキレイな景色に見えた。
それはきっと…彼女がとてもキレイだから。
そして、僕は彼女が好き…だから。
「ごめんね、こんなことしてもらっちゃって…」
「大丈夫だよ、僕も見たかったんだ…イルミネーション」
「君は優しいね…」
僕もイルミネーションが見たい。
そんな僕の嘘に彼女は気づいたのだろうか。
小さな声が、僕の鼓膜を心地よく揺らした。
「僕は冷たい人間だよ」
「そんなことない。だって…すごくあったかい。私、ずっと探してたんだ」
「…なにを?」
「心を温かくしてくれるものを…。今、やっと見つけた…」
僕も探していたんだ。
彼女みたいなとてもキレイな人を。
純粋で、真っ白で、見ていて息を飲むような人を…。
僕もやっと見つけだんだ。
「あ、雪…」
もう少し光の世界を歩いてみようか…。
弱くなる彼女の呼吸を紛らわすように僕が歩き出したその時、目の前には白の花びらが舞い落ちた。
僕の鼻筋に落ちては解け…彼女の頭に乗っては彼女が緩く振る頭から落とされる。
「ねぇ、最後に…君の名前聞いても…いい?」
ここで聞かなきゃ一生彼女の口から聞けない気がしたから…。
さっきよりも力が抜け、伝わる彼女の軽い温もりに問いかける。
「齋藤…飛鳥…」
“齋藤飛鳥”か。
可愛らしくも凛とした美しさがある。
まさに彼女にぴったりの名前だと、記憶の中にすぅ…っと溶け込んだ。
「…私がこの世界から消えても、君はまた見つけてくれる…?」
「あぁ、もちろんだよ」
絶対に忘れない。
君がたとえこの世界からいなくなったとしても、この名前がきっと目印になる。
そしてまた…惹かれるんだ。
「…よかっ…た…」
浅く、薄くなる飛鳥の呼吸。
僕の背中に完全に預けた飛鳥の体重。
消えゆく間にもずっとそこにある飛鳥の変わらない雰囲気。
すべてが背中越しに伝わってくる。
「…だい、すき…だったよ…」
冬の刺すような冷たさは、この幻想的な世界を包み込み熱を奪ってゆく。
舞い落ちる雪も、僕の体温によって溶けては消える。
冷たい世界に飲み込まれ、雪のように消えてゆく飛鳥。
僕は彼女の温もりを感じられなくなるまで、温かいイルミネーションの道を歩き続けた。
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