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第3回ノギザカッション小説コンテスト
エントリーNo9
沈黙のクリスマス
20180103-01


各方面で物議を醸した処女作の発表後、全然萌えない!真面目にやれ!と非難の集中砲火を浴びた作者が心機一転して書き下ろした最新作が遂に登場。妄想小説の本質を極限まで突き詰め、笑いの要素と下ネタを徹底的に排除。繊細かつ感動的な心の交流を綴った恋愛小説の決定版。徹底してリアルを追及した緻密な描写、誰もが涙する衝撃のラスト。ハートウォーミングでちょっぴり切ない不朽のロマンティックラブストーリーがここに誕生!是非ハンカチを片手にお読み下さい。



「みなみ、本当のサンタさんが見たい♡」

君のそんな一言で、この物語は幕を明けた。

彼女は乃木坂46と言う超人気アイドルグループの選抜メンバーなのだが、ひょんな事から僕と知り合い、いつしか付き合うようになった。

本当はドラマチックな出逢いから交際に至るまでの経緯もたっぷりと語りたいのだが、それはやはり二人だけの秘密にしておこう。

彼女の所属するグループは現在、目覚ましいスピードで国民的アイドルへと駆け上っている途上にあった。
忙しいと言う言葉だけではとても言い表せない程の殺人的なスケジュール。
しかし僕らは、必死でその合間を縫うかのようにお互いの気持ちを深めあっていた。

年末年始も当然、数々の歌番組や正月特番収録のために、連絡すらろくに取れない日々が続く事が予想された。

僕たちは早々にそれを受け入れ、年明けの正月休みを一緒に過ごすという約束だけを心の支えに、お互い慌ただしい年末を迎えようとしていた。

彼女から意外な誘いを受けたのは、そんな12月初めの頃だった。

「みなみをフィンランドに連れてって♡」

「フィンランド!? まず行き先からして唐突過ぎるけれども…お仕事は?」

「なんかねー、急なスケジュールの変更があったらしくて、たまたま5日くらい休みになっちゃった!」

「ホントに!?」

僕たちが完全に諦めていたクリスマスデート。
これが千載一遇の好機であるならば、何としてでも彼女の望みを叶えるのが僕の役目だ。

「よし、わかった。行こう!フィンランド!」

「やったー♡ いっぱいトナカイ乗るぞ!」

それは、少しだけ早い神様からのクリスマスプレゼントだったのだろうか?
それとも、結構早い神様からのお年玉だったのだろうか?
いや、もしかしたら非常に早いバレンタイン…

「もういいわ!」

お笑い好きな彼女の可愛いツッコミ。
しかし悪戯っぽい瞳に浮かんでいる喜びと期待の光は隠しようもない。

「それより早く予定立てよー♡」 

降って湧いたような2人だけのクリスマス休暇。
最高の想い出となるよう、僕は浅い知識しかないフィンランドのガイドブックを片っ端から買い込み、旅程を組み始めた。

一方、みなみは仲の良いメンバーの1人が何故かフィンランド大使館に強力なコネを持っているらしく、国賓に近い待遇で快適な旅行が出来るよう、その子を通じて現地の観光協会等に働き掛けてくれたらしい。

「みなみ、いい旅にしようね。」

「うん♡」

二人初めてのクリスマスがやってくる。
冬の空気は僕たちの心を、恥ずかしいほど見透かすくらい透明だった。

 

『沈黙のクリスマス ~The Last Bread~』



≪15:10 ヘルシンキ大聖堂前≫

「みなみ、まだ帰りたくなーい!」

「まぁ、2泊5日の強行日程だったからね。でも紅白のリハとかお仕事あるんでしょ?仕方ないよ。」

「やだー!だって白組とか何か白すぎるし!」

2人だけの初海外旅行はいよいよ最終日を迎え、僕たちは名残惜しさを無理に抑えながら日本への帰路に着こうとしていた。

12月のフィンランドは、日照時間が6時間程度と極端に短く、まだ午後3時過ぎだと言うのに既に日が暮れかけている。
ポツポツと点り初めた橙色の街灯が、雪の溶けた路面に反射し、歴史あるヘルシンキの街全体をクリスマスツリーのように輝かせていた。

「ねー♡」

「ん?」

「また一緒に来たいな♡」

間違いなく生涯最高となった、この旅の記憶が甦る。

この国は食べ物も素晴らしかった。
フィンランド野菜の煮込み、肉のフィンランド風炒め、そして魚のフィンランド焼き…

「適当過ぎるわ!」

みなみからツッコまれたので調べた上で正確に記そう。
カーリカーリュレートと呼ばれるロールキャベツ、 カラクッコと呼ばれる小魚と肉をライ麦の生地で包んで焼いたケーキ、等々。
生田さんが手配してくれたフィンランド郷土料理の数々は、その全てが絶品だった。

「ボーノ~♡」

あまりの美味しさに、みなみはパリライブの時と同じく、やたらとボーノを連発していた。
ボーノはフランス語でもフィンランド語でもなくイタリア語だよ!と激しくツッコミたい気持ちをグッと抑えて、僕は優しい目で彼女を見守った。

そして昨夜、遂に見る事が出来たオーロラ。
ラップランドの大雪原で、2人きり肩を寄せ合いながら天空の端から端へと架かる壮大な極光を見上げる。
そこに陳腐な言葉など必要なかった。

オーロラは太陽風のプラズマが地球の磁力線に沿って高速で降下し大気の酸素原子や窒素原子を赤や緑に発光させているというだけの現象ではあるが、みなみと一緒にオーロラを見る事ができたという事実は、まるで僕たちのロマンスが予め語られていた証のようにも思えた。

「本当のサンタさんは…」

僕だけに向けられた彼女の笑顔は、オーロラの数千倍の輝きを放っている。

「みなみの横にいたんだねー♡」

そう、これがもし妄想や小説だったとしたら、これこそが本来あるべき姿なのだろう。

素敵で可愛いトップアイドルと何故か知り合い、何故か恋をして、何故か結ばれる。
それで充分なのだ。

もし僕たちの物語に読者がいるとしたなら、そんな妄想や小説にアクションやお笑い、ましてやミリタリーの要素など決して求めているはずがない。
そんなもの需要がないのだ。

ラブロマンスこそが至高!
あー、男に生まれて、良かった。

「さっきから何ブツブツ言ってるの?」

「あ!ごめん、そろそろ空港向かわなくちゃね。」

「もー!みなみといるのに他の事ばかり考えてたら…おこだぞ!」

ほら、これこそが幸せの王道なのだ。
 

≪15:43 ヘルシンキ中央駅≫

ここからヘルシンキ国際空港まではタクシーで行けるはずだ。
すっかり日も暮れて夜の様な風景だが、生田さんが手配してくれた帰りのフィンエアー便の出発時間までにはまだ充分時間がある。

「帰りはみなみがガイドさんするね!」

「えっ? いや、僕が先導するよ?」

「いいのっ!帰りくらいみなみに任せて♡」

「ホントに大丈夫?」

「当たり前です!」

正直不安だ。
しかし、ヘルシンキの北15km程の場所にあるヘルシンキ・ヴァンター国際空港までは、タクシーだと30分もあれば到着するだろう。

どうやら僕への感謝を示そうとしてくれているらしい彼女の健気さに甘えて、ここはひとつ任せてみようじゃないか。
みなみももうすぐ成人。これも良い社会勉強なのかも知れない。

「わかった。じゃあ…ホラ、あそこにタクシー乗り場あるから…」

「はーい♡」

みなみはピョンピョンと跳ねるようにタクシー乗り場へと向かって行った。
そして可愛い身振り手振りを交えながら、手当たり次第、現地の人々に空港までの行き方を訊きまくっている。

「アイラブブレッド!」

「?」

「ユーアーブレッド?」

「??」

「スマーイル♡ラーブ♡」

「Moi♡Moi♡」

現地の人が皆、すっかり笑顔になっている。
…という事は通じているのだろう。

みなみ!やるじゃないか!

「こっちだよー♡」

みなみに手招きされ1台のタクシーへと向かう。
これですぐに空港へと着くはずだ。

運転手に手伝ってもらい、大量の荷物をトランクに無理やり押し込むと、僕たちは後部シートへと乗り込んだ。
タクシーが走り出すと間もなく、僕もみなみも旅の疲れからか瞬く間に深い眠りへと落ちていった。


≪17:15 高速道路≫

「…ん?」

まだタクシーは走っている。

そろそろ空港に着いていてもおかしくないはずだが… 

「まぁいいか…」

横でぐっすり眠っているみなみの横顔を眺めながら、僕は再び眠りへと落ちていった。


≪19:49 一般道路≫

「…えっ?」

流石に何か変だ。

タクシーは相変わらず走り続けているが、既に高速道路ではない。

暗くてよく読めないのだが、気のせいか道路標識さえ何となくフィンランド語ではなくなっているような気もする。

「まぁいいか…」

相変わらず横でぐっすり眠っているみなみの横顔を眺めながら、僕は三度眠りへと落ちていった。


≪00:53 林道≫

「…しまった!」

目覚めるとタクシーはとんでもない森林地帯の中を走っている。

些細な事は気にせず、まずは一休みしなさい、と言う一休上人の有難い教えを座右の銘とする僕ではあるが、この異常事態に持ち前の鋭敏な第六感が激しく警鐘を鳴らし始めた。

これはヘルシンキ国際空港どころか、なんか全然違うところに向かっている!

真っ暗な針葉樹林の中の一本道を疾走する僕たちを乗せたタクシー。
メーターを見ると、既に日本円で8万円を超えている!

「みなみ!起きて!」

「…うーん…おはよー。みなみ天使になっちゃった…♡」

なんなんだ!この可愛い生き物は!
完全に寝ぼけているみなみは想像を絶する可愛さで、たまらず僕は彼女のおでこにそっと手を…
いやいや、今はそんな場合じゃない。

「みなみ!僕たち全然違う所に…」

「あー!着いたー♡」

「えっ?」

みなみの指差す先を見ると、突然に夜の森は大きく開け、そこには今まさに大型の飛行機が轟音を上げ飛び立たんとする巨大な飛行場が無数のサーチライトに照らし出されていた。


≪01:03 某飛行場≫

「ここは…」

「こっちだよー♡」

タクシーを降りた僕たちは、再びみなみの先導で飛行場へと向かっていた。

彼女が運転手に可愛くお願いしたところ、料金は日本円で3千円くらいにまけてもらえたが、それにしても何かがおかしい。

「あ!ここから入れるよー♡」

みなみは厳重に張り巡らされた鉄条網のフェンスの1ヶ所に入口を見つけると、飛行場の敷地内に入りスタスタと進んでいく。

夜空にサーチライトが交叉するその飛行場には、様々な形状の航空機が駐機していた。
あらゆることに対して鋭敏な僕の観察したところ、旅客機だけでなく、大型輸送機やヘリコプター、遠くには戦闘機らしき影まで見える。

「まぁ、外国の飛行場って大体そんな感じか…」

みなみはそのうちの1機を目指し迷いなく進んでいく。
なるほど。確かにその航空機は我々が見慣れている旅客機の形状をしていた。
機体の色がオールグレーなのが少し気になるが、まぁそんな塗装もあるのだろう。

「やっと着いた―!乗ろー♡」

みなみは重い荷物を両脇に抱え、懸命に飛行機のタラップを上って行く。

ところで飛行機に乗る際の色々な手順を忘れているような気もするが…まぁ、あまり細かいことを気にしていても仕方がないだろう。
みなみの後についてタラップを上り機内へと向かう。

荷物が重すぎたのか、みなみは全身を小刻みにプルプル震わせながら愚痴っている。

「こんなのは私じゃなかった…」

よく頑張ったね、みなみ。

機内には不思議な事に乗客も乗務員も誰もいなかった。

「ヤッター!一番乗りだね♡」

機内は普通の旅客機と大差ないようで少し安心する。
全席5点式のシートベルトなのが少し気になるが、まぁそんな機体もあるのだろう。

みなみはスイスイと通路を奥に進んでいき、最後列の座席へと向かう。

「ここにしよー♡」

荷物を収納棚に押し込み2人並んで座席に座る。
5点式シートベルトの締め方が全然分からず遂に諦めた直後、僕もみなみも旅の疲れからか瞬く間に深い眠りへと落ちていった。
 

≪03:51 ウラル山脈上空≫

「…ん?」

どのくらい眠っていたのだろう、微かに低いエンジン音が聞こえてくる。

いつの間にか飛行機は離陸し漆黒の夜空を飛行しているようだ。
隣に目をやると、窓側の席でみなみは相変わらずぐっすりと眠っている。

少し喉が乾いたな…CAさんは…
僕は通路に少し顔を出し機内の様子を…

「!!!」

目を疑うような光景を前に、僕は愕然とするしかなかった。
機内では何故か完全武装の兵士が10名程、整然と何かの作業をしているのだ。

慌てて顔を引っ込めた僕は、ただならぬ状況に必死で頭を働かせようと試みる。

一体全体どういう事だ…
幸い僕たちがここにいる事は、まだ彼らに気付かれていないようだ。
みなみが小さいのと、僕が座席からずり落ちて眠っていたお陰で、前方からは見えなかったのだろう。

「Бережного обращения!」.

ロシア語か?
指揮官らしき男の指示に兵士たちが従っているように聞こえるが、残念な事に僕はロシア語が全く解らない。

それでも人間の耳とは偉いもので、しばらく兵士たちの会話を盗み聞きしているうちに、徐々に意味が分かるようになってきた。

「Осторожно!慎重に扱え!」

「申し訳ありません中佐!」

「階級で呼ぶなといったはずだ。」

「失礼しました、Mr.ノーフェイス。」

ノーフェイスと呼ばれた男が指揮官だろうか。
それにしても彼らは一体何を運んでいるのだろう?

「しかし、これ1つで大都市が丸々壊滅するとは…あの将軍様とやらはこれを使うでしょうか?」

「同志ホワイトボール、それは我々に関係のない事だ。」

な、何だって!
まさか運んでいる荷物とは!あの核ミサイルの弾頭に搭載したりする!あの…
うーん、何と言ったか…
残念ながら僕は文系なので化学物質とかには弱いのだ。

ゼラニウム…違う。

スペシウム…違うな。

プラネタリウム…あ、近い?

メトロノウム…離れた…

「この事は我が国の政府も知らない。秘密裡にあの国に届け、この世界を再び力だけが支配する戦乱の世とするのだ。」

「お任せ下さい。プルトニウム10ケース、確かに…」

「プルトニウム!それだ!!」

いかん、ついつい大声を出してしまった。

「誰だ!?」

数秒後、僕たち2人は軍用拳銃を持った兵士たちに取り囲まれてしまった。
まさに不運としか言いようがない。

「日本人か? 何故乗っている?」

ノーフェイスと呼ばれていた指揮官が無表情に尋ねた。
何故だと? 

「それは…話せば長いわ!!」

「なぜキレる?」

隣に目をやると、窓側の席でみなみは相変わらずぐっすりと眠っている。
とりあえず今は眠らせておこう。

しかし、どうする?
奴らの恐ろしい陰謀を知ってしまった今となっては、このまま易々と囚われてしまう訳には行かない。

僕はとりあえず何となく思いついたセリフを試しに言ってみた。

「お前たちの好きにはさせん!」

ロシア兵たちは大爆笑。
まぁそうか。そうだな。無理もない。

「面白い日本人だ。ではどうする?」

ノーフェイスが不敵な微笑で問いかけてきた。

もちろん、屈強なロシア兵10名以上を相手に、万が一にも勝ち目など無い事は僕にだって解っている。
あー、でも…もしかしたら…
いやいや!絶対に無いわ!

「何をブツブツ言ってるのだ?」

僕は必死に、この場を切り抜ける方策を思案する。
そして決してベストではないが何となく巧くいきそうな予感がしない事もないプランを思いつき、決行に移すべく腹を括った。

僕は奴らに向かって早口で一気にまくしたてる。

「いいか!良く聞けロシア人!お前ら10人ひとまとめに相手するまでもない!逆に1人づつ1対1のサシで勝負だ!しかも武器は一切使わず素手で勝負だ!逆に!どうだ!」

ロシア人たちは僕が提示したあまりにも斬新な提案にかなり戸惑っているようだ。
よし、もうちょっと欲張ってみよう。

 「しかし10人と戦っていては時間がかかりすぎる!お前らの中から逆にそこまで強くない奴を3人、好きに選べ!逆に!どうだ!」

「よし、いいだろう。」

「えっ?いいんですか?」

ノーフェイスはあっさり了承した。
もしかしたらこの人たちはバカなのかも知れない。

「ホワイトボール、私は怪しまれないようシベリア軍管区と交信してくる。ここは任せたぞ。」

「お任せ下さい、Mr.ノーフェイス。」

指揮官は操縦室へと向かい、後にはホワイトボールと呼ばれる副官とロシア兵数名が残った。

「では日本人、最初はこのシャイネスと戦ってもらおう。」

髪を短く借り上げた大柄なロシア兵が前に進み出てきた。
隣に目をやると、窓側の席でみなみは相変わらずぐっすりと眠っている。

みなみ、君のために僕は戦う。


≪04:35 シベリア上空≫

シベリア上空での死闘が幕を明けた。

シャイネスと呼ばれた大柄なロシア兵は全ての武器を置き、余裕の表情で僕に手招きをしている。

「日本人、どこからでもかかって来い。」

しめた!完全に僕を見くびっている。
こんな事もあろうかと密かに上着の内ポケット隠し持っていたジャックナイフを取り出し、僕は真っ直ぐ相手に突っ込んで行った。

しかしナイフはシャイネスに軽くかわされチョップで叩き落とされる。
そして後ろ手に捻り上げられると力任せに左足を折られてしまった。

「ギャー!」

以前、富士登山の際に骨折してしまったのと同じ箇所だ。
通路に倒れ、耐え難い苦痛に身を捩りながら僕は叫んだ。

「よし!次!」

次にハムと呼ばれた細身のロシア兵が前に進み出てきた。

手を抜いたようなコードネームに不服なのかブツブツ言っているが、この体格なら倒せるかもしれない!
こんな事もあろうかと今度は靴下の中に隠し持っていたバタフライナイフを抜き取り、僕は真っ直ぐ相手に突っ込んで行った。

しかしまたしてもナイフはハムにアッサリとかわされキックで叩き落とされる。
そして羽交い締めにされると今度は力任せに右足を折られてしまった。

「ウギャー!」

右足も以前、富士登山の際に骨折してしまったのと同じ箇所だ。
余りの苦痛に通路を転げまわりながら僕は叫んだ。

「まだまだ!次!」

「根性だけはあるようだな。では3人目は私が相手してやろう。」

遂に副官のホワイトボールが自ら進み出てきた。

こいつさえ倒せば、何となく全体的に勝った雰囲気に出来るかもしれない!
こんな事もあろうかと背中に隠し持っていた刃渡り30cmのドスを引き抜き、僕は真っ直ぐ相手に突っ込んで行った。

ホワイトボールはドスの切っ先を事も無げにかわすと、そのまま僕の左腕を掴んで思いっきり投げ飛ばした。
床に叩き付けられた拍子に今度は左腕が折れてしまった。

「フギャー!」

もちろん左腕も以前、富士登山の際に骨折してしまったのと同じ箇所だった。

ダメだ、もう限界だ。
惜しいところだったが実に無念だ。
僕は空前絶後の激痛に床をのたうちまわりながら叫ぶ!

「このくらいにしておいてやる!」

「日本人よ、結局お前は何がしたかったんだ?」

ホワイトボールは僕から取り上げた刃物類を見つめながら呆れたように言った。

「しかし最も謎なのが、お前がこれで一体どこの手荷物検査場をパスするとでも思っていたのか、という事だ。」

「そんな事死んでも言わないぞ!」

「いや…それはそこまでの話じゃないだろう…しかし我々ロシア連邦軍特殊任務部隊スペツナズ…いや、元スペツナズか。その精鋭を相手によく闘いを挑んだものだ。」

「そんな事全然聞いてないぞ!聞いてたら間違いなくやらなかったぞ!」

倒れたまま果敢に抗議する僕を無視してホワイトボールは部下たちに命じた。

「こいつはまだ武器を隠し持っているかもしれない。服を全部脱がして調べろ。」

「やめろー!それだけはやめてくれー!勘弁してくれー!お願いだー!見逃してくれー!何でもするー!許してくれー!」

「突然の取り乱しように少し引いてしまったが…何故そこまで嫌がるのか理由を聞こう。」


≪05:23 シベリア上空≫

彼女のいる前では絶対に服を脱ぎたくない理由。

僕は彼らに、以前みなみと富士登山をした際の大惨事について話し始めた。

不測の事態により、あろうことかパンツ一丁で富士山頂まで登山する羽目になった事。
頂上から滑落して全治半年と宣告されたが、みなみの励ましのお陰もあって1週間程で退院できた事。
そして、二度とみなみの前ではパンツ一丁にならないと神様に誓った事。
ついでに関係ないが、夏に2人で一緒にディズニーランドに行った事。

全て話し終えるまでに3時間弱かかったが、僕の話を聞いて、ロシア兵たちの何人かは泣いていた。

「…話は分かった。しかし調べないわけにはいかない。」

「ちょっと待って下さい、Mr.ホワイトボール!」

「なんだ、同志シャイネス。」

先程僕の左足を叩き折ったシャイネスと呼ばれる屈強な兵士は、ホロリホロリと滂沱の涙を流していた。

「武士の情けです。ズボンだけは返してやりましょう。」

「…わかった。では全身くまなく調べろ。」

僕は衣服を全て脱がされ身体の隅々まで調べられた。
途中みなみが起きてこないかと心配だったが、幸い彼女は横の席で相変わらずぐっすりと眠ったままだった。

操縦室から指揮官のノーフェイスが戻ってきた。

「終わったか?ホワイトボール。」

「はい、問題ありません。」

「この日本人には後でたっぷりと苦痛を味わってもらおう。作業完了まで女と一緒に閉じ込めておけ。」

苦痛…まさか…
僕は絶叫した。

「まさか着陸まで機内食やドリンクを一切与えないつもりじゃないだろうな!?」

「私が言うのも変だが、お前はこの状況をもう少し深刻に受け止めた方がいい。連れて行け!」

パンツとズボンだけを返され、僕はみなみと共に機内最後尾の鍵のかかる狭いコンパートメントへと押し込められた。

通路側のドアには外側からガッチリと鍵がかけられ、押しても引いてもビクともしない。
ドアはもう1つあるが、それは機外への緊急脱出扉で、当然だが飛行中は使えない。

そして、ここに至ってようやくみなみが目を覚ました。

「あれっ?ここどこ? えっ!なんで上半身裸なの!?この変態!わきまえよ!!」

しかし今は詳しく説明している余裕がない。
このままだと弾道ミサイル搭載用のプルトニウムが敵の手に渡ってしまう。

「みなみ、僕を信じて。」

「上半身裸で言うな!」

そして、僕の最後の反撃が始まった。


≪08:51 シベリア上空≫

「ちょっと!ふざけないでよ!」

僕は偶然コンパートメント内にあった防寒着全てを素早くみなみの身体に二重三重に着させ、そしてこれも偶然コンパートメント内に落ちていた長さ10m程の丈夫な金属製ワイヤーをみなみの身体にグルグルと巻き付け縛り始めた。

「こわいよー!こわいよー!」

しかし時間がない。
もう片方のワイヤーの端を、コンパートメント内を上下に走る一番頑丈そうな配管に固く結びつける。

「何するのか知らないけど嫌な予感しかしません…」

「大丈夫!じゃあ行くよ!」

「ちょっと待って!2秒待って!」

「1…2…じゃあ行くよ!」

「待って待って!まいちゅん!まいちゅーん!(泣)」

「死に際に呼ばれる女はここにはいないよ。」

僕は緊急脱出レバーの透明アクリルを、唯一無傷の右手で叩き割ろうとした。

「ホギャー!」

アクリルは思ったより固く、今度は右手に致命的な突き指をしてしまった。

しかし躊躇している暇はない。
渾身の力を込めてもう一度拳を振るうと遂に透明アクリルが割れ、僕は赤い金属のレバーに手をかけると一気に引き下ろした。

次の瞬間、凄まじい音を立てて非常扉が機外へ吹き飛ぶと同時に、急激な減圧で通路側の施錠したドアも蝶番ごと内側に吹き飛んできた。

「グギャー!」

素早くみなみを守るように覆いかぶさったが、通路側のドアが激しい勢いで僕の丸裸の背中に激突し、今度は背骨が折れてしまった。

高々度で突然減圧された機体は完全にコントロールを失い、地面に向かって急降下を始めていた。
もの凄い勢いで機外に吐き出される空気と引換えに、高度2万フィートのマイナス50度の外気が流れ込んでくる。

今回はズボンを履いているとは言え、とても耐えられる寒さではない。
背中の激痛と寒さに耐えながら、僕は防寒着にくるまれたみなみを抱きかかえ優しく語りかけた。

「これから僕のしようとしている事は、あまりに危険過ぎるから…こうするしかないんだ。」

観念したようにみなみは目を閉じる。

「…はい…もう…はい…」

「また後で会おうね。」

そして僕は非常口からみなみを勢いよく機外へと放り投げた。

「ギャーーー!!!」

みなみの身体に繋いだワイヤーがピンと張った。
彼女が脱出口から7~8m後方の真っ暗な空中で、絶叫しながら凧のように激しく回転しているのを確認する。

「よし、これでみなみは安全だ。」

機内のデジタル時計では既に午前9時近いが、この季節のシベリアだと夜明けまで後1時間はかかるはずだ。

僕は意を決してコンパートメントから通路に出た。


≪08:55 シベリア上空≫

機内はパニックに陥っていた。

突然の機体の急降下によりロシア兵たちは床や天井に激しくぶつかりながら、指揮官ノーフェイスの指示で必死に前の座席から10ケースのプルトニウムから回収しているようだ。

機外に脱出する気なのか?

しかし今の彼らには、僕に気を向ける余裕などない。
チャンスだ。

僕は通路を這ったまま進み、まだ回収の済んでいない最後のプルトニウムが設置されている最後方の座席までどうにか辿り着く事が出来た。

そして放射能遮断ケースに収められたプルトニウムを手にすると僕は最後の力を振り絞り通路に立ち上がった。

「あっ!貴様!」

ノーフェイスがようやくこちらに気付き銃口を向ける。

「それをこちらに渡せ!」

渡すものか。

僕は不敵に笑うとプルトニウムのケースを手前に突き出し、そしてパックリとケースを開けた。

「えええーーーっ!!!」

ロシア兵たちは再び大パニックに陥った。
全員の目に驚愕と戦慄の色が浮かんでいる。

「開きましたー。開きましたよー。」

焼いた貝がパックリ開いた時の、愛するみなみの口調を完コピしながら、僕はジリジリとロシア兵たちに詰め寄っていく。

「開きましたー。開きましたよー。」

「退避!退避!」

ノーフェイスの命令でロシア兵たちは激しく揺れる機内を一斉に前部非常扉の前まで移動し、そしてプルトニウムを持ったまま次々とパラシュートで脱出し始めた。

「逃がすか!」

僕はケースの蓋を閉め、最後の力を振り絞って前部非常扉へと敵を追った。

しかし辿り着いた時には既に、指揮官以下ほぼ全員がパラシュートで脱出した後だった。

そして最悪な事に、大柄なロシア兵シャイネス1人が残り、開放された脱出口を背に立ちはだかっていたのだ。
 

≪08:58 シベリア上空≫

僕は覚悟を決め、大柄なロシア兵に近付いて行く。
しかし意外な事に、彼は僕に自分のパラシュートとプルトニウムの入った背嚢を差し出してきた。

「死を恐れぬ日本人、これをやろう。」

「えっ?何故?」

「追うんだろう? 奴らを。」

「いや、流石にそこまでは考えてませんでしたけど…」

しかしその瞬間、コントロール不能の機体が大きく右に傾いた。
不意をつかれバランスを崩したシャイネスは転倒し、そのまま脱出口から機外へと転がり落ちそうになった。

「危ない!」

僕は咄嗟に右手を差し出したが、運の悪い事にそれは先程思いっきり突き指した方の手であった。

案の定、手を掴み損ね万事休すかと思ったが、そこは流石に鍛え抜かれた特殊部隊隊員だけの事はある。
なんと彼はギリギリのところで僕のズボンの裾に掴まっていた。

身体全体を激しく空中で揺らしながら、彼は必死に僕のズボンを片手で掴んでいる。

「離すなよ!」

しかし、遂に彼の重量を支え切れなくなった僕のズボンは、凄まじい音を立てて真っ二つに裂けてしまった!

「ダスヴィダーニャー!」

僕の裂けたズボンをしっかりと掴みながら、何故かはにかむような表情を浮かべ、彼はシベリアの空へと吸い込まれていった。

「すまない…ありがとう。」


≪09:15 シベリア上空≫

「終わった…」

後はこの飛行機を近くの空港に緊急着陸させ、ロシア当局に通報すれば良いだろう。
恐らくプルトニウムがあの国に届く事はあるまい。

しかし困ったのはこの格好である。
二度とパンツ一丁の姿にはなるまいと固く心に誓っていたのだが…
富士山よりも遥かに高い場所でパンツ一丁になってしまっているじゃないか!

しかもいま完全に露出してしまったパンツは、フィンランドの土産物店で見つけ、みなみに内緒でこっそり購入した、前面に超立体的なトナカイの顔が雄々しく立派な角を広げている斬新なデザインである。

こんな恰好を彼女に見られでもしたら…はっ!そう言えば…

「みなみ!!」

放射能を浴びないよう、安全に機外へと避難させた彼女は無事だろうか!?

慌ててみなみの元に戻ろうとした瞬間、なんと自力でワイヤーを手繰り寄せて機内へと無事生還したばかりの彼女と鉢合わせしてしまった!

トナカイのパンツ一丁の僕を見て瞬時に固まる彼女。

「あ、あの…」

「キャーーーーー!!!」

絶叫した彼女の正面蹴りをまともに食らい、僕は脱出口からシベリアの大空へと舞い落ちていった。

 
≪09:16 シベリア上空≫

最後の一撃が、まさか愛する彼女からになるとは。

何だか少しおかしくて、時速180kmを超える速度で空中を落下しながら、パンツ一丁の僕は色々と今回の旅の事を思い返していた。

こんな状態でも少し余裕があるのは、落下する寸前にあのロシア兵が渡してくれたパラシュートをこの手にしっかりと掴んでいたからである。

しかしまぁ、あまり余裕を見せ過ぎて、間に合わずに地面に激突でもしたら恥ずかしい。

そろそろパラシュートを背負わねば、と自分が握り締めているものを確認して愕然とした。

「しまった…こっちはただの背嚢だった…」

急激に死への恐怖が押し寄せてきた。
ようやく遅い夜明けを迎え、果てしなく広がるシベリアの大地が物凄いスピードで僕に迫ってくるのがハッキリと見える。

パラシュート無しでスカイダイビングをしているパンツ一丁の僕。
この最大のピンチ、一体どうすれば…
いや…焦ったところで、もうどうしようもないのか。

「みなみ、今までありがとう。」

全てを諦めかけていたその時、眼下の遥か遠くに幾つかの人影が降下している姿を発見した。

「しめた!」

あれは僕より前に機外へと脱出していたロシア兵たちだ。
彼らはかなり広い範囲に散開して降下している。
奇跡的な事だが、気流の関係か何かで追いついたらしい。

しかし先にパラシュートを開かれてしまうと完全にアウトだ。
僕は最後の力を振り絞って、頭を下に急降下しながら彼らに近づいて行った。


≪09:17 シベリア上空≫

僕は降下しているロシア兵の1人に狙いを定め、後方からゆっくりと近づいて行く。

そしてタイミングを計り一気に組み付いた。

「うわっ!」

それは偶然、指揮官のノーフェイスだった。

突然、空中でパンツ一丁の日本人に後ろから抱きつかれ、彼は激しいパニック状態に陥ったようだった。

僕は混乱に乗じて無理矢理パラシュートを奪い取ると、渾身の力を込めて彼を遠くに蹴り飛ばした。

「アアアーーーッ!!!」

恨めしそうな断末魔の絶叫を残し、指揮官ノーフェイスはシベリアの空に消えて行った。

残念ながら衣服は奪い取れなかったが、これで地上への激突だけは避けられそうだ。

他の兵士たちはまだ気付いていない様子で、間もなく次々とパラシュートを開き始めた。
曙光が差すシベリアの大空に次々と咲く、真っ白い薔薇の花模様のような落下傘が美しい。

僕は出来るだけ彼らと距離を取り、地上に近いギリギリの高度でパラシュートを開いた。


≪10:24 クラスノヤルスク郊外≫

「みなみは無事だろうか…」

パイロットの判断で、どこか近場の空港にでも緊急着陸してくれていると良いのだが。

凍てついたツンドラの大地に無事着地した僕は、激しい寒さに震えながら必死に身を隠す場所を探していた。

高度2万フィートの寒さも想像を絶していたが、地上とは言えここは雪と氷に閉ざされた真冬のシベリアなのだ。

永久凍土に際限なく降り積もる雪が強風で舞い上がり、僕の体力はもうあと僅かしか保ちそうになかった。

「あれは!?」

1時間ほど雪原を彷徨った後、僕は完全に凍っている大河の畔に一軒の炭焼小屋を見つけた。

「助かった…」

上空で最後に見た時には、ロシア兵たちは河を挟んで反対側に降下していたようだった。
ここまで探しに来るとしても時間はかかるだろう。
とにかくまず衣服を探さなくては。

急いで小屋に近寄ろうとしたとき、突然、大音響とともに爆発が起こり、小屋は一瞬で跡形もなく吹き飛んだ。

僕も爆風で10mほど後方に吹き飛ばされ、そのまま意識を失った。


≪10:33 エニセイ川河畔≫

「日本人!聞こえるか日本人!」

誰かが拡声器で呼びかけている。

僕は朦朧とした意識のまま、再びシベリアの大地に立ち上がった。

さっきまで小屋のあった場所はまだ炎を上げている。
僕は河の畔まで進み、そして自分の運命を悟った。

この河さえ凍っていなければ…

氷上には小屋を砲撃したと思われるT-72戦車1輌とBTR-80装甲車2輌が並び、その砲身からはまだ蒸気が上がっていた。
そして、その両側には無数のロシア兵が整列し僕に銃口を向けている。

「えー日本人…何故そんな格好なのかは知らないが…」

T-72戦車のハッチから拡声器で呼びかけているのは、機内で死闘を繰り広げた相手、副官のホワイトボールだった。

「そのプルトニウムを渡してもらおう。」

シベリアの大地でロシアの戦車隊と対峙するパンツ一丁の僕。
今度こそ万事休すか。

しかし、河面の状態を見た瞬間、僕の脳裏に閃きが走った。
そうだ、やるしかない。

「わかった!そちらへ行く!」

僕はプルトニウムの入った背嚢を持ち、戦車隊の方に向かって歩き始めた。

そして、凍った河の上まで進むとそこで止まり、背嚢を傍らに放り投げた。

「何をしている!」

日本人、裸、真剣勝負とくればこれしかない。

パンツ一丁の僕はゆっくりと腰を落として足を開き、蹲踞の姿勢を取った。

「ま、まさか…雲龍型!?」

ロシア兵たちはかなり戸惑っているようだ。

今年1年、色々とあった相撲界への鬱憤を晴らすかのように、僕は最後の力を振り絞って、シベリアの大河の上で四股を踏み始めた。

よいしょー!よいしょー!

僕の四股に呼応するように、足元の氷が振動し始める。

よいしょー!よいしょー!

「や、止めろ!撃て!日本人を撃て!」

しかし、先程の砲撃で表面に亀裂が走っていた河面の氷は、遂に戦車と装甲車の総重量を支えきれず突然瓦解し始めた。

「うわぁぁーーー!」

凄まじいスピードで粉々に砕け散っていく河面の氷。
戦闘車輌や重装備の兵士たちは成す術もなく、エニセイ河本来の激しい濁流に次々と呑み込まれて行った。

たまたま泳ぎやすい格好だった僕は、全身ずぶ濡れになりながらも何とか岸辺に這い上がり、そのまま意識を失った。


≪13:55 エニセイ川河畔≫

「…ちゃん!…ちゃん!」

みなみが僕を呼んでいる。

目を開けると、みなみが涙を浮かべながら心配そうに僕を覗き込んでいた。

「良かった…無事だったんだね、みなみ。」

「飛行機から蹴り落としてごめーん(泣)」

「全然たいしたことじゃないよ!そんな事よりみなみは怪我しなかった?」

「みなみは大丈夫だよ!」

みなみを乗せた飛行機は近くの空軍基地に緊急着陸し、そのまま彼女はロシア連邦警察を引き連れ駆けつけてくれたとの事だった。

生き残った反乱分子はすべて拘束され、ホワイトボールは河底に沈んだ戦車と運命を共にしたらしい。

河岸に横たわっているパンツ一丁の僕には幾重にも毛布がかけられていたが、半日以上裸で氷点下の世界にいた身体はまだ冷えきっている。

「身体が氷みたいに冷たい!(泣) とにかく急いでこれ食べて!」

「これは何?」

「パン♡」

いやいや、言い方は可愛いけれど…
ここはウォッカとか温かいボルシチが正解だろう。

「えーと…何故パン?」

「だってー、もうそろそろパン出しとかないと…ほら、タイトル的に…てへっ♡」

「あっ、なるほど。」

全てを察した僕は、みなみの差し出すパンを受け取った。
ライ麦だけで焼き上げた大きく固いロシアパン。
すっかり冷え切って氷の塊のようなパンを口に運ぶ。

「あー…歯が立たないとはこういう事だったのか。」

そんな事を考えながら、僕は再び意識を失っていた。


≪翌11:47 クラスノヤルスク陸軍病院≫

「二人とも大変だったねー」

僕たちが何故か国境を越えロシアに入り、ムルマンスク近くの空軍基地に向かったとの緊急連絡をフィンランド政府から受け、アンプラグドライブを終えたばかりの生田さんが中央ロシアの陸軍病院まで駆けつけてくれた。

「生ちゃん、色々とありがとー♡」

みなみは30分程飛行機からワイヤー1本で吊り下げられていた訳だが、幸い怪我もなく元気だった。

一方、病室のベッドで安静にしている僕も、幸いな事に両手両足骨折と全身凍傷、軽い放射能汚染程度で済んだらしく数日後には退院できる見込みらしい。

みなみには年末の番組出演に間に合うよう、生田さんと一緒に一足先に日本へ帰ってもらう事にした。

僕と一緒に帰ると言い張って散々駄々をこねたみなみだったが、説得していた生田さんが遂にマジギレしたのにビビり、大人しく帰国する事を了承した。
 

≪14:00 クラスノヤルスク船着場≫

日本へ帰る2人を船着き場まで見送る。
昨日僕がエニセイ河の氷を割ったお陰で一時的に水運が復活し、数隻の船舶が行来していた。

小型の蒸気船にみなみと生田さん、護衛のフィンランド大使館員たちが乗り込む。

「気をつけて帰るんだよー!」

「うん♡日本で待ってるねー!」

蒸気船はゆっくりと桟橋を離れ、小型エンジンの軽快な音を響かせながら河を下って行く。

みなみと生田さんは船のデッキに立ち、そして僕に向かってロシア式の敬礼をした。
僕も思わず笑って二人に答礼を返す。

やがて生田さんが船上から、あの透き通るような美しい歌声で歌い始めた。

♪戦う者の、歌が聞こえるか?
    鼓動があのドラムと響き合えば♪

いつの間にか河岸には、ロシアの農民、漁師、商人たちが大勢集まり、声を合わせて一緒に歌い出した。

♪新たに熱い、命が始まる。
    明日が来た時、そうさ明日が♪

生田さんとロシアの労働者たちが高らかに合唱する『民衆の歌』は、やがて蒸気船と共に遠ざかって行った。


≪12月30日 22:00 自宅マンション≫

乃木坂46が第59回の日本レコード大賞を受賞した。

僕はテレビの前でみなみや生田さんたちの晴れ姿をしっかりと見届け、胸を撫で下ろしていた。

「本当に間に合って良かった。」

何故かみなみと生田さんは帰国が僕より遅れ、実は今日の午後、日本に着いたばかりだ。
成田のみなみから電話連絡があり、空港からそのまま新国立劇場に直行し、ぶっつけ本番で出演するとの事だった。

「ちょっと待って!生ちゃんに代わるね♡」

生田さんは申し訳なさそうに謝ってくれた。

「このような事態となり、恥ずかしいの極みでございます…」

あの時、2人が何故か船で帰って行ったのをずっと不思議に思っていたのだが、やはり根本的に間違っていたようで、気付くまで真っ直ぐ北極海の方へと向ってしまったらしい。
それからあちこち経由して、帰国する迄に大幅に時間がかかってしまったとの事だった。

生田さんはしきりに恐縮しているが、今回の旅で何から何までお世話になった彼女には感謝しかない。
僕は電話口で謝り続ける生田さんに礼を言う。

「いえいえとんでもない!今回の御礼に僕とみなみが招待しますので、次は是非3人で温泉旅行にでも行きましょう!」

「いやらしい目で見なければ!」

いいのか!?
本当に変わった人だ。

しかし、そんな2人が日本レコード大賞受賞とは本当に良かった。
今年も1年間頑張ったみなみを盛大にお祝いしてあげなくては。


≪大晦日 19:15 自宅マンション≫

第68回の紅白歌合戦が始まった。

1年を目まぐるしいスピードで駆け抜けた乃木坂46の、今年最後の仕事が始まる。
僕は急いでシャワーを浴び、リラックスした格好となってその時を待つ。

曲はレコード大賞受賞曲『インフルエンサー』だが、実は放送直前に深刻な機材トラブルが起こったらしく、生中継で出演する予定だった何組かの大物アーティストのコーナーが中継不可能となったらしい。

それで何と、白組はXJAPAN、そして紅組は乃木坂46がもう1曲づつ歌って大幅に空いた時間を繋ぐ事が急遽決定したのだ。

「お、始まった!」

ToshiがアカペラでNHKみんなのうた『北風小僧の寒太郎』をしっとりと歌い上げ会場に感動の余韻が残る中、有村さんからの曲紹介で、あのワクワクするようなイントロがNHKホールに流れる。

これは!紅白初披露の『制服のマネキン』だ!

先頭を切って元気に飛び出してきたのは生田さん。
決めポーズはなんとあのロシア式の敬礼だ!

続いて僕のみなみが可愛く飛び出してきた!
やはりロシア式の敬礼にウィンクでポーズを決めた!

最後の生駒さんは、生田さんとみなみの敬礼にかなり困惑している表情だったが、やはり同じように敬礼で決めポーズをしてくれた。

♪恋をするのは、いけないことか♪

その時、窓の外に複数の車が停まる気配がした。

3階の窓からカーテンを少し開けマンション前の道路を確認する。
黒塗りの自動車数台からスーツの男たちが次々と降りてくるのが見えた。

大晦日のこんな時間に…はっ!もしかして!

誰よりも直感力に秀でた勘の鋭い僕は、機敏にクローゼットを開けロシアから持ち帰ったままになっていた背嚢を開けた。

「やはり…」

背嚢の中には存在すらポックリ忘れていたプルトニウム1個がそのまま入っていた。

♪汚れなきものなんて、大人が求める幻想♪

僕は知らないうちに太陽を盗んだ男となっていたのか。

日本語でもロシア語でもない、あの外国語の話し声が部屋の外から徐々に近づいて来る。

もう着替える暇はなさそうだ。

今の僕はパンツ一丁ではないが、考えようによってはそれよりマズイ格好なのだ。

それはウサギのパジャマ。
そう、みなみとお揃いの両耳までしっかりと立った可愛いウサギの着ぐるみ風パジャマを着ているのだ。

「是非もなし。」

僕は急いで部屋中の明かりを消し、やはり背嚢に入れたままポックリ忘れていたイジェメックMP-443自動拳銃を取り出し弾倉を確かめる。

玄関のドアがカチャカチャと音を立て始めた。

「みなみ、新成人おめでとう。」

僕は暗闇に息を潜め、撃鉄を起こしその時を待つ。

そう、獲物に襲いかかる前の兎のように。


【完】

20180103-02