【注意】
この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。また妄想成分が多大に含まれていますので、閲覧にはじゅうぶんご注意ください。
――これは、わたしたちが、わたしたちを見つける、わたしたちの物語。
小説<乃木坂>
第4部【制服のマネキン】
第5話「指望遠鏡」
※目次はこちら
ここは、どこなんだろう。
生駒里奈は怯えた瞳で周囲を見渡す。見慣れた場所なのに、見慣れていない。いつも利用するグラウンドにいることは間違いない。しかし、広がっているはずの青空はなく、ただただ赤で塗り込められた空が広がっている。校舎も、地面も、すべてが赤い。
喉の奥から、嗚咽が込み上げてくる。生駒は口を手で覆った。声はそれでせき止められたが、代わりに涙があふれる。
「い、いくちゃん」
塞いだ口の隙間から、目の前で凛と立つクラスメイトの名前を呼ぶ。生田絵梨花はその声に一瞬だけ振り返り、生駒に優しく微笑みかける。
「わたしが守るから安心して。生駒ちゃんはそこで見届けるだけでいい」
生田は前を向き、そのまま言葉を続ける。
「いつかあなたが戦うときのために」
わたしが……戦う?
生駒は呆然とつぶやき、誰と、と口走る。生田はその答えをはっきりと告げた。
「あなたを監視してる存在」
生田は西野のほうに向かって歩き出す。待って、と声をかけようとしたが、言葉は嗚咽に変わった。脳がこの現実を拒絶している。戦うことも、監視のことも、すべてが受け入れられない。
目の前にいた生田が移動したことで、その向こうにいる少年の姿がはっきりと視界に入る。まだ子どもだ。生駒はその表情を見ようと、涙をふいて、目を凝らす。
そして、背筋が凍った。
その少年は、唇を歪ませ、鋭い瞳でまっすぐにこちらを見ている。視線だけで殺されてしまいそうな恐怖。少年の口が開いた。距離は遠い。何を喋っているか、本来であれば聞き取れるはずはない。
しかし、まるで耳元で叫ばれているかのように、はっきりと聞こえてきた。
ケ・シ・テ・ヤ・ル
……。
――もうイヤだ!!
生駒はその場から走り出す。どこに向かうかなんてわからない。ただこの場所から離れたかった。脇目も振らず、転びそうになりながらも必死で走った――。
「あーあ、逃げちゃったよ」
ハルは、無様に駆け出した生駒の背中を見て、ケラケラと笑った。
「ちょっと脅しただけでこれだもん。情けないなぁ。君たちも大変だね。あんな弱いやつが希望だなんてさ」
生田はその言葉を無視し、座りこんだ西野の肩に手を置く。西野は気を失った高山を抱きかかえていた。
「深川さんに傷を治してもらって。早く」
「でも力を封じられて――」
「だいじょうぶ。もう解除したから」
「え……」
西野は力――【越(えつ)】を使うべく、意識を集中する。そして、はっと生田の顔を見上げた。戻っている。生田の言う通り、ハルに封じられた力は確かに戻っていた。
でも、どうやって。生田は言った。「もう解除したから」と。西野が知っている生田の力は【操(そう)】。対象を操れる力。その能力に、他人の力を解除する効果はないはず……。
「早く」
生田は強い口調で言う。西野は高山を抱きかかえ、いつでも世界を越える準備をして、生田に問いかける。
「あなたは?」
「あの子を消す」
「ひとりで?」
「ひとりだからよ」
生田は簡潔に答えると、西野に向き直る。
「わたしが知ってることを、あなたは知らない。あなたの知ってることを、わたしは知らない。そして、わたしたちが知らないことを、秋元真夏が知っている」
いま、言えることはそれだけ。最後に生田はそう言って、背中を見せる。話はもう終わりという意思の現れだった。
これ以上ここにいるのは足手まといでしかないだろう。西野は生田に質問したい気持ちをおさえ、一言だけ残す。
「あっちの世界で待っとる」
そして、高山とともに世界を越えた。残されたのは生田とハル。ハルは大仰に手を広げて見せた。
「お別れは済んだのかい?」
「お別れなんて言わないわ。だってまたすぐに会えるもの」
「つれないなぁ。感動のシーンを邪魔する野暮をしなかったのにさ」
「野暮? 黙って見てるしかなかったのに?」
「……何を言ってるのかな?」
「あなたはわたしを怖がっている。だから迂闊に手を出せない。逃げ出した生駒ちゃんを追いたくても追えない。そう、わたしに怯えているから」
「誰が、誰に、怯えているだって?」
「聞こえなかったの?」
生田は、ハルを指差し、
「あなたが」
その指を自分自身に向ける。
「わたしに」
生田がそう言ったと同時に、ハルは両手を天に掲げた。地面が震える。まるで世界が崩壊するかのような地鳴りとともに、ハルの立っている地面が盛り上がっていく。見る見る間にその盛り上がりは巨大化し、人の形を作っていく。それは先ほど西野に襲いかかった土人形だった。しかし大きさがまるで違う。
乃木坂学園の校舎と同じ高さまで大きくなった土人形。その肩に乗ったハルは、勝ち誇ったように眼下の生田に叫ぶ。
「生田絵梨花! これでも同じ言葉を言えるかい!」
頭上から降り注ぐ勝ち誇ったハルの声にも、生田は無表情でいた。
「ムカつくな!」
ハルはさらに激昂すると、土人形はますます巨大化する。空を突き抜けるほどの大きさになった土人形の頭は、生田の視線からはもう見えなくなった。
「おまえみたいなちっぽけな存在にボクが怯えるわけないだろ!」
まるで世界に響く雷鳴のようなハルの声にも、生田は微動だにしなかった。静かに土人形を見上げている。
「さあ泣けよ! わめけよ! おまえたちはそういう風に作られてるだろ! 人形が偉そうにするな!」
土人形の足が地鳴りをあげて持ち上がる。そしてゆっくりと自分に向かってくるその足を、生田は他人事のように眺めた。圧倒的な大きさを持つ足は、今から全力で逃げても避けられない。でも、生田はもとよりその場から動くつもりはなかった。
そして、踏み潰される――寸前に生田はさっと手をあげた。その手と土人形の足が触れた瞬間、赤い世界が光に包まれる。次の瞬間、土人形は跡形もなく消え去り、その場にはハルが怯えた表情でしりもちをついていた。
「な、なんだよ、おまえの力……聞いてたのと違うじゃないか……」
震える声でハルは言う。しかし生田はその問いには答えず、厳しい視線を向けた。
「さっき言ったわね、生駒ちゃんのこと弱いやつだって。あんな弱いやつが希望だなんて大変だって」
そう言って生田は、生駒が逃げ込んだ学園に目を向けた。
そのまま少しだけ笑い、強く言う。
「彼女を……生駒里奈を、みくびらないで」
――そしてハルは、絶叫する。
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桜井玲香が呆然とつぶやいたその一言に、生徒会室は沈黙した。どう反応していいのか誰もわからない。
「若月……?」
中田花奈がようやく桜井にそう問いかけた。しかし桜井は虚空を見つめたまま返事をしない。中田はなおも聞き募る。
「玲香は何を思い出したの?」
「……若月!」
急に桜井は中田の肩をつかんだ。そして必死の形相で問い詰める。
「花奈! 若月はどこ!? どこにいるの!?」
「え……若月って……だれ?」
「なんで!? なんでそんなこと言うの!?」
「ちょっと玲香、落ち着いて……」
「わたしが若月と一緒にいるのいつも反対してたでしょ!」
あ……。桜井は一瞬言葉を止めると、困惑する中田の顔を凝視し、つかんでいた肩を突き飛ばす。中田はちょうど後ろにいた深川麻衣に抱きとめられた。
その桜井の行動に誰かが異を唱える前に、
「若月を返して!」
彼女は叫んだ。
「わたしが若月のこと好きだと都合が悪いんでしょ! だからみんなで若月を隠したんだ! 返してよ! 若月を返して!」
髪を振り乱して叫ぶ桜井に、秋元真夏が一歩近づく。
「若月に会いたい?」
緊迫した空気のなか、秋元は笑顔でそう言った。続けて。
「若月が会いたくないと言っても、会いたい?」
桜井は迷わなかった。迷わずに強く頷く。
「若月から言われるまで信じない。だから直接会うまで信じない」
「辛い思いをするよ?」
「若月に会えないほうがずっと辛い」
「どうしてそんなに若月のこと?」
桜井はそこで大きく息を吐いた。少し冷静さを取り戻したのか、中田に「ごめん」と一言告げ、生徒会長の椅子に座る。
「理由なんてないよ。若月のことが好きなの。誰に反対されたって、若月がそこにいてくれたら、それでいい」
それにわたしは、と続ける。
「若月のこと、絶対に忘れないって、あのとき誓ったんだ……。それなのに今まで忘れてた。だから、ちゃんと謝りたい」
「玲香は悪くない。あなたが忘れたのはこの世界のせいだから」
「……世界?」
「そう、世界が若月を――」
――唐突に。音もなく。
桜井と秋元の間に、西野七瀬と、そして血だらけの高山一実が現れる。
「まいまい! お願い!」
驚きよりも先に中田が声をあげるが、深川は言われる前から動いていた。高山の側でしゃがみこみ、彼女の頭を自分の太ももに乗せる。そして手をかざすと、高山の体全体が淡い光で包まれた。
今ここにいるメンバーは、星野みなみ以外は乃木坂学園の3年生。西野と高山とは面識があった。視線は西野に集中する。いったい何があったのか。代表して、桜井が声をかけようとした瞬間――、
また、世界が色を変える。
「え? え? えええ!?」
そのなかで素っ頓狂な声をあげたのは、星野だった。自分の力で記憶を取り戻させた桜井が錯乱し、知らない上級生、しかもひとりは血まみれで突然現れ、それだけでもついていけないのに、生徒会室から見える外が真っ赤に染まり、そして――、
「みんなどこにいったのよ!」
誰もいなくなった。
「ちょっと!」
叫ぶも、自分の声がこだまするだけ。まるで脳が現状を理解しようとしない。星野は無意識で生徒会室を出ようとした。どこにいくかも考えていない。ただ操られるように歩を進める。
そのとき、星野の耳に誰かのすすり泣く声が聞こえた。
恐怖感はなかった。むしろ、ひとりではなかった喜びのほうが大きい。
星野は声の方向を見る。生徒会室の片隅。そこに彼女はいた。膝をかかえ丸まっている。かろうじて制服のリボンが見えた。このリボンの色は2年生。ひとつ上、先輩だ。顔は見えない。でもなぜか、以前にも会った気がする。学園内ですれ違ったことがあるのだろうか。
「あ、あの……」
星野が声をかける。彼女は、びくんと体を震わせたあと、ゆっくり顔をあげ、星野を見つめたあと、指で望遠鏡をつくるようなポーズをした。
「え? なに?」
その奇怪な動きに星野はおもわず後ずさる。彼女は鼻をすすったあとに囁くように言った。
「いや、人間かなって思って」
「人間よ!」
「そっか、人間なんだ……」
「なんでガッカリするのよ!」
それにさ、と星野は続けて、自分も指で望遠鏡をつくる。
「これで見たって人間かどうかなんてわからないでしょ?」
「……あ」
「え? どうしたの?」
「あなた、誰?」
「いま聞く!? それ!?」
星野が全力で突っ込むと、彼女は赤い目を伏せて、悲しそうに笑った。
「やっぱりこれ……夢じゃないんだ。だって普通の人に会っちゃうんだもん」
「夢をなんだと思ってるのよ……」
星野はため息をついて、彼女に近づく。やっぱり。心で思う。どこかで……どこかで会ったことがある。そして勝手に言葉が口から飛び出してきた。
「い、こま……り、な。生駒里奈」
彼女は不審げに星野を見る。名乗ってないのにどうして?と顔が言っていた。
「あ、いや、なんでだろう……わたし、あなたを知ってるみたい。どこかで会った?」
「ううん。みなみと会ったことはないと思う」
「……」
「……」
「え?」
「え?」
――知らないはずのふたりが、知らない世界で出会ったとき、乃木坂学園の屋上で、“彼女”の姿をした“彼”がつぶやく。
「生駒里奈、生田絵梨花、星野みなみ……やはりおまえたちが世界の真実をみるか」
“彼女”は笑った。
しかしその瞳からは涙があふれる。
ただの入れ物でしかない“人形”が涙を流していることに、“彼”はまだ気づかない――。
<第4部【制服のマネキン】最終話「制服のマネキン」につづく>
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