【注意】
この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。また妄想成分が多大に含まれていますので、閲覧にはじゅうぶんご注意ください。

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――これは、わたしたちが、わたしたちを見つける、わたしたちの物語。


小説<乃木坂>

第4部【制服のマネキン】


最終話「制服のマネキン(前編)」 

※目次はこちら  





「えっと……」

 星野みなみは、その場にぺたんと腰をおろし、生駒里奈と向かい合う。

「落ち着いて考えよう」

 素直に頷く生駒を見て、星野は内心で舌打ちした。なんで年下のわたしが仕切らないといけないのよ。本当だったら、先輩のあなたがやるべきでしょ……。

「わたしは星野みなみ。1年生よ」

 星野は制服のリボンを見せる。

「あなたは生駒里奈。2年生。間違いない?」

 頷く生駒を見て、星野は言葉を続ける。

「で、確認なんだけど、なんでわたしの名前知ってるの? どこかで会った?」
「はじめて会ったと思う」

 だよね、と星野は腕を組んだ。自分自身もなぜ生駒里奈を知っているのか説明できない。でも、確かに彼女を知っている。とはいえ、今はその疑問で止まっていられない。確認すべきことはほかにもたくさんある。

 星野は誰もいなくなった生徒会室を見回す。

「わたしはここでみんなといた。でも、あっという間にみんな消えたの」

 そう言って、視界を外に向ける。赤い空が広がっていた。その異常な光景を見ても、不思議と恐怖心はない。この状況を受け入れつつあることに、自分自身が一番驚いてた。まるで何度も経験しているかのよう……。

 そこでふと確信めいた考えがひらめく。

「そうか。みんなが消えたんじゃない。わたしひとりが、みんなとは違う世界に飛ばされたんだ」

 そうなると、今ごろ向こうでは「みなみが消えた!」と大騒ぎしているかもしれない。だったら問題は意外と早く片がつく。きっと助けにきてくれるだろう。なにせ不思議な『力』をもったみんなだ。

 ……いや、そんなうまくいかないか。失踪した生徒が帰ってくるケースは聞いたことがない。

 そこまで考えて、星野は生駒に視線を投げる。あなたはどうしてここに? と目で問いかけた。

 しかし生駒は答えない。

 星野は生駒から情報を聞きだすことを諦め、頭で状況を整理する。

 アンダー。

 以前、副生徒会長の中田花奈から説明を受けたアンダーという存在。乃木坂学園で頻発している失踪事件の犯人らしい。しかしその実態はなにもつかめていない。

 でも、そこでひとつの疑問が浮かび上がる。

 実態をつかめていないアンダーの存在を、なぜ知っている?

 星野はその疑問を中田にぶつけたが、彼女は「真夏が教えてくれたのよ」と素っ気なく言い放った。大事なのは、秋元真夏がなぜアンダーを知っていたかなのに、中田はそれを話してはくれない。

(もしかしたら、失踪した生徒はこの世界に連れてこられたのかもしれないわね)

 星野はそう考えながら、ホワイトボードの前に移動する。そこには、この学園で「特別な力」を持つ生徒がまとめられていた。自分の名前も当然ある。

 『星野みなみ【除(じょ)】』。

(かっこ悪い名前だなぁ)

 星野はその下にある『齋藤飛鳥【翼(よく)】』を見て、ため息をつく。飛鳥は星野の同級生であり、犬猿の仲でもあり、そして心を許せる数少ない友人のひとりだった。

(飛鳥ばっかりずるい。わたしも翼みたいなのほしかった)

 星野は心の中で飛鳥に舌をだし、さらに目線を下げていく。

 そこで目的の名前を見つける。

 やっぱりそうか……。星野は生駒を振り返る。

 彼女も『力』の持ち主だ。

 ホワイトボードにはこう書かれていた。

『生駒里奈【無】』

 ……無? 無し?

 星野は眉をひそめる。おかしい。わざわざ『力』が「無」いものをここに書く必要がない。一体どういうことか。

「ねえ、生駒……さん」

 一応、上級生なので「さん」付けで呼ぶ。

「あなたの『力』って、なに?」
「ちから?」
「もしかして、自分の力に気づいてない?」

 そのとき、生徒会室のドアが開いた。だれ!?星野は一瞬身構えるが、すぐに大きな息を吐き、全身を弛緩させる。そこに現れたのはクラスメイトの和田まあやだった。

「なんだ、まあやもこっちの世界にきてたのか」

 安心した星野の言葉に、和田は少しだけ微笑む。そしてまっすぐに生駒のもとに向かい、微笑んだまま、彼女の鼻先でつぶやく。

「薄情者」
「……」

 生駒はなにも答えない。和田は続ける。

「いまこうしている間も、あなたを守ろうといくちゃんが戦ってるんだよ。ひとりで。たったひとりで。それなのに、あなたはここで震えてるだけ。とんでもない薄情者だね。自分だけが助かればいいと思ってるんでしょ」
「それは……」
「違うって言える? じゃあ戦いなよ。あなたにはそれができるんだよ。戦う力がある。世界を背負うだけの力がある。それなのに逃げる。いつも逃げる。前を向こうとしない。みんなにだけ戦わせるくせに、自分が一番辛いと叫んでいる」

 急に現れ、生駒に向かってまくし立てる和田に、星野は呆然としてしまった。違う。これはわたしの知っている和田まあやじゃない。彼女は、だれだ?

「だって……」

 生駒が小さな声で答える。

「わたしはなにも知らない。急にそんなこと言われても……わからない」
「知らない。わからない。だからなにもできない。いいね、それで通用するんだから」

 和田はそう言って、外に目を向ける。

「ひとつ良いこと教えてあげる。あなたを守るために戦ってるいくちゃん。彼女、なにを知ってると思う? なにも知らないのよ。世界のことをなにも知らない。ただ、自分が力を持っていて、それを使って助けようとしている。誰を? あなたであり、世界を。なんでだろうね」
「……」
「友だちだからよ。友だちがいるこの世界が大好きだからよ。なにも知らなくても、なにもわからなくても、誰かのために戦っている。でもあなたは助けようとしない。薄情者のあなたはね」

 生駒はなにも答えず、俯いたままだった。和田はため息をつき、生駒の頭に手を乗せる。それでも生駒は微動だにしない。

 和田は先ほどまでの詰問口調ではなく、柔らかく語りかける。

「生駒里奈。あなたがどんなに拒絶しようと、あなたには力がある。なぜだかわかる? あなたが希望だからよ。あなた自身がその事実から目を背けたとしても、世界が許さない。あなたは選ばれた人間。だったら精一杯その力を使いなさい。それがあなた……希望の運命よ」

 そう言って和田は、星野に顔を向けた。

「あとはよろしくね」
「は?」
「生駒ちゃんを立たせるのは、みなみの役目だから」

 そして星野は信じられない光景を目にする。

 生駒の頭に置いた和田の手が、その生駒の頭の中に吸い込まれていく。手だけではない。体全部が彼女と重なる。まるでそれは和田が生駒に吸収されているようだった。

 次の瞬間には、和田の姿が消えていた。いや、星野は確信する。消えたのではない。和田が生駒の中に入り込んだ……。

「どういうことよ……」

 星野はその場でつぶやくことしかできなかった。





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 まず気づいたのは、手足の先から感覚がなくなっていること。指の先を握ってもなにも感じない。足も同じだった。右足を左足で踏んでも、踏んだ感覚も、踏まれた感覚もない。

 その状態で、『力』を使った。

 次に襲ってきたのは倦怠感。体中から力が抜け、気を抜くと倒れてしまいそうになる。しかも、踏ん張る足の感覚がない。気持ちだけで体を支えているようなものだった。

(もう限界か……)

 生田絵梨花は、あくまで自然に振る舞いながら、状況を分析する。

 これだけ続けて『力』を使ったのははじめてだった。まさかこんなにも体力と精神が削られてしまうとは。知らなかったでは済まされない。余裕のふりをしているが、そのこけおどしがどこまで通用するか。

 敵と戦うってこういうことなのね……。

 遠くでハルが絶叫している。癇癪を起こした子どもそのものだった。いまは泣きわめいているが、その無邪気ゆえにストレートな殺意がこちらに向けられるのは時間の問題だろう。

 逃げるにしても、生駒をひとりでこの世界に置き去りにはできない。そもそも彼女を探す力が残っていなかった。

 倒すしかない、この場で。

 なにより、そのためにここにきた。できないじゃない。やるしかない。自分はただ、自分に課せられた使命を果たすだけ。

「人形は人形と遊んでればいいんだ! 調子にのるな!」

 ハルの叫びとともに、生田の周囲の地面が盛り上がり、土人形が形成されていく。数えるのも馬鹿らしいほど無数の土人形に囲まれ、生田は静かに息をはいた。

 ハルに作戦などないだろう。苛立ち任せに数を出してきただけ。でもそれが今の状況では厄介極まりない。『力』が使えれば造作もなく切り抜けられるが、その『力』もあと一度使えるかどうか。

 心で、どうする?と問いかける。しかし答えは返ってこない。自分自身で切り開くしかない。

 今までのように。

 そう、今までもそうだった。

 周囲から「天才」と言われてきたが、決して自分は天才ではない。天才じゃないから努力した。誰のためでもない。自分がなりたい自分になるための努力を重ねた。

 だから今も、自分の道は自分で切り開く。

 それに自分が一番よくわかっているじゃないか。

 ――努力は裏切らない。

 心で再度問いかける。

 あの子を倒せば世界は救われる? 今度は答えが返ってきた。

「ああ、間違いない」

 なら、だいじょうぶ。わたしはがんばれる。

「……」

 生田は無言で集中する。ほんのわずかに残されたエネルギーを一点に集める。

 土人形に阻まれ、ハルの姿は見えない。攻撃するにしても次の一手が最後になる。そこで自分の力が尽きることは、自分自身がよくわかっていた。

 世界を越えたときのように、ハルの目の前に瞬間移動する手もある。でも今の疲弊した状態で、目測通りの場所に移動する自信がない。もし見当違いのところに移動したら、それこそおしまいだ。

 となると……。

 生田の体がほんの数センチほど浮かび上がる。

 その背には、白い翼が生まれていた。

 さらに集中する。

 今度は、光の弓と光の矢が生まれ、生田の手におさまる。

 そして、弓の弦に矢をつがい――、翼をはためかせ、飛翔する。

 驚きの表情を浮かべるハルに向かい、空中から光の矢を射った。

 生田の意識はそこで途絶える。

 命中したかどうか確認する間もなく、すべての力を使い果たした生田は、頭から地面へと落ちていく――。





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 自分には、なにもなかった。

 羨まれる才能も、容姿も、性格も、なにもない。地味でぱっとしない。個性の欠片もない凡人。そんな自分自身と一生をともにすることに絶望すらしていた。

 だから、「監視されている」と聞いたとき、恐怖心とともに、わずかな喜びもあった。なにもない自分が物語の主人公になれたような高揚感。

 でも、

(こんなのは望んでなかった……)

 生駒里奈は膝を抱え、世界と自分を遮断するように顔を埋めた。

 昔から憧れていたヒーロー。もし憧れのあの主人公だったら、この状況をどうやって打開するだろうか。

 突然、監視されていると告げられる。親しい先輩が腕から血を流している。同級生に「違う世界」に連れてこられる。知らない誰かに殺意をぶつけられる――。

 きっと立ち向かうだろう。どんな状況でも、立ち向かって勝つ。それが物語の主人公だ。

 でも……でも……。

「主人公はあなた自身よ」

 心に響く和田の声。自分の心に、自分以外が入り込む異物感。その「ありえなさ」を自然に受け入れている不自然さに気づかないほど、生駒は混乱していた。

 わたしが主人公? ありえない。そんなこと絶対にありえない。

 市來玲奈のような清楚さも、伊藤万理華のような個性も、伊藤寧々のような可憐さも、自分にはなにもない。生駒里奈と聞いてみんなは、なにを思い浮かべてくれる? きっとなにもない。なにもないんだ。そんな自分が主人公になんてなれるわけがない。こんな辛いなら、なりたくもない。

 今ごろ生田はどうしているだろう。

 きっとだいじょうぶだ。彼女は自分とは違う。生田のような天才なら、それこそ物語の主人公のようになんだって切り抜けられる。

 わたしとは違う、わたしとは違うんだ……。

 窒息してしまうぐらい強く膝に顔を押し付ける。

 漆黒の闇。それは心の闇。

 希望の光はまだ、差し込まない。





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