すべての物語が紡がれたとき、世界に「46の魔法」が降り注ぐ。
連載小説『46の魔法』
第15の魔法
「君からの手紙」
眞衣に突然呼び出されたのは、居酒屋の個室だった。20も半ばを過ぎた男女がふたりっきりで会うのに、ムードもへったくれもない。しかも店についたとき、彼女はすでに泥酔していた。
「おーーーそーーーい」
頬を赤くし、とろんとした表情で言ってくる。普通の男であれば、おかしな気を起こしてもおかしくない。アイドル顔負けの顔立ちに、モデル顔負けのルックス。そんな彼女がこんなにも無防備な姿をさらしている。
俺はそんな眞衣を一瞥し、ため息をつく。
俺はそんな眞衣を一瞥し、ため息をつく。
「急過ぎるんだよ」
コートをハンガーにかけ、眞衣の前に座る。店員にビールを頼むと、彼女は「わたしも」と注文して、グラスにあったワインを飲みほした。
「で、話って?」
ビールが届き、乾杯したところで尋ねる。
眞衣はびしっと3本の指を立てた。
眞衣はびしっと3本の指を立てた。
「悲しいお知らせがあります!」
「はぁ?」
「ひとつ! 後輩がみんな若いの! わたしは歳をとるだけなのに!」
「自然の摂理だ。認めるしかない」
「ふたつ! 言い寄ってくる男性が怖いの! 踏んでとか蔑んでとかママとか!」
「男の性(さが)だ。受け入れてやれ」
「みっつ! こんな相談できる相手があなたしかいないの!」
「それが一番悲しいな……」
「そうなのよ! 友だち少なすぎでしょわたし! どうしてくれんのよ!」
「俺に言うなって」
眞衣とはもう20年以上の付き合いになる。実家が近所で、小さい頃からの遊び相手だった。高校も、大学も、職場すら違うが、友達関係はずっと継続している。もう兄妹のような関係だった。だから恋愛関係に発展することもない。
「おい、寝るなよ」
眞衣は、「わたしだって、わたしだって」とぶつぶつ言いながら、壁にもたれかかっている。普段はきっちりしたOLで仲間からの信頼も厚い眞衣だが、こと俺の前になると、急に気を抜いてくる。彼女いわく、「家族のまえで遠慮する?」。
眞衣はビールのグラスをゆらゆら揺らす。
「もう飲めまへん」
ろれつが回っていない。眞衣のやつ、もしかしたら介抱させるために俺を呼んだのか。まったく……。
「帰るぞ。タクシー呼ぶから」
残ってたビールを一気に飲みほし、タクシー会社に電話をする。そのあと店員に水をもらい彼女に渡す。眞衣は水に口をつけるも、まるで飲もうとせず、不満げに言った。
「お酒じゃない」
「水だよ。少し飲んでおいたほうがいい」
「あのね、わたしもね、酔いたいときもあるわけですよ」
「いつも酔ってるだろ」
「たまにです! たまになんです!」
「はいはい」
「はいは一回!」
「へーい」
「へ、じゃない!は!」
そんな話をしているうちにタクシーが到着する。ひとりで立てない眞衣を抱き起し、そのまま肩をかして、タクシーに乗せる。でもこんな様子でひとりにさせるのは心配だった。
俺は自分のマンションの住所を運転手に告げる。眞衣は隣で寝息をたてていた。マンションの入り口に到着すると、眞衣を背中におぶり、部屋に入り、ベッドに寝かせて、ようやく一息つく。
眞衣が俺の部屋で寝るのは珍しいことではなかった。職場に近いという理由で、ときどき泊まりにきている。洗面台には眞衣用のコップや歯ブラシが常に置かれていた。まるで夫婦だが、そうではなく、あくまで「家族」。
無防備に寝顔をさらす眞衣を見ても、とくに何かを感じることはない。例外はあるが、基本的に家族に欲情する人はない。つまり、俺と眞衣の関係はそういうことだ。
たとえ眞衣が結婚するとしても、俺は素直に祝福できるだろう。
―—たった今まで、そう思っていた。
「わたし、結婚する」
突然、ベッドの眞衣はそう言った。一瞬寝言かと思った。顔を見ると、しっかり目を開けている。
「相手は?」
自分でも驚くぐらいに冷たい声がでた。なんだ。なんで俺、動揺してるんだ?
「会社の先輩。良い人だよ」
「そうか。よかったな」
「うん。ありがとう」
眞衣がだれと付き合ってもよかった。どうせ別れると思ってた。でもそれって、別れることを、願って、た?
「あなたにはちゃんと伝えたかったんだけど……ごめんね、酔った勢いで」
「なに遠慮してんだ。良い話じゃないか。幸せになれよ」
眞衣は、あなたもね、と言ったあと、しばらくしてぽつりとつぶやく。
「わたしたちのこの関係も、終わりにしようね」
俺は頷くことができなかった。
翌朝、俺が起きたときには、もう眞衣の姿はなかった。
数日後。
眞衣から結婚式の招待状が届いた。中は見ていない。でもそうに違いない。ほかの用事なら、電話やメールで事足りる。わざわざ手紙がきたということは、それ以外に考えられなかった。
あれからずっと考えていた。俺は子どものままだった。でも眞衣は成長していた。それに気づいていなかった。彼女は俺の所有物じゃない。恋人でもない。家族でもない。なのに、その関係がずっと続くと甘えていたのは、俺のほうだった。
眞衣はすべてを見せていなかった。でも俺はすべて知っていると思っていた。結婚相手すら知らずに、彼女のなにを知った気になっていたのか。笑えて、涙すらでてくる。
失うことになってはじめてわかった。
俺は、眞衣を……。
手紙を引き出しの奥底にしまう。中を見る勇気は、ついにでなかった。
そして、返事をださず、さらに数日経った夜。
眞衣から久々に電話がかかってきた。
眞衣から久々に電話がかかってきた。
出るなり、俺は皮肉を言う。
「他の男と話すなんて旦那が怒るんじゃないのか」
「もー。最初の言葉がそれ?」
「で、なんだよ。結婚式の件か? それなら——」
「え?」
俺の言葉を、眞衣の疑問の声が遮る。
「もしかして、見てないの?」
「招待状だろ? 見なくてもわかる」
「……いま、近くにある? あるなら、すぐ見て」
俺は引き出しの中から手紙を手にとり、中を確認する。
眞衣の声を聞きながら、手紙の文章が心に流れ込んでくる。
なんだよ、これ……。
なんだよ、これ……。
「直接言おうと思ったんだけどね、やっぱり恥ずかしくて。わたしってそういうキャラじゃないから。かわいい感じで言うなんてムリだし、タイミングもつかめなかったから、これで……」
手紙の中身は、結婚式の招待ではなかった。
たった一行の手書きの文章。
――わたしと結婚してくれませんか?――
プロポーズの手紙だった。
あのときの言葉がよみがえる。関係を終わりにする。そうか、そういうことか。家族とも、友だちとも、恋人とも違う俺たちの不思議な関係を終わりにしたかったのか。
すぐ会える距離なのに、電話も繋がるのに、メールで一瞬で伝えられるのに、手間のかかる手紙で、眞衣は想いを伝えてくれた。ふたりの関係を前に進めるために彼女が選んだ方法は、いかにも彼女らしかった。でもそれで確実に一歩進んだ。まるで魔法の手紙だ。
「答え、聞かせてくれる?」
眞衣は緊張した声で聞いてくる。
俺は苦笑して答えた。
「ばーか」
「なによ! わたしはまじめに……」
このときをずっと待っていたのかもしれない。
彼女が壊した関係の先に待つ、新たな関係。
「これからよろしくな、本当の家族として」
「これからよろしくな、本当の家族として」
電話の向こうにいる眞衣はどんな表情をしているのだろう。
手の中にある手紙を強く握り締め、これからの生活に想いを馳せる。
今度は永遠にしよう。
手の中にある手紙を強く握り締め、これからの生活に想いを馳せる。
今度は永遠にしよう。
永遠を作っていこう。
大切な存在になった彼女と、ふたりで。
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