永遠を過ごす刹那の私をつかまえて
~第6部~

作者 匿名希望 

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10章-Secret path

夏の終わり。長い雨が3日続くと翌日は小雨になり、夜には夏の終わりが洗い流されてキラキラと輝く夜空が見られる。だから、その日はみんなでこの教室に集まって星を見行こうね。
遠い昔の約束。もう叶えてくれるのは、飛鳥ちゃんひとりになってしまった。

今年もまた、私は雨が降り出すとカレンダーにひとつ丸をつける。
それも今日で4つ目になった。
今年は3人で見に行けるかも。期待に胸を膨らませ、梔子色の傘を差して教室へ向かう。特別な時にしか来ることのなくなった学園は、なんだか古いドラマを観ているみたいな気持ちになる。教室の影から、廊下の角から、昔の自分とすれ違いそうで。
3-2-9と書かれた教室札。1年で一度しか来なくなったこの場所に、毎日のように足を運んでいた時期があったと思うと不思議になる。
クスっと一人笑って教室の扉を引くとがらがらと音がした。

「遅いですよ。」「お疲れ、麻衣。」
裏返しにされたトランプ。二人で神経衰弱をして遊んでいたみたい。
謝りながらこっそり盗み見た飛鳥ちゃんの笑顔はとても自然な笑顔で、少し遅れてきて良かったと思う。奈々未がいなくなってから。その憧れを追うように頑張っていたけど、憧れは憧れと気づいたのかな。今ではもう無理に取り繕わなくなった。その代わり、無邪気さが薄れてしまった笑顔には、どこか自分を守るような澄ました印象が強くなり、それをほどけなかった私は少しだけ寂しかったりした。

「今日はどうするの?」

絵柄が揃わなかった2組のトランプを裏返し奈々未が尋ねる。

「う~ん。何かやりたいことある?」

「私はのんびりできたらいいかな。後、星を見るなら浜辺ね。山は虫がいるし。」

「奈々未、虫苦手だもんね。じゃあ日が暮れたら浜辺に行こっか。」

「そだね。「あのね!私、花火がしたい!」

つぶらな瞳に飛びつく声が割り込んできた。

「飛鳥?花火ならお祭りで観たでしょ?」

「打ち上げ花火じゃなくて手にもって遊ぶやつです。みんなで輪になって遊んだの覚えてますか?あれ、もう一回やりたいなって…。」

「それじゃあ、湖畔沿いにある玩具屋さんに行ってみよっか。」

私がそう言うと、3人肩を並べて小雨の中を歩いていく。
校舎の塀を乗り越えると細い路地に降りることができる。湖までの一本道、私達の秘密の抜け道。塀の横に植わった木を足場に鉄のフェンスを跨ぐように乗り越えると、馬上程の高さから路地を見下ろすことになる。飛鳥ちゃんは飛び降りて、私と奈々未は塀を伝うようにして地面に着いた。小さく飛んだ足裏から来る衝撃が腰に響く。もう若くはないみたい。

「よし、砂浜に最後に着いた人の奢り―!!」

物静かな路地裏に駆けた無邪気な声に3人同時に走り出す。
みんなでこっそり食べた金柑の木。冷たい雨に打たれ震えていた猫の茂み。
雲の裂け目から太陽の光が降り注ぎ、雨粒は結晶のように輝きだした。
息が上がり肺が重い。喉奥が痛くなってきた。前を走る二人はまだ手の届く距離。湖はもう近い。あの日より速く駆け抜けた道は、きっと辿り着けない場所がある。
それでも、私は今を全力で走っていたいと思う。

いつもなら人の往来が激しい湖岸沿いの道を横切ると浜辺はすぐそこ。遊歩道と砂浜を分ける木柵を蹴り越えると私たちは砂の上へと転がり込んだ。

「はぁはぁ…勝ったぁー!!」

飛鳥ちゃんが喜びを叫ぶ。悔しそうな顔した奈々未。私は疲れて動きたくない。
暖かな雨に打たれ、湿った砂の上から起き上がりヤシの木にもたれる。まだ息が上がったままだ。

「こんなに走ったの…久々。」

「私…はいつも走ってるし。先輩、体力落ちたでしょ?」

「そんな私に僅差だった…飛鳥はどうなの?」

昔のような二人のやりとりが微笑ましい。

「はぁ…。私の負けだね。とりあえず、花火買いに行く?」

「そだね。適当に食べられるものも買ったらちょうど良い時間になりそう。飛鳥は?」

「それでいいですよ。深川さんにアイス買って貰おっと。」

服に着いた砂を払い、玩具さんで売れ残っていた花火セットとバケツを買う。花火入りのバケツを手に、そのままスーパーに行くと、私が持っているカゴにはなぜだかお菓子がどんどん溜まっていく。
夕暮れの道で、さっき買ったばかりのアイスを口いっぱいに頬張っている飛鳥ちゃん。それを見て他愛もないお喋りをする私達。自然と淀みなく流れる言葉に、お互いの時間が前よりも重なり合ったように感じる。
お狐さんの仕業か、私達を化かして降り続いていた天気雨もすぐに止んでしまいそう。
浜辺に戻ると日が暮れるのを待てずにマッチを擦り、先端に灯った火にゆっくりと花火を近づける。
シュゥーと焦らす音が弾けると炎が勢いよく飛び出した。焼けた煙の匂いが鼻に届き、目が染みる。持ち手に迫ってくる炎にドキドキしながら、魔法の杖を操るように空中に円を描く。残った煙を吹き飛ばせば魔法使いになった気分。

「あっ!先輩やめっ、って、おいこら、待てー!!」

いつの間にか始まった奈々未VS飛鳥ちゃん。
煙にやられた飛鳥ちゃんが両手に花火を持ち、必死に逃げる奈々未を追いかけ波打ち際へと走る。武器は火の消えてしまった花火から水へと変わり、可愛らしい水かけ合戦が始まった。

「麻衣!見てないで助けて!!」

親友の助けには答えなくてはと、飛鳥ちゃんの後ろに回り挟むように水をかける。
「ちょっ、それはズルい。卑怯だ~」と叫ぶ声を最後に、私たちは文字にならない言葉を叫び、ふざけて、じゃれあって、騒いだ。
濡れた服に乱れた髪。普段なら気にする大切なこと。今はそんなものを汚したくて、そんな気持ちさえ吹き飛ばしたくて、子どもの時のように無我夢中で駆け回る。

「飛鳥ちょっと休憩。」「私も…。」
年配組が降参を告げると、夜を知らせるオレンジ色が去った空にもう夜は近づいていた。
バケツに貯まった花火の燃え残りに騒いでいた時間が残る。

「線香花火しよっか。」ぽそっと呟いた一言に、最後まで残しておいた線香花火に三人寄り添い火をつける。

「誰のが一番最後まで残るかな?」

「飛鳥はないでしょ。やっぱり麻衣じゃない?」

「そんなことないよ。飛鳥ちゃんのだって長持ちしそう。」

「そういえば、最後まで残っていた人は願い事が叶うらしいよ。」

「先輩、そんなの信じてるんですか?乙女ですね。」

「占いを真に受けて、本気で悩んじゃう誰かさんには言われたくないなぁ。」

「こらこら。奈々未も占い好きでしょ。結局、似た者同士なんだから。私は何をお願いしようかな。」

「先輩のお願いって何ですか?」

「ん?教えない。って私のそろそろ落ちちゃいそう。」

儚くパチパチと燃えていた火球が風に揺られて砂へと落ちる。

「あっ、やっぱり落ちた。」

「先輩、脱落ですね。あっ…。」

言葉の切れ端と揃って飛鳥ちゃんの火球が砂へと吸い込まれ、私のだけが静かに燃えている。

「麻衣は何、お願いしたの?」

「みんなで楽しく過ごせますようにって。奈々未は?」

「私?…本物が見たいな~って。おっきく空に打ちあがる熱くて怖くて、それでも美しい打ち上げ花火が。」

交わしてきたいくつもの約束は、気づかないうちに頭から滑り落ちてどこか知らない場所に行って帰って来ない。だけど、忘れられない約束もある。
バケツに浮かぶ燃え残りを片付けて水道で手を洗い戻ってくると、空には雨が流れた後、透き通るような漆黒にいくつもの星が散らばっていた。

「今年も綺麗だぁ」

飛鳥ちゃんが夜空に手をかざす。
街外れの丘に変わることなく建っている教会に掲げられた十字架が仄かに照らされ、神様に会えるような夜が更けていく。

「飛鳥、帰らなくて大丈夫?寮母さんが心配してるかもよ。」

「うそ!?もうそんな時間。どうしよ。」

「一緒に帰ろっか?」

「う~ん。もうちょっと、ここにいたいなぁって…。」

終わりに名残惜しさは付き物だ。奈々未がポンと頭を叩く。

「帰りな。ね?また会えるから。今度、休みの日があったら会いに行ってあげる。」

「ほんと?休み決まった連絡するから、絶対ですよ。」

「はいはい。じゃあ、また今度。」

夜の街へと駆けていく少女の影が遠くなると、私たちは背中合わせで夜空を見上げる。

「あんなに“さよならは言わないんだ”って泣いてたのにね…。ねぇ、奈々未?もう帰れるんじゃないの?」

二人きりになったら聞こうと思っていた。最近の奈々未を見ると、どこかあの時と同じようにこの先の未来が決まったような表情をすることが多くなったから。不安な時や迷っている時。人はそんな感情が表に出やすいと思われているけど、それに決着をつけてしまった姿の方が私にはわかりやすかったりする。

「麻衣は相変わらずだね…。探し物はちゃんと見つけたよ。だから時期を見極めて帰るつもりだったんだけど、そんな私にもまだ役回りがあるみたいで。だから、まだもう少し、このまちにいることになりそう。」

「そっか。奈々未も相変わらずだったよ。ひとりが好きなのに、いろんな人の心に住み続けてる。私はさ。時間が存在を薄くしてくれるなんて思っていたけど、案外、時が経つほどに残る想いは強くなるのかもね。飛鳥ちゃんみてると、そう思うよ。」

「確かにね。嬉しい反面、縛られてほしくないとも思う。勿論、大丈夫だと思ってるけどね。私ね、それなりちゃんと生きてきたつもりだけど、自分になりたいって言ってくれる人にお勧めできるような自分ではないし、そんな風には生きてこなかったから。だから、そう言ってくれる人がいるとちょっと悩むんだ。そんなに憧れないで~、適当に気に入ったとこつまみ食いしていく感じでいいから~ってね。これ、前に話したっけ?」

自分のことを話す時、口に手を当て時々高笑いする癖は、きっと誰よりも自分のことを遠くから考えている時間が多いからだね。
波が寄っては去っていく。昔話がヨルガオみたく夜が深まるほどに咲いていき、尽きない言葉が咲いた花をより際立たせる。時計の針が天井を回る頃、「夜明けがきたら帰ろっか。」と砂のベットに横になると眠ってしまった。
頬を突かれる感触に目を覚ますと、太陽の帯が山稜に浮かび始めていた。
「ずっと起きてたの?」「私も寝てたよ。悪夢の鳥に起こされた。」
ハシビロコウにでも遭ったのかな。
丸い太陽が顔を覗かせると、朝焼けが一段と眩しくなり1日の始まりを感じさせる。
人の動き出す気配がする時間に家に戻って二度寝をしよう。
それはちっぽけなで贅沢な約束の日の終わり方だ。


11章-日々のほとり

かわいく拗ねた顔に耐えはじめて3分が経とうとしている。
事の始まりは、穏やかな午後のカフェ。本を片手に紅茶をまったりと飲んでいると、“落とし穴に落ちたかった人”が飛び込んできたところから。砂雲が浮かび、季節はもう秋の気配だ。

「こんにちは~。あっ!ようやく見つけましたよ。魔法使いの弟子さん。」

「飛鳥ちゃん、いらっしゃい。今日は何にする?」

「そうですね…チョコレートケーキとオレンジジュースで。お願いします。」

「かしこまりました。ちょっと待っててね。」

嬉しそうに頷く彼女は、広い店内で迷うことなく真向かいの席に座る。

「あのですね…飛鳥さん。どうしてこの席に?それに、さっきのは何ですか?」

「質問ばかりだと嫌われますよって、まぁ、顔見知りが居たからですかね。おかしいですか?」

「いや、ちょっとビックリして。それで、さっきのは?」

「あぁ、それはですね、っとケーキだ!いただきます。」

「お待たせしました。休日の飛鳥ちゃんは、いつもより子供っぽいから気をつけて。」

意味ありげなウインクをし去っていく深川さん。目の前の彼女は幸せいっぱいに夢中でケーキを食べている。ひとくち食べるごとに心の喜びが口元に現れる。
よっぽどこのケーキが好きなんだろう。それにしても、チョコレートケーキにオレンジジュースの組み合わせはどうなんだ。ビターチョコにオレンジピールを組み合わせたフランスチョコは有名だけど…。

「果たして合うのか?」

「ん?どうしたんですか。」

「いや、ケーキとジュースの組み合わせはと思って。」

「合いますよ。とても!特にチョコとオレンジはおすすめです。」

謎めいた自信に敗れ、本の続きを読みながら食べ終わるのを待っている。

「あ~美味しかった。ご馳走様でした。で、何でしたっけ?」

「魔法使いの弟子。」

「あ、それはですねって、そうだった!なんで先輩と空中散歩していたんですか?私だって、飛んでみたいのに。」

「見てたんですか?」

「それはもうばっちりと。転げそうになって支えてもらっているとことか、手を繋いでるとことか?」

「あれは補助的なもので。」

「知ってます。そんなのわかってますよ。それより、どうやってお願いしたんですか?」

「お願いというより、ライブの後に誘われた感じですよ。」

「ほんとですか?」

「ほんとです。」

「むぅー。誘われたのか…。そうだ!今度、先輩に私もってお願いしてくれませんか?」

「それは自分で言った方が…」

「お願いしてくれませんか?」

「いやだから、自分で言った方が…って。」

これが冒頭の場面。
テーブルに伏せて拗ねた顔で見上げるように何度かこちらを見つめてくる。そんな可愛らしい顔をされても困ってしまう。

「自分でいくのが嫌なんですか。」

「それは…頼み込むのもなんか違うし、断られたショックですし…。」

前髪がテーブルにかかり、小さな顔が埋もれてしまう。普段あまり大きさを見せない感情の幅が、今日は大きいと感じる瞬間が何度もある。これが休日の彼女かもしれない。
いろいろと考えていたようだけど、結局は、今までと変わらず待つことに心を落ち着かせたようだ。僕はカフェを出て、散歩でもしようかと駅前へと歩いていると、彼女がテクテク後ろからついてくる。

「あの…飛鳥さん?」

「買い物ですか?私もいきます。」

「買い物というより散歩みたなものですよ。」

「構いません。行きましょう。」

なんだか噛み合わない会話は、今まで二人きりの時に主導権を握っていたのが彼女だったからかもしれない。ぎこちない会話の隙間を行く当てのない散歩道で埋めていく。
気になったお店に入ってみては、何も買わずに店を出る。その繰り返しに時々「どんなものが好きなんですか?」と質問が挟まるくらい。何軒か巡り、歩き疲れた彼女がアイスココアを買ってくると言い、駅前広場のベンチに腰掛けた。

「あんまりこだわりないんですね。」

「んー。そんなこともないんだけどね。自分の好きは自己完結で満足だから。無理に誰かと分かち合いたいとかは思わない。きっと弱いだけなんだけどね。」

「なんとなくわかります。自分の好きを知られるのって、自分もさらけ出すような気がして、私もそういうの得意じゃないです。」

広場を通りすぎる人達。
世界はとても速く流れているように見えるけど、柔らかな午後の日差しが降り注ぐこの場所は、壊れかけた時計の針が1秒1秒をコツッコツッと刻むように静かな時間に包まれている。

「でも、こうやって行き交う人や何気ない景色を見るのは好きだったりするよ。見方ひとつでいろんな物語が転がってそうだし。」

「そうですか。私は本の世界の方が好きなんだと思います。それはたぶん、綺麗も汚いも関係なく感情が余すところなく描かれているから。」

「なるほどね…。なんか根源は近いかも。ノンフィクションにフィクションを見るのか、その逆か。でも、その本はたぶん、ファンタジーというより動機よりのミステリーかな?」

「ですね。感情が単一で切り取れないのと同じで、人にもきっと善悪が共存しているんだと思います。その悪が書かれていないのはあまり好きではないし、落ち着かないです。そういえば、劇のお話はどうされたんですか?」

「あれは…橋本さんです。彼女の言葉がきっかけです。」

彼女は何かを悟ったように背もたれに厚く体を預けて空を見上げた。

「はぁー、やっぱりそうなんですよね。先輩は意識してないけど、あのひと影響力ありすぎなんですよ。知り合った人、みんなどこかで憧れていくんです。私もなんですけど。」

「そうなんですね。ちょっとわかるかも。飛鳥さんから見て、どんな方なんですか、橋本さんは?」

「奈々未はですね‐‐‐。‐‐‐。」

昔話を交えて語られる少女の憧れ。投げ出した足を上下に揺らしながら、聞いている方が気恥ずかしくなってしまう想いがソプラノ声に乗って紡がれる。やっぱり、本の世界が好きだと言った彼女は、誰よりもこの世界を見ようとしている。

「はい。そこまで。なに恥ずかしいこと言ってんの、飛鳥。」

「先輩!?どこ行ってたんですか?今日、休みだって言いましたよね?」

「ごめんごめん。拗ねないでって。ちゃんと見つけたでしょ?で、何話してたの。」

「それは先輩の素晴らしさをって、痛っ。」

「まったく飛鳥は…。君も真面目に聞かなくていいんだよ?」

「いえ…自分が尋ねたので。」

「そうなの?」

「そうだよ。先輩の早とちり。」

「はいはい。でも、ありがとね。大変だったでしょ?」

「先輩ぃー。もしかして子供扱いしてますか?」

「してないしてない。飛鳥は大人だよ。心が純粋なだけ。この後時間あるんでしょ?ご飯食べに行こ。」

嬉しそうに頷く彼女。隣同士、歩く姿はお互いに足りないものを埋め合っているよう。
別れ際、橋本さんが「今度、もしかしたら不思議な場所で出会うかもしれませんね。」と一度聞いた事あるような台詞を残し電車に乗り込んだ。
穏やかな午後の夕暮れ。吹き抜ける風が肌寒くなった。
速すぎる世界に生きる彼女が、休日に何を求めているのかわからないけど、心休まる時間があればなんて思ったりしてみる。
木立の葉が揺れる帰り道。どこかでふたりの笑い声がしたような気がした。