【注意】
この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。また妄想成分が多大に含まれていますので、閲覧にはじゅうぶんご注意ください。
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――これは、わたしたちが、わたしたちを見つける、わたしたちの物語。


小説<乃木坂>

第4部【制服のマネキン】


最終話「制服のマネキン(後編)」 

※目次はこちら  





 ドスンドスンと、相撲取りが四股を踏んでいるような音が学園に響く。星野みなみは、「なに?」と狼狽し、生徒会室から外を見る。なにも変わった様子はない。赤い世界を普通と言っていいのかはわからないが、音の発生源はつかめなかった。

 また、ドスンと建物全体が揺れる。地震ではない。何物かが歩くような……。

「なんなのよもう!」

 星野は、恐怖心を隠すように怒りの声をだす。ここにいては危ない。本能がそう告げてくる。得体の知れない恐怖で全身がひりついた。

 部屋の片隅で膝を抱える生駒里奈を見る。この異常事態にも関わらず、彼女はいまだ呆然とうつろな目をしていた。

「早く逃げるわよ!」

 その生駒の手をとるも、彼女は動こうとしない。星野は苛立ちを隠そうともせず、部屋中に響き渡るほどの舌打ちをして、生駒の手を全力で引っ張る。それでようやく生駒が体を起こした。

「いくわよ!」

 星野はそう言って、生徒会室から飛び出し――、

 ソレを見た。

 廊下のずっと奥でたたずんでいる。星野の語彙力で、ソレを表現する言葉が見当たらない。

 なんとか絞り出した単語が、

「鎧……?」

 ソレは、“プレートアーマー”。全身を金属板で覆う西洋の鎧が、学校の廊下に立っている。兜は天井すれすれ。3m近い身長があった。少なくとも中に入っている人間が、普通でないことはわかる。手には長い槍を持っていた。

 西洋甲冑の知識がない星野は、「へんなのがいる!」という認識しかできなかったが、そのバカでかさは、腰を抜かすにはじゅうぶんだった。生徒会室に逃げ込むのも忘れ、その場にへたりこんでしまう。

 甲冑が一歩動く。学園全体が振動する。あの大きな音の正体はこいつだった。50mほど先にいるのに、その圧迫感でつぶされそうになる。

 逃げないと……逃げないとっ!

 星野は立ち上がろうとするが、金縛りにあったように動けない。かろうじて動く視線で、あいかわらず呆然とたたずむ生駒を見る。

 そのとき、和田まあやに言われた言葉が頭をよぎった。


「生駒ちゃんを立たせるのは、みなみの役目だから」


 あれは自分の知っている和田ではなかった。和田まあやではないなにか。でも、そいつが言ったことに今はすがるしかない。生駒には『力』がある。

「生駒さん! あなたの『力』で助けて!」

 生駒はその言葉に振り向く。そして怯えた瞳で言った。

「『力』なんてない」
「どうしてよ! まあやがあるって言ってたでしょ!」
「わたしはなにもできない」

 こいつは……っ!

 怒りが恐怖を越えていく。星野は立ち上がり、生駒の肩を両手でつかむ。

「いい加減にして。ほんとイライラするのよ。わたしを見ているようで」

 あれ……。星野はふと疑問を覚える。いま、わたしなんて言った? わたしを見ているようで?

 ああ、そうか。

 生駒さんを見て無性に腹がたつ理由がわかった。

 わたしと、そっくりなんだ。

 でも、そんなわたしを受け入れてくれる友人がいた。齋藤飛鳥。飛鳥は、わたしと付き合ってくれた。仲間の輪に入れようとしてくれた。

 もし飛鳥だったら、なんて言うのだろう。どんな言葉で彼女を奮い立たせる?

 星野は内心で友人に問いかけ、生駒に視線を向ける。

「一番になりたいと思って、みんなに好かれたいと思って、でもどうしていいかわからなくて、それで拗ねてる。自分なんて、と言いながら、自分を見てと叫んでる。子どもで、生意気で、情けない。わたしと同じよ!」

 でも、と星野は震える声で続ける。それが怒りなのか恐怖なのかはわからなかった。甲冑はもう目の前まで迫っている。

「わたしとあなたは違う。あなたには『力』がある」
「星野さんにもあるんだよね。だったらその『力』で……」

 星野は血がでるほどに唇を噛みしめる。

「それができればとっくにやってる……わたしの『力』じゃ無理なのよ。だからあなたに頼ってるの」
「でもわたしは、そんな『力』、望んでなかった」
「望んでたって、望んでなくたって、あなたには『力』があるんだよ。みんなを助けられるの。だったら使いなさいよ、できるできないはやってからでいい。悩むのはあとでいい。なにもしなかったら、なにも変わらない。ずっとそこでウジウジしてるだけよ」

 星野は必死だった。自分でもなにを話しているかわからない。額に汗がにじむ。甲冑に目を向けることさえしない。もう手が届くぐらいの距離にいるはずだ。それを見た瞬間、恐怖でなにも話せなくなりそうだった。

「生駒さん。ひとりで抱え込まないで」

 無我夢中で言った言葉に、生駒は少しだけ反応を見せる。星野はそこに一筋の光明を見出した。

 わたしには飛鳥がいた。だからわたしは、わたしでいられた。わたしでいることができた。もし飛鳥がいなかったら、もっとみじめで情けない自分になっていたはずだ。

 目の前でうろたえる、彼女のように。

 わたしが飛鳥に言われて一番嬉しかったこと……。

「あなたが失敗しても、みんなが支える。だからあなたは前だけ向いていればいい。あなたはひとりじゃないわ」

 甲冑が槍を引く。死の恐怖が間近にある。星野は目をつむり、大声で叫んだ――。








 生駒は自問する。

 わたしは、何に怯えていたのだろう。『力』があること? 違う。そうじゃない。わたしが怯えているのは、みんなに見放されること。

 もし、わたしの『力』がなんの役にも立たず、だれも助けられなかったら、みんなはどう思うだろう。期待して損した、結局あなたじゃダメね、なんでしゃばってきたの……つらい、そんなこと思われたくない。だから、使いたくない。『力』を頼られるのが、怖い。

 わたしなんかに頼らないで。でも、頼ってほしい。でも、でも、でも。「でも」が頭の中でずっと回転している。

 それに、コントロールできるかも不安だった。心のなかで、何かが熱く燃えている。これが『力』なのだろう。この『力』を開放したときになにが起きるのか。『力』が暴走してしまうかもしれない。みんなを傷つけるかもしれない。

 でも、星野は言ってくれた。ひとりじゃないと。前だけ向いてればいいと。

 きっとその言葉が一番ほしかったんだ。

 わたしはひとりじゃない。

 信じられるか? 本当にみんなは、わたしが失敗しても……。

 笑わないでいてくれるだろうか?

 見放さないでいてくれるだろうか?

 友だちでいてくれるだろうか?











「しっかりしろ! 生駒里奈!!」










 ……。

 くるはずの衝撃が訪れない。

 星野がゆっくり目を開くと、すぐ目の前に槍がある。その槍頭を、生駒のか細い手がつかんでいた。

 パキッと音がする。と同時に、槍の先が粉々に砕け散った。

 生駒は槍を砕いた手を、甲冑に向ける。瞬間、甲冑は突風に煽られたように、後方に大きく吹っ飛んだ。衝撃で廊下の窓ガラスがすべて割れる。甲冑が奥の壁に激突した音が学園中に響き渡った。

 星野は呆然とその様子を見ていた。その肩に生駒が手を乗せる。

「一度だけ、信じてみる」

 そう言って、甲冑に向かって走り出す。

 生駒の心のなかで、声がした。まあやの声ではなく、男の声。

「生駒里奈。その『力』の名は、【無(む)】」

 甲冑が立ち上がり、生駒に向かって突進する。また学園が揺れる。

「無は、すべてを飲み込む。善も悪も光も闇も。すなわち」

 小さな生駒と、巨大な甲冑が交錯した瞬間――

「無敵」

 甲冑は、突如として生まれた巨大な穴に吸い込まれていく。その穴は、甲冑を吸い込むと、何事もなかったかのように消えていく。

「やった!」

 星野は喝さいを送る。これでとりあえず危機は去った。あとはここから帰る方法を……。

 生駒を見る。生駒は廊下に立ちすくんでいた。星野に背中を見せている。その背中が震えているように見えた。星野は彼女の名前を呼ぶ。

「生駒……さん?」

 突如、生駒が振り返る。その顔を見て、星野は悲鳴をあげる。

 生駒は吠えた。言葉にならない声で吠えた。獣のように吠えた。

 彼女の雄たけびに反応するように、乃木坂学園が震えだした。





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 最初に感じたのは温もりだった。シーツにくるまり、まどろむ時間。そんな幸福感が体を包んでいる。目を開けたくなかった。このまま、再び意識を失いたい。意識を保つことすら面倒だった。

「気がついた?」

 闇に沈みそうな意識を引っ張り上げられる。生田絵梨花はゆっくりと瞳を開く。知らない女性の顔が近くにある。いや、知っている。この人をわたしは知っている。

「わ……若月、さん?」
「さすがいくちゃんだね。わたしのこと覚えてるんだ」

 若月佑美は笑う。

「あなたが助けてくれたの?」
「それが世界の選択だったからね」

 生田は、すべての『力』を使い、空からハルに攻撃を繰り出した。覚えているのはそこまで。敵はどうなったのだろう。

「ハルは?」
「さあ。まあ死んじゃいないでしょ。あいつら、しぶといから」

 若月は、軽い調子で答える。

 そこで生田は、自分が若月に両手で抱えられていることに気づいた。気恥ずかしさに襲われるも、体に力が入らない。

 そのとき、視界の片隅に不思議なものが見えた。

 乃木坂学園が、震えている。

 まるで生き物のように震動していた。

「あれは……」

 生田は若月に抱きかかえられていることも忘れ、呆然と口にする。

 そのとき、背後から突然、大きな声がする。

「若月!」

 桜井玲香が駆け寄ってきた。若月はおどけたように「よっ」と桜井に言う。桜井は泣きながら若月に抱き着く。若月はその奥にいる西野七瀬に目を向ける。西野が桜井をここに連れてきたことはすぐにわかった。

 桜井との再会がどんな悲劇をもたらすか。若月はそれがわかっていたが、西野を責める気にはならなかった。きっとこれも、世界の選択。

 その西野は、学園に目を向け、体を小刻みに震わせていた。唇が青ざめている。

 若月は、桜井を抱きしめながら、その西野に優しく語りかける。

「七瀬。これが生駒里奈の力、世界を変える、希望の力だよ」

 わかってたはずだろ?

 そう続ける若月に、西野はなにも言い返せなかった。

 違う、わたしが知っている彼女の力は……。これはまるで……。

 希望じゃない。絶望だ。

「希望と絶望ってね、紙一重なんだよ」

 そう言った若月の言葉は、どこか遠くの世界のことのように聞こえた。

 西野七瀬は、ただ震えた。学園と同じように、いつまでも震えていた。






 




 ここは乃木坂学園。

 彼女たちの世界。

 彼女たちだけの、世界。




 ――ユメナラ、ココニアル。

 ――ダレノ、ユメ?

 ――ワタシタチノ、ユメ。

 ――アナタタチノ、ユメ。






第4部【制服のマネキン】 - 完-