【注意】
この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。また妄想成分が多大に含まれていますので、閲覧にはじゅうぶんご注意ください。

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すべての物語が紡がれたとき、世界に「46の魔法」が降り注ぐ。



連載小説『46の魔法』

第18の魔法
「あの日の約束」





 パチ、パチ、パチ。

 彼は独特のリズムで手を叩く。

「なによ、バカにしてるの」
「してないしてない。純粋さに感動しただけ」
「自分を『じゅん』って呼ぶのが純粋?」
「そうだよ。すごく良いと思う」
「やっぱりじゅんのことバカにしてる……」

 わたしは彼の真向かいに座って、ストローに口をつける。中身はほとんどなかった。

 日曜日の昼に高校生の男女が座っていたら、周りはどう思うだろう。

 間違いない。デートだ。

 わたしは頭を抱えたくなった。別にこれはデートじゃない。ただ文化祭の準備で買い出しにきてるだけ。デートではない。断じてデートではない。街中でそう叫びたくなる。

 そんな葛藤を知ってか知らずか、彼は丸い瞳を細くして笑いかけた。

「純奈はかわいいよね」

 わたしはストローをくわえたままの体勢で固まる。ズズズと空気を吸いながら、上目遣いで彼を見た。悪気なくわたしに視線を向けている。

「なによ、いきなり」

 ようやく出た言葉はそれだった。頬が火照る。湯気がでそうなぐらいだ。慌てておさえて、それを隠す。あまりに不意打ちで心の準備ができていなかった。それまで何とも思っていない彼を、急に異性として意識しはじめてしまう。

「思ったことを言っただけだよ」
「どうせ誰にでも言ってるんでしょ」
「なんで?」
「だってわたし、別にかわいくないし」

 それまで笑顔だった彼は、急に真顔になる。

「純奈はかわいいよ」
「いや、だから……」

 わたしの鋭い眼光にも動じず、彼は指揮者のように空中で指を振りながら続けた。

「舞台とか似合いそうだな」

 彼はひとり納得したように、うんうん頷く。

「そうだよ、純奈。舞台やりなよ」
「そんな簡単にやれるもんじゃないでしょ」
「やれる。純奈ならやれる」

 彼はコップに手を置くわたしの手を強引にとる。

「もしも純奈が舞台に立つ日がきたら、僕は見に行くよ。必ず」

 手を離した彼は、

 パチ、パチ、パチ。

 また、その独特のリズムで手を叩いた。

 目は真剣そのものだった。





 本当に、変な人だったな。

 わたしはきらびやかな衣装を着て、真っ白い天井を見上げる。スタッフさんの喧騒がどこか遠い世界のように聞こえた。出番までもう少し。はじめて主演を務める舞台の幕があがる。

 そんな大事な初日に、5年も前に別れた彼の顔を思い浮かべている。別れたと言っても付き合っていたわけではない。高校で同じクラスになったが、たった1年で彼は引っ越してしまった。

 クラス全員で、転校する彼に寄せ書きの色紙を送った。わたしはそこにこう書いた。

「あの日の約束、忘れてないから」

 そして、連絡先を交換することなく、彼は去っていった。

 連絡先を聞く勇気がなかった。わたしにとっては特別でも、彼にとってわたしは特別じゃないかもしれない。もし、連絡先を聞いて、「え?」と聞き返されたら、わたしはどんな顔をすればいいのか。いろいろ考えてしまい、結局、連絡先を聞くことはできなかった。

 それからわたしは彼を忘れようとした。必死で忘れようとした。それなのに、気づいたらわたしは、彼の言う通り舞台の道に進み、舞台の虜になっていた。

 今ごろ彼は、なにをしているんだろう。もうわたしのことなんて忘れてしまったのか。忘れてしまったのだろう。それもそうだ。彼にとっては些細な一言。それがひとりの人間の人生を変えたなんて思ってもいないはずだ。

 責任をとれとも思わない。わたしが勝手に選んだ道。でも、その道を提案してくれた人に会えないのは、つらかった。

 もう、本当に忘れよう。

 わたしは気持ちを切り替え、「伊藤純奈」から、身も心も「役」へと変身した。
 




 舞台が終わり、カーテンコールで、客席に視線を向ける。自然と彼を探すのはいつもの癖だった。今日の舞台は今までとは違う。なにしろ主演だ。宣伝もたくさんした。だから今日こそは……。

 いや、やめよう。

 わたしは周りに気づかれないように、ほんの少し息をはく。

 忘れようと決めたはずだ。それなのに、頬を一筋の涙が伝う。

 あれ……。

 涙が次々とあふれる。自分の身体なのに、自分で制御できない。観客席から拍手が沸き上がる。きっと、わたしが感極まって涙を流したと思ったのだろう。

 それは間違っていない。大舞台で主演をつとめられた。こんな名誉なことはない。

 だからこそ、涙があふれる。この気持ちを一番に伝えたい人が、ここにいない。

 
 もし、もう一度会えるなら。

 もう一度会える魔法があるなら。

 周りから恋人と思われてもいい、「純粋だね」とバカにされてもいい、連絡先を聞いて不思議な顔をされてもいい……素直な気持ちを伝えたい。


 あなたが、わたしをここに立たせてくれたんだよ。

 ありがとう。


 鳴りやまない拍手のなか、わたしは涙を隠すように、深々と頭を下げた。
 
 

 パチパチパチパチパチ。パチパチパチパチパチ。パチパチパチパチパチ。パチパチパチパチパチ。パチ、パチ、パチ。パチパチパチパチパチ。パチパチパチパチパチ。パチパチパチパチパチ。