すべての物語が紡がれたとき、世界に「46の魔法」が降り注ぐ。
連載小説『46の魔法』
第19の魔法
「君は『じゃーん!』と現れた」
蓮加は待ち合わせの10時ぴったりに、「じゃーん!」と言って現れた。
両手をいっぱいに広げて、ぴょんと目の前でジャンプする。僕はおもわず目線をそらしてしまう。かわいすぎて直視できない。
「10時ピッタリに着いたよ! すごいでしょ!」
「ほんとだ。ちょうどピッタリだ」
親からもらった腕時計を見る。
「あれ? どうしてそんなに早いの?」
蓮加は僕を覗き込むように言ってきた。
「5分前ぐらいに着いちゃったんだよね」
そう言うと、蓮加は嬉しそうにまた両手を広げた。
「蓮加のことが好きすぎて早く着いちゃったんでしょ?」
僕がうなずく間もなく、
「大好き!」
蓮加は無邪気に飛び跳ねた。
先週、中学3年生になった。どことなくクラスの雰囲気もピリピリしている。今まで将来のことなんてマジメに考えたことがなかった。でも、嫌でも決めなくちゃいけない。僕は1年後、なにをしているんだろう。
「ソフトクリームだ!」
隣を歩く蓮加がはしゃぐ。
「食べたいの? まだ寒いよ」
春が訪れたとはいえ、少し肌寒い。アイスを食べる気にはなれなかった。すると蓮加は頬を大きく膨らます。怒ったときの癖だった。
そして僕は、この顔にすごく弱い。
「わかったよ。ちょっと待ってて」
蓮加はすぐに表情を明るくする。きっと1秒も同じ顔をしていない。すぐに表情が変わるのは昔となにも変わっていなかった。
ソフトクリームを買って戻ると、蓮加はベンチに腰かけていた。隣に座り、一本を手渡す。
「進路、決まった?」
蓮加はソフトクリームをなめながら聞いてくる。
「まだなにも」
「だめだぞ、ちゃんと考えないと」
蓮加はお姉さんぶってそう言う。
「蓮加はどうなんだよ」
「わたしはもうずっと前から決めてるよ」
「アイドル?」
「もー、なんで先に言っちゃうの!」
一番最初にその夢を聞いたときのことは、今でもはっきり覚えている。小学6年生の春。まだランドセルが似合う蓮加は、帰り道、桜を見ながら自信たっぷりに言った。
「わたし、アイドルになる!」
冗談だと思った。アイドルなんてテレビの向こうの存在。蓮加はいま目の前にいる。違う存在になるなんて信じられなかった。
それに、蓮加の計画では、中学時代にアイドルデビューする予定になっている。でも、もう中学も卒業だ。
それを言うと、蓮加は少し寂しそうに笑った。
「まあ、もう諦めたんだけどね」
「そうなの?」
「うん。だって好きな人ができちゃったんだもん」
ソフトクリームを食べ終えた蓮加は、僕に向かって笑いかける。でも僕はちょっと複雑な気持ちになった。蓮加に好きと言ってもらえるのは嬉しいけど、まるで僕がいたから諦めたみたいじゃないか。
「蓮加はそれでいいの?」
「ん?」
「アイドル諦めたこと」
「うん」
晴れ晴れとした顔で言うと、蓮加は僕の腕に手を回し、胸を押しつけてくる。
「きっとアイドルになったら、楽しいことがいっぱいあったと思うんだ。でもそれは別の世界の話。わたしは今、あなたといるのがすごく幸せなの。これ以上望んだら神さまに怒られちゃう」
ね?と至近距離で見つめてくる蓮加から、僕は視線を外した。
蓮加のことをずっと、「妹」のように感じていた。でもいつの間にか、彼女は「姉」になっていた。こんな大人びたことを言うようになったなんて信じられない。
複雑な気持ちはなくなった。蓮加がそう言ってくれるなら、一緒にいる今をもっと楽しもう。
僕は場の空気を変えるために、冗談めかして言った。
複雑な気持ちはなくなった。蓮加がそう言ってくれるなら、一緒にいる今をもっと楽しもう。
僕は場の空気を変えるために、冗談めかして言った。
「胸、大きくなった?」
ばっと蓮加が僕から離れる。
しまった、怒られる。僕はとっさに身構え、目を閉じる。蓮加は怒ると、言葉よりも先に手が飛んでくる。
でも、いつまでも衝撃は訪れない。
ゆっくり目を開けると、正面を向いてうつむく蓮加の姿があった。怒っているのか、落ち込んでいるのか、感情がまるで読み取れない。すぐ彼女のことを察せない僕は、まだまだ子どもだった。
しばらく経ってから、蓮加はぽつりと言った。
「もう、そういう冗談はやめてね」
そう言う蓮加の顔はひどく大人びて、まるで違う世界の蓮加を見ているようだった。
急に切なさが押し寄せてくる。それはアイドルになりたいと告白された、あの日にも感じたもの。蓮加が遠くにいってしまう。蓮加はずっと自分の傍にいて、自分をずっと好きでいてくれると信じていた。それが崩れそうになる。
成長してほしくない。傍にいてほしい。ずっと、「じゃーん!」と僕の前に現れてほしい。
自分のわがままなことはわかっていた。でも、この気持ちは止められない。
「蓮加は……どこにもいかないよね?」
「どうしてそんなこと聞くの?」
いたずらっぽく笑う彼女の顔が、ずっと遠くに見える。近くにいるのに。
「だいじょうぶ。わたしはずっと傍にいるよ」
そのときの顔を、僕は生涯忘れることはないだろう。
儚く美しい蓮加の横顔は、僕に本当の恋を教えてくれた。
僕は待っていた。待ち合わせの場所。約束の時間。10時。
顔を上げると、巨大なスクリーンに彼女が映し出されている。清涼飲料水のコマーシャルに出演した蓮加は、爽やかな笑顔を振りまいていた。二十歳になった蓮加は、すっかり大人の顔になったが、どこかあどけなさも残っている。でも、蓮加のかわいさはあんなもんじゃない。あの何百倍もかわいい。
蓮加は、あっという間に大人になった。僕は、いつまでも少年のままだった。そのズレから疎遠になったのは、いつぐらいからだったか。
きっとあの日。中学3年生になり、一緒にソフトクリームを食べた日。くだらない冗談が、蓮加を大人にし、僕を置き去りにした。
中学を卒業した蓮加は、芸能界に入り、遠くの学校に行ってしまった。別れの日も、なにを話したか覚えてない。会話をすると泣きそうになるから、蓮加の顔が見れなかった。だから彼女が最後、どんな表情をしていたかもわからない。
好きな気持ちはなにも変わってない。むしろ、もっと強くなっている。でも芸能活動が忙しい蓮加に、連絡を取る気にはなれなかった。そこで冷たい言葉が返ってきたら、僕はきっと立ち直れない。
そんな迷いのなかで届いたメール。
「会いたいな」
真意がわからない。断ろうかとも思った。アイドルでないとはいえ、蓮加は芸能人だ。大学でフラフラしている自分とは違う世界にいる。
あの頃と今では、なにもかもが違う。
そう思っていた。
そうだと思い込んでいた。
そのとき、
蓮加が『じゃーん!』と現れた。
大きく手を広げ、小さくジャンプして。
「蓮加のことが好きすぎて早く着いちゃったんでしょ?」
そんな蓮加を、僕は抱きしめる。
魔法で昔に戻ったかのように、
その声も、温もりも、柔らかさも、あの頃と、なにも変わっていなかった。
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そのあとに46時間TVで岩本蓮加さんが披露しましたね。
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