この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。


第5回ノギザカッション小説コンテスト
エントリーNo7

夏、躍る。
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目が覚めたら、季節は夏だった。
熱の反射で背中が熱い。起き上がろうと、手を付くとき、砂利が零れてその跡が赤く残る。
そのとき一瞬日が陰って、声が降った。 
僕は慌てふためいて、左を向く。
「そんなとこで何しとるん?」
夏の日差しが頬を貫いて透き通る。
「何しとるって.......なんもしとらん。」
そう言うと、スカートの裾を叩いてしゃがみこむ。
「だらだらしてるとまたテストの点数負けるで」
少し小馬鹿にしたように言う。
「お前にな。」
そう、返すと相好を崩して
「そんなにダラダラしてテスト前にわからんって泣きついてもしらんで」
「そう言ってもまた教えてくれるでしょ。」
「.......まぁ、それは、な。」
「ほら、だからいいじゃん。」
「でもずっと教えられるわけじゃないんやから。」
「なんでさ。」
「もう高校2年で来年は受験生やろ?やから。進路も。」
「思い出させるなよ」
「しょうがないやろ。もうすぐなんやから。しかも大切なことなんだし。」
「そうだけど。」
「どうするつもり?」
眼差しが不意に真剣なものになる。
「どうするって.......東京の私立に」
「私立ってどこ.......」
「明治。」
「うちの同じとこやん。まねせんといて。」
「真似じゃないし」
親にも担任にも言えなかった進路を何故言えるんだろう。
「厳しいんちゃう。もっともうちが言うことちゃうけど」
小さくため息をついて、瞳は白い海を映し出していた。
「どうせお前は楽に受かるんやろうな」
その刹那、目が糸のように細くなり、肩までの黒髪が潮風に揺れて乱れる。
鴎は行き場を失ったように同じ処を飛び回る。
港町の正午は日差しも暑さも険しい。
「お前って辞めて」
「いっつもそういうよな。」
「ちゃんと小坂 菜緒って名前があるんやから。」
「わかったわかった五月蝿いなお前は」
「またお前って言った」
再び目が細くなる。
「引っ越してきて1年でまだ名前も呼ばんとか。信じられんわ。」
アイロンをかけたようにシワのないシャツ。
「うるせーな。」
「そんなことだから友達出来へんねんで」
「小坂がいるからええやん。」
「そういうことちゃうわ。」
頬に日焼けの跡が赤い。
「そういや、初めてあったのもここだったっけ」
僕は慌ててそう訊ねた。
いつの間にか隣で座り込んでいた小坂はしばらく考えて何かを思い出したようにつぶやく。
しかしそれは聞こえない。
「そうだっけ?」
小坂は海べりに足を向けてばたつかせる。
「覚えてないの?」
そう訊くと小坂はうっすら笑って黙る。
潮騒が急に瞳の向こうで歌い出す。

両親の離婚があってこの田舎町に来た。
それは確か夏の終わりで、荷をとくと母は慌ただしく漁協の方へ出かけて家を開けて仕舞う。退屈した僕はなんのあてもなく街を彷徨い歩くことにした。
この海岸は家から徒歩五分のところにある。
当てもなく歩こうにもあてがなさすぎて僕の足はこの海岸で静止する。
やがて今日と同じように海を見ていたら、後ろから話しかけられた。
「あんた、誰?」
振り向いたら彼女が居た。
その瞬間は一生忘れられない。
白のTシャツに太ももあたりまである薄い青のシャツそしてデニムのショートパンツ。
サンダルが砂利を踏んで湿った音がする。
唇はほんのり朱がさして、肌の色素は薄い。
髪は黒とブラウンのグラデーションが掛かっていた。
「この前、引っ越してきた。」
ようやくそう言うと、
「ああ、婆ちゃんが言ってたな。そんなこと。」
「あなたは?」
目線でそう訊ねると、
「わたしは小坂。ほら、斜め向かいの」
「ああ。」
よく知らなかったが。知っている振りをした。

「おーい、聞いてんの?」
小坂の手が顔の前で縦に揺れる。
「えっ?」
「ぼうっとせんともうお昼やで」
スカートの砂を払って小坂か立ち上がる。
「先行くで」
そう言って不意に小坂は走り出す。
「待って」
テトラポットの間に挟まっていた空き缶が乾いた音を立てて、波間に飲まれる。
僕らの夏はまだ始まったばかりだ。

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