この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。


第5回ノギザカッション小説コンテスト
エントリーNo10

僕は7年後、また君と出会う
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 あれからちょうど7年の歳月が流れた。西野はアイドル界のトップに上り詰めた。僕は大学を卒業して、地元で働き始めた。西野がアイドルとしてデビューしてから、僕たちはいっさい連絡を取っていなかった。西野の仕事柄、問題になるかもしれないようなことは避けたかった。イベントやライブに行けば会えたかもしれないが、僕はそれをしなかった。テレビなどでときたま見る西野は眩しいくらい輝いていた。西野に負けないよう、僕もなんだかんだと日々がんばって生きていた。そんな日々のなかで、西野のことを思わない日は一日もなかった。
西野から久しぶりに―久しぶりという言葉では到底足りない、永遠のような長い時間だった―連絡がきたのは、ちょうど西野が、所属しているグループからの卒業を発表した日だった。確かその日の僕は、仕事帰りにコンビニで缶ビールを買い、自宅である駅近の安アパートのリビングで一杯やりながら、ケータイの画面にくぎ付けになっていた。SNSもネットニュースも、西野の卒業に関する情報が飛び交っていた。

「〇月〇日、夜7時にあの場所に来て」

 画面に表示された端的な言葉は、とても現実とは思えなかった。現実が現実として飲み込めるまでに、かなりの時間を要した。いてもたってもいられなくなり、僕はコンビニへ走って、しばらくやめていたタバコを久しぶりに買った。アパートに戻り、リビングの椅子に腰かけて、震える手で火をつける。深く煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。久しぶりのタバコにむせかえりながら、もう一度ケータイの画面に目を落とす。画面に映し出されたのは、間違いなく西野からのメッセージだった。それはまぎれもなく現実だった。現実が飲み込めるまでにタバコを2本吸い、3本目を吸いながらやっとのことで返事を送った。

「わかった。待ってる」

 その日から今日まで、僕は仕事にいっそう集中した。そうしなければ、西野のことを考えてしまって、とても仕事なんか手につかなくなってしまう。勤務時間中は必死に仕事をし、仕事が終われば西野のことを思って、いてもたってもいられないまま日々を送り、そして今日を迎えた。
 僕はいま、あの場所にいる。僕と西野にとって「あの場所」とは、ここしかないと確信があった。ガードレールに腰かけ、ケータイで時間を確認する。約束の時間まではだいぶ余裕があった。家路を急ぐ人たちが往来する駅前を、なんとなく眺めた。西野の背中を見送ったあの日とは、だいぶ様変わりしている。しばらくそうしているうちに、西野と付き合いはじめ、別れるまでの怒涛の日々が、脳裏に蘇ってきた。



「へぇ、、、そうか」「なによ、へーって。七瀬が転校するって言ってるのよ?」
 10月のある日の放課後。外は雨が降り始めそうな曇り空だ。おなじクラスの飛鳥と西野、中学が一緒で親友の岡田、そして僕、中山のいつものメンバー4人のうち、その日日直だった西野を除く3人で教室でダベっていたときのことだ。重大な事実を飛鳥は急に告げてきた。

 高校2年生の僕たちは、自分で言うのもなんだが、それなりのスペックがそろっているのに彼氏や彼女がいないやつばかりだった。飛鳥は小顔の美少女だが、恋愛に興味がないらしく、彼氏ナシ。僕はサッカー部のエースで、クラスでも割と目立っているほうだが、彼女ナシ。飛鳥いわく「ありえないくらい鈍感」らしい。西野は、清楚で可愛らしいのだが、逆に高嶺の花すぎるのか、アタックしてくる男子がいなくて彼氏ナシ。岡田は、イケメンだが重度のアイドルオタクのため、ほとんどの女子からドン引きされていて、彼女ナシ。だいたい放課後はこうして教室でだべってから帰る。昼食も4人で食べているし、修学旅行の班もこのメンバーだった。居心地がいいのだ。しかし、この後僕たちは居心地のいいだけの関係ではなくなってしまう。もちろんこの時は知る由もなかった。しかし予兆はあった。僕は西野のことが好きだったからだ。

「いや、だって急に言うからさ。どう反応していいかわかんねーよ」
「私だって今日きいたんだよ、転校するって。七瀬、中山には言ってなかったんだ?」
「きいてねーよ。なんで俺には言ってくれないのかな」
「あんたのことが好きだから、なかなか言い出せなかったんじゃない?」
「いやー、それはないんじゃないかな」
 僕がそう言うと、飛鳥はなぜかはぁーと深いため息をついた。
「はぁ、、、いつものことだけど、ほんっと鈍感だね。イライラしてくるわ」
「なに急にキレてんだよ、、、」
「もういい。ばーか」
 飛鳥が急に怒り出した理由はよくわからなかった。最近西野とは二人でしゃべったり、一緒に帰ることが増えてはいたけど、それはたまたまタイミングが合って、二人になっているだけだろう。すると、アイドルオタクの岡田が口を開いた。
「僕、西野に告白しようかな」
 これまた唐突な発言に、僕と飛鳥は意図せずハモった。
『え・・・好きなの!?』
「うん、、、前から気になってはいたんだけどね。転校するってきいて、振られてもいいから気持ちを伝えようかなって」
「いいんじゃない?やらなくて後悔するより、当たって砕けたほうがすっきりするもんね」
「おい、なんで僕は振られる前提なんだよー」
 飛鳥と岡田は、軽口を叩きながら笑い合っている。僕は気持ちの整理が追い付かなくて、何も言えなくなった。いつの間にか降りだしていた雨が、教室の窓ガラスを叩いていた。

 放課後、日直は全クラスが集まって報告会がある。席に座っている間、私はずっと上の空だった。転校の事実を真っ先に彼に伝えたかった。彼のことが好きだからだ。けれど、彼が私の気持ちに気付く気配は全く無かった。気づいてほしくて、二人でしゃべる時間を増やしたり、帰り道を遠回りして一緒に帰ったりしているのに、彼は飛鳥の言うとおり「ありえないくらい鈍感」だった。彼が私のことをどう思っているか知りたかったけど、それを聞く勇気はなくて、仕方なく飛鳥にだけ伝えた。思わず、独り言が漏れた。
「なんなん、ほんまに。うちだけ頑張って空回りして、バカみたい」
「なんだ?西野」
 先生に聞こえてしまった。
「すみません、なんでもないです」
そのあとも先生はずっと何かしゃべっていたけど、ほとんど耳に入ってはこなかった。

 翌日、僕は西野にも岡田にもどう接したらいいのかわからなかった。休み時間や昼食の時間も、当たり障りのない会話をしてすごした。昼食後、僕は一人で渡り廊下のベンチに腰かけたまま、西野のことを考えた。親友に告白されたら、西野は受け入れるだろうか。僕はどうすればいいのだろう。黙って見ているのか?西野のことが好きなのに?
 すると、いきなりバシッと背中を叩かれた。反射的に振り返ると、飛鳥が立っている。
「ってーな。なんだよ、いきなり」
「なんだよじゃないでしょ。七瀬がとられてもいいの?」
「いいわけないだろ。けどどうすればいいのかわかんねーよ」
「告白するしかないでしょ」
「けど、あいつも西野のこと好きって言ってたし・・・」
 飛鳥の目つきが険しくなった。
「あんたの七瀬に対する気持ちってその程度なの。友達が同じひとを好きだったら譲っちゃうわけ?」
「・・・待って、俺が西野のこと好きってなんで知ってんの」
「見てれば普通にわかるの。こっちはあんたと違って鈍感じゃないから」
「まじかー、、、」思わずため息が漏れた。すべてお見通しってわけだ。
「そうだよな。俺は西野のことが好きだ。・・・たとえ友達だって譲るわけにはいかないよな」
「わかってんじゃん」
飛鳥は満足げな顔をした。
「だったら今すぐ宣言してきなさいよ。これは俺のもの!ってさ」
「いや、まだ付き合えるかどうかわかんないけど・・・」
「だいじょうぶ。振られたら私が付き合ってあげるよ」
そう言って飛鳥はウインクしてきた。もちろん冗談だろうが、中身は置いておくとして、見た目はめちゃくちゃ可愛いので、思わずぐらっと来そうになった。それも悪くないかもしれない。けれど今は、
「ほら、行った行った!」
 飛鳥に背中を押され、僕は教室へ向かって廊下を走り出した。一歩踏み出すたび、教室のドアが近づいてきて、鼓動が早くなる。あと5歩、4歩、3歩、2歩、1歩・・・

勢いよくドアをガラッと開けた。
クラスメイトたちの視線が一斉に集まる。席に座って女友達と話している西野もこっちを振り向いた。僕は大きく息を吸い込んで、

「西野!」

 大声で彼女の名前を呼ぶ。西野の整った顔に驚きと戸惑いの色が浮かんだ。
「え・・・なに?」
 ここまで来たらもう後戻りはできない。

「俺は、お前のことが好きだ!」

 西野は反応に困っているみたいに少しうつむいていたが、すぐにゆっくりと立ち上がり、僕をまっすぐに見据えた。おとなしく儚げに見えて、実は強い芯を持っていることがうかがえる透き通った瞳だ。そんな瞳も好きだ。西野は、僕がやったのと同じように大きく息を吸い込み、

「うちも、あんたのことが、好きやー!!!」
 
まさかの大声を出した。一瞬、クラス中が静寂に包まれる。

そして一気にどよめいた。
「よぉっ!」
「ナイスカップルー!」
「おめでとー!うらやましいぞこのやろー!」
 クラスメイトたちが口々にはやしたてはじめた。ここに来てようやく周りの状況に気付き、僕は恥ずかしくなって顔が真っ赤になった。西野を見ると、同じく顔を真っ赤にしてうつむいている。それはそうだろう、クラスのみんながいる状態で突然告白したんだから。
 すると、教室のドアがまたガラッとあいた。僕も含めみんながそっちを振り返る。入ってきたのは・・・担任の先生だった。
「なにを騒いでんだ、昼休みそろそろ終わるぞ。5時間目は体育だろ、ほら早くいけー」
「はーい」
 クラスメイトたちがぞろぞろと教室を出ていく。友達の何人かが、ニヤニヤしながら僕の肩を叩いて通り過ぎた。どちらからともなく、西野と目が合う。なんだかくすぐったくて、思わず二人で声を出して笑った。

 ランニングが終わって喉がかわいたので、僕は水飲み場へ向かった。歩きながら昼休みの怒涛の告白を思い出して、嬉しいやら恥ずかしいやらで一人ニヤけてしまう。水飲み場につくと、先客がいた。水飲み場のへりに、僕に背中を向けて座っている。後ろ姿で誰かわかった。
「あーすか」
 声をかけ、隣に腰をおろす。飛鳥は僕の顔を見ると、ニヤニヤしながら僕の腕をつついてきた。
「いやー、まさかみんながいる前で告白するなんてね。やるじゃん」
 僕は頭をかくしかない。
「もう勢いまかせだったよ。恥ずかしかったけど、なんかすっきりした」
「ね?告白してよかったでしょ?」
 そう言って飛鳥は僕に向かって親指を立てた。僕も親指を立ててそれに応える。
「それに意外だったよ、西野もあんなでかい声だすなんて」
「七瀬はずっとあんたのこと好きだったんだよ」
「・・・え、まじで!?」
「気づいてほしくていろいろ頑張ってたのにさ、あんたぜんぜん気づかないから。嬉しかったんだと思うよ、七瀬」
 確かに僕はまったく気づいてなかった。
「片思いだと思ってた・・・」
「ずっと両想いだったんだよ。なのにあんたは鈍感で、七瀬は奥手だから、見てて歯がゆくなってきちゃって。背中押してあげたんだから、感謝してよね」
「ああ、めっちゃ感謝してる。ありがとな・・・」
 それから、僕たちの間にしばらく沈黙が下りた。飛鳥は何か考えているような、思いつめているような顔をしている。
「・・・どうかした?」
「あのさ、驚かないでね」
「ん?ああ」
 飛鳥が話しはじめた。
「私、中山のことが好きだった」
「え・・・」
 昨日に引き続き、衝撃の事実を急に告げてくる飛鳥。僕はまた気持ちが混乱してきた。
「ずっと好きだったんだよ。けどさ、中山のこと見てるとわかっちゃうんだ。中山が好きなのは、私じゃなくて七瀬だって。だから七瀬とくっつけてやろうと思ったの。そうすれば、諦めて吹っ切れるかなって」
「そうだったのか・・・」
「気づいてなかったでしょ」
 もちろん気づいていなかった。でも、
「だから、よく俺のこと鈍感って怒ってたのか」
「そうだよ。私にも七瀬にも思われてるくせにさ、全然気づかないし。七瀬が取られそうになってもなかなか告白しないし」
「じゃあさ、俺が振られたら付き合ってあげるって言ったのは・・・」
「冗談9割、1割本気かな」
 そう言って飛鳥は笑った。
「けど安心して。私たち4人の関係が気まずくなっちゃうのは私もいやだし、七瀬と中山には幸せになってほしい。あんたを好きだったことは今日忘れるから・・・」
 そして、飛鳥は立ち上がった。
「全部ぶっちゃけたらすっきりしたよ」
 そう言って飛鳥はグラウンドのほうへ歩き出した。僕はそのまましばらく一人で座っていた。誰かを選ぶということは、誰かを傷つけてしまうことなのかもしれない。ふと見上げると、昨日の雨で澄み渡った空に、白い一筋の飛行機雲が流れていた。

 そのままどれくらい座っていただろう。かなり長い時間のような気もするし、意外と5分くらいだったのかもしれない。上を向いていたのですぐに気づかなかった。西野が歩いてきて、僕の隣にちょこんと座った。何か言いたいことがあるのに言い出しづらいみたいに、僕のほうを見ず前を向いて、膝を抱えている。
「・・なんかあった?」
 西野は前を向いたまま話し始めた。
「あんな・・・さっき急にいわれてんけどな・・・岡田くん、うちのこと好きやったらしいねん」
「知ってる。昨日言ってた」
「けど岡田くん、うちが中山のこと好きやって気づいててん。やから、中山の前でわざと言うたんやって」
「そしたら俺が西野を取られまいと告白して、付き合ったら潔く諦められるからって?」
「そう。なんか申し訳ないなあ」
「悪い女だな、ほんと」
「ちょっとー、そんな言い方ないやろ?」
 西野がプク顔になってこっちをにらんできた。怒ってもかわいい。
「こっちも似たようなこと言われたよ。飛鳥、俺のこと好きだったんだってさ」
「・・ほんまに?」
「ああ。それでさ、俺と西野が付き合ったら諦めて吹っ切れるからって」
「そっちも悪い男やん」
「悪い奴どうしだな、俺ら」
 そう言って僕は笑った。しかし西野はまだ複雑そうな顔をしている。西野は誰にでも分け隔てなく優しいし、気遣う。飛鳥や岡田に対して申し訳なさを感じているんだろう。そんなところも僕の好きなところのひとつだ。思わず手を伸ばして、西野の肩をそっと抱き寄せた。西野は一瞬体をこわばらせたけど、抵抗はしなかった。
「申し訳なさ感じるのはわかる。西野のそういう優しいところが俺は好きだ。けどさ、ちょっとくらいジコチューだっていいんだよ。俺は西野が好き。西野は俺が好き。それだけでいいんじゃねえの」
「どんな顔して言うてんの?」
 そういってあきれ顔で見上げてくる西野。
「こんな顔だけど?」
 そう言って僕は全力の変顔を決める。西野がやっと笑った。
「西野は笑ってるときがいちばんかわいいよ」
「んもう、なに言うてんの、アホちゃう・・・」
 言いながら西野は僕の肩に頭を乗せてきた。余計な言葉を使わなくても、こうして触れ合っているだけで、心が通い合う気がした。この瞬間、間違いなく僕は幸せだった。西野の肩を抱いたまま、このまま時間が止まればいいのにと思った。しかし、現実はそう甘くないということを、すぐに僕は思い知らされることになる。

 帰り道。飛鳥と岡田は塾があるということで、僕は西野と二人で帰っていた。西野は徒歩で、僕は自転車を押しながら歩く。僕たちは帰り道をちょっと遠回りしてコンビニに寄り、肉まんを二つ買ったあと、近くの河川敷に立ち寄った。芝生の上では、何人かの子供がサッカーをやっている。
「座って食べようか」
「うん」
 自転車を止め、堤防の上の細い道から河川敷に降りる、なだらかな坂の芝生の上に腰を下ろす。そのまま二人でサッカーをやっている子供たちをなんとなく眺めながら、黙って肉まんを食べた。沈黙は決して苦痛ではなく、むしろ心地良ささえ感じた。昨日からいろんなことが目まぐるしく動いていたのが、少し落ち着いたような気がする。僕は大きく一つ伸びをした。昼と夕暮れの境目の空を眺めながら、呟く。
「西野・・・」
「なに?」
 形の良いピンク色の唇も、長いまつ毛の下の澄んだ瞳も、「なに?」と言っている。
「・・・なんでもない。ただ、昨日から急にいろんなことがあったなーと思ったんだ」
「そうやね・・・教室でみんな見てる前で告白されるとは思わへんかった」
「あ、やっぱ恥ずかしかった?」
「ううん。びっくりはしたけど・・・嬉しかったよ」
 そう言って西野ははにかんだ。見た人の心を溶かしてしまうような笑顔だ。いつまでもその笑顔と一緒にいたいと思う。けれど、西野は転校してしまう。西野を好きだという気持ちと、だからこそ離れたくないという気持ちが押し寄せてきて、怖いと思って聞けなかったことを、僕はついに聞いた。
「転校するのっていつ?」
 西野は目を伏せて、ぽつりと言った。
「今年いっぱい・・・1月からは、東京の学校にいくの」
「そうか・・・」
 覚悟はしていたけど、いざ聞かされると、それは心の中にずしっとこたえた。
「理由は?親の転勤とか?」
「・・・アイドルになるの」
「え・・・」
 衝撃でとっさに言葉が出てこない。昨日からこんなことばっかりだ。
「アイドルって・・・恋愛できないだろ・・・」
「うん・・・」
 西野の目に涙が溜まっていた。
「ごめんね。転校することも、転校する理由も、ほんとは真っ先に中山に伝えたかってん。けど、中山ともし付き合えたらって考えたら、自分の決心が揺らいでしまうような気がして。自分で決めたことやのにね・・・」
 西野の目から涙がこぼれた。僕は、西野の涙にぬれた頬を指でそっとたどってから、西野の右手を、左手でそっと握った。
「残念ではあるけどさ・・・西野が決めたことだったらそれは貫き通してほしいし、俺は応援するよ。そのかわり、転校まで二人で全力でいっぱい思い出作ろうぜ」
「うん・・・わがままでごめんね・・・」
「いいよ。西野のわがままだったら、なんだって付き合うさ」
 西野は、涙を拭うと、やっと少し笑みを浮かべた。
「やったら、もうひとつわがまま言ってもいい?」
「いいよ、なに?」
「目、つぶって」
「え?ああ・・・」
 言われるがまま、僕は目を閉じる。西野の甘い髪の香りがふわっと漂って、唇に何か柔らかくて暖かいものがそっと触れた。何が起こったのかすぐに理解できない。目を開けたとき、西野は顔を赤くしてうつむいていた。
「西野・・・」
「こんなことするの、初めてやからな・・・」
 西野にキスされたんだということがやっと理解できて、僕も顔が赤くなった。僕だってこういうことははじめてだ。西野はうるんだ瞳で僕をまっすぐ見据えた。
「・・・うちのそばにおってくれる?」
「ああ。何があったって、そばにいるよ」
「でも、アイドルになったら付き合われへんよ・・・」
「西野がアイドル卒業したら、そのときまた告白する」
「・・・ありがとう・・・」
 西野の目にまだ涙が溜まってきた。僕は西野の両方のほっぺをムギュっと引っ張った。
「なにするん・・・」
「もう、泣くの禁止。泣き顔もいいけど、笑ってる西野が見たいよ」
「だって、せっかく中山と付き合えたのに、、、」
「だから、転校まで二人で全力で楽しい思い出作ろうぜ」
「うん。でも・・・」
「もう、“でも”も禁止」
「でも・・・」
 頭で考えて動いたわけではなかった。僕は左手で西野の肩を抱いて、西野の唇に自分の唇を重ねていた。思考が回らなくなり、心臓の鼓動が自分でもわかるくらい大きくなって、感じるものすべてが西野で満たされる。西野の顔を間近で見たらどうにかなってしまいそうで、僕は目を閉じて離れた。西野は頬を赤くして、潤んだ瞳で僕を見つめてきた。
「西野。大好きだ」
「・・・わたしも・・・」
 西野がほほ笑んだ。ぼくは西野の手を取った。
「帰ろっか」
「うん・・・」
 西野の手をつかんで立たせてやってから、僕たちはお互いの制服についた草を手で払った。手をつないで、夕日に赤く染まる堤防の上を、二人並んで歩いた。この時間が永遠に続いてほしかった。

 そんな僕の思いとは裏腹に、幸せな時はジェットコースターのように過ぎ去っていった。現実はいつだって残酷だ。二人でいったいろんな場所や、話したことが、まるで昨日のことのように思える。今僕は、最寄り駅へ向かって自転車を漕いでいる。荷台には、僕の腰に腕を回した西野が、横向きに座っている。年の瀬の寒い日だったので僕たちは二人とも厚着だったが、腰にまわされた腕や、密着した背中から、体温がじかに通い合っている気がした。西野の両親は仕事の都合で昨日引っ越し先へ行っていた。大きな荷物もすべて送ってあるらしく、西野の荷物はハンドバッグひとつだった。別れの瞬間を先延ばしにしたくて遠回りをしながら、いつもの倍くらいの時間をかけて、僕たちは駅に着いた。僕たちの間に言葉はなかった。西野が券売機で券を買っているあいだ、僕はその背中をずっと見つめていた。ホームへ続く階段をふたり並んで上がる。どちらからともなく手をつないで、固く握りあった。西野が乗る電車のホームに着いても、僕たちは手を握りあったまま、黙っていた。好きで、大好きで、離れたくなくて、どうしようもなくて、僕たちはただホームに立ち尽くしていた。つないだ手から、お互いの気持ちが流れていた。
 やがて、西野の乗る電車がホームへ入ってきた。10両編成の銀色の電車はそれなりに混んでいた。乗っている人たちは皆、それぞれの目的地に向かっている。
「西野・・・」
「ん・・?」
「向こうついたら、電話してきて」
「わかった」
「気を付けていけよ・・・」
「ありがとう。じゃあね・・・」
 西野が歩き出した。一歩、二歩、三歩、西野の背中が遠ざかって、電車のドアに吸い込まれていく。
「西野!」
 西野が振り返るより早く、僕は西野に駆け寄って、腕を掴むと人目もはばからず抱きしめた。西野も僕の腰に手をまわしてきた。
「中山・・・」
 後に続く言葉が何なのか分かっていたけど、僕も西野も何も言わなかった。お互いの背中にまわされた手をほどいて目と目があった刹那、どちらからともなく自然に唇が重なった。駅のホームの雑踏の中で、僕たちは永遠の中にいた。心と心が固く結びあわされて、そして溶け合った。
「中山。大好き・・」
「俺も・・・」
 発車のベルがホームに鳴り響いた。
「また会えるよね・・・」
「ああ・・・きっと」
「きっと・・・」
 西野がドアに向かって歩き出した。今度は駆け寄りはしなかった。西野もこっちを振り返らなかった。西野が乗り込むとほぼ同時に、ドアがプシューと音をたてて閉まった。電車に乗ってからも、西野は一度もこっちを振り返らなかった。僕はホームに突っ立ったまま、電車が見えなくなるまで、西野の背中を見送った。雲一つない、年の瀬の真昼のことだった。



 どれくらいそうしていただろうか。我に返ってふとケータイの画面を見る。約束の時間まではあと5分といったところだ。胸の鼓動が高鳴って、周りの人に聞こえそうになった。なんとか落ち着かせようと、やめなければと思いつつタバコを1本取り出し、火をつける。ホームに通じる階段のほうから目を離さないまま、ゆっくりと煙を吸い込み、そして吐き出す。階段からはたくさんの人が下りてきていたけれど、西野の姿は見当たらなかった。短くなったタバコの最後のひと吸いをゆっくり吸い、煙を吐ききり、駅の灰皿に押し付けて火を消す。
灰皿から目をあげて階段のほうへ顔を向けた刹那、

―――ロングコートを着た西野の姿が目に映った。

あまりに急なことで、雷に打たれたような衝撃が全身を駆け巡り、足が動かない。西野は僕に気付いていないようで、少しうつむき加減のまま、ほかの人たちと同じように、僕の横を歩いて通りすぎていく。
「・・・っ!」
 動かない体を無理に動かして、西野の歩いていったほうを振り返る。しかし、西野の姿は見えない。雑踏にまぎれて見失ってしまった。電話をかけようと思い、あわててケータイを取り出そうとした瞬間、
「だーれだ」
 後ろから目隠しをされた。心臓が飛び跳ねたあと、懐かしくてあたたかい気持ちにつつまれた。声と匂いだけで、だれかわかる。

「西野・・・会いたかった」

「わたしも・・・」

「もう、絶対離さないから・・・」

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