この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。


第6回ノギザカッション小説コンテスト
エントリーNo4

Joyful World
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夜半にしんしんと降る雪を観るのが好きだった。
暗い世界への扉のような部屋の窓を開けると、すうっと足元に寒気が滑りこんでくる。
机の上のわずかな灯りに、白く浮かびながら落ちてくる牡丹雪。
いつもは遠くに聴こえる国道の騒音は空中に吸い込まれ、音らしきものは点けっぱなしのラジオだけ。
無音の祭典を目で追っていると、やがて時間を感じなくなり、自分は過去であり現在であり未来になるのだった。
自分という存在が、かつて産まれ今を生き、やがて大人になりいずれ死ぬことも、時の流れの自然なことのように思えた。
いや、人は生きるのではなく、時の中にその存在を拡げるのだろうか。
小生意気にもそんなことをぼうっと考えていたように思う。




鉛色の空は僕の心を映しているようだ。
何もかも上手くいっていなかった。仕事も家庭も。
くだらないことばかりが起きる。家族とはここのところ口もきいていない。
徒労感を増すためだけに会社に戻るのも馬鹿らしくなり、適当に直帰する口実をでっちあげて、僕は車を停めた。
雪が降り始めたのを眺めているうちに意識が遠のいた。


人の気配…?違和感を感じて目が覚めた。
僕の顔を覗き込むポニーテールの少女がいた。

「うわ!」
驚いて跳ね起きると、真っ赤な顔でごめんなさい、と小さくなりながら謝った。
何だお前は!という言葉が喉元まできたが、彼女の屈託のない笑顔の前に消えてしまった。
落ち着いて、いったいどうしたのか尋ねてみる。

友達のところに向かっていたけれど、雪が結構降ってきて、寒くて仕方なかった。
どうしようもなくて困ったところ、車で寝ている僕を見つけた。
乗せてほしくて、窓をノックしたけれど起きないので、悪いとは思いつつも車内で待たせてもらうことにした。

だいたいそんな説明だった。
彼女の話を聞いて窓ガラスの曇りを手で拭うと、外は銀世界に変わっていた。
スタッドレスタイヤに履き替えておいて良かった。確かにこれでは歩くのは辛かろう。

説明の間も彼女は背筋をすっと伸ばして、一生懸命話すのだった。
純真さを感じさせるその様子が、なんだか面白くて僕はちょっと吹き出してしまった。

「何がおかしいんですか?」
プクっとしたふくれ顔もまた愛らしかった。
「いや、ごめんごめん。凄く姿勢が良いんだね」
「弱いけど、剣道三段なんです」
ちょっと胸を張ったのが可愛くてまた吹き出してしまった。
「もう!驚かせてすみませんでしたっ」
拗ねながら謝る姿に、再び笑いつつも、なにかを思い出した気がした。

訊けば友達の家は、かなり遠くのとんかつ屋さんだった。
車で送っていってあげよう。

他愛のない話をしながら、僕は木漏れ日のように温かい気持ちになるのを感じた。
バックミラーに見える彼女はいつもニコニコしていた。

「お腹空かない?」
「う…ちょっと…いや、かなり」
「これ食べなよ。開けてないから」

食欲が出なくて、助手席に置いたままにしていたチキン南蛮サンドを手渡した。

「タルタルチキン!」

わーいと言いながら嬉しそうに食べる。
それはチキン南蛮だよ、は心の声になった。
君が微笑むだけでなんだって許せてしまうんだ、そう思った。

「寝てるとき、恐い顔でしたよ~」
それが顔を覗き込んでいた理由だという。

「笑顔にならなきゃダメですよ!笑顔になれたら、今より強くなれます」
「え?」
ふいに強い言葉にドキッとした。

「あなたがしあわせならば、私もしあわせな気がします!逆に、私がしあわせならば、あなたもしあわせな気になれます」
「……」
「しあわせって、笑顔って風が木々を揺らすように連鎖していくんです!」
僕は何も言えなかった。
ずっと難しく考えていた、痛みからの立ち直り方はそこにあった。

改めてバックミラーを見直した。
ポニーテールを揺らす、笑顔の少女がそこにいた。
言葉は邪魔に感じた。そうだ、笑おう。


目的地のとんかつ屋に着いた。
駐車場に車を入れ、彼女に声をかけた。

返事が無い。
あれ?

振り向くと彼女の姿はなく、代わりに可愛らしいカエルのぬいぐるみだけがあった。
耳の奥で「タルタルチキン!」という声が聴こえた。

とんかつ屋の駐車場でタルタルチキンか。
可笑しくなって腹の底から笑った。
不思議さはどうでも良くて、彼女が残していった心の温もりが心地よかった
そうだ、俯くより顔を上げた方が人生は楽しいんだ。
彼女のように笑おう、笑顔になろう。

白い雪景色。
過去の自分も現在の自分も未来の自分も自分だ。
だったら、笑顔でいよう。僕がしあわせならば、みんなもしあわせにできるんだ。
時の流れをしあわせで満たしてみよう。


Joyuful World 君に誘われた新しい世界…
白一色のはずの雪は、虹色に感じられた。