この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。


第6回ノギザカッション小説コンテスト
エントリーNo5

ゆきんこ
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ここは北の大地。
今年も大雪で、辺りはまばゆい銀世界です。
その中を、雪に足を取られながらもなんとか進んでいく青年が一人。

彼の名前は、山田さん。

若いながらも村で唯一の診療所を開き、住民たちからの信頼も厚い、心優しいお医者様です。

今日も、足の悪い患者さんのために訪問診察に行く道中だったのですが…。
何やら雲行きが怪しいですね。
空は重たい灰色に、冷たい北風は強くなり、先程までふわふわと舞っていた雪は、まるで山田さんをいじめるように、彼の体に激しく当たり始めました。
これでは周りが見えません。
必死に歩みを進めているうちに、いつの間にか、見たことのない森へ足を踏み入れてしまったようです。

「これは、迷っちゃったかなぁ…」

青い唇をがたがた震わせ、山田さんは呟きました。





それから、どれくらいの時間を彷徨ったでしょう。
すっかり日は落ち、鳥の鳴き声すらも聞こえません。
耳元では相変わらず、吹雪の音だけが響いています。
そういえば山田さん、携帯は?

「あっ、そうだ…110番…」

止まらない震えと戦いながら、なんとか懐から取り出した携帯。

「圏…外…」

その言葉を最後に、彼の目の前は深い暗闇に包まれました。










吹雪はすっかり落ち着いたようで、空では丸いお月様が微笑んでいます。

「せーのっ!せーのっ!せーのっ!せーのっ!」

どこまでも続きそうな真っ白な森に、可愛らしい掛け声が響き渡っています。
彼女たち…四人の雪ん子たちが一生懸命に引いているのは、木でできた大きな橇(そり)。
何を運んでいるのか、荷物の上に藁がかけてあって分かりませんね。
とっても重たそうです。

「…もうダメ!ちょっと休憩しよ?」

いきなり座り込んでしまったのは、三女のユウキ。

「何言ってるの!早くしないと手遅れになっちゃうよ!」
「そうだよ、もう家が見えてきてるんだから!」

妹を叱咤するのは、長女のミナミと次女のミリア。

「あんたも、まだ頑張れるよね?」

ミリアのすごい剣幕に、ただただ頷くしかないのは四女のアヤメです。

「今日は大根も味噌も手に入れたから、帰ったら美味しい味噌汁が作れるよ」
「わかったわかった!それなら頑張る!」

ミナミが優しく励ますと、ユウキの顔がぱあっと明るくなりました。
本当、ご飯のことになるとやる気が全然違うのね。
その時、橇(そり)にかけてある藁がもぞもぞと動きました。
中から唸り声が聞こえます。

「お姉ちゃん、おじさんが苦しそう…」

アヤメが不安そうに言うと、ミナミが急いで藁をめくり、様子を伺います。
橇(そり)の中で横たわっていたのは、先程の吹雪で遭難してしまった山田さん。
山中で倒れていたところ、運良くこの子たちに発見されたようです。

「急いで帰ろう!」

再び先頭の位置についたミナミにならい、妹たちも橇(そり)を引き始めました。

「せーのっ!せーのっ!せーのっ!せーのっ!」










半ば引きずるようにして、家の中に山田さんを連れ帰った四姉妹。
ユウキが床に藁を敷き、ミナミとミリアがそこに山田さんを寝かせます。
アヤメが囲炉裏に火をくべると、家の中が明るくなり、徐々に暖まってきました。
その明かりで、ミナミは山田さんの容態を見始めます。
運ばれている間もずっと呻いていたので、ただごとでないのは誰が見ても分かります。
すると、ミリアが驚いた声をあげました。

「どうしよう、怪我してる…!」

山田さんがかぶっている帽子に、先程までなかった血の滲みができています。
ミナミはその帽子をゆっくりと取りました。
気絶した時に打ったのか、こめかみ近くから出血しています。

「そこの荷物、持ってきてくれる?」

少し離れたところから不安そうに見守るユウキに、ミナミは努めて冷静に声をかけました。
ユウキが持ってきた大きな荷物をひっくり返し、出てきた物を次々と物色します。
この荷物は、山田さんが背負っていた鞄です。
どれも私たちの生活に馴染みのない物ばかりですが、ミナミには使い方が分かるようでした。

「さすが山田さん、必要な治療道具は全部持ち歩いてる」
「こんな物で、おじさんのこの怪我を治せるの?」
「大丈夫だよ。ミナミに任せて!」

一体どこで覚えたのでしょうか。
ミナミはてきぱきと手当てを進めていきます。
あとは頭に包帯を巻くだけという時、妹たちが口を開け呆然としていることに気づきました。

「何ぼさっとしてるの?お湯ぐらい沸かしてよ~」

ミナミがむっとしたので、妹たちは我に返ったように仕度を始めました。





「う…ん…」

しばらくして意識が戻ったのか、山田さんがゆっくりと瞼(まぶた)を開けました。
きょろきょろと周りを見回し、ずっと傍で見守っていたミナミと目が合います。

「よかった!気がついたんですね」
「あっ、あの…ここは…」
「ここは私たちの家ですよ。向こうにいるのは、私の妹たちです」

ミナミが視線で示した方では、ミリア・ユウキ・アヤメがせっせと料理をしています。

「気を失ってたから何も憶えてないけど…。この状況だと、君たちが助けてくれたんだよね?」

頷くかわりに、ミナミは微笑みで返しました。

「もしかしてこれも、君がやってくれたの?」

山田さんは、頭の包帯に触れながら尋ねました。

「はい。あの時教わった知識で、まさか山田さんを助けることになるなんて…」
「えっ、どうして僕の名前を?」
「…へへっ」

意味深な笑顔を向けられて、山田さんはさらに困惑している様子です。

「僕たち、前にどこかで会ったことあるかな?」
「はい。あの節は、本当にお世話になりました」

かしこまってお辞儀するミナミに、ますます混乱する山田さん。

「そんなことより、他に痛むところはありませんか?凍傷とかは見当たらなかったのですが…」

ぐいっと身を乗り出されてたじたじになる山田さんでしたが、ふと、ミナミの首元に気になる物を見つけました。

赤い紐でかけられた、小さな鈴。
どこかで見たことあるような…。

それを見て、彼は頭を抱えてしまいました。

「大丈夫ですか?やっぱり、傷が痛みます?」

心配そうに顔を近づけるミナミを制しながら、「いや、違うんだ。何かこう、思い出せそうで…」と、ぶつぶつと呟きました。

その時、料理を作り終えたミリアたちが山田さんの元に駆け寄ってきました。
まるで子狸…じゃなくて、幼い子供のようです。

「おじさん、やっと起きた!」
「頑張って運んだ甲斐があったよ~」
「よかった…ほんとによかった…」

「まだ、おじさんって歳でもないんだけどな…」

それぞれの形で喜ぶ姉妹たち。
考え事を遮られてしまったからか、姉妹の賑やかさに圧倒されてしまったからか、山田さんは目を丸くして固まっています。

「ほーら!お客さんを驚かせちゃダメでしょ!」
「ねえねえ、お姉ちゃん!今日は私が味付けしたんだよ?」
「味見してみて!すっごく美味しいよ!」

妹たちの勢いに流されてしまったミナミは、手を引かれるまま台所に向かいました。
鍋から美味しそうな湯気があがっています。
この香りは味噌汁かしら?

「…うん、うまい!」

ミナミの太鼓判に、満足そうな笑みを浮かべるミリア。

「山田さん、食欲はどうですか?」

その瞬間、山田さんのおなかがきゅーっと鳴り…。

「…いただきます」

恥ずかしそうに苦笑いを浮かべる、山田さんなのでした。










「ふう~…。お姉ちゃん、おかわり!」

ミリアとユウキが空の容器を突き出すと、ミナミが呆れて言いました。

「もうおしまい。また明日ね」

口をへの字に曲げて、しょぼんと俯く二人。
あまり大きくない鍋で作っていましたから、皆で分けるとなると、満足には食べられなかったようです。
それでも、こうしてお客さんを招いて食事できたことで、ミナミはとっても幸せそうな顔になっていました。
特に、そのお客さんが山田さんでしたからね。





「頭を打っていたようなので色々と心配でしたけど、その様子だと大丈夫そうですね」
「うん、おかげさまで…。本当にありがとうございました」
「そんな、私は当たり前のことをしただけですから」

疲れ切っていた妹たちは、食事のすぐ後から眠ってしまっていました。
そのおかげで、ミナミは山田さんとゆっくり話す時間ができたのです。

「それにしても、現代にこんな昔ながらの生活をしている娘がいるなんて…」

山田さんは、家の中をぐるっと見回して言いました。

「私たちからしたら、かなり贅沢な方ですよ。普段は冷たい洞穴で吹雪をしのいでいますから」
「女の子なのに、それはすごい…。その、普段って何してるの?」
「私たちの生活は、常に危険と隣り合わせなんです。だから、住む場所をたまに変えて、旅のようなことをしています」

ミナミの話を興味津々で聞いていた山田さん。
どんなことでも素直に受け取ってしまう性格みたいですが、私としては、それがたまに心配になってしまいます…。
けれど、そんな人柄だからこそ、ミナミも惹かれてしまったのでしょうね。

「なるほど…。そういったサバイバル生活の中で、怪我の治療法とかを覚えたんだね!」
「いえ、そういう知識はある方から学んだんです…」

ミナミは、何か物言いたげに俯いてしまいました。
少しの沈黙。
すると、山田さんが遠慮がちに声を出しました。

「そういえばずっと気になってたんだけど、頭に葉っぱがついてるよ?」

そう言って山田さんが手を伸ばしてきたので、ミナミは咄嗟にその手を払いのけてしまいました。

「ダメっ!!……あ、ごめんなさい!」
「いや、こちらこそ…」

またもや、沈黙。
この気まずい空気を先に押し流したのは、山田さんの方からでした。

「ごめんね。勝手に触ろうとして…」
「大事な、その…か、髪飾りなので…びっくりしちゃったんです」
「そうだったんだ。それは失礼してしまった…」

そこで山田さんは、妹たちの頭にも木の葉がついていることに気づいてしまいました。

「四姉妹、みんなでお揃いなんだね」
「そ、そうですね…」

ミナミがそわそわしだしたので、山田さんは怪訝な表情になりました。

「やっぱり僕たち、昔どこかで会ったよね?」

相変わらず、ミナミはそわそわもじもじ…。

「山田さん…私のこと、本当に憶えてないんですか?」

そう言って首にかけている鈴を見せ、ちりんちりんと鳴らしてみせます。
山田さんが鈴に注目しかけたその瞬間、後ろで寝ていたアヤメが寝言を言いました。
正しくは、鳴き声ですが…。

「ん?今、なんか聞こえなかった?」
「ななな、なんですか?」

するとまた、アヤメが「くぅ~ん」と甘えたような声を出しました。
完全に人の声ではありません。

「ほら、なんか鳴き声が…」
「気のせいですよ!気のせい!」

あからさまに慌てだしたミナミに対し、山田さんは首を傾げていました。
彼がふと窓の方に目を向けると、空の隅っこが、山の稜線に沿って白み始めているのが見えました。
同時に、外からちゅんちゅんと鳥の鳴き声もしてきました。

「ああ、もう夜明けか…」

山田さんが外を気にしている隙に、ミナミは眠っている妹たちの様子を伺いました。

「……!!」

大変です。非常にまずいです。
ミリアは着ている着物から尻尾がはみ出し、ユウキの頭には耳が生えています。
アヤメにいたっては、目の周りや鼻の頭が黒くなっています。
ここでみんなの正体がばれたら、山田さんは一体どうするのでしょう。

(受け入れてくれるのかな…)

ミナミは山田さんを信じたいと思いましたが、大事な家族を守るため、強行突破に乗り出しました。
山田さんが窓から視線を戻した瞬間、布団として使っていた藁で豪快に視線を塞いだのです。

「ちょっと!急にどうしたの!?」

驚きはしたものの、苦笑しながらなんの抵抗もしない山田さん。

「変ないたずらはやめて…くだ…」

ミナミが申し訳なさそうに印を結ぶと、山田さんは静かに意識を失っていきました。










「山田さん…!山田さん…!」

名前を呼ぶ声が聞こえて瞼を開くと、目の前には見覚えのある風景が広がっていました。
遭難して気を失った、あの森です。
山田さんは目をぱちくりさせて、まるでまだ夢の中にいるような顔をしています。

「あれ…いつの間に…」
「この山道をあちらに真っ直ぐ行けば、森の出口です」

隣に立っているミナミが、正面を指差しました。

「もう日の出です。山田さんとは、ここでお別れです」

山田さんはぼーっとしながら、ゆっくりとミナミの方へ向き直ります。
その時、木々の隙間から光が差し込んできました。
ミナミは慌てた様子で、懐からぼろぼろになった一冊の本を取り出し、山田さんに手渡しました。

「ごめんなさい。ずっと返さなきゃとは思ってたのですが、何度も見返して勉強してたもので…」
「こ、これ…」

すると山田さん、本の方へ落としていた視線をはっと上げ、目の前にいるミナミの瞳をじっと見つめました。
やっと、夢から覚めたような顔をしています。

「もしかして、君は…あの時の…!」

差し込む光が強さを増し、二人を包み込みました。
朝が来たのです。

「やっと思い出してくれた…」

ミナミの目に、泉のように涙が湧き上がりました。
そうです。二人はずっと前に出会っていたのです。










あれは、五年ほど前のことでしょうか。
私はいつものように、その日の食料を調達するために山を下りていました。
いつもと違っていたのは、ミナミを連れてきていたことです。
食料の在り処を教えるためでした。

「いい、ミナミ?いただくのは、一日に一本までだよ。でないと、すぐにばれてしまうからね」
「はい、お母さん」

私は民家の近くにある、雪で覆われた畑を掘り、下にあった大根を一本、頂戴しました。

「急いで帰るよ」

民家の敷地を抜け出し、山の中へ戻って少し経った時でした。
背後からばーんと大きな音がし、体に力が入らなくなりました。
人間の足音が近づいてきたので、私は猟師に撃たれたのだと分かりました。

「やっぱり、またお前らの仕業か!!」

私はすぐに、ミナミに逃げるよう言いました。

「嫌だよ!一緒にいる!」
「ダメよ…あなたが妹たちを守るの…!」

それでも動こうとしないミナミ。
私は最後の力を振り絞り、叫びました。

「走って!!」

雷に打たれたように、ミナミは逃げ出しました。
彼女の姿が森の奥へ遠ざかっていくと、再び猟師が銃を構えるのが見えました。
一発、二発、三発…。
容赦なく弾を発射します。

「どうか無事で…」

ただそれだけを願いながら、私は静かに目を閉じました。





その数時間後、山道を通りかかった山田さんが、私の亡骸に寄り添うミナミを見つけてくれたのです。

脚に銃弾を受けたミナミは、出血が多く瀕死の状態でした。
そんな彼女を連れて帰り、山田さんは懸命に手当てをしてくれたのです。

人間はとても危険だ。
ずっとそう教えられてきた私には、信じられないことでした。
ですが山田さんは、紛れもなく慈愛のまなざしを注ぎながら、愛する娘を助けてくれたのです。
もう本当に、なんとお礼を言えばいいのか…。










「この傷跡やその医学書を目にするたび、あなたの優しい顔をはっきりと思い浮かべていました」

ミナミはそう言うと、前脚…じゃなくて、右腕をおさえました。

山田さんの治療を受けた後、ミナミの怪我が良くなるまで、少しの間彼の家で共に暮らしていたようです。
その間にミナミは医学や治療法について興味を持ったようで、山田さんの仕事ぶりや本から、なんとか知識を得ようとしました。

「君を山に帰す時にあげた本…。家にいた時も、ずっと興味があるみたいだったから」

そう言いながら、山田さんは本の表紙を撫でました。

「僕よりずっと読み込んでる…。君に会えたら分かるように着けたその鈴も、外さずにいてくれたんだ」

ミナミが照れ笑いをすると、彼女の頭に本来の耳が生えてきました。

「あっ…」

恥ずかしそうに赤面すると、今度は尻尾が…。
もう時間がありません。

「ごめんなさい。もう、行かないと…」

ミナミの言葉に、名残り惜しそうに頷く山田さん。

「良かったらこの本、持っていてくれないかな?」

少し唇を噛んで、ミナミは首を振りました。

「もう本当に、これでお別れなんです」

彼女はそう言って、背後の茂みへ駆け出しました。
首にかけられた鈴の音が、すぐに小さくなっていきます。
「待って」と言う隙もないまま、山田さんはその場に一人残されました。










ふわふわした妙な感覚のまま、山田さんは山道に佇んでいました。
その時、遠くから声が聞こえてきました。

「山田先生ー!山田先生ー!」

遭難した山田さんを探す、警察官や村人の声です。
はっとして「…ここです、ここにいます!」と返事すると、捜索隊がこちらに気づいて向かってきました。

時間になっても山田さんが診察に来ないので、心配した患者さんが村中に報せたのでした。

駆けつけた皆、安堵の笑みを浮かべています。

「山田先生、その頭!怪我したんですか!?」

包帯に気づいた村人が、心配そうな顔で言いました。

「急いで手当てしないと!」

慌てる村人たちに対し、山田さんは穏やかに返します。

「この怪我なら大丈夫です。雪ん子が、完璧な処置をしてくれたので」

困惑する村人を尻目に、山田さんは元来た山道を見つめています。
その真ん中には、山田さんの靴跡に並ぶ小さな獣の足跡。
そしてミナミの頭に乗っかっていた木の葉が、ぽつんと落ちていました。