我思うゆえに我があるかどうかは問題ではないです――でも。
本当ははがゆくてはがゆくてたまらない。「僕」という器に押し込められ、「僕」という価値観の中で自由を謳歌する。「僕」のフリをすることこそがその不自由や不安を紛らわせる唯一の手段だ。そう気づいたら自棄になって、若いときは「もう死にますよ! 私死にますから、いやいやマジで、今死にます!」とか言っていろんな人を困らせた。
困ってくれない人もいた。
あるとき「死ぬ気ならば何だってできるだろう?」と一笑に付されたことがあった。
そのときは何とご無体なことを言う奴かと思ったが、のちにじわじわとその言葉が僕を満たしはじめ、ある日たまたまテレビで間寛平が走っているのを見て「これだ、これだこれだー!」と悟ってしまった(かなり自分なりに)。無論、大の苦手であるマラソンとネギには一生関わる気はないけれど。
間さん、限りなく限界に近いかちょっぴり超えちゃってるんじゃないか、そう思った。
確かに自分は自分の世界の中で自由だったり不自由だったりするけれど、世界がほんの少し、でもずっと広く、大きくなる可能性を見出してしまったのだった。
『もしも願いが叶うなら、脳の安全装置をほんの少しだけ緩めてもらおう。』
何も危険な行動を顧みないとか、そんなんではなく、もっと些細な部分でだ。
話は少し逸れるが、天才と酔っぱらいは紙一重だと思うことがある。
例えば家でひとり酒に溺れているとき、僕はトイレットペーパーで家具を梱包しました(ポンヌフ?)。記憶にございません。コンビニに行ったら店員が可愛かったので、帰宅してから似顔絵を描きました。記憶にございません。その後、酒が切れたり煙草が切れたりカップ麺が2個食べたくなったりして、一晩に数度もコンビニへ行きました。記憶にございませんしあくまでたとえ話です。
だが少なくとも日々「僕とは? 僕はどこへ向かうのか…?」と暗い感慨に耽る僕にもそれだけの行動力があるのだ。
おそらく僕は泥酔している間、脳の安全装置は緩められている。これを自在にコントロールできたらと思わずにはいられない。
壁があろうと殻があろうと、その中に押し込まれた自分を最大限に生かし切ること。
これはなんて最高の妥協だろう。
そんなかんじで、模索という名の現実逃避を続ける僕が、もうしばらく僕のわがままにつき合ってくれることを強く望みます。
本当ははがゆくてはがゆくてたまらない。「僕」という器に押し込められ、「僕」という価値観の中で自由を謳歌する。「僕」のフリをすることこそがその不自由や不安を紛らわせる唯一の手段だ。そう気づいたら自棄になって、若いときは「もう死にますよ! 私死にますから、いやいやマジで、今死にます!」とか言っていろんな人を困らせた。
困ってくれない人もいた。
あるとき「死ぬ気ならば何だってできるだろう?」と一笑に付されたことがあった。
そのときは何とご無体なことを言う奴かと思ったが、のちにじわじわとその言葉が僕を満たしはじめ、ある日たまたまテレビで間寛平が走っているのを見て「これだ、これだこれだー!」と悟ってしまった(かなり自分なりに)。無論、大の苦手であるマラソンとネギには一生関わる気はないけれど。
間さん、限りなく限界に近いかちょっぴり超えちゃってるんじゃないか、そう思った。
確かに自分は自分の世界の中で自由だったり不自由だったりするけれど、世界がほんの少し、でもずっと広く、大きくなる可能性を見出してしまったのだった。
『もしも願いが叶うなら、脳の安全装置をほんの少しだけ緩めてもらおう。』
何も危険な行動を顧みないとか、そんなんではなく、もっと些細な部分でだ。
話は少し逸れるが、天才と酔っぱらいは紙一重だと思うことがある。
例えば家でひとり酒に溺れているとき、僕はトイレットペーパーで家具を梱包しました(ポンヌフ?)。記憶にございません。コンビニに行ったら店員が可愛かったので、帰宅してから似顔絵を描きました。記憶にございません。その後、酒が切れたり煙草が切れたりカップ麺が2個食べたくなったりして、一晩に数度もコンビニへ行きました。記憶にございませんしあくまでたとえ話です。
だが少なくとも日々「僕とは? 僕はどこへ向かうのか…?」と暗い感慨に耽る僕にもそれだけの行動力があるのだ。
おそらく僕は泥酔している間、脳の安全装置は緩められている。これを自在にコントロールできたらと思わずにはいられない。
壁があろうと殻があろうと、その中に押し込まれた自分を最大限に生かし切ること。
これはなんて最高の妥協だろう。
そんなかんじで、模索という名の現実逃避を続ける僕が、もうしばらく僕のわがままにつき合ってくれることを強く望みます。