実家の積読本。
日本がバブルでうかれ始めた1988年の
作家に限らず様々な職業人たちのエッセイ集。
自分が社会人3年生の頃で、はじめ興味は惹いたものの当時も気が多かったせいか、
そのうち日々の雑事のなかで放置されてしまったのかな。

エッセイは普段あまり読まないけれど、それぞれが4、5ページで完結するので小説の合間に数編読んでいくといいペースメーカーになり一月くらいで踏破することができた。

小説の物語もそうだが、作品から著者である作家がどんな人間で背景にどんな思想や考えを持っているのかを知ることができるのは、副次的な収穫の一つだ。
エッセイはそれがストレートに表れているので効率よく吸収できる。サクッと視野を広げるのにいい。

また、40年近く前の作品なので当時の日常から綴られるエッセイからは今とは違った生活感覚や意識を感じるところがあった。
物に宿る魂とそれを感知する人間の能力とでも言おうか。
日に日に技術が進化していくのは、同時に何かを失っているのかもしれない。
四季の移り変わりにつれて、庭がさまざまに語りかけてくるのをやめない、という江藤淳氏の「庭の言葉」からはそんなことを感じた。

村尾清一氏の「よみがえれ江戸しぐさ」からは日常の生活習慣としてごく自然に身につけていたしぐさやふり(動作・挙動)が語られている。肩引き、傘かしげ、腰浮かせ、など。
頭でなく、からだで覚えるものには本来の人間らしさが表れているような気がする。

佐藤英一氏の「医者の重い荷物」も忘れていた人間の生き方の本質をついていると感じ入った。
「死に行く患者の望みは、ベッドに縛りつけられた一分一秒の延命ではなく、人生の最後を思い残すことなく自由に生きることだということを忘れないでもらいたい」

読めて良かった。