□我がソルブレインの使命とは、人命のみならず人の心も救う事にあった!だが高岡の心だけは、最後まで……
ソルブレイン最終回への流れでの高岡隆一との戦い、隆一の最期には「世間的には犯罪を犯したら負けと言われているが、犯罪を犯す者に勝ちと呼べる結果はどんなものか?それは、誰もその心を救えないことだ」というメッセージが込められているのではないだろうか。
つまり、罪を犯した人の心をも救おうとしないのであれば、私刑と変わらないのだ。
『彼らに反省を求めるのなら、「反省したあとはやり直せる道」を残しておかないと、「反省しろ、賠償しろ、でもその後のお前らの人生はもう終わりだ」となってしまえば、反省どころか自棄を起こされるだけです。 真に反省を求めたいから、雨が上がれば虹が出るように、猛省と賠償の後の、彼らの人生の「再起」を認めてあげたいのです。そしてそれを妨害しかねない「ネット炎上」という制裁はやめるべきだと思うのです。』
ソルブレインは犯罪者の更正を望んでいた事からも、わかるように「反省しろ、賠償しろ、でもその後のお前らの人生はもう終わりだ」となってしまえば、反省への道は閉ざされてしまうと思うのです。
『「厳しすぎる社会」は「だれも責任をとらない社会」』というのも、同感だ。1アウトで人生ゲームセットにしろっていう。賠償金払ったら終わりじゃなく、復学もダメ、まともな就職もダメ、一生日の目を見るなという…ソルブレインとは真逆な方向。
こういうソルブレインと真逆のやり方がまかり通り続ければ、
「厳しすぎる社会」は「だれも責任をとらない社会」だから…そこに、人の心を無理矢理こじ開けようとしても改善されないのだと思います。
いや…おそらく、現実はソルブレインの結末のように、「世界にはハッピーエンドでも心を救おうとした人の主観のバッドエンド」にすらならない。
『自らの命が果てた瞬間に「人間の命も心も救う」というソルブレインの使命を完全に否定して勝利してしまう高岡』…その通りだと思う。
誰も罪を犯した人の心を救おうとしなければ、その人が罪を犯してでも手に入れようとした結果へと、そのうち…いや、人生の貴重な時間を食いつぶし過ぎるよりは早くたどり着けてしまうのではないのだろうか?
そのソルブレイン作中ですら、高岡の死後のソルブレイン達のやり取りが、どっちが勝って、どっちが負けた結果なのかを物語っていると思います。
『自らの命が果てた瞬間に「人間の命も心も救う」というソルブレインの使命を完全に否定して勝利してしまう高岡』…その通りだと思う。
誰も罪を犯した人の心を救おうとしなければ、その人が罪を犯してでも手に入れようとした結果へと、そのうち…いや、人生の貴重な時間を食いつぶし過ぎるよりは早くたどり着けてしまうのではないのだろうか?
そのソルブレイン作中ですら、高岡の死後のソルブレイン達のやり取りが、どっちが勝って、どっちが負けた結果なのかを物語っていると思います。
新生アニオタwikiのスマイリーキクチ誹謗中傷被害事件の記事とそれでも私刑行為が正しいと思うならも参照