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1: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:37:17 ID:ZP2
【プロローグ】

むかしむかし。

12世紀。インドネシアの東ジャワ州。

クディリ王国のジョヨボヨ王は 不思議な予言を残しました。

その中の一節。

『 我らの王国は白い人に支配される。

  白い人は離れたところから攻撃をする魔法の杖を持っている。

  白い人の支配は長く続く。

  しかし北方からやってきた白い衣を纏う黄色い人が

  白い人を追い払ってくれる。

  黄色い人も我らの王国を支配するが、

  それはトウモロコシの寿命と同じくらいの短い間でしかない。 』








2: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:38:00 ID:ZP2
※注釈
同じ役割の人物は一人の顔文字がまとめて演じている場合があります。ご注意下さい

4: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:38:49 ID:ZP2
・タウンマップ
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6: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:40:26 ID:ZP2
時は流れ、16世紀末…。

8: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:41:57 ID:ZP2
1596年

(●▲●)

(●▲●)「お、やーっと着いたわ。情報通りやったな」

ここはインドネシアのジャワ島。
この島にとあるオランダの船団が到達しました。

9: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:43:33 ID:ZP2
『オランダ支配350年』
インドネシア史に残る怨み積もる慣用句。

【侵略】の歴史。その始まりの年です。

10: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:45:08 ID:ZP2
(●゚◇゚●)「ようこそ、ジャワ島へ」

(●゚◇゚●)「ここはジャワ島の西部、バンテン地方のバンテン。バンテン王国が統治してるんだよ」

(●゚◇゚●)「今は胡椒貿易で繁栄しているんだ」


大航海時代。
先駆者ポルトガルから始まった香辛料貿易が盛んに行われています。

11: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:45:18 ID:30m
期待

13: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:46:47 ID:ZP2
(●▲●)「ほーん。ならワイらとも交易しーましょ」

(●゚◇゚●)「いいよー」

原住民はオランダの船団を歓迎しました。

15: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:48:22 ID:ZP2
(●▲●)「そか(チャカッ」

( ◇ )「」

しかし疑り深すぎた船団長は歓迎した原住民たちを殺戮。
交渉は失敗し、略奪した僅かな香辛料を持ち帰るだけに終わってしまいました。

16: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:49:56 ID:ZP2
(●▲●)「奪えたのはこんだけか…まぁええわ」

(●▲●)「重要なのはジャワ島への航路開拓」

(●▲●)「次は失敗せんよ」

19: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:51:17 ID:Aa1
船団長無能

21: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:51:41 ID:ZP2
1598年

(●▲●)「王国はん、王国はん。貿易用の商館設置していーい?」

(o‘ω‘ n)「うーん…まぁいいよ」

(●▲●)「ほんならこの辺の貿易を一元化して『オランダ東インド会社』を設立するで~」

(o‘ω‘ n)「………。」

22: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:53:14 ID:ZP2
オランダは『オランダ東インド会社』を設立しました。
しかしバンテン王国はオランダを警戒。
オランダの交易は思ったほどの成果をあげられませんでした。

23: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:54:06 ID:ZP2
・豆知識『東インド』

『東インド』とは、インドの東のこと…ではありません。
アメリカは『ヨーロッパから見て西』にあるので『西インド』。
一方のアジアは『ヨーロッパから見て東』にあるので、インド、中国、日本などは全て『東インド』なのです。

24: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:55:38 ID:ZP2
1619年

(o‘ω‘ n)「オランダも厄介だけど、王族内の内紛問題も深刻だなぁ」

26: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:57:13 ID:ZP2
(≦・ω・≧)

(●▲●)「王国はん、王国はん」

(≦・ω・≧)「え?」

(●▲●)「内紛で困っとるんやろ?軍事援助したってもええで」

(≦・ω・≧)「ほんとう?」

(●▲●)「せやで。ただな…こっちも商売や、タダとはいかん」

(●▲●)「バンテンの北東に位置する港町、ジャヤカルタを譲ってくれへんか?」

(≦・ω・≧)「えっ」

(●▲●)「その代わり絶対に勝たせてやるさかい。どや?」

(≦・ω・≧)「うーん…分かったよ、その代わり絶対に勝たせてね?」

(●▼●)「(ニッコリ」



(^)'・▲・`(^) 「大変です、ジャヤカルタがオランダに占領されました」

(o‘ω‘ n)「えっ」

オランダは西ジャワの王族内紛に介入。
軍事援助の見返りにジャヤカルタを手に入れました。

27: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:58:40 ID:k08
これは無能なたぬき

28: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)21:59:06 ID:ZP2
(^)'・▲・`(^) 「オランダはジャヤカルタを『バタヴィア』に改称」

(^)'・▲・`(^) 「更に要塞バタヴィア城を築いたようです」

(^)'・▲・`(^) 「ちなみにバタヴィアとはオランダの古い地名のようです」

(o‘ω‘ n)「一体どうすれば…」


オランダはバタヴィアに新たな商館を設置。
ここを新たな貿易拠点、中心都市として発展させていきました。

29: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:00:43 ID:ZP2
1629年

(^)'・▲・`(^) 「ジャワ島中部を統治するマタラム王国がバタヴィアに侵攻したようです」

(^)'・▲・`(^) 「マタラム王国はオランダを後一歩のところまで追い詰めたようなのですが…

(^)'・▲・`(^) 「結局要塞バタヴィア城は攻略できず、撤退したようです」

(o‘ω‘ n)「うちもイギリスさんと連合して攻めたけど勝てなかった…」

(o‘ω‘ n)「もうジャヤカルタは諦めるしかないのか…」

30: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:01:38 ID:k08
これ、我が国では戦国時代から江戸幕府あたりの話
その頃オランダもイギリスも我が国と接近していたな
しかし我が国は植民地にならなかった
というか

63: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:44:55 ID:ZP2
>>30
・小豆知識

日本が植民地の対象にならなかった第一の理由は、やはりヨーロッパからとても遠かったからです。
そして知っての通り、日本は資源がとても乏しい国です。
一方のジャワ島含むインドネシア各島は、魅力的な資源がとても豊富なのです。(具体例はこの後の展開で多少触れています)
日本は遠く、それより近場に豊かな資源場がある。
これらの理由によって日本は植民地化を免れ続けて来たのではないかと推測されます。

64: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:45:58 ID:CJ6
>>63
なるほどなあ 結果的に壁になって日本の代わりに犠牲になった面も多少はあるわけか

65: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:46:46 ID:k08
>>63
異議あり
江戸時代の日本は資源大国でしたよ

68: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:54:47 ID:x4f
>>65
金と銀以外なんかあった?(本国で捌けそうなもの)

70: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:58:32 ID:k08
>>68
それだけあったら十分やないですか(震え声)

73: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)23:02:00 ID:x4f
>>70
確かに
資源大国と言われると違和感があったんや
すまんな

75: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)23:06:36 ID:k08
>>70
ええんやで

あとは、日本に(*^◯^*)と同じことをするやつがおらんかったんやろうなあ

76: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)23:28:54 ID:8ZF
>>75
ポルトガルとカトリックが下手をこきすぎて異人に警戒感もたれたしなぁ
・人身売買
・岡本大八事件
・大久保長安事件
・大坂の陣
・島原の乱

31: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:02:17 ID:ZP2
マタラム王国の侵攻を退けたことがバタヴィア拡大の契機になります。
バタヴィアの街や運河はオランダ風に改修、増築され、『東洋の真珠』と呼ばれる美しい町並みとなりました。

しかしこの町並みはジャワ島の気候とは合わず、風通しが悪かったり水質が悪化したことで死亡率が高騰。
『東洋の墓場』とも呼ばれるようになりました。

33: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:02:57 ID:yql
バタヴィアって天然痘で有名なバタヴィアやな

35: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:03:50 ID:k08
>>33
今ではジャカルタと呼んでるあそこだよ

34: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:03:20 ID:ZP2
その後のオランダは、香料貿易の独占をはかるため、近隣諸島のポルトガル人を排除し征服。貿易の独占に成功します。
この頃のオランダはまだ港と商館を中心とする交易独占だけで利益をあげていました。

36: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:04:32 ID:ZP2
・豆知識『アンボン事件』
1623年。イギリスの日本人傭兵の行動に疑問を持ったオランダは、イギリス商館員と日本人傭兵を捕らえます。
拷問によって要塞奇襲計画を自白させると、イギリス商館員10人、日本人9人、ポルトガル人1人を処刑しました。

この事件と後の要塞侵攻失敗を契機に、イギリスは香料貿易から撤退し、
以後香料貿易はオランダが独占するようになりました。

なお『アンボン事件』にはもう一つ、太平洋戦争開始直後のものが存在します。
こちらについては後の項にて説明します。

38: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:05:50 ID:ZP2
・豆知識『武士』

関ヶ原の戦い以後。失業した武士は日本人傭兵として東南アジアへ進出したものがありました。
オランダ東インド会社にも重宝され、バタヴィア城が包囲された時にも70人の日本人傭兵隊がいたそうです。
なお、1639年の鎖国令によって関係は絶たれ、以後新たな渡航者はありませんでした。
この鎖国令ではヨーロッパとの混血児が日本からジャワ島へ追放されたりもしていました。

39: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:07:27 ID:ZP2
・豆知識『オランダ東インド会社』

正式名称『総オランダ特許東インド会社』。
株式会社ですが、その権限は条約締結、自衛戦争遂行、要塞構築、貨幣鋳造など多岐にわたり、
それは最早独立国家、国家の中にある国家というものでした。

アジアやアフリカへの交易独占を許されており、
日本の鎖国時代、長崎の出島で行われていたオランダ人との貿易は、
つまりこの『オランダ東インド会社』との貿易だったのでした。

41: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:09:10 ID:ZP2
1650年以降

(o‘ω‘ n)「ぼくはスルタン・アグン・ティルタヤサだよ」

(o‘ω‘ n)「1651年から王位に就いたんだ」

(o‘ω‘ n)「最初にやるべきことだけど…やっぱりオランダ人をバタヴィアから追放しないと(使命感)」

(o‘ω‘ n)「まずは交易を盛んにしてオランダの交易に対抗しよう」

(o‘ω‘ n)「軍にはオランダに対して略奪を実行するよう命令するよ」

(o‘ω‘ n)「住民たちも積極的にオランダ所有の農園を襲撃してね」

(●▲●)「そんな…ワイなんも悪いことしてへんのに…」

42: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:10:45 ID:ZP2
1671年

(o‘ω‘ n)「ふぅ…ぼくもそろそろ引退かな」

(o‘ω‘ n)「王位はまだ譲らないけど、息子のスルタン・アブドゥルカハルを摂政に任命して隠遁するよ」

(*^◯^*)「分かったんだ!」

43: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:12:14 ID:ZP2
1676年

(o‘ω‘ n)「2年前にメッカ巡礼に行った息子がそろそろ帰って来る頃かな」

(*^◯^*)「ただいまなんだ!」

(*^◯^*)「今日からぼくはスルタン・ハジを名乗るんだ!」

(o‘ω‘ n)「えっ」



(●▲●)

44: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:13:44 ID:ZP2
(*^◯^*)「オランダさんと仲良くするんだ!」

(●▲●)「摂政さんはいいひとですね」

(*^◯^*)「それほどでもあるんだ!」

45: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:14:53 ID:w5P
興味深いな

46: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:15:16 ID:ZP2
(o‘ω‘ n)「ねぇ、息子よ。オランダとは仲良くしちゃいけないよ」

(o‘ω‘ n)「彼らはとても危険なんだ」

(*^◯^*)「そんなことないんだ!オランダさんはとてもいいひとなんだ!」

(o‘ω‘ n)「どうしても言うことを聞いてくれないのかい?」

(*^◯^*)「無理なものは無理なんだ!」

(o‘ω‘ n)「なら仕方ない。君の摂政権を剥奪するよ」

(*^◯^*)「そんなことはさせないんだ!」


そして内戦が始まりました。



(●▲●)

47: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:16:15 ID:AuZ
(*^◯^*) 無能

48: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:16:58 ID:ZP2
(*^◯^*)「やった!遂に親父殿を捕らえたんだ!」

(o‘ω‘ n)「そ、そんな…」

((*^◯^*)「完全勝利なんだ!親父殿はバタヴィアに収監するんだ!」

(o‘ω‘ n)「息子よ…」

(●*^◯^*)「これで僕に文句を言える奴は誰もいなくなったんだ!」

(●▲◯^*)「これからバンテン王国はオランダさんと仲良くしていくんだ!」

(●▲●*)「オランダさんの言うことだけを聞いておけば何も問題ないんだ!」

(●▲●)「これからはオランダの時代なんだ!」

(o‘ω‘ n)「」


スルタン・ハジの勝利はバンテン王国崩壊の始まりでした。
スルタン・ハジはオランダの傀儡でしかなく、バンテン王国は事実上オランダの管理下に置かれたのでした。

なお、捕らえられた国王スルタン・アグン・ティルタヤサはバタヴィアに収監。1692年にその生涯を終えました。

49: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:17:50 ID:WZJ
ヒエッ

50: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:18:54 ID:Gb7
(o‘ω‘ n)は賢かったのに…

51: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:19:05 ID:ZP2

(●▲●)

(●▲●)「1650年以降、ワイらは領土獲得を目的にしとったんや」

(●▲●)「有力商品のコーヒーとかを栽培して輸出するためにな」

(●▲●)「金になるんや、でも栽培する土地が足りん」

(●▲●)「せやからな、ジャワ島を統治する邪魔な王国たちには消えてもらうことにしたんや」

(●▲●)「王朝間の戦争や、後継者争いに介入したりしてな」

(●▲●)「バンテン王国は見ての通りや」

(●▲●)「ジャワ島にはもう一つ、大国マタラム王国があるんやけどな」

(●▲●)「バンテン王国と違ってマタラム王国はでかい」

(●▲●)「せやけどな」

(●▲●)「こっちも同じように時間をかけてじっくりゆっくり衰退させて」

(●▲●)「消滅させたんやで」

52: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:19:35 ID:AuZ
これはダチカスですわ…

53: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:20:56 ID:ZP2

なお、その後のオランダ東インド会社ですが。
領土獲得のために要した莫大な戦費、更に会社自体の放漫経営が祟って経営は悪化。
結局オランダ東インド会社は破産、解散することになってしまいました。

そしてオランダ東インド会社が所有していた領土はオランダ政府が受け継ぎ、
その領土は『オランダ領東インド』と呼ばれるようになりました。


 『オランダ領東インド編 完』

58: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:25:48 ID:w5P
東インド会社恐ろしいな
敵対してるイエズス会と同じ事してるやんけ
同じ会社の安針さんはええ印象あるのに…
ポルトガル追い出すために猫被ってたんかな?

66: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:49:38 ID:x4f
>>58
意外と朝鮮出兵をみて無理と感じたんやない
あと大阪の陣はオランダの出る幕がなかった(ポルトガルが伊達に対してオランダみたいなことをやってみたが、最後は伊達に捨てられた

67: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:50:22 ID:k08
しかし、後の三浦按針がオランダ本国から命からがら日本にたどり着いたっていうし
遠いってのは植民地にならなかった理由のかなりのウエイトはあるんやろうな

69: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:55:25 ID:nn6
日本に行こうとしても、中国の存在という影響も少なからずはあったんかもな。

71: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)22:58:42 ID:x4f
>>69
確かに
台湾まででばっているのに、沖縄王朝を占拠してないしなぁ

72: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)23:01:25 ID:k08
シナ大陸は明が秀吉の朝鮮出兵の後遺症で国力を落とす中で
満洲族が台頭しつつあるそんな時期か
とりあえず治るまで待っとこうってなったんかもな

74: 名無しさん@おーぷん 2015/03/14(土)23:05:21 ID:nn6
>>72
何百年前といえども、モンゴル帝国の強さをヨーロピアンが知らないはずは無いやろし、明も長い歴史があるからなぁ

77: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)07:50:32 ID:ASj
三浦安針たちが日本に来た時には難破してたのも一因かもしれない
日本に来たのは沈みかけの船一隻で船長も死んでいた
売るものも少ないし、船員も減り病んでいたから略奪もできなかった
日本漂着後も本国に連絡を取れなかったし、自分達が異国の地で生きて行くには当時の権力者に取り入るしかなかった
南蛮人に対する警戒感もあった
当時の権力者は徳川家康だから、ヘタな動きは出来なかった
リスクを犯して支配するより、オランダが交易の中心になるように動いたのかも
まあ、元々ポルトガルに対抗して東インドの貿易路の独自開拓が目的だったらしいけど
79: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:10:52 ID:cRA
┌─────────────────────────┐
│                                      |
│                  今日はいきなり番外編だよ>(≦・ω.|
│                                      |
│ω‘ n) <本編はもうちょっと待ってね                .|
│                                      |
│                                      |
│   (((( ●▲●)                                .|
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│                         (●゚◇゚● ))))      .|
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│                (^)'・▲・`(^)               .|
|                                      |
|       (((( *^◯^*)<今回は本編とはあまり関係ないんだ! |
└─────────────────────────┘

81: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:12:28 ID:cRA



その後のオランダ本国では色々な事がありました。ナポレオンに屈し、国が滅んだりもしました。
その余波でオランダ領東インドをフランスが統治したり、イギリスが統治したりする時代がありました。

とは言えその期間は短く。後にオランダに返還され。
ここから先の時代では、オランダによるインドネシア統治が続くのでした。


82: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:13:48 ID:cRA



【番外編:ラッフルズ】


84: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:15:17 ID:cRA

('ω`)

('ω`)「私の名前はトーマス・ラッフルズ」

('ω`)「正式には『トマス・スタンフォード・ラッフルズ』というんだけどね」

トーマス・ラッフルズ。
イギリス生まれの彼は、14歳の頃からロンドンの東インド会社で働き始めます。

85: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:16:47 ID:cRA

1805年

('ω`)「ぼくは書記補なんだ」

('ω`)「今日からマレー半島のペナン島に赴任だよ」

('ω`)「これからマレー語を習得するんだ」

86: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:18:26 ID:cRA

('ω`)「ヨーロッパではナポレオンが暴れ回ってるのか…」

('ω`)「オランダも滅んだらしい…」

('ω`)「オランダ…」

('ω`)「…オランダの植民地政策だけは、絶対にゆるさない…」


ナポレオン全盛の時代。
オランダはナポレオンに屈し、その余波でオランダ領東インドはフランスが統治することになりました。

ラッフルズはオランダの植民地政策…『略奪式経営』とも呼ばれるそれを、とても嫌っていました。
憎んでいたと言ってもいいくらいです。

オランダの植民地政策についてはこの番外編の後、次の章にて説明します。

87: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:20:09 ID:cRA

('ω`)「バタヴィアを攻めましょう!」

('ω`)「あの地を我らの植民地にするのです!」

(U・×・U)「お、おう。せやな、攻めよか」

ラッフルズはフランス統治中のバタヴィアを攻めるようインド総督ミントーに進言。
自らも遠征軍に参加しました。

88: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:21:41 ID:cRA

('ω`)「やったぞ!」

('ω`)「ねんがんの バタヴィアを てにいれたぞ!」

イギリスはバタヴィアを占領し、オランダ領東インドを治めることになりました。


なおこの計画は現地の独断専行によるもので、本国イギリスにとっては予期せぬ出来事でした。
とは言え、アンボン事件で一度は撤退したこの諸島へ、再びイギリスが戻ってきたのでした。

89: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:23:01 ID:Vbu
いろいろな人がおるもんやなあ 面白い

90: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:23:20 ID:cRA

(U・×・U)「あ、そうそう」

(U・×・U)「ワイ総督はインドの方で忙しいから、こっちにはあんま来られへんねん」

(U・×・U)「お前を副総督に任命するから、あとは好きにやってや」

('ω`)「分かりました!」


計画推進者のラッフルズはジャワ副総督に任命されました。

ミントー総督はラッフルズに全てを任せてインドのカルカッタに常駐したため、
事実上、ラッフルズはジャワ島の最高支配者でした。

91: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:24:55 ID:cRA

('ω`)「好きにしていい…ジャワ島を好きにしていいって言われたよ…」

('ω`)「ふふふ、なにをしようかなー」

('ω`)「……オランダ……」

('ω`)「…まずは、オランダのやり方を、全て潰さないと(使命感)」

92: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:26:26 ID:cRA

('ω`)「最初に税制改革」

('ω`)「次に刑法の近代化」

('ω`)「奴隷制は廃止します」

ラッフルズはオランダの残した様々な事に着手し、成果を上げていきました。

93: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:27:44 ID:7vS
着々と出世しとるな

94: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:27:59 ID:cRA

('ω`)「ふぅ、疲れた…でも頑張らないと」

('ω`)「明日は密林の調査だよ」

ラッフルズは学術的にとても優秀な人物のようで、探検家としての側面も持ち合わせていたようです。

95: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:29:36 ID:cRA

('ω`)「あれは…新種の植物!?」

('ω`)「この花がラフレシアか…世界に広めないと(使命感)」

('ω`)「…あれは…伝説の古代遺跡!?」

ラッフルズによって新種の動植物が発見され、それらが世界に発表されました。
世界最大の花ラフレシアもラッフルズによって紹介されたようです。
そしてラッフルズらによって密林の中から発見された古代遺跡の調査も行いました。

108: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:42:10 ID:mCW
>>95
ラッフルズの花でラフレシアなんやね

129: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)23:18:21 ID:cRA
>>108
・小豆知識『ラフレシア』
ラッフルズらの調査隊によって確認された植物です。
当初は『人喰い花』の迷信もありましたが、ラッフルズが花に触れることで無害性を証明しました。
同行した博物学者ジョセフ・アーノルドによってスケッチ、観察されたことから、
学名は二人の名前から取って『ラフレシア・アルノルディイ』と名付けられました。

96: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:30:40 ID:7vS
ラッフルズやり手やな

97: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:31:10 ID:cRA

なお。

('ω`)「…あ、あれ?船が燃えてる!?」

('ω`)「そ、そんな。あそこには研究成果をまとめた貴重な資料が…」

('ω`)「待って、せめて資料だけは、資料だけは…」

様々な学問的成果をまとめて積み込んでいた船が火事で焼失。
刊行を企てていた『スマトラ誌』が灰燼に帰したこともありました。

98: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:32:43 ID:cRA

また、こんなこともありました。

('ω`)「イギリスと日本の交易が途絶えてもう随分経つ」

('ω`)「そろそろ復活させてもいい頃合いだと思うんだ」

('ω`)「でもオランダ船以外は追い返されてしまう…」

('ω`)「そうだ!オランダ船のふりをして、こっそり長崎へ向かわせよう!」

('ω`)「何せここは『オランダ領東インド』」

('ω`)「ここから日本に行く船なら、それはオランダの船だもんね」

英日交易復活のため、ラッフルズは長崎へ船を派遣したこともありました。

99: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:34:13 ID:cRA

なお。

(・日・)「は?お前らイギリス人やんけ、アカンアカン」

('ω`)「」

幕府の役人に見抜かれて追い返されていました。

101: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:36:28 ID:mCW
幕府の役人ってマジ有能やったからな
この頃オランダ本国がなくなってることも見抜いていたとか
なおこういうことは教科書には載らない模様

128: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)23:08:14 ID:cRA
>>101
余談ですが、「オランダ東インド会社」が破産・解散し「オランダ本国」に領土が受け継がれた件。

この件を日本の役人に経緯を説明するのはとても難しく、また商権を失うリスクだけがあったため、
オランダサイドは「オランダ東インド会社」が存在し続けているかの如く見せかけていたようです。

きっと表に出て来ない色々な策謀が渦巻いていたのでしょうね。

100: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:35:54 ID:cRA

さて、そんなラッフルズ治世ですが。
実はインドネシアではあまり評価が高くないそうです。

というのも。


('ω`)「反抗的な王家の人間は排除するよ」

('ω`)「それでも歯向かってくる?」

('ω`)「なら王宮を攻めるしかないね」


このような帝国主義的手法は、オランダのそれと同じものでした。
そんな訳で、ラッフルズ治世には賛否両論がある訳です。

102: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:37:03 ID:7vS
>>100
流石ブリカス

103: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:37:24 ID:cRA



やがて、ナポレオンが没落し、ヨーロッパは正常化に向かいます。
それはオランダ領東インドにも…。



105: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:38:58 ID:cRA

(U・×・U)「残念だが、政治的判断により、オランダ領東インドはオランダに返還することになったよ」

('ω`)「えっ」

('ω`)「そんなの断固反対です!」

('ω`)「オランダなんかに返したら、また奴らは繰り返すじゃないですか!」

(U・×・U)「そうはいっても、これは本国の決定事項なんだよ…」

('ω`)「そんな…」

ジャワ島は政治的判断によってオランダに返還されることになりました。


106: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:40:34 ID:cRA

更に…。


(・英・)「おい、ラッフルズ」

('ω`)「え、何?」

(・英・)「お前汚職してるだろ、分かってるんだぞ」

('ω`)「そ、そんなことある訳が…」

(・英・)「言い訳無用。いいからさっさとイギリスに帰るんだな」

(・英・)「ここにお前の仕事はもうないんだよ」

('ω`)「…」

植民地行政の輝かしい名声の一方、妬みから汚職の嫌疑をかけられたラッフルズは、
失意のうちに母国へと帰国することになったのでした。

107: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:42:04 ID:cRA


さて。ロンドンに引き上げたラッフルズですが。

('ω`)「アジア…アジア…トウナンアジア……」

彼の東南アジアへの情熱は止まりませんでした。


109: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:43:34 ID:cRA

そして。

('ω`)「今日からぼくはスマトラ島ブンクルの副総督だよ」

彼はスマトラ島に戻ってきました。
ここのイギリス領はジャワ島より狭い範囲でしたが、彼はここでも積極的に探検活動に励んでいたようです。

110: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:45:09 ID:cRA

('ω`)「よし、探検も終わったし…」

('ω`)「早速、スマトラ島全域の支配に乗り出すよ」

(U・×・U)「駄目です」

当然、イギリスはそれを許しませんでした。

112: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:46:43 ID:cRA

(U・×・U)「オランダの既得権益は侵しちゃ駄目だよ」

(U・×・U)「そうじゃないとオランダ領東インドを返還した意味がなくなるじゃないか」

(U・×・U)「だからスマトラ島での活動は、西部のブンクルだけだよ」

(U・×・U)「わかったね?」

('ω`)「………」

113: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:48:15 ID:cRA


('ω`)「オランダの既得権益は侵しちゃいけない…」

('ω`)「………」

('ω`)「………」

('ω`)「………」

('ω`)「………………!」


114: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:48:37 ID:mCW
嫌な予感しかしない

115: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:48:58 ID:7vS
ひらめいちゃったか

116: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:49:47 ID:cRA

(●▲●)「ラッフルズが戻ってきたか」

(●▲●)「奴はバタヴィアを攻めた危険人物や」

(●▲●)「また奴が独断専行で暴走するかもしれへん」

(●▲●)「そうはいかんで…」

オランダはラッフルズの再来に備え、各海峡、各諸島に防衛策を講じました。

117: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:51:19 ID:cRA

(●▲●)「ふぅ、これで一安心や。返り討ちにしたるで~」





(・蘭・)「大変です、ラッフルズがシンガポール島に!」

(●▲●)「ファッ!?なんやて!?」

そこはオランダにとって盲点でした。

118: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:51:59 ID:mCW
そっち行ったかやっぱり

119: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:52:51 ID:cRA

(●゚◇゚●)「ようこそ、マレー半島へ」

(●゚◇゚●)「ここはマレー半島の先端、シンガポール島。ジョホール王家が統治しているんだよ」

(●゚◇゚●)「マレー漁師150人程度が生活する小さな漁村なんだ」

('ω`)「こんにちは、ジョホール王からシンガポールを買収してきたラッフルズです」

('ω`)「ここに市街地を建設して居住者を送り込んで」

('ω`)「イギリスの拠点とします」

ラッフルズは制約をかいくぐるため、シンガポール島に目を付けました。

当時のシンガポールはマレー半島ジョホール王家に属する小さな漁村。
そこでラッフルズはシンガポールを買収して市街地を建設、居住者を送り込むことで、
短期間のうちにイギリスの拠点であることを既成事実化してしまったのです。

120: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:54:23 ID:cRA

(U・×・U)「どうすんだよこれ…(困惑)」

('ω`)「いいえ、このシンガポールはとても役に立ちますよ」

('ω`)「イギリスの東南アジア拠点として使えますし」

('ω`)「中国への航路を確保することもできます」

('ω`)「ここは絶好の土地なのです」

(U・×・U)「そうか…うん、そうだな」

始めは困惑したイギリスも、結果論的にこのシンガポールの有効性を把握します。


121: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:56:00 ID:cRA

その後、1824年の英蘭協約で両者の境界線をマラッカ海峡とし、
シンガポール島がイギリス主権下であることがオランダにも認められたのでした。


ラッフルズは今でも『シンガポール建国の父』として愛されているそうです。



【番外編:ラッフルズ 完】


122: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)22:56:19 ID:umg
やっぱラッフルズホテルって彼に起因してるんやね

130: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)23:24:51 ID:cRA
>>122
・小豆知識『ラッフルズ』

シンガポール人に愛された建国の父、ラッフルズ。
シンガポールには創健者ラッフルズの名の付く通り、島、博物館、ホテルなどで溢れ、
白と黒のラッフルズ像まであるそうです。

インドネシアには副総督在任中に亡くなったオリビア夫人の記念碑が、
ラッフルズの建てた植物園の木立の中にひっそりと残されているそうです。

131: 名無しさん@おーぷん 2015/03/15(日)23:27:41 ID:YBp
シンガポール…

132: 名無しさん@おーぷん 2015/03/16(月)01:03:05 ID:Ftc
らっふるらっふる


引用元: ・【歴史】原住民と学ぶインドネシア独立と大日本帝国の関係





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