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1: 世界@名無史さん
ワイマール憲法は1920年当時で最もすばらしい憲法といわれていた
が、なぜに崩壊してしまったのだろう?
ヒトラーの登場というのが一般的な見方であろうが、その登場を妨げる
ことができない憲法っていうのはどういうわけでしょうかね?








3: 世界@名無史さん
憲法ばっか立派でも、国内がガタガタなら「絵に描いた餅」
現在の、フランス憲法もとにした中南米みればわかると思う。

4: 世界@名無史さん
>>1
ヒトラーの「登場」は要素としては小さい。
左派勢力がまとまらずに分裂してお互いに足をひっぱりあって、右翼の台頭を許し、
過激な極右政党の台頭で外資が引き上げ大失業を招いてしまったのが崩壊の最大の
原因。

6: 世界@名無史さん
>>1
ヒトラーの登場は確かにワイマール憲法の盲点をついてるな。
ヒンデンブルグのとりまきの争いに乗じて大統領から首相指名を得ることに
成功。
ここで議会でナチスをちゃんとおさえられていれば問題なかったのだが内相
をはじめとして治安関係の要職をばっちりナチスにおさえられてしまったために
その後ナチスのやり放題を許すことに。

7: 世界@名無史さん
やはり天文学的数字の賠償金支払いが恐慌で滞ったことじゃないのかなあ
あと国防力の弱さ。ポーランドのオーバーシュレージェン併合やフランスのルール占領やライン西岸・ザールの併合への画策。フランスはエッセンの非武装労働者のデモ隊に無差別
発砲したりやりたい放題だったからね

8: 世界@名無史さん
>>7
賠償金支払いはドイツの外交努力で徐々に軽減され、不況に突入してからは
アメリカの介入で賠償金支払いの一時停止を許されてるよ。

9: 世界@名無史さん
議会政治が未熟だったせいじゃない?
議会内の勢力が憲法に愛着を持たずに共和国を潰そうとしているようでは。。。

12: 世界@名無史さん
なんで治安関係のポストまでナチスに許したんだろうな?
警察関係をおさえられなきゃその後のナチスの他の政党への政治活動の妨害は
なかったわけでさ。

そういうポスト許してもヒトラーを首相にしようとしたってのがどうにもわからん。

13: 世界@名無史さん
SAばかりじゃなく、ヴァイマール共和国は鉄兜団とかカップとか
民兵部隊を容認したのも問題だな。

14: 世界@名無史さん
ヒトラーを首相に押したのがヒンデンブルグの取巻きであったパーペン。
ワイマール体制打倒を公然と叫ぶヒトラーを首相に推すなどというキチガイ
じみた行為をしたこの人物こそ崩壊の原因。

16: 世界@名無史さん
まじめな話、ナチスが政権を取ることを国民が望んだからだと思います。

18: ヘルマン・ヘラー
ドイツ共和国憲法第48条に関しては、大統領緊急勅令の危険性のみが指摘され、
あたかも同条が共和国崩壊の一因のように言われるが(林健太郎など)、

①カップ一揆、ミュンヘン一揆などが続発した戦後混乱期(1919~23)のエーベルト
 大統領時代の方が、2代ヒンデンブルク大統領時代よりも緊急勅令の発布回数は
 多い。故に、ブリューニング内閣をもって「大統領内閣」と呼び、48条濫用に
 よる議会制の空洞化が共和国崩壊を招いたとする議論は、今日の研究状況からす
 れば説得力に欠ける。

②むしろ同条第5項には、大統領緊急勅令の濫用を予防すべく、施行細則を設ける
 べき旨の規定がある。にもかかわらず、共和国の崩壊に至るまで同条項に基づく
 施行細則が制定されることはなかった。上述のごとく、大統領緊急勅令の多用に
 よる政情安定・危機回避策は、エーベルト時代に既に実現していたものであり、
 大統領緊急勅令の危険性は当時から認識されていた。

③したがって、ヒンデンブルク時代の緊急勅令濫用は、48条5項の施行細則を
 制定しなかった相対的安定期(1924~30)における議会の立法不作為にこそ帰責
 されるべきであり、「共和国憲法の内在的欠陥」によるものではないと考える。

こんなとこでいかがでしょう? 
ヴァイマル憲法

第48条:「公共の秩序と安定」が危険にさらされ国家が憲法の義務を履行できなくなったとき、大統領は軍隊の援助のもとに緊急令を強行でき、その際に身体の自由、住居不可侵、通信の秘密、言論の自由、集会結社の自由、私有財産の保護の一部または全部を停止することができる


19: 世界@名無史さん
>>18
「ワイマル共和国」を読む限り林健太郎は48条もさることながら
より具体的な要因として国会の政府選出能力の喪失と政党の未成熟を指摘している。
むしろ彼の論旨の力点は後者におかれている印象を受けるがいかがなものだろうか。

20: ヘルマン・ヘラー
>>19
確かに、林健太郎は48条を共和国崩壊原因論の中核にすえているわけでは
ない、少なくとも「中公新書」の記述では。しかし「共和国憲法の制度的欠陥
=ナチス台頭原因」論は、東西冷戦華やかなりし頃、日本国憲法改憲論との
からみで(日本国内では)林先生が紹介していることに注目したい。
(なにより林健太郎の「ワイマル共和国史」は古い!)

21: 世界@名無史さん
中央銀行がヘタレだったから、ってのはどうよ。

第一次大戦後のハイパーインフレの記憶があったので、
世界恐慌がやってきた時、金融緩和して
需要を増やさなくちゃいけないのにしなかった。
そしてデフレが悪化して共産党が強くなった時に総統閣下登場。

総統はケインズより早くケインズ政策して景気を回復させて
神になりますた。

23: 世界@名無史さん
>>21
ライヒスバンクのデフレ政策は、ドイツの窮状をアピール→賠償帳消し要求、
という政治的意図に規定されていた側面があったから、一概にシャハトだけを
ヘタレ扱いはできないと思われ

37: 世界@名無史さん
世界恐慌とそれにともなう在独米国資本債権引き揚げ
がドイツ経済を苦境に追い込み
この経済的困窮につけこんで伸張した勢力がナチス。

41: 世界@名無史さん
1933年1月30日 ヒトラー内閣成立
   2月4日  「ドイツ国民擁護条例」(政党の新聞、印刷物の禁止権限を政府に与える)
        「公共の秩序を乱す集会の禁止令」を布告
   2月6日  プロイセン州議会解散
   2月27日 国会議事堂炎上事件
   2月28日 「民族と国家防衛のための緊急令」
        (人身の自由の制限、出版の自由を含む自由な意見発表の制限、
         結社・集会の権利の制限、信書・郵便・電信・電話の秘密の侵害、
         家宅捜索と押収の命令、ならびに所有権の制限は、
         それぞれに定められた法の限界外においても許容される)
        「ドイツ民族への裏切りと国家反逆の策謀防止のための緊急特別令」
         (主に武装蜂起とゼネストが対象。必要な場合中央政府が
          連邦各州の全権を掌握して死刑を科すことを認める)

2月28日の2つの緊急令=政府は意のままに一切の反政府活動を制圧し、
           国民の身体、財産、自由も無制限に抑圧することが可能。

この後の全権付与法、ナチス党一党制その他の独裁体制確立(ワイマール憲法の崩壊)
はこの2つの緊急令から始まった。

44: 世界@名無史さん
社会民主党に人材が居なかったから

45: 世界@名無史さん
となると、論議の対象にエーベルトの功罪も挙げねばなるまい。

49: 世界@名無史さん
民主主義的な右派勢力が無かったからと
セバスティアン・ハフナーは言ってました

50: 453
>>49
カトリック中央党ではプロテスタントの
受けが悪いからダメなのか?

中央党

中央党は、ドイツのカトリック系政党。ドイツ現存最古の政党である。ドイツ帝国成立の後の1871年3月にカトリックの帝国議会議員58名により創設された。

中央党の一部には親ナチズム的傾向をもつ人々も存在したが、教会を敵視していた国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)と中央党の関係は良くなかった。しかしボルシェヴィズムへの敵視と、「裏切者」パーペン内閣への敵対という点では両者の利害は一致していた。国家人民党のアルフレート・フーゲンベルクは、「ヒトラーからカースまで」の右派連合を構想しているが、結局連立は成立しなかった。

1933年にヒトラー内閣が成立し、ドイツの治安権力がナチ党によって握られた後、カースと中央党は全権委任法への賛成を迫られた。中央党幹部会は拒否しても無駄であると考える者が多数となった。党内で予備投票が行われたが、反対者は12名ほどであり、多数決原理によって党員全員が全権委任法賛成投票を行うこととなった(全権委任法が第5条で時限立法であると規定していた事も原因している)。

52: 世界@名無史さん
>>50
中央党はやはり中道派じゃないですか
人民党、国家人民党が議会主義を尊重しなかったのが
致命傷になったんじゃないでしょうか

62: 世界@名無史さん
>>52
革命で君主制をなくしたのが拙かった。
カイゼルの孫で立憲君主制を実現しておけばよかったのに。

67: 世界@名無史さん
>>62
シャイデマンが焦って共和政宣言さえしなければ・・・
軍部がついてれば共産主義者など鎮圧できたのだから、
議会主義的帝政でなんとかならなかったのかと悔やまれる。


88: 世界@名無史さん
選挙制度に欠陥があったことも一因ではないだろうか。
完全比例代表制の選挙は党首個人の人気投票的なところがある。
政党は意見対立があると分裂し、二つの個人政党が生まれる。
最後に勝ち残ったのが最大の個人政党たるナチスってことで。

90: 世界@名無史さん
なんで共産党が伸びなかったんだろう・・・・それと全権委任法でおかしいと
思えよ

91: 世界@名無史さん
全権委任法も国民の圧倒的多数が支持してたらしいから

93: neanias
結論から言ってしまうと国民に民主主義が根付いてなかったんだね。
それに選挙制度の不備とか経済的苦境が重なった時に民族主義を国民が許してしまった。
時々「ケルゼン等文化人達の知的ニヒズムがナチの台頭を許してヴァイマールは滅びた」
なんていう香具師もいるけど、そういう批判をしてる連中がナチを支持してだから笑える

97: 世界@名無史さん
>>93
必ずしもそうではないよ。
バイエルンでは狂王を議会があぼーんしたくらいだしな。
問題なのはナチス、共産党の2大DQN政党以外の政党があほすぎたこと。

98: neanias
某芸術王のことですな、具体的に議会のどんな人たちが幽閉したのかしりませんが
いずれにせよ、そういうことをしたのは知識人であって、
一般大衆が民主主義の理念にのっとって幽閉したわけではないでしょう(重税に対する一揆ぐらいはあったかも)
私は一般大衆の民主主義教育の不徹底がワイマールを崩壊に追い込んだと主張しているのです

109: 97
>>98
あんた当時のドイツ国民を馬鹿にしすぎてるんじゃないの?
大体ワイマール憲法崩壊の原因は非常大権乱発で憲法のつぶし方を知らせてしまったことじゃない?
で、憲法否定のDQNと憲法にしがみついたあほがいたと。

113: neanias
>>109
>非常大権乱発で憲法のつぶし方を知らせてしまったことじゃない?

そういう憲法の不備の問題は確かにあった。
でもそれ以上に社会民主党が国民をまとめ切れなかったのがより根本的な原因だと思う
非常大権はどこの国の憲法にもあるし、ヒンデンブルクだってそんなに酷い使い方をしていた訳ではない
結局国民に民主主義が根付いてなかったんだよ、或いは民主主義=社会主義みたいに思われてた

>憲法否定のDQNと憲法にしがみついたあほがいたと。
カール・シュミットとケルゼンが専門ですが、何か。

115: 97
>>113
社会民主党自体があほなので国民をまとめるのは不可能だろう。
今の末裔も同じようなものだが。
ついでに言うとドイツは地域単位での議会制民主主義の歴史は古いし定着していた。
民の範囲は時代によって異なるが。

94: 世界@名無史さん
わが闘争って読む価値あり?

95: neanias
歴史文献としては呼んだ方がいいかも
俺は思想史なんだけど、思想史文献としてはほとんど価値がないらしい

101: 世界@名無史さん
>思想史文献としてはほとんど価値がない

ヒトラー自身も「政権取れると
分かってたらあんなの書かなかった」
と言ったらしい。
いつのまにか「聖典」扱いされてると
知ったらどう思うだろうか・・・

114: 名無しさん@お腹いっぱい。
第一次大戦の戦勝国に責任があるような気がしますね。特にフランス
でしょう。ドイツは厳しい軍備制限をうけていたわけですが、実は、
条約で戦勝国の側もドイツと平均をとる意味で大規模な軍縮を約束
していたわけです。ところがこれを守らなかったのです。それどころ
か、むしろ軍拡をしてしまった。これがドイツの民族主義的感情に火
をつけてしまったのですね。ヒトラーの台頭がおきます。ワイマール体制の
崩壊につながるわけです。ヒトラーが軍拡の引き金を引いたかのよ
うにいわれていますが、事実はそうではないのです。イギリスが
宥和策をとったのも、ドイツが軍縮会議から脱退するのも無理から
なところがあると同情したからなのですが。

127: 世界@名無史さん
・経済の崩壊
・WWⅠの敗北
 を背景に、当時のドイツ人の神経は相当にイラついていただろう。
そこで「ホントは君たちは凄いんだよ!」といわれて、煽られた。

128: 永遠の青 ◆V9k1yZSe4M
体制に不満がある人間が有り余っていたことでしょうね。
あれだけ、極左と極右の勢力が強くなって、
民主勢力が未熟なら、そりゃあ体制覆りますよ。

134: 世界@名無史さん
つうか戦前は白色テロで殺されまくっただろ。人材がいなくなるのも
当たり前。

135: 世界@名無史さん
>>134
戦前に殺された有名幹部・理論家って誰かいる?社会主義者鎮圧法は
1890年に廃止されてるし。

136: 世界@名無史さん
>>135
おいおい左はローザ・ルクセンブルク、カール・リープクネヒトから
クルト・アイスラー、SPD以外でもマティアス・エルツベルガー、
ヴァルター・ラテナウと暗殺されまくってるぞ。

137: 世界@名無史さん
>>136
ごめんごめん、てっきり第一次大戦前の社会主義者のことかと思った。
こっちの早とちり。
それにしても、前三人はむしろ殺されて当然、むしろ死んでくれたおかげで
体制が安定したような革命的冒険主義者だわな。
後二者も有能は有能だろうけど、しかしいくらテロが横行したからといって
人材が枯渇したというのは言い過ぎのような。

138: 世界@名無史さん
戦後のドイツは、大統領の権限を縮小、間接選挙に
 国民投票など直接民主主義的制度の廃止
 非常事態は基本的に有事立法で整備。議会でもめるときは連邦参議院の承認で緊急立法事態宣言
 議会解散の制限

 全てワイマール憲法の反省

159: 世界@名無史さん
本当どうしてこんな変な集団が誕生したんだ?
当時のドイツ人の頭の中身と関係あるのか

ゲルマン宗教も左右逆の卍も意味不明

160: 世界@名無史さん
ナチってのは、ホントにいろんなものの寄せ集めなのよ。

右派的でもあり左派的でもあり、反近代的でもあり近代的でもあり。
一言でまとめるのは難しいけど、あえて言えば、反近代的な思想を
近代的手法、テクノロジーで実践した、と。

この、ある意味いい加減な幅広さがあったからこそ、
他の復古的グループとは違って、広範な支持が得られたと思えるね。

164: 世界@名無史さん
ビスマルクはドイツ統一後は、欧州の平和がドイツの安定と心得ていた
ドイツの成長ぶりに慢心していたのはむしろ新聞とか市井の人

165: 世界@名無史さん
ワイマール共和国と戦後の西ドイツで社会構造はどう変わったの?
ナチ政権以前に不遇だった階層は戦後どんな形で自分たちの要求を通したのか

ユンカーは東ドイツだから脇に置くとしても、地主貴族たちはどうなったの?
農地改革をしたのか

168: 世界@名無史さん
>>165
貴族は今では普通の市民らしいね。

ユンカーは北朝鮮みたいに下層民に転落したのかな?

166: 世界@名無史さん
東独のユンカーはどうなったのだろうか?
人民裁判で皆殺し?

171: 世界@名無史さん
法的には普通の市民だが、旧西独地域の貴族は今でも城を持っている。
昔ほどではないにしても、貴族にふさわしい財産はあるだろう。

東独地域でも、東独末期の首相ド・メジエールなんて貴族だったから、
別に差別されていたわけではないようだ。
ちなみにポーランド元大統領のヤルデルスキ将軍も貴族出身。

172: 世界@名無史さん
東ドイツはユグノーの子孫が多いせいか、フォンテーヌだのフランス風の
名前が多いのだな。
ヒトラー時代もそれで通したのだろうか?

178: 世界@名無史さん
>>1
比例代表制だと多党制になりやすい。ワイマールドイツや第3共和制フランスは
比例代表制を使用していたため極端な多党制に陥り、政局が安定しなかった。
その為、ワイマールドイツでは不信感を持った国民がナチスに票を投じるようになり、
また自由という名目がありつつも戦後処理やハイパーインフレによる苦しみに耐えかね、
自ら自由を放棄し隷属的(マゾ的傾向)なナチの思想へと陥ったのが原因である。
ちなみに今でもドイツ・フランスでは比例代表制を行っているが、穏健な多党制により
政局は安定している。

179: 世界@名無史さん
>>178
フランスは小選挙区制
ドイツは比例代表・小選挙区並立制

181: 世界@名無史さん
イスラエルも比例代表で多党化状態だけど、戦間期独仏のような政局不安定さはない


引用元: ・■ワイマール憲法崩壊の原因って?■