元号の「令和」が行政発の文章によく使われていること。政教分離は憲法の常識(憲法20条3項)になっているが、天皇と神社の結びつきはご存知の通りです。単なる時間の記述であれば西暦の2019年が優れている。
 
 せめて2019年(令和元年)の記述が平均的と思えます。時間の記述の軽い意味で2019年で日本の元号の知識では令和元年です、程度のものです。

 令和元年を使いなさいと行政文書にルールの通達があってそうなっているのなら、かなりやばい状況です。

政教分離を堂々と違反している。


 最近、農作業をしながら、ときどき脳裏にでる言語活動の中に、見方を変えれば生産性を伴わない行政作用の肥大化は市場経済を脅かす悪性ウイルスのまん延のように映ることです。宿主(市場経済)がいて、ウイルスは、それに寄生して繁殖し、発熱・特効薬などが欠如すれば宿主が死滅するまでむしばみます。
  
  最近の著名なカナダの経済学者マンデルの著書の中にもこれに類する文言が出ている。悪性ウイルスとは書いていないが、今の補助金・行政の市場のコントロールなどは民衆の経済活動の障害の作用が徐々に強くなり、自由な精神から発生するやる気・解決力の阻害要因になると。これは親と子供の関係にも当てはまるなど、なるほどと思い当たることは多い。


 適切な小さくて効果的な市場経済を邪魔しない行政は当然に必要です。その精神は憲法の中に出ているのですが、三権分立でない二権で戦後の行政が成り立ってきているから、当然に憲法違反の効力を持たない(憲法98条)行政法を施行している現状があるわけです。

 
 この行政法等をゾンビ法なぞとしておきます。
ゾンビとはご存知のように死人が生き返り、歩き回る人間?を言います。本来の生きた憲法からはなれた人間ではない(生きた法ではない)と憲法98条では言えます。

 追加7月13日(先ほど)ーー市長との車座トークに行って、指定管理者制度は憲法14条の平等の原則に違反していると指摘しておきました。いわゆるゾンビ法です。
 
 はなはだ、風通しの悪い政治がまん延し、きゅうくつ感この上ない社会ができている現実があると言えます。税制から社会の構造的矛盾までかなり民主主義からは離れた状況です。
 むしろ社会主義の国に近いと思えます。

 当然に階級社会的要素が強くなって、貧富の差が自由市場からではなく、支配層と支配される側の貧富の差が常識的につく、社会構造になっている。
 
 学校教育から、階級社会的地位を求める人々を強く意識することも出ている。
 社会的地位とは自らの市場経済での頑張りから生まれるなら公平・平等なのだが、単に学歴・試験の要素を強く表して地位を築くようでは、自己の地位の安泰をはかる人生で市場経済の挑戦心を阻害する存在となる状況がある。
 
 これが問題でまさに悪性ウイルスのまん延となってくる。

 ある著名な方の文言に悪性ウイルスと善玉ウイルスの違いが判然としないが、単に市場経済を邪魔する要素(税金の無駄食い・単に地位の安泰をはかり効果は市場経済の邪魔になる・法令等が市場経済の邪魔になり、単に手数料の搾取になっている)が強いと見れれば悪性ウイルスなわけで、規模の縮小の改革は急務でしょう。

 今の日本にはおかしな慣行を植え付けられて、疑問はあるがはっきりしないことが多すぎるとみています。
憲法には主権在民、民主主義、行政の横暴を規制する条文が多いわけです。ここで憲法とは何かをもう一度問題にする必要を感じます。

 民主主義は構成員の精神的自由と経済的充実、なくしては発展しないと先進国の著名な経済学者は言っていますが、その通りと想像します。
 
 そもそも近代国家の憲法は行政の横暴を規制する国民との契約に根底を置いて作られています。
憲法98条はこの憲法に沿わない規則・法令などは効力を持たない書かれています。
 
 この条文は特に重要で効力を持たない行政法的条文に従わされている現状は民主主義と離れた社会が出現していると当然に思われます。

 people power( public power) 的発想で、我々が頑張らないと、さらにおかしな社会の出現を許容することになります。