山口県宇部市山中の天然水

 現代の政治の疑問点を現実を踏まえて提案し、思考してもらって、よりよい民主主義が機能する世の中になればとの希望から、あらゆる方面について現実感を大事に記事を書きます。(自己満足にならないように)

2022年03月

 表題を読んで何となくすべてを理解する人は私のブログをよく読んでもらっています。分かりにくい文章で、半分思い付きを何とか記述することに専念した結果です。

  さて、年を重ねると政治とか経済とか生きる上で何が大事かなど、けっこう思慮するようになりましたが、これらはある程度若い時から何となく思想として自分に宿っていたものと思われます。

  今になってそれを言葉に表す必要性にかられて、現実感とバランス感覚を大事にしながら文章に表現したつもりです。

産業・経済が発達すると若い時から職業(二次的にはお金を稼ぐ手段)を意識することが多くなるようです。
若い夫婦が頑張って働いて家庭を維持する姿は、今の大方の子供たちには親の姿を見て育ちますので
その真剣さはよい教育になると思われます。

 そこで過去のブログにもありますが、しょせん人間は地球に発生した知能の発達した一つの生命
体であります。自然界の仕組みから切り離されて生命維持は不可能と思われます。

 人体についてはかなり複雑な生命維持のシステム的方式が宿っています。これをある程度忠実に守れば病気が少なく長寿な人生を歩めると断言できます。
 
 どうしてこれを守って生命維持を有効に働かすかは体系的にまとめた書物はほぼないに等しいのではないでしょうか。お百姓さん・農学者・生物学者などの力を借りればまとまりそうです。

 しかし、病気になればお医者さんがなんとかしてくれると思いきや、一時的にはそうかもしれません。だが、健康維持には薬では無理と納得できます。一時的には治っても、長期的には生命維持ができるか疑問です。

 生きている人体に発がん性のある物質・生命維持の妨げになる物質を習慣的に取り込めばどうなるかは想像できます。

 ここで、メディアの宣伝とお医者さんが何とかしてくれるに傾倒することは、はなはだ将来に危険
な人体をつくることになると思われます。

 日ごろから人体は自然の一部であって、自然から切り離された物体ではなく、共同体となっている認識が重要と思われます。

 とかくお金中心の発想では方向性を間違うことになりそうです。生活の資を得る取り組みはもちろん大事ですが、健康を維持するには自然との共存なくして成り立たないと思われます。

 今の社会的な情報ではお金中心に偏っているとの認識です。

食べ物あって健康ありの思想からでは農業・水産業の成り立ちは非常に重要な要素となります。

 左近の熊本のアサリ事件、浄化槽の塩素の問題など端的に表れています。

 善玉菌とともに生きることは自然の健康維持・人体の健康維持に欠かすことができないとの結論です。

 ちょっと一言〇〇過去のブログに述べたと思いますが?

 善玉菌とは,、説としては地球の46億年の誕生してからの歴史では最初に生命体として地球に現れた生命とのことです。

 隕石が集まって地球の球体が形作られてた時は、地球を取り巻く気体は二酸化炭素(CO2)が多く、水蒸気は冷えて水になるに従って、水の惑星が出現したものとの説です。
  しかし、大洋を作るほどの水量が集まることは不思議です。

 高温の地球に最初に発生した生命体が善玉菌で、いまだに温泉水の高温でも生きれる善玉菌の存在があることからも納得できます。
 
 海の中に緑の藻などが発生して二酸化炭素を光合成によって酸素に替える現象で、酸素が次第に増える地球の大気の変換期で、善玉菌群は酸化した物質を還元する力が備わり、その過程で生命体に有用な酵素をつくる作用を持つようになったとの説が一般的です。

 次第に高度な生命体が発生しても当然に体内に善玉菌を宿して恩恵を受けるようになったと思われます。

  一言終了〇〇

 この働きは未来永劫変わることがないと確信できます。
 お金中心では確かに手段としては重要ですが、共生とか生命維持とかの観点からでは十分ではないと思われます。

 偏らないで定年すれば家庭菜園(できれば有機農業)を進めたい気持ちがここにあります。が、ある程度好きでないとできない分野でしょう。


 
    


  
このエントリーをはてなブックマークに追加

 日本の古来からの風習は比較的安泰統治であったがゆえに建前論で決まり、今でも行政主導ができやすい精神構造から抜け出ないでいる。
 
 百姓一揆などに見られる民主主導的なたたかいが多くはつぶされてきた経緯と、長い間の他民族に占領された経験のない民族的精神を持つに至ったと思えます。

  そこには建前論に従う精神構造が多くみられると想像します。とくに田舎ではそう思われます。

 しかし、民主主義に目覚めるときがないと、日本社会自体が危なくなると予想します。

  そこに本音論は精神構造改革の基本になると思われます。生活実態に合わせて窮屈なこと、民主主義的に邪魔になることなど本音論で物言える地域社会ができることが最も基本になると創造します。

 協力・連帯・区別論などは、そこから自然発生的に大事なると思われます。

あくまで、行政主導の部分とそうでない分野の調和が必要でしょう。行政主導は最小限にして地域社会に重点を置くことが望まれます。

  しかし、産業の大企業化・フランチャイズ化・行政の統合による大規模化などによるwork
が、金銭的なつながりをますます強化して、個人の意思の本音論はむしろ後退するのではないかと危惧されます。

 職場とその外の本音論は滅私奉公精神では成り立ちません。区別と割り切りが大事かと思いますが。

 今の日本国憲法(アメリカのジョージア州の州法に基本をおいて作られている)には行政を規制する文言が多くあります。戦後は産業面は急速にアメリカに沿って発達したが、憲法に沿った民主主義論は後退していると思われます。

 我々は株式会社日本の道具になっている感さえします。お金論は確かに大事ですが、階級社会的になってはますます何かがおかしいと感じます。

 私はお金にまつわる今の20種類以上ある税の種類と、組織化された中央集金システムの多さに問題があると思っています。

 アメリカのすごいところは巨大化した産業や組織は国防以外は分断して組織替えする習慣があり、
それが、民主主義的発展と市場経済に結び着いています。

 日本の様々な組織はどうでしょうか??考えさせられます。

     
     




このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ

  翻译: