かみさんが亡くなって多少の時間が過ぎた頃。
俺の中に希死念慮が生まれた。

そこには、
いくつもの理由があった。

強烈な悲嘆に耐えられなかったからだ。
心身を引き裂かれたような、激しい痛みが苦しかったからだ。

持っていたモノすべてを失って、自分の人生に絶望したからだ。
自分が人生の敗残者のように思われたからだ。

かみさんのいない
ひとりぼっちの暮らしが、かみさんと一緒にいた年月より長くなってしまうのが怖かったからだ。

そんな俺に「生きていれば良いこともあるよ!」
とヘラヘラしながら言った奴がいた。
慰めるつもりだったのかもしれない。

かみさんが亡くなってから。
それなりの時間をひとりぼっちで生きてきた。

残念ながら、
生きてて良かったと思ったことは何もない。
むしろ、
死んだら楽になれるのにと感じることばっかりだ。

それでも俺は確信していた。
そう遠くない将来、
かみさんの後を追えるだろうと信じていた。

しかし…
それは次第に「確信」から「渇望」に変わっていった。
俺も近い将来に死ぬはずだという「確信」が、死にたいという「渇望」に変化していったのだ。
どうやら、
そう簡単には死ねそうにないと気付いたからだ。

こんなはずじゃなかった…と思う。
いったい、いつまで続くんだ?
と思う。

最初に想定していたのとは違い、
かみさんのいない余生は長くなるかもしれない。
哀しくて、
淋しくて、虚しくて、面白くもクソもない余生が延々と続いていくのかもしれない。

その間、俺は、少しずつ老いていく。
ダラダラと生き続け、
次第にあちこちが壊れ、いずれは朽ち果てて、干からびて死ぬのだろう。

だからこそ思うのだ。
こんなはずじゃなかった…と思うのだ。

にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
にほんブログ村←いつもありがとうございます。ポチッとクリックお願いします。