かみさんは、俺の妻だった。
かみさんは、
俺のいちばんの親友だった。

かみさんは、俺の母であり、
姉だった。
かみさんは、俺の娘であり、妹だった。

そうだ。
かみさんは、俺のすべてだったのだ。

かみさんが死んだ。
俺は「
すべて」を失った。

妻がいなくなり、
いちばんの親友もいなくなった。
姉と妹を同時に喪った。
そして、
母と娘を亡くしてしまった。

俺は
ひとりぼっちになったのだ。

・・・

かみさんが亡くなってから。
俺の中のかみさんは、
時によって、さまざまな姿で現れる。

たいていの場合、
かみさんは「妻」の姿をしている。
20年間、手を取り合って暮らしてきた人生のパートナーとして、かみさんは俺の脳裏に浮かんでくる。

一方で、
辛いことがあったとき、かみさんは「母」もしくは「姉」の姿をしている。

かみさんは今だって、俺の中にいるのだろう。
そして、脆くなってしまった俺を、ひそかに支えてくれているのだろう。

・・・

先日、
かみさんの写真を眺めていた。
闘病中のかみさんの写真だ。

癌と宣告されたのに、写真の中で、かみさんは笑っている。

それらのうちの一枚が、俺の気持ちを惹き付けた。
公園のベンチに座り、日光浴をしているかみさんの写真だ。

愛おしいと想った。
抱きしめてあげたい
と想った。

その写真を見ていると、そこには俺の「娘」が写っているように感じたのだ。

かみさんが亡くなってから。
俺もずいぶん年を取った。
かみさんと俺の年齢の差は、
次第に開いていった。

だからだろうか。
最近、
俺の中のかみさんは、俺の「娘」の姿をしているのだ。

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