仮にイスラエル人の血を引いていたとしても、日本人は「イスラエルの子孫」ではない

久しぶりに「日ユ同祖論」の話。「古代日本にイスラエル人がやって来て、日本人の先祖になった」と主張するこの説。私は、古代イスラエル人の「一部」が日本列島に渡来して、日本人の先祖の「一部」になった「可能性」はあると思う。 あれだけ世界を股にかけて活躍しているイスラエル(ユダヤ)人のことだ。いわゆる鎖国のイメージから誤解されがちだが、実際は古来意外と外国と交流があった日本に来ていたとしても、不思議はない。一方、イスラエル人渡来の証拠とされる事例の数々は、正直偶然やこじつけと思われるものが多い。だが、それらを差っ引いても、やはり説得力のあるものもまた、あるのである。(幕屋・神殿と神社の構造の類似、過越祭と正月の類似等。)但し、具体的にどの系統のイスラエル人(北の十部族か、南の二部族か、ローマに追われたユダヤ人か、ユダヤ系キリスト教徒か、それらの混合か)が、いつ、どのようにして、どれくらいの規模で来たのかについては、多くの人々が様々な説を唱えているが、すべて憶測であり、新たな考古学的発見でもない限り、知ることは不可能である。

だが、仮にイスラエル人の血をいくらか引いていたとしても、それをもって日本人を聖書が意味するところの「イスラエルの子孫」と見なすことはできない。すなわち、日本人は、神がアブラハムと結ばれた祝福の契約の地位を受け継ぐ民族ではない。それはあくまで現在の「ユダヤ人」に継承されている。日本人は、あくまで一異邦人に過ぎない。聖書に、「イスラエルから出た者がみな、イスラエルではないからです。アブラハムの子どもたちがみな、アブラハムの子孫だということではありません。ローマ9:6〜7」とあるとおりだ。

最も顕著な根拠を示そう。アブラハム契約には、土地の相続の条項があった。カナンの地、今のイスラエル/パレスチナの地の所有権を、アブラハムの子孫たるイスラエル人に与えるというものである。現に、彼の地はイスラエル(ユダヤ)人たちが所有して住んでいる。彼らはAD70年以来追放されていたのであるが、近代になってから帰還し、今や再びそこを領有するようになった。これこそ聖書の預言の成就であり、ユダヤ人こそが正統なるイスラエルの子孫であることのしるしにほかならない。

もし日本人が契約の民たる「イスラエルの子孫」であるなら、日本人が大挙してイスラエルの地に移住するという、パレスチナ問題をますますややこしくするような現象が起こらなければならない。しかし実際は、日本人は日本列島という「約束の地」を既に持っているのだ。

日本人を「イスラエルの子孫」と見なすことで、自分たちは特別な民族だと誇ろうとする人々は少なくない。だが、私たちはそのようなことをするべきではないし、する必要もない。なぜなら、聖書は、イスラエル人の中から生まれたイエス・キリストを信じる者は、その信仰によって「イスラエルの子孫」と見なされ、アブラハムに約束された祝福を受け継ぐことができると述べているからだ。地上の土地の所有権はあくまでユダヤ人にあるが、天の神の国は、ユダヤ人であれ日本人であれ、イエスを信じる者が相続するのである。

「ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子であると知りなさい。……ですから、信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受けるのです。ガラテヤ3:7〜9」「あなたがたがキリストのものであれば、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。ガラテヤ3:29」

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