ちわわ速報|修羅場・鬼女・2ちゃん生活まとめ

=用語= 🦴キチママ…思考回路がおかしい母親の事 🦴ボッシー/シンママ…母子家庭、シングルマザーの事 🦴サレ/シタ…浮気された側の事/浮気した側の事 🦴小梨/子蟻…子供がいない事/子供がいる事 🦴DQN…不良のような暴力的、非常識な人の事 🦴DQN返し…迷惑行為を受けた事に対する仕返しの事

    母・父

    603 :ちわわ 2012/09/09(日) 18:29:37 0
    豚切り・乱文失礼します
    数分前から自分の中で修羅場

    今日は母の誕生日、そして今年の11月で結婚25年目になる。
    昔からプレゼントをあげるっていう習慣がなかった。
    私は今年受験生で金銭面ですごい迷惑をかけているので、
    せめて何かしてあげようと思ってフットマッサージをしてあげようと考えた。
    今日に備えてバラの匂いのクリームも買い、泣いて喜ばれるだろうと自惚れていた。

    続きます

    330 :ちわわ 2012/09/07(金) 09:19:21 0
    受験の修羅場書き捨て。
    うちは高校二年生の時両親が離婚、母のもとで生活していた。
    父がサイマーで家計は火の車らしかったけど、そんな事情を気取らせることなく
    家にはいつもお菓子のストックがあり、好きなものも買ってもらえていた。
    生活を制限されたことも、苦労させられたこともなかったのは、本当に感謝している。
    けれど逆に、家庭の経済状況はまったく教えてもらえなかった。

    私が通っていたのは、県下でも三本の指に入る(高校教師陣自称)公立進学校。
    大学に行くのが当然で、それ以外の進路を選択しようものなら変えるよう何度も説教。
    進路決定が本格化した際に、私は母に進路について話した。
    母は、行きたいところに行けばいい、お金は気にするなとだけ言って、あとは忙しいで打ち切り。
    馬鹿な私は、県外の私立大を第一志望として据えた。
    返還なしの奨学金がでること、何よりも、その学科がそこにしかなかったため。
    当時不登校で、自立しなければと強く思っていたため、世話焼きで過保護気味な母から
    離れたかったというのも一つあった。

    高校三年の10月。自宅で三者面談が行われた。
    進路決定と成績表を並べ、ドヤ顔で進路決定の理由を述べる私。
    母はじっと進路を見つめ、私の話を遮って言った。

    「うちに県外の大学へやるお金はありません。自宅から通える国公立しか無理です。
    だいたい、料理のできないあんたに一人暮らしは無理。今の状態じゃ友達も作れなくて
    途中でやめて帰ってくるのがオチでしょう」

    なんでこんなぎりぎりまで話してくれなかったのかとかそこまで言うかとか
    料理できないのは母が台所に入れてくれないせいだろうとかいろいろ考えて撃沈。
    担任はお花畑でそれなら教育学部に行けばいいと一人でマシンガントーク。
    結局そこから大幅に進路変更(第二志望も県内私立)
    国公立で無理やり行きたいところを選出したものの成績が足りず落ちて
    専門学校へ入学が決まりました。

    377 :ちわわ 2012/09/07(金) 11:31:54 0
    小学校低学年の頃、インフルエンザにかかって42度超えの熱が出たが、
    教職で仕事命だった母は「仕事を休むわけにはいかない」と私を病院の待合室に置き去りにして出勤した。
    自力で動くこともできず意識は朦朧としていて、このままタヒぬのかと思った。

    506 :ちわわ 2012/09/19(水) 14:26:42 0
    流れを読まずに投下。

    母はいわゆるおめかけさんだった。
    生活力のないタイプなので父にすがりつくタイプ。
    父は「こっちの家庭」では俺様なやつだった。
    私が中学のとき母が病タヒ。
    大人同士ですったもんだがあった末、
    私は父の第一の家庭に引き取られることになった。
    俺様な父は第一の家庭ではその妻に完全に尻に敷かれている
    人だったから、私の居場所はなかった。
    ここまでが第一の修羅場。

    763 :ちわわ 2012/09/21(金) 20:10:30 0
    小さなころから
    「お前はピアノのコンクールで全国で優勝しなければならない」
    と言われて育った
    二歳になるとピアノを始めて五歳でコンクールデビュー
    良い所までは行くんだけどあと一歩というのが数年続いた
    それに痺れを切らした両親。
    「来年優勝できなかったら終わりだから」
    と言われるも逃す
    気付いたら祖父母の子供になっていた
    まぁある意味捨てられたということ
    帰ってきたら家の中が空っぽという漫画のような体験をした

    644 :ちわわ 2014/09/23(火) 12:48:24 ID:grRILOxzB
    叔母(父の妹、50代後半)は親戚中のお姫様な人。旦那との間に子供はいない。
    若いころは細くて小柄でそりゃもう妖精のように可愛らしかったとよく写真を見せられた。確かに可愛い。当時は。
    しかし今は加齢には勝てずミニデブのおばさん。150㎝あるかないかで70㎏くらいある。
    でも親戚や、うちの父や、叔母の旦那にとっては今も細くて小さな妖精ちゃんが見えてるらしい。

    うちの母はその年代にしては背の高い人で165㎝くらいある。叔母にはいつも陰でゴリラと言われていびられていた。
    同じくすくすく育って167㎝になった私も叔母に会うたび
    大きすぎて池沼っぽいとか本当に女なの?生理ある?pgrとか言われていた。
    若い頃は母も叔母の所業を父に訴えたりしたらしいのだが父は「ひがむな」「デカいのは本当のことだろ」と言って
    相手にもしなかったという。
    そのうち母もあきらめて訴えるのをやめ、私と叔母がなるべく会わないようこっそり陰で画策してくれた。
    それでも冠婚葬祭やお正月なんかはどうしても顔を合わせたけど、数時間のことだからと我慢してた。

    しかし叔母がついに妖精の座から陥落する日がやって来た。
    正月に従兄が嫁さん候補を連れて来た。大学出たばかり、推定152㎝前後40㎏あるかないか。
    目大きい。色白い。まさに本物の「細くて小柄な妖精のような子」。しかも若い。
    よせばいいのに、叔母が彼女に対抗し出した。
    私の方が手首が細い、骨が細い証拠よ。骨太は百姓みたいで育ちが知れる、とかなんとかグダグダグダグダ…
    従兄が怒って「やめてくれ」と言うと、叔母は口をとんがらして「やんっ!」とそっぽを向いた。
    これは叔母得意のポーズで、いつもならこれをやるとうちの父や叔母旦那がメロメロになる。
    しかし今日は本物の若いかわいこちゃんがいる。
    客観的にはどう見ても妖精をいびってるズゴックがいるだけ。
    誰も機嫌をとってくれないことにあせった叔母は泣き真似をして部屋の隅へ。
    しかしやっぱり誰も来てくれないので、従兄彼女のそばへ戻り、またグダグダ粘着。
    整形でしょ?過激なダイエットで痩せてるんでしょ?生理止まってんじゃない?子宮もボロボロとかグチグチ…
    従兄彼女は言い返さず、目に涙をいっぱい溜めてうつむく。可憐。
    可憐vsガンタンクの勝敗はすぐにつき、叔母はまわり中からいいかげんにしろと怒られ泣いてタクシーで帰った。

    その一件以来、父や叔母旦那の目には真実の姿が見えるようになったらしい。
    150㎝70㎏、若いころの花柄ワンピースを「今でも似合う」とはちきれんばかりに着るノーブラ57歳おばさんという真実の姿が。
    あれほど叔母大好きだった叔母旦那は、めっきり「家事しろ」「寝てばかりいるな」と口うるさいおじさんになったらしい。
    うちの父は急に母と仲良くしたがるようになり、なにか買ってやろうかと持ち掛けては無駄なものはいらないと断られている。
    一昨日私に「おまえすらっとしてるなあ」とお世辞を言ってきたのでちょっと気持ち悪く感じ
    「私が叔母さんに池沼とかオカマ呼ばわりされてる時に、そう言ってかばってくれたなら嬉しかったんだけどね」
    と言い返してしまった。父はしょぼんとしてた。
    いつか言い返そうと長い間イメトレしてたけど、思ったほどスッキリしないもんだな。

    521 :ちわわ 2014/08/31(日) 04:42:04 ID:bcXFSLCpL
    このスレでいいのかな?
    文章下手だけど。

    両親から虐侍を受けて育った。
    特に父親からの忄生的虐侍が辛過ぎたので、17才で両親が別居して母と祖父母と暮らすことになってからは父親には会っていない。

    大学の学費と生活費は私への慰謝料として母の口座に振り込まれていたが、その支払いが滞っていると母に嘘を吐かれバイトを始めた。
    後にわかった事だが、母はそのお金を当時の彼氏に貢いだり岀会い系に費やしたりしていた。
    ここで母と縁を切ることを考え始める。

    大学から私は実家とは新幹線の距離で暮らしていたんだけど、今年の始めからこちらの事情で三ヶ月ほど実家で世話になっていた。
    その頃、母は父と再婚したがっていて、私はそれに強硬に反対していた。
    けれども期限付きとはいえ住まわせてもらっている以上、あまり強くは言えない。
    生理的にはとても受け付けなかったけれど。
    それに呪いの真似事をするくらい憎んだ、しかも娘を汚した男と「淋しい」とか「お母さんだって女だから」とかいう理由で再婚しようとするなんて。
    思いっきり母に失望。

    祖父と母はやたらと父と私に接触を持たせようとしていた。
    私が祖父に父親にされたことを告白した時は「杀殳してやりたい」とまで言ってくれたのに、
    「○○(父)君も反省しているんだから」
    などと。
    祖父も母も、父から金銭的な援助を受けていたから、そのせいだと思う。

    この時、私にはもう親はいないと思って生きる事にした。

    その後、私は結婚。
    一応報告はしたが、祖父の言うように写真なんか送ってやらないつもり。
    結婚式はまだだけど、それも呼ばない。
    父親を連れてこられたら困るし。

    妊娠したけど、それも兄弟にしか言っていない。

    母から連絡がしつこいので、
    「産まれてくる子が男女どちらにせよ、ペドフィリアなんかには合わせられない。
    お母さんも私の子供がいやらしいことされたら嫉妬して私の子供に㬥カを振るうんでしょ?
    私の時みたいに。
    そんな人に会わせられない。
    私は過去と決別したいので、もう連絡してくるのもやめてほしい。」
    みたいな手紙を送って、絶縁。
    私以外の子供にも見捨てられ、母は祖父共々親類からも見捨てられ、さもしい生活を送っているらしい。

    前置き長くなったけど、一応小さな仕返しです。

    亡くなった祖母の仏壇に手を合わせられないのは悲しいな。

    736 :ちわわ 2013/06/02(日) 18:31:28 0
    他の人と比べるとプチだけど…

    もう何年も前の話、父親が風○に行って家庭内が修羅場になった。
    しかも原因は私、というか私に似た女忄生。

    私当時働きながら学生、女。実家の隣県で1人暮らし中。
    父母50代と40代。妹10代。

    私によく似た女忄生がある風○店のサイトに出ていたのが原因。
    実家のポストにその女忄生が出ている雑誌のコピー、サイトのプリントアウトが投函されていたらしい。
    「娘が都会でとんでもないことになった」と思い詰めた父が「とにかく確かめよう」とその女忄生を指名してお店に、母親にばれて家庭内が修羅場。
    母親激怒して暴れて家出した。
    父曰く何もしていないとのこと、でも「その手の店に行ったこと」で、母親が戻ってきた後もしばらく無視されていた。
    多感な10代だった妹にも汚物扱いされていた。

    358 :ちわわ 2012/08/24(金) 15:19:35 0
    小さい頃、大体母が原因で両親が大喧嘩していた。
    で、その日は特にひどくて
    「だから○○(私)は馬鹿なんだ!」
    と母が叫んだのが聞こえてきた。
    人の事を馬鹿か屑、のろまとしか言えない母。
    喧嘩だけでもこっちは泣きそうなのに自分の名前を出されてもう涙腺崩壊。
    そこに姉がすくっと立ち上がって両親に言った言葉がまた…。
    「ねぇ、-×-は+だよね。-×+は-。どう考えても母さんが-でしょ?じゃあ+が生まれるわけないじゃん
    頭良い子が欲しいんなら父さんが+の人を改めて探すか、母さんが-の人を改めて探すしかないよね。
    ま、母さんと新しいお父さんの所に生まれた子は悲惨だろうけど、だって-同士じゃん。あ、でも反面教師としては最高か」
    と言った。
    私も両親も唖然として空気が固まったのを覚えている。
    あの後姉は父に平謝り。母にも最終的には謝っていた。

    666 :ちわわ 2012/08/25(土) 23:41:09 0
    母が大学の同窓会で実家の方に帰っていた日に、父も飲み会で帰りが遅くなると言っていた。
    母は次の日まで帰ってこないし、父は飲み会の日は帰宅が12時を過ぎるので一人でニヤニヤしながら一人きりの時間を満喫していた。
    けれど21時ぐらいに家のインターホンが鳴って「もう帰って来たのか…」と残念に思いながらも
    玄関を開けると知らないオジサン(タクシーの運転手)が困惑した表情で立っていた。
    玄関のそばにはタクシーが一台。後部座席の所にはうずくまっている父がいた。
    「きもちわるいよー、○○(母の名)ちゃん、きもちわるいよー」
    と繰り返していた。
    私と運転手で支えながら家の中に入れると運転手さんを母と勘違いしたのか
    「○○ちゃん、ありがとうね」と唇にキスをした。
    それをたまたま見てしまった近所の人は父のことを勘違いしてしまうし、タクシーの運転手は泣き出すしで大変だった。
    父はその時も母と勘違いしていて運転手に抱き着こうとしていた。
    母はちょうど見てしまった人から聞いたらしく、父に「今月は禁酒令」を出した。
    父はお酒大好きな人なので、今のところいつも寂しそうにビールの缶やワインの瓶、焼酎などを見つめている。

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