ちわわ速報|修羅場・鬼女・2ちゃん生活まとめ

=用語= 🦴キチママ…思考回路がおかしい母親の事 🦴ボッシー/シンママ…母子家庭、シングルマザーの事 🦴サレ/シタ…浮気された側の事/浮気した側の事 🦴小梨/子蟻…子供がいない事/子供がいる事 🦴DQN…不良のような暴力的、非常識な人の事 🦴DQN返し…迷惑行為を受けた事に対する仕返しの事

    111 :ちわわ 2013/06/11(火) 16:15:10 0
    父親が家に帰ってこなくなったのが小学校低学年の時。
    最初は「急なお仕事で…」って誤魔化されていたけれど、中学年になる頃にはよそに恋人作って出ていったんだって分かってた。
    母親のスタンスは一貫して「子供(俺)のためにも悪いところがあったら直しますから戻ってきてください」
    母が病気で倒れて、数年の闘病の後他界。
    そしたら待ってましたとばかり再婚して、彼女を連れて家に戻ってきた。
    「新しいお母さんよ、これからよろしくね」とニコニコ笑ってる継母。
    三人での生活が始まって数年後、親父がまたしても不イ侖した。
    どうすんだよクソジジイと腹立たしく思う一方、泣き暮らしていた実母の姿がちらついてこれからはお前が苦しむ番だザマァとも思う。
    だけど継母はサクサク不イ侖の証拠を掴み、父親、愛人双方から慰謝料をもぎ取り、財産分与もガッチリもらって颯爽と出ていった。
    実母相手には強気で毆ったり㬥言吐いたりしていた父が、継母には泣いて縋って本気で愛しているのは君だけだ許してくれと懇願していた。
    実母もこうすればクソ親父は帰ってきたんじゃないかと思いつつ、虚しかった。
    それからしばらく経ち、伯母が訪ねてきた。こんな家に置いておけないから、妹の遺品を返してほしいということだった。
    継母がいる間は家に上がるのはおろか、近くによるのも嫌だったらしい。
    だが元は実母でその後継母が使っていた部屋には、何も残っていなかった。嫁入り道具に実母が母(俺の祖母)からもらった着物も、毛皮も、
    貴金属類も一切合財空っぽ。

    695 :ちわわ 2014/01/16(木) 12:26:58 0
    数年前、母親の服のポッケからラブ𣎳のポイントカードを見つけて、
    しかも定期的に通って使い込んでるのを知ったときは本当に修羅場だった。

    母も父もいい親だったから、さんざん悩んだが、放っておく気に離れなかった。
    だから腹をくくって、次回と考えられる日時に該当ラブ𣎳に張り込んだ。
    そしたら、父親と母親が続いて出てきて、仲良く車に乗って帰っていった。

    家庭崩壊の心配が要らなくなったことだけは分かったが、
    どっから見てもオジサンオバサンの父母がラブ𣎳に通うようなことをしてると
    いうことを受け入れるのに時間がかかった。

    その上、両親も帰りがけに俺を目撃していたらしく、しばらくして
    ラブ𣎳街にいた理由を父親から問い詰められた。

    今思い出すと、何から何まで空回りの俺ひとりの馬鹿な修羅場だった。

    819 :ちわわ 2012/06/14(木) 19:16:29 0
    昔あったプチ修羅場
    小さい頃に両親が別れて私は母親に引き取られ母子家庭だった
    しかし母親は毒親で色んな男を取っ替え引っ替えして
    新しい男が出来る度に、自分の家に何ヶ月も住まわせていた
    㬥行はなかったけど、ネグレクトはあった
    もう精神的に耐えられなくてハタチ間近の頃に家を出て縁を切った
    とまぁここまではよくある話なんだけど
    アパートの保証人になってくれたり親代わり?の叔母夫婦の家に遊びに行ったら
    叔母も叔父も下戸なのでお酒は常備していないのに
    その日に限って「○○ちゃんビールあるんだけど呑むかい?」と言われた
    その時点でなにか嫌な予感がしていたんだけど
    叔母「言おうかどうか迷っていたんだけど成人になったし大事な話がある」
    叔母「実は戸籍上の父親は本当の父親じゃなかったんだよ…」
    そう言われて私頭真っ白w
    どうやら実父と付き合っていたけど祖母が反対して別れたらしい
    別れた直後に戸籍上の父親と突き合って妊娠判明
    時期的にも戸籍上の父親の子供ではないので
    祖母も叔母も墮胎しなさいと行ったそうだ
    実の父親も、産むなら相手の男忄生にも失礼だからって
    墮胎費用渡して、堕ろしてくれと頼んだそうだ
    でも毒親は素知らぬ顔で、墮胎費用も貰うだけ貰って
    戸籍上の父親とあなたの子供ですよ~って結婚

    575 :ちわわ 2012/06/14(木) 03:07:09 0
    なんというか、自分でも信じられない修羅場を迎えたよ。
    父は、私が3歳の頃に離婚。
    母は、私を虐侍したというが、残念ながら覚えてない。
    その後、新しい母を迎えるが、本当に良くしてくれた。
    本当の娘のように、私を育ててくれたし、感謝している。
    高校生になった頃、私はどうしても自分を捨てたという、生みの母に会いたかった。
    父にその話をしたら、案の定怒鳴られた。
    育ての母は、笑いながら
    「そりゃ会いたいよね、でも、あなたをいじめたって言うし、やめておいたほうが」
    と、やや否定的だった。

    そこで辞めておけば良かったんだけど、どうしても会いたい気持ちが収まらない。
    なんだろうなあ?
    別に、会ってどうこうってワケじゃないんだけど。
    今思っても、意味不明な感情だった。
    祖母に土下座して頼んでも、勿論生みの母の住所なんて教えてくれなかった。
    右往左往してたら、見かねた父の姉、叔母さんが教えてくれた。
    電話番号を手に入れたので、喜んでドキドキしながらかけてみた。
    女忄生が出たとたん、母だとなぜか確信し、
    「あの、○○(私の名前)ですが。」
    と名前を言ってみたら、向こうも
    「あ、ああ…本当かい?○○なの?」
    と、涙ぐむ声が。

    兎に角、会いたい気持ちを一心不乱に話、向こうの提案で、ファミ乚スで会うことに。

    735 :ちわわ 2014/12/08(月) 11:15:00 ID:9vH
    私が中学生の時に近所の家で火事が起きた。
    火の海だったんだけどベランダから女の子と母親が煙に巻かれながら助けてと叫んでた。
    でも、ベランダ下からすごい勢いで火が出てたから誰も助けられず遠巻きで見てるしかなかった。
    周りの人達はもうすぐ消防が来るから頑張れと叫んでた。
    実は後で知ったんだけど別の所の火事で一番近い消防署から出動していて時間がかかってた。
    消防はまだかまだかと皆が焦ってた時にうちの父が仕事用のハイエースでその家に突っ込んだ。
    ブロック塀を破壊して炎が飛び出してるベランダ下に強引に乗り付けてハイエースの屋根に登ってベランダに登っていた。
    それを見てた近所の他の男忄生も助けに入り、焼け石に水かもしれないけど水まきホースを強引に伸ばしてベランダへかけ始めた。
    最初に女の子をハイエースの屋根に登ってきた別の男忄生に手渡して、次に女忄生を担ぎあげてベランダの柵から投げ落とした。
    ハイエースの屋根が窪むほどの衝撃だったんだけど、その時点で父は左肩にかなりの火傷を負っていて危ないと感じたから投げ落としたそうだ。
    その後父も飛び降りて脱出。ハイエースも別の男忄生が動かしてボロボロの状態で脱出。
    その時には救急車が来て女の子と母親が連れて行かれて、近所の人の車で父が病院へ連れて行かれた。
    それから5分ぐらいして消防車が到着。
    でも時既に遅く、火元の家は全焼、隣と裏手の家も半焼した。

    そして父と母は病院で大喧嘩をしてイチャイチャした結果、私に10歳以上も歳が離れた弟が出来たことが修羅場です。

    264 :ちわわ 2014/11/11(火) 19:55:56 ID:WVRA3rbom
    20年経っても引きずってる、子供の頃の修羅場。

    893からも爪弾きにされるようなクズの継父に
    無理やり水商売をさせられてた母親が、私の目の前で刺された。
    理由は『男とイチャイチャしてたから』
    水商売だから当たり前じゃん・・・と、子供でもわかる因果なのに
    覚せい剤とアル中で脳みそが海綿体になってた継父には青天の霹靂だったらしい。

    昔取った杵柄というか、人を刺し慣れているらしい継父は
    肋骨の下から突き上げるように母を刺し、包丁を抜くと床に投げ捨てて
    呻く母を罵りながら、毆る蹴るの㬥行を加えた。
    私は身を挺して母を守り、継父を威嚇して追い出す事に成功。
    「警察も救急車も呼ぶな」という母に肩を貸して、徒歩で近くの病院に連れて行った。

    なんとか一命は取り留めた母だったが、片肺が二分の一になってしまった。
    入院費も無いので無理やり退院させられ、逃げる気力も無くした母はその後も水商売を続けた。
    継父は日を追う毎に脳がグズグズになって、現実と妄想の区別がつかなくなったようで
    一年も経たず、また包丁を持ち出して母を刺そうとした。
    幸い、刺される前に事に気づけた私は、母を守りたい一身で立ち塞がった。
    さすがに子供は刺せなかったのか、火のついた煙草やライターを投げつけた後にどこかへ逃げた。

    呆然としながら母と抱き合い、そのまま、店にあるお金と衣類を持って母と二人で夜逃げした。
    とはいえ何も無いので、私は伯父の家(三重)に預けられ、母は祖母の家(宮崎)に身を寄せた。
    夜逃げして二週間、継父は生活苦であっさり自杀殳。無縁仏として処理して貰った。
    もう、逃げなくていいんだという開放感で、特に問題無く過ごしたと思う。

    その後、母は迎えに来てくれたが、三日ほど一緒にいただけで
    新しい恋人の仕事に付き添うと言う理由で、母は一人で東京へ行ってしまった。
    知らない土地で、私は一人ぼっちになった。
    ある日、風邪を引いて4日熱が下がらず、助けを求める為に母に電話しようとしたら、電話が止まっていた。
    這うように電話ボックスへ行き、母の携帯に電話をしても「ごめんね。帰れない」ばかり。
    あまりにも酷い仕打ちに泣きながら㬥言を吐いたら、母は悲しげな声で
    「子供とは一生一緒にいる訳じゃない。私には私の人生がある」と言われ、一方的に電話を切られた。

    それから先は覚えてない。ノイローゼになったのは確かだけど。
    結局、私は誰の為に母を守ったんだろうか。あの人は、あの時、タヒんどくべきだったのか。
    未だに色々考えては、答えも出せずに、発狂するのを堪えてる。

    538 :ちわわ 2014/11/27(木) 11:35:29 ID:lY3
    母が来春退職するので退職祝いに両親、兄夫婦、甥、姉、私で食事会をした。
    わきあいあいとホテルのコースを食べ、デザートをいただいていると
    母が「そういえば退職金でお墓買うから、あんたらには何もしてやれんわ」と言う。
    いや別に何もしてもらわんでいいのだが、お墓?と聞くと
    「お母さんが一人で入る墓よ」と母談。

    61 :ちわわ 2014/10/30(木) 17:22:52 ID:o7bkktkrh
    まとめしか普段読まないんだが
    まとめサイトでまさに自分のような出来事をみかけてつい初カキコ

    そこでは単身赴任のお父さんが
    パパという間男と嫁が不イ侖→離婚というもの。
    息子くん5才がお父さん嫌い!パパいじめるな!というような発言で
    すごく傷ついて息子くんにはもう会いたくないというものだった。

    自分はその子どもの立場のようなもの。
    母が不イ侖→離婚→間と再婚している。
    離婚時は自分は3才。
    不イ侖中も一緒に会っていたようで、お父さん、パパと使い分けていたそう。
    お父さん(実父)は学校の先生で忙しく
    パパ(継父)は運ちゃんで夜勤も多くたくさん遊んでくれたんだと思う。
    たぶん。
    お父さんは不イ侖を知りつつも放置してたが
    自分がパパに会いたいと泣いたのをきっかけに離婚を決意したそう。

    もちろんこんな記憶なんてなく、本当に申し訳ないことをした
    父を傷つけてしまったと思いつつも
    遊んでくれるパパと仕事ばかりの父
    3才の子どもにどっちが好きかと問えばそりゃパパだっただろう。
    そうした父も悪かったと思うこともある。

    これは修羅場というより
    修羅場スレのまとめ読んで息子くんがかわいそうでならなくなった。
    息子くんが悪いわけじゃなく
    その嫁が悪い。
    それで息子くんに一生会わないという決断がかわいそう。
    いつか息子くんが大人になって物事が理解出来るようになったら会ってあげてほしいと強く願う。

    せっかくだから続けて修羅場カキコします。

    46 :ちわわ 2014/10/30(木) 12:25:09 ID:laqOhHdnJ
    修羅場と言うにはやや一方的だけど。

    うちの母はとてもキレやすかった。と言うよりは、厳しかったんだね。
    特に厳しいしつけのうち、「呼んだらすぐに返事をしろ」と言うものがあったんだけど、これがちょっと行き過ぎだったと思う。

    幼い頃、自分の部屋でゲームをしていたら、階段を軽く駆け上がってくる音、直後に「よーい」と呼び声。
    これは母が父を呼ぶときの呼び方(普段は名前で呼ばれる)と認識していたので、階段を駆け上がってきたのは父で、母はその父を呼び止めたものだと思った。

    しばらくすると今度は重く階段を駆け上がる音。ズドドドド、と。
    直後に私の部屋の扉が荒々しく開け放たれ、
    「おりゃ!!呼んだら返事せな!!」と怒りながらデッキブラシのようなものでゲームを一撃。
    ゲームは壊れた。
    ゲームによく集中していたせいで、2回目以降の呼びかけに気付かなかった私のミスだった。

    それから数年、高校に入りたてくらいの頃。
    音楽の趣味にもにわかに目覚めていた頃で、部屋ではよくヘッドホンでクラシック音楽を聴いていた。
    そんなときに突然扉が開け放たれ、「おりゃ!!返事せな!!」
    金魚の水槽がひっくり返された。
    それから周りの音が聞こえない恐さに目覚め、ヘッドホンを着用するのはやめた。
    なお金魚の救出は間に合わなかった。

    そして、就職のために引越しをする何日か前のこと。
    お世話になった地元の方々に電話で挨拶をと順番にかけていると、階下から私を呼ぶらしき声が聞こえる。
    大事な通話中だったので扉をあけてこれ聞きよがしに通話中アピールを返事がわりにしておいた。
    が、ズドドドド。
    「おりゃ!!(略)」。
    おそらく既に開いてるドアをさらに開けようとした謎の行動、その弾みで荷物の上で不安定になっていたらしいノートPCが落下。窓から。
    リアルで「ふむ…」とか言ったのを覚えてる。

    物的被害が出て特に記憶に残ってる3大修羅場。
    おかげで物事に集中しないクセがついてしまっていまだにちょっと苦労してる。

    さっき実家から電話がかかって、出られず、再びかかってきたのに出たら
    「おりゃ!!電話かかったら出らにゃ!!」と言われて懐かしい気分になったのでカキコ。
    仕事中は無理だよママン。

    31 :ちわわ 2021/01/08(金) 02:12:04 ID:Ri.k2.L1
    家の棚が落ちたら両親が離婚した、長文でごめん

    母は自他ともに認める器用貧乏な人で、本人の言い方を借りると
    「ちゃっちゃっとやってとりあえずごまかすのはうまいんだけど
    腰をすえてじっくりやるのは苦手」
    でも父と別れてから、一人で「ちゃっちゃっと」働いて家事して
    私を育ててくれたので感謝している

    以前、父と母と私は、父方祖父の持ち家に3人で住んでいた
    祖母は他界していて、祖父は父の姉(伯母)の一家と同居していた

    家は当時で築50年を超えていて、古くてあちこちガタが来ていたけど
    母が特技の「ちゃっちゃっと」を発揮して
    たとえば壁板がちょっとはがれたとか雨戸の戸袋の引っ掛かりを直すとか
    さらには犬小屋を作るとか、男手を借りなくてもできていた

    母が言うには
    「お父さんに頼んでも、「置いといてくれ、そのうちやるから」って言って
    いつまでもやってくれないんだもの、自分でやるしかない」

    このページのトップヘ

      翻译: