2021年12月26日(日)
今年最後の紅茶教室のレッスンでした。
ブログ更新が年末大晦日。><;
この日のレッスンは本当に久しぶりの碧先生のレッスンでした~
講座の内容は・・・というとまたまたChaTea紅茶教室らしい英国スチュアート王朝の3人の王妃です。
私も紅茶教室に通って長いので、この3人のお名前は知っていました。
1600年~1700年代 スチュアート王朝は絶対王朝の時代です。
女性にとってこの時代はどんな時代か・・・というと・・・
一言でいって「女性には何の権利もない・意志も持てない!}ということでしょうか?
3人、それぞれに紅茶を学ぶ私たちには関わりのある方たちです。
メアリ・オブ・モデナ 1685年に王妃の座につきました(ジェームズ2世王妃)
オランダの小さな公国から嫁ぎ英国にオランダ式の喫茶法、「受け皿にお茶を移して飲むスタイル」を伝えた方
ジェームズ2世の2度目の奥さんなんですよ・・・
15歳の時に40歳にもなるジェームズ2世と結婚。
先妻の子供にメアリ2世とアン女王がいるのです。
ジェームズ2世はカトリック教徒だったため英国国民の目は厳しく、同じくカトリック教徒のモデナ共々
受け入れられない夫婦でした。
出産を何回も繰り返し、1688年に長男が誕生したことをきっかけに英国では名誉革命が始まるのです。
メアリ2世は父、ジェームズ2世の兄、当時国王のチャールズ2世によりオランダ総督オラニエル公ウィリアム3世と結婚します。
(結婚させられます。)
メアリ2世はオランダに嫁ぎデルフト焼きを知ると磁器蒐集を始め英国にシノワズリー趣味をもたらして王妃です。
チャールズ2世はカトリック教徒は国の官僚にはなれない!というよな法律を制定しました。
そして2人の銘(メアリ2世とアン女王)をプロテスタントとして教育します。
1684年にチャールズ2世が亡くなると弟のジェームズ2世が国王になります。
兄が制定した法律をことごとく改訂、廃止していきました。
1688年にジェームズ2世(メアリ・オブ・モデナ)に長男が生まれるとカトリック教徒の国王が継承される・・・
それを恐れたプロテスタント貴族がオランダにいるメアリ2世とウィリアム3世夫婦に英国国王になるよう懇願したそうです。
1689年に二人はウェストミンスター寺院で戴冠式を行い即位します。
これが名誉革命と言われるのですね~
メアリ2世はとっても聡明な女性であったようです。
ケンジントン宮殿で散歩をし読書を楽しみながら東洋の磁器も宮殿にはたくさん飾られたようです。
しかし、残念ながら1694年に32歳で天然痘で亡くなられました。
その後夫のウィリアム3世が統治を続けますが、残念ながら2人には後継が生まれませんでした。
まさか!自分が国の王になるなんて! 1ミリも思っていなかったアンは普通の人(?)と結婚し17人の子供を妊娠・流産・死産を繰り返していました。
ウィリアム3世が1702年に亡くなると、アン女王が英国国王に即位します。
ウィンザー城に茶室を作り、モーニングティーの習慣をもたらし、このころまだ自国で磁器制作のできなかったイギリスで
お茶をたくさん飲めるような大きなポット(東洋の急須は小さいですものね~)をシルバーで作らせます。
そのポットの形が洋ナシのような姿。このポットはクィーン・アンスタイルと呼ばれるようになりました。
アン女王は小さい頃から身体が弱くなかなかお友達ができなかったのですが、
メアリ・オブ・モデナの女官の一人15歳(アンは10歳でした)のサラ・ジェニングスと大親友になります。
そして、このサラ・ジェニングスの夫となったジョン・チャーチルは後の英国史上最も偉大な首相とも言われている
サー・ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチルの先祖です。
このサラとアン女王、姉のメアリ夫妻との関係のお話がとっても面白い・・・
ここに書かれる何十倍ものお話をして頂き、なんだか当時に引き込まれていくような・・・
映画の中に入り込んだようなそんな楽しいお話でした~
この日ティータイムはりつえ先生が作られたクリスマスプディング。
恒例のフランベのシーンから・・・
スマホのカメラだとちょっと炎が写らない~(って私の腕とスマホから???)
洋酒もたっぷりドライフルーツもたっぷり!
カスタードクリームをかけて・・・と~っても美味しい!
ミルクティーが合いますね。
今年も4種のツリーを楽しみました~
今年も紅茶教室にはた~くさんの刺激を受けました。
来年はもう少しじっくりかかわっていきたいな~と思っています。
2021年のありがとうございました。
2022年私には新たな生活のスタートです。
引き続きよろしくお願い致します。
*紅茶教室には3人に関連するアンティーク画がたくさん飾られているのですが写真は難しいですね。