キチママまとめちゃんねる

当ブログは2ちゃんねるの生活板を中心に鬼女、気団、浮気・不倫、復讐、修羅場など、生活に関するトラブルをまとめているブログです。

    506 :キチママまとめちゃんねる 2012/09/19(水) 14:26:42 0
    流れを読まずに投下。

    母はいわゆるおめかけさんだった。
    生活力のないタイプなので父にすがりつくタイプ。
    父は「こっちの家庭」では俺様なやつだった。
    私が中学のとき母が病タヒ。
    大人同士ですったもんだがあった末、
    私は父の第一の家庭に引き取られることになった。
    俺様な父は第一の家庭ではその妻に完全に尻に敷かれている
    人だったから、私の居場所はなかった。
    ここまでが第一の修羅場。

    113 :キチママまとめちゃんねる 2015/08/22(土) 20:41:03 ID:4aU
    月一で面会している実父から一緒に暮らさないかと言われてスレタイ。

    ・母とは5年前に離婚済み。私は母へ引き取られています。
    で、母再婚して今は妹も生まれています。
    今さら母だけでなく妹とも離れて暮らせと?

    ・私はは今年受験なので勉強とか忙しい。
    父子家庭で家事はどうするのか。
    私にやれということ?

    ・今のお父さんに不満はないし、むしろパチ〇コ浸りだった実父よりずっといいお父さん。
    モラ八ラで母や私に怒鳴りまくっていた記憶しかない実父と暮らすとか冗談じゃない。


    母と離婚するときにいうならまだわかるけど「今さら何言ってるんだお前は?」状態。
    そして自分のやってたこと思い返して私に好かれているとか思えるところが不思議。
    いちおう父親だしと思ってあってたけど今日だけですごく疲れた。
    もう止めたい。

    27 :キチママまとめちゃんねる 2010/10/20(水) 13:33:02 0
    昨日まとめサイトを読んで、思い出したネタがあるんだけど書いてもいい?
    最近のログは読んでないから流れに合ってるかどうか不安なんだけど。

    396 :キチママまとめちゃんねる 2012/03/14(水) 03:28:12 ID:uz6J1GsA
    小6の夏休みに一番下の妹が生まれた。
    母は元々身体が弱い人で弟が生まれてから何回か入院、手術もした。
    妹が出来たときは生むかおろすかで両親が話し合いしているのを聞いて
    子供の傲慢さで「なんでできたのに生まないの?!私の兄弟だよ」と言ってしまった。
    母は私の言葉で出産を決意。
    逆子になったり、出血したりで生まれるまでに二度入院。生まれてからも
    産後の状態が悪くて長く入院していた。

    父親は仕事に行っていたが、大抵定時で戻る。
    私は家事仕事と弟の面倒を一生懸命見ていた。
    両親ともに昼間いない家庭なのだけど、放置子ではなくて、鍵っ子だった。

    入院の多い母からは、ご近所さんや友達に迷惑をかけちゃだめ。
    遊びに行くときは相手の親御さんの了解を必ず得てから。
    4時前には家に帰っておくこと。遊びにいくときは何かお菓子を持っていきなさい。

    弟と私はそういい聞かされてました。
    私も弟も凄く守ってた。なぜなら、いい子にしてないと母も妹も家に戻ってこないと思ったから。

    406 :キチママまとめちゃんねる 2015/06/23(火) 11:41:54 ID:oby
    1
    私はいわゆる放置子だった。
    お父さんは気が付いたらいなくなってて、お母さんとふたりで暮らしていた。
    お母さんはだいたいいつもお酒臭くて、ときどき男の人を連れて帰ってきた。
    男の人が来ているときは、雨でも夜中でも外に出されてつらいけど、
    その後は、しばらくお母さんの機嫌が良くなるから助かってた。

    小学三年生の冬、お母さんに彼氏ができた。
    今までの男の人と違って、家に何回も出入りして、いる時間も長かった。
    外に出される時間が多くなって、とても困った。

    子供がいていい場所って案外ないんだよ。
    特に夜中だと、すぐに大人に声をかけられて
    「おうちは?おとなの人は一緒じゃないの?」
    って聞かれる。最悪保護されて家に連絡される。
    そうするとお母さんがとっても怒って三日くらい怖い。

    結局、公園のすべりだいの中が夜中の居場所になった。
    風がよけれて、人目につかなくて、トイレもある。
    家を出されるときにちゃんと毛布と手袋を持っていくのがコツ。
    できたら、なにかお菓子やパンをもらって出ていく。
    ちょっとづつかじって食べると時間がつぶれて楽。

    294 :キチママまとめちゃんねる 2015/11/29(日) 13:35:23 .net
    皆さんの馴れ初め、羨ましですわ
    うちなんて「お父さんのチャーハン」っす

    373 :キチママまとめちゃんねる 2014/08/13(水) 08:54:56 ID:ymiMzemaz
    私が小学1年生の頃、母が出ていった。私は母が制服着た男の子と(たぶん高校生)と浮氣しているのを知っていたので、母に不信感を常に持っていた。
    父は「どうして学生なんかと・・・」と涙していた。私を抱きしめ、「母ちゃんがいなくても、お前は立派な人間に育てるからな。楽しい所も連れていってやるからな。」と言ってくれた。

    私は21歳のときに結婚し、その二年後に父がタヒ去。32歳のときにマイホームを建てた。このときまだ子供はいない。
    そんなときに母が私に接触してきた。どこからどのように情報を仕入れたかわからないが、マイホームに凸。
    旦那は困惑、私は激怒。だって、浮氣相手の高校生の両親に無理矢理別れさせられ、勤め先の上司の息子に手を出し解雇、その後介護職に就いたが、鬱病を発症して仕事をしていないから養えだと。
    その日はとりあえずお引き取り頂いた。

    712 :キチママまとめちゃんねる 2014/06/19(木) 21:13:30 ID:???
    小学生の頃の話。
    なんとなく学校行くのめんどくさい~休みたいってなる時があった。
    私は頭がタヒぬ程痛いから今日休むと母に仮病を使った。
    ちょくちょくこんな手を使ってたので母はまた仮病でしょ!行きなさい!と怒ってた。
    それでもグズグズ言う私に母はじゃあ休むなら病院だからね!と言われ、よっしゃ休めるううう!と喜びに震えた。
    そして母に宣言通り病院に連れてかれた。
    もしもなんともないって言われたら1ヶ月おやつ抜き、トイレ掃除だからね!と言われ泣いた。
    病院に着き診察室に入った。ハゲてるけど優しそうなおじさん先生だった。
    この病院はすごく丁寧に診てくれるってのでかなり有名な病院なので、母が頭がタヒぬ程痛いらしいです。と言うとじゃあ念の為レントゲン撮りましょうとなった。
    撮影が終わり待合室でポケモンの漫画を読んでいると血相を変えた看護師さんと先生が飛んできた。
    今すぐ救急車で大学病院に行きます!急いで!と言われ、わけもわからず私は担架に乗せられ救急車へ。
    母もポカンとしつつ救急車につめられた。
    結果から言うと脳にほぼ拳大の腫瘍があったらしい。
    手術してもらって私は無事だったんだけど、麻酔が切れて目が覚めたら母に土下座されたのには驚いたw
    仮病だと思って信じてなくてすまなかった。お前がこんなに辛い思いをしてたのに気付かないなんて親失格だ!って泣いて謝られた。
    私は今だにあの時頭痛いと言ったのが仮病だったと言えてない。

    229 :キチママまとめちゃんねる 2013/02/01(金) 11:51:45 0
    私の母親は、私の高校三年の時の担任と不イ侖していた。今から二十年前の事です。
    私が在学した高校は、高校三年になると、夏休み前から希望者のみ親の進学面談が何度もありました。
    その当時短大にするか四大にするかで揺れていた私を心配して、何度も面談に行っていると言う
    母の話を信じていた。実際は入学式で一目ぼれして三年の担任になったのをチャンスと面談で
    口説いていたみたい。三者面談は数回でいつも二者面談にしていたのがみそなんだよね。

    それで口説かれる担任も担任なんだけどさ。担任は当時バツイチでした。
    子供も居なくてタヒ別で、さびしかったらしい。それでも担任が抑えて、私が卒業するまで待ったらしい。
    卒業式が終わったら、離婚届を記入済みにしたものを置いて母が居なくなりました。
    母は貯金通帳すべて持ち出して解約して、あるだけのお金を持って行ったから
    家は次の日からの食材を買うお金もありませんでした。私の大学の入学金と学費は支払って
    ありしたが、弟の私立高校の入学準備をするお金にも困りました。母方の祖父母が申し訳ないと
    お金を貸してくれたので、なんとか私も大学の教科書を買え、弟も私立高校に入学できました。
    母方の祖父母が手を尽くして、母を探してやっと元担任と暮らしている母を見つけました。

    603 :キチママまとめちゃんねる 2011/11/12(土) 00:10:44 0
    ここの早さなら…!

    子供の頃、母親に連れられて知ってるおじさんと遊びにいったり、おじさんの家に泊めて貰ったりしてた。
    別に私が行きたかったわけじゃないけれど、そんなに人見知りでもなかったので言われるまま同行して
    おじさんとそのご家族に遊んで貰ってた。
    小学校中~高学年の頃によく会っていたある若いおじさんは特に仲がよいようで、
    その人はまだ若いからおじさんじゃなくて、下の名前で呼んであげてと言われた。

    小学校高学年の時に、それら全員が母の浮氣相手だと知ったw
    通りで、よく遊ぶおじさんが変わったら前のおじさんちには行かなかったわけだw
    で、この若いおじさんが嫁と別れてやれとか家に来たときが、今のところ人生最大の修羅場。

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