残飯
私は自分の両親に残飯係にされていた。親が飽きたもの、一口だけ食べたけど思ったほど美味しくなかったもの、ちょっとだけ食べたかったものを片付ける。それが原因で絶縁したら?
505 :鬼女日記 2016/05/26(木) 05:31:12 ID:0Nl
別スレに彼氏の残飯係されていた人の話があったけれど、
私は自分の両親に残飯係にされていた。
定食屋で焼き魚を注文して、裏返して骨を取って食べるのが面倒になったら、
私に「食べられないから、お前が食べろ」と皿を押し付けてくる。
私が骨を外して食べ始めようとしたら、身が食べやすくなったので、親は
自分の箸を突っ込んできて、食べやすいところの魚の身を食べ始める。
また、面倒になったら「残りはお前が」と言う。
おでんを頼んで、卵と大根食べたら、残りを私に「食べろ」と言う。
ソフトクリームを買って、食べきれないと・・・以下同文。
外食では、私は自分の食べたいものは満足に食べれなかった。
私が頼んだ料理は、「ちょっと味見」とか「一口よこせ」と最初に親が食べた。
親が頼んだ料理で、親が飽きたもの、親が思うほどおいしくなかったもの、
親がちょっと食べてみたかったものの残りを私は片づける係だった。
結局、親とはほぼ絶縁した。
「それくらいで」とか「もう、お前の好きなものを食べて良いから」とか
「食べ物を粗末にしたくなかっただけ」言われたけれど、食事以外にも、
進学とか就職で親の都合ばかり優先した言動などいろいろあって耐えられなかった。
私の人生を食い散らかすような人とは暮らせない。
自分がいいところだけ取って、後の始末を娘に押し付けるような親とは関われない。
親戚には「我儘娘」「親不孝」と陰口をたたかれたが、叔父(父の弟)が
「〇〇(私の名前)の気持ちがものすごくよく分かる」と言ってくれてから、静かになった。
その後、親からは「今に親のありがたさがわかる、その時、泣きついてきても知らない」
「子供を産んだら、母親は子供の残したものを食べなければいけない事があって、お前のような
神経質な事を言っていられなくなる」と脅しの手紙が時折来るけれど、放置している。
私は自分の両親に残飯係にされていた。
定食屋で焼き魚を注文して、裏返して骨を取って食べるのが面倒になったら、
私に「食べられないから、お前が食べろ」と皿を押し付けてくる。
私が骨を外して食べ始めようとしたら、身が食べやすくなったので、親は
自分の箸を突っ込んできて、食べやすいところの魚の身を食べ始める。
また、面倒になったら「残りはお前が」と言う。
おでんを頼んで、卵と大根食べたら、残りを私に「食べろ」と言う。
ソフトクリームを買って、食べきれないと・・・以下同文。
外食では、私は自分の食べたいものは満足に食べれなかった。
私が頼んだ料理は、「ちょっと味見」とか「一口よこせ」と最初に親が食べた。
親が頼んだ料理で、親が飽きたもの、親が思うほどおいしくなかったもの、
親がちょっと食べてみたかったものの残りを私は片づける係だった。
結局、親とはほぼ絶縁した。
「それくらいで」とか「もう、お前の好きなものを食べて良いから」とか
「食べ物を粗末にしたくなかっただけ」言われたけれど、食事以外にも、
進学とか就職で親の都合ばかり優先した言動などいろいろあって耐えられなかった。
私の人生を食い散らかすような人とは暮らせない。
自分がいいところだけ取って、後の始末を娘に押し付けるような親とは関われない。
親戚には「我儘娘」「親不孝」と陰口をたたかれたが、叔父(父の弟)が
「〇〇(私の名前)の気持ちがものすごくよく分かる」と言ってくれてから、静かになった。
その後、親からは「今に親のありがたさがわかる、その時、泣きついてきても知らない」
「子供を産んだら、母親は子供の残したものを食べなければいけない事があって、お前のような
神経質な事を言っていられなくなる」と脅しの手紙が時折来るけれど、放置している。
小学生の時、両親が相次いで他界してしまった。15歳年の離れた兄「弟はまだ幼いし、俺が財産を管理しなくてはならない。弟も俺が引き取る」→結果・・・
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470 :鬼女日記 2011/08/16(火) 12:35:59 0
話が盛り上がっているのに、割入ってすみません。
お盆休みで似た話を>>354で読んだので、昔の修羅場ってことで聞いて下さい。
自分は恥かきっ子で母親が四十過ぎてからの子です。
兄が一人いて十五離れています。この兄が長く一人っ子の跡取り息子で
大事にされ何でも独り占めの性.格でした。(故人なので過去形です。)
年が離れて生まれた末っ子の自分が皆に可愛がれるのが、気に食わなくて
陰でそうとういじめられまいした。
親が病気で相次いで亡くなった時自分は小学生でした。兄は結婚して
所帯をもってました。子供もいました。財産を管理するからとの名目で
兄の家に引き取られましたが、地獄でした。食べるものは兄家族の残飯。
親に買って貰った服が小さくなっても、そのまま夏でも冬でも同じ服。
部屋は庭に建てたプレハブで、冬は寒く夏は暑く暖房器具も扇風機一つ無し。
風呂は外の水道を浴びるだけ。学校では、汚い格好で給食にがっつくので
嫌がられてのけものでした。
がりがりにやせて、目玉がぎょろぎょろするようになった小六の時の担任が
気づいてくれ施設に収容されました。
施設はいじめもありましたが、食べるものもあり寝るところもあり暖かく涼しく
過ごせ風呂にも入れて天国でした。
その後兄は保護責任者遺棄で刑事責任を問われて、前科が付き勤め先も退職になり
家を売り離婚してどこかに行ったようです。
自分が成人して働いていた時に、行政から兄の面倒をみるようにと連絡がありましたが
きっぱり断りました。今年になって亡くなったと知らせがあったので遺骨を
引き取り納骨をこのお盆に済ませてきました。
お盆休みで似た話を>>354で読んだので、昔の修羅場ってことで聞いて下さい。
自分は恥かきっ子で母親が四十過ぎてからの子です。
兄が一人いて十五離れています。この兄が長く一人っ子の跡取り息子で
大事にされ何でも独り占めの性.格でした。(故人なので過去形です。)
年が離れて生まれた末っ子の自分が皆に可愛がれるのが、気に食わなくて
陰でそうとういじめられまいした。
親が病気で相次いで亡くなった時自分は小学生でした。兄は結婚して
所帯をもってました。子供もいました。財産を管理するからとの名目で
兄の家に引き取られましたが、地獄でした。食べるものは兄家族の残飯。
親に買って貰った服が小さくなっても、そのまま夏でも冬でも同じ服。
部屋は庭に建てたプレハブで、冬は寒く夏は暑く暖房器具も扇風機一つ無し。
風呂は外の水道を浴びるだけ。学校では、汚い格好で給食にがっつくので
嫌がられてのけものでした。
がりがりにやせて、目玉がぎょろぎょろするようになった小六の時の担任が
気づいてくれ施設に収容されました。
施設はいじめもありましたが、食べるものもあり寝るところもあり暖かく涼しく
過ごせ風呂にも入れて天国でした。
その後兄は保護責任者遺棄で刑事責任を問われて、前科が付き勤め先も退職になり
家を売り離婚してどこかに行ったようです。
自分が成人して働いていた時に、行政から兄の面倒をみるようにと連絡がありましたが
きっぱり断りました。今年になって亡くなったと知らせがあったので遺骨を
引き取り納骨をこのお盆に済ませてきました。