470: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/05/18(土) 13:32:25.03
父親が真性DQNだったおかげで、物心ついた頃から修羅場が多かった。
父の最初の妻(私の実母)は、女癖に耐え切れず私が5歳の時に私と兄を連れて実母実家へ逃亡。
しかし父は異常に親権に執着があり、私だけ父の元へ連れ戻された。
実母と離婚してすぐ当時父の愛人のうちのひとりが我が家へ入る。
同居始めて3ヶ月で腹違いの弟が生まれ、私の存在は限りなく薄くなり、一応衣食住の世話は
してもらっていたが、明らかに待遇の差があり、子供の私は常に萎縮していた。
小学一年の家庭訪問のとき、
担任が二人目の母に家庭内での様子を訪ねようと話を向けると、
「私は○○の妻となるべくしてこの家に来た。後継(異母弟)も生んだ。
この子(私)の母親になる為にこの家に来たわけじゃないので」
ときっぱり言った。
ここで子供だった私は、「なるほど自分には母親はいないものとして生きて
行かなきゃいけないんだな。」と覚悟せざるを得なかったこの時が第一の修羅場。
父の最初の妻(私の実母)は、女癖に耐え切れず私が5歳の時に私と兄を連れて実母実家へ逃亡。
しかし父は異常に親権に執着があり、私だけ父の元へ連れ戻された。
実母と離婚してすぐ当時父の愛人のうちのひとりが我が家へ入る。
同居始めて3ヶ月で腹違いの弟が生まれ、私の存在は限りなく薄くなり、一応衣食住の世話は
してもらっていたが、明らかに待遇の差があり、子供の私は常に萎縮していた。
小学一年の家庭訪問のとき、
担任が二人目の母に家庭内での様子を訪ねようと話を向けると、
「私は○○の妻となるべくしてこの家に来た。後継(異母弟)も生んだ。
この子(私)の母親になる為にこの家に来たわけじゃないので」
ときっぱり言った。
ここで子供だった私は、「なるほど自分には母親はいないものとして生きて
行かなきゃいけないんだな。」と覚悟せざるを得なかったこの時が第一の修羅場。
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