2024年08月14日

遺族厚生年金について考える。

遺族厚生年金について考える。

 半世紀以上前、わたしが12歳中学一年生になった6月に、父親が心臓の病気で急死しました。父は40歳でした。
 病院から自宅に運ばれた父の遺体のすぐそばで、わたしは仁王立ち(におうだち。仁王像(におうぞう)のように、怒っている(いかっている)ように、足を大きく広げて、勇ましく立つ(いさましくたつ))しながら、亡くなっている父親の顔を睨みつけて(にらみつけて)いたことを覚えています。

 『これから先(自分たち家族は)どうやって食べていくんだ!(収入源を失って、どうやって生活していくんだ)』

 心配していたとおり、それからわたしが就職するまで、経済的には悲惨な状況が続きました。
 食べ物は粗食で、着るものはなく(私服)、休みの日でも中学校の制服で過ごす時期が続きました。現在のような、こどもを扶養するための各種手当(福祉施策)はありませんでした。
 お金がほしくて、中学生の頃からアルバイトをしていました。おとなに混じって働いていました。
 結婚して共働きを始めてから経済的には救われました。

 あれから半世紀以上の時が流れて、自分は老齢期を迎えました。

 母親は、90歳近くの高齢者になりました。

 ふと、気づいたのです。

 母親は、35歳で夫を失って、その後ずーっと、死んだオヤジかかけていた遺族厚生年金をもらっています。
 びっくりしました。

 母は、遺族年金を貯金して、自分は、安い賃金のパート仕事や、老いてからは、自宅で内職仕事をして、その収入で暮らしていました。
 貯金した父の遺族年金は、こどもであるわたしやきょうだいが、就職するとき、結婚するときに、支度金(したくきん)や祝い金として使用されました。
 わたしの父は、死してなお、自分の妻子のために尽くしてくれたのでした。(つくしてくれたのでした)
 父に感謝です。そして年金制度にも感謝です。

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