2022-08-31(Wed)
20年前の今日は、マリ北部のトンブクトゥへ
20年前の今日、2002年8月31日はマリ北部のトンブクトゥへ。
高校生の頃、世界史が一番好きだったみっきぃパパ。
世界史の授業で習ったかつてのマリ帝国の「黄金の都・トンブクトゥ」。
その頃から行ってみたくて。
それから15年も経った2002年8月31日、やっとその夢が叶う。
8月29日から31日まで3日間モプティで過ごしたが、
その後トンブクトゥへはモプティからマリ航空の国内線の飛行機で移動
モプティ⇔トンブクトゥ間の往復航空券は、
130800セーファーフラン(約203.4ユーロ)。
(↑2002年8月、モプティ)
モプティの宿で頼んでおいた車で空港まで送ってもらう。
朝7時前に宿で出発。
そして空港に到着すると空港の建物はこんな感じでシンプル
(↑2002年8月31日、モプティ空港)
建物の鍵は開いていたが誰もいないし、天井のファンも止まったまま。
本当に今日のフライトはあるのか不安。
暫くして、
「今日のフライトは10時または11時または12時」といういい加減な案内。
これがアフリカなので、のんびりと♪
そして空港内のカフェがオープンしたので、カフェオレとパンを注文。
1000セーファーフラン(約1.6ユーロ)で、マリの物価からすると激高。
でもまあ、空港のカフェなので。
(↑2002年8月31日、モプティ空港)
ソファーに座って待ち続けて正午頃、
やっとマリ航空の関係者と思われる人達が登場。
どうやら14時頃の出発とのことで、
昨日の時点で出発時刻は決まっていたらしい。
13時10分、いよいよチェックイン。
その際に荷物代を徴収されて、
1人2770セーファーフラン(約4.3ユーロ)。
14時、搭乗。
ロシア製(旧ソ連製?)と思われる48席の小さな飛行機で、
かなりオンボロ。
しかもギニアの航空会社で使用されていた機体の中古だと思われる。
(↑2002年8月31日、モプティ空港)
14時10分、無事出発。
預けた荷物が座席の前の方を潰して山積みになっているのが衝撃的
上空からはニジェール川の内陸デルタが良く見える。
たくさんの細い川が入り組んで、池もたくさんある。
そしてたまに村も見える。
そして15時02分、トンブクトゥに到着。
飛行機から降りると、物凄い暑さ。
(↑2002年8月31日、トンブクトゥ空港)
空港建物に入ると、早速ガイド達がしつこい勧誘。
ホテルまで片道10万セーファーフラン(約155.5ユーロ)と言われ、
喧嘩になって、結局断ってホテルまで歩いて行くことに。
(Google Mapから引用)
でも空港を出た瞬間、ひるむ。
ここはサハラ砂漠の街。
空港から延びる何もない砂漠の一本道、物凄い日差しでダウン寸前
ホテル「Hotel Bouctou」まで直線で5キロ位あるし・・・。
約300m程歩いた所で別のガイドが追いかけて来て引き止め、
ホテルまで3000セーファーフラン(約4.7ユーロ)で良いという。
それでも高めだが、命の危険もあったので3000で了承。
1人1500セーファーフラン(約2.3ユーロ)ならまあまあ。
しかし、結局155.5ユーロが4.7ユーロって、
155.5ユーロはぼったくり過ぎ
そして無事、予め調べておいたホテル「Hotel Bouctou」に到着。
エアコン、シャワー、トイレ、蚊帳付きのツインを用意してもらい、
15時50分頃チェックイン。
ツイン1部屋2泊で合計43000セーファーフラン(約66.9ユーロ)。
(↑2002年8月31日、トンブクトゥのホテル「Hotel Bouctou」)
トンブクトゥ滞在は4泊だったが、「Hotel Bouctou」は2泊だけ。
「Hotel Bouctou」の部屋のシャワールームの排水溝から
大量のごっきーがわらわらと出て来て3泊目からホテルを変えようと
暫く部屋で休んで、18時前に警察へ行って滞在登録をしてもらう。
パスポートにスタンプが押され、
手数料は1000セーファーフラン(約1.6ユーロ)。
その後空港方面へ300m程行った所にあるレストラン「Patisserie Asco」へ。
砂の上の屋外レストランで、なかなか良い雰囲気♪
(↑撮影は2002年9月2日の夕方で2回目行った時。白身魚、玉ねぎ、ポテト、ビール)
クスクスを食べたが、乗っていた牛肉含め、かなり美味♪
夕食を終えると帰り道は真っ暗。
おかげで星はキレイだったが、街灯が少なくて少し怖かった。
そしてホテルに到着。
みっきぃパパ
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高校生の頃、世界史が一番好きだったみっきぃパパ。
世界史の授業で習ったかつてのマリ帝国の「黄金の都・トンブクトゥ」。
その頃から行ってみたくて。
それから15年も経った2002年8月31日、やっとその夢が叶う。
8月29日から31日まで3日間モプティで過ごしたが、
その後トンブクトゥへはモプティからマリ航空の国内線の飛行機で移動
モプティ⇔トンブクトゥ間の往復航空券は、
130800セーファーフラン(約203.4ユーロ)。
(↑2002年8月、モプティ)
モプティの宿で頼んでおいた車で空港まで送ってもらう。
朝7時前に宿で出発。
そして空港に到着すると空港の建物はこんな感じでシンプル
(↑2002年8月31日、モプティ空港)
建物の鍵は開いていたが誰もいないし、天井のファンも止まったまま。
本当に今日のフライトはあるのか不安。
暫くして、
「今日のフライトは10時または11時または12時」といういい加減な案内。
これがアフリカなので、のんびりと♪
そして空港内のカフェがオープンしたので、カフェオレとパンを注文。
1000セーファーフラン(約1.6ユーロ)で、マリの物価からすると激高。
でもまあ、空港のカフェなので。
(↑2002年8月31日、モプティ空港)
ソファーに座って待ち続けて正午頃、
やっとマリ航空の関係者と思われる人達が登場。
どうやら14時頃の出発とのことで、
昨日の時点で出発時刻は決まっていたらしい。
13時10分、いよいよチェックイン。
その際に荷物代を徴収されて、
1人2770セーファーフラン(約4.3ユーロ)。
14時、搭乗。
ロシア製(旧ソ連製?)と思われる48席の小さな飛行機で、
かなりオンボロ。
しかもギニアの航空会社で使用されていた機体の中古だと思われる。
(↑2002年8月31日、モプティ空港)
14時10分、無事出発。
預けた荷物が座席の前の方を潰して山積みになっているのが衝撃的
上空からはニジェール川の内陸デルタが良く見える。
たくさんの細い川が入り組んで、池もたくさんある。
そしてたまに村も見える。
そして15時02分、トンブクトゥに到着。
飛行機から降りると、物凄い暑さ。
(↑2002年8月31日、トンブクトゥ空港)
空港建物に入ると、早速ガイド達がしつこい勧誘。
ホテルまで片道10万セーファーフラン(約155.5ユーロ)と言われ、
喧嘩になって、結局断ってホテルまで歩いて行くことに。
(Google Mapから引用)
でも空港を出た瞬間、ひるむ。
ここはサハラ砂漠の街。
空港から延びる何もない砂漠の一本道、物凄い日差しでダウン寸前
ホテル「Hotel Bouctou」まで直線で5キロ位あるし・・・。
約300m程歩いた所で別のガイドが追いかけて来て引き止め、
ホテルまで3000セーファーフラン(約4.7ユーロ)で良いという。
それでも高めだが、命の危険もあったので3000で了承。
1人1500セーファーフラン(約2.3ユーロ)ならまあまあ。
しかし、結局155.5ユーロが4.7ユーロって、
155.5ユーロはぼったくり過ぎ
そして無事、予め調べておいたホテル「Hotel Bouctou」に到着。
エアコン、シャワー、トイレ、蚊帳付きのツインを用意してもらい、
15時50分頃チェックイン。
ツイン1部屋2泊で合計43000セーファーフラン(約66.9ユーロ)。
(↑2002年8月31日、トンブクトゥのホテル「Hotel Bouctou」)
トンブクトゥ滞在は4泊だったが、「Hotel Bouctou」は2泊だけ。
「Hotel Bouctou」の部屋のシャワールームの排水溝から
大量のごっきーがわらわらと出て来て3泊目からホテルを変えようと
暫く部屋で休んで、18時前に警察へ行って滞在登録をしてもらう。
パスポートにスタンプが押され、
手数料は1000セーファーフラン(約1.6ユーロ)。
その後空港方面へ300m程行った所にあるレストラン「Patisserie Asco」へ。
砂の上の屋外レストランで、なかなか良い雰囲気♪
(↑撮影は2002年9月2日の夕方で2回目行った時。白身魚、玉ねぎ、ポテト、ビール)
クスクスを食べたが、乗っていた牛肉含め、かなり美味♪
夕食を終えると帰り道は真っ暗。
おかげで星はキレイだったが、街灯が少なくて少し怖かった。
そしてホテルに到着。
みっきぃパパ
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