ロッキード事件⑪…中曽根幹事長の「陰謀」
天野氏が、喜多村教授に、「何を注射するのですか」と聞くと、喜多村教授は「フェノバールとセルシンだ」と答えた。
いずれも強力な睡眠作用と全身麻酔作用があるものだ。
天野氏が、「そんなことをしたら、国会医師団が来ても患者(児玉)は、完全に眠り込んだ状態になっていて診察できない」というと、喜多村教授は、「児玉様は、僕の患者だ、口を出すな」と激怒して病院を出て行った。
数時間後、国会医師団が児玉邸に行き、診察した。
児玉は、喜多村診断書の通りで、重症の意識障害下にあり、口も利けないで国会証人喚問は無理ということになった。
セルシン・フェノバール注射で発生する意識障害・昏睡状態と、重症脳梗塞による意識障害は酷似しており、狸寝入りとは異なっている。
血液・尿を採取すれば意識障害が薬物性のものであることを証明できるが、医師団の目的は、児玉の診察であって、薬物性の意識障害を証明することではなかった。
この喜多村教授による児玉への注射は、誰の意向だったのか?
昭和51年2月16日午前中に、児玉誉士夫の主治医である喜多村孝一教授と天野恵市助教授は、「その日中に、国会医師団の派遣がある」ことを知っていた。
その日、医師団の派遣を巡って、予算委員会理事会は紛糾しており、医師団の派遣が決まったのが16日正午過ぎだった。
医師団のメンバーが決まったのが午後4時で、医師団派遣の調整をしたのは、平野貞夫氏自身だった。
平野氏はメモ魔で、自身のメモをもとに、当日の状況を再現している。
意図的に虚構を書く理由もないだろうから、平野氏の『ロッキード事件「葬られた真実」』講談社(0607)に書かれていることは確かな事実と考えていいだろう。
医師団派遣が16日中と決定したのは、夜の7時だった。
ところが、喜多村教授は、午前中にすでに「医師団が本日中に児玉邸に来る」ことを確信していた。
児玉誉士夫の主治医は、なぜこのような「機密」を知っていたのか?
誰かが「医師団を今日中(16日中)に派遣する」というシナリオを作り、指示を出し、それを喜多村教授に伝えていたのではないか。
夕方には既にマスコミが児玉邸に張り付いていたから、それまでに「仕事」を済ませておくことが必要である。
国会派遣医師団が、喜多村教授の違法注射を見抜けなかったのは、喜多村教授の行為を知らなかったからで、喜多村教授が児玉邸に来訪し、注射をしている事実を知っていれば、薬物性の意識障害の可能性についても考慮したと思われる。
このような「陰謀」の黒幕は誰か?
国会運営を事実上仕切れる立場にいて、児玉サイドとコンタクトできる人間は?
平野氏は、中曽根康弘自民党幹事長(当時)と特定している。
与党幹事長は、国会運営の総指揮官であり、すべての情報が集中する。
平野氏は、天野氏の手記を見て、中曽根幹事長に対する疑惑を「確信」したと書いている。
国会医師団の派遣時期はどう決まるか?
野党側は、派遣を16日に行うことを求めており、中曽根康弘幹事長が、「自民党は16日中に派遣したい」と指示を出せば、100%の確率で決まったはずである。
3月4日には、中曽根幹事長は、前尾繁三郎衆院議長を尋ねて、「ロッキード事件でむやみに政治家の名前を出さないよう」クギを指している。
翌日の5日には、児玉誉士夫は検察の臨床尋問を受けているが、それを事前に知っていたかのような中曽根幹事長の動きである。
このことは、児玉サイドの情報が中曽根に入ってきていることを意味している。
とすれば、中曽根サイドから、児玉サイドにも情報が流れていたと考えられるだろう。
両者を繋ぐのは、中曽根の書生から児玉の秘書になった太刀川恒夫である。
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